挑戦も貢献も人間がわくわくする本能
今、現役のビジネスリーダーたちの間でトライアスロンブームが巻き起こっているのはレポートしてきたとおりだ。海を泳ぎ、自転車で疾駆し、走る。過酷なスポーツの代名詞のように受け取られがちなトライアスロンを、ライフスタイルとして啓蒙しブームを牽引する人物――白戸太朗。ホノルルトライアスロンやアイアンマン70.3など国際大会をも運営してきた彼が、今、社会貢献を目的としたスポーツイベントの構築に挑んでいる。東日本大震災で被災した気仙沼大島を舞台にした復興支援ランイベントだ。白戸がそこで見出した“人生の宝”とは。
時間がないなんて言えない!
索漠たる光景を目の当たりにして、白戸太朗は大げさでなく声を失った。自分の周りの空気が、音を立てて凍りついたように感じた。
「人間が生きている場所が、こんなふうになってしまうのか。写真では見ていましたけれど、想像以上のショックでした。あの震災から1年近くが経っているのに、ようやく瓦礫が片づけられてさら地になったという状態でした」
今年1月のことである。白戸はある依頼を受け、宮城県気仙沼市の大島を訪れていた。
エメラルドブルーの海と美しい緑が楽しめるこの島では、毎年春に
「気仙沼つばきマラソン」が開催されてきた。すでに28回を数える季節の風物詩として、県内外からランナーが集っていた。
ところが、昨年3月11日の東日本大震災によって、大会は中止を余儀なくされてしまう。2012年度の大会も、昨年11月に中止が決定した。島内はいまだ道路が復旧しておらず、ランナーの走行に危険を及ぼす恐れがある。参加人数を絞っての開催や復旧の推移を見極めることも検討されたが、翌春の開催から逆算すると準備期間が確保できないという決断が下されたのだった。
「気仙沼大島の観光協会の白幡(昇一)会長にお話を聞くと、『代わりに何かできたらいいんですが……』というんですね。つばきマラソンが中止になったぐらいですから、地元の体育協会や陸連は難色を示していると。でも、地元の皆さんは、大島の観光復興のきっかけとして何かイベントを立ち上げて、県内外からたくさんの人たちが集まってくる機会を作りたいとの思いを抱いていた。もちろん、震災を忘れないでほしいという気持ちや、復興途中にある島を実際に見てほしい、という気持ちも強い。僕はそうしたなかで、震災支援を行なっている公益社団法人シビックフォースから、代わりとなるスポーツイベントの企画から相談を受けたんです。それが12月のことで、年が明けてから実際に現地を訪れたんです」
聞けば、開催希望は4月か5月という。国内外で数多くのスポーツイベントをプロデュースしてきた白戸である。絶対的な時間が足りないのは明らかだった。
だが、強い使命感が胸を突き上げていた。期せずして触れた想像を絶する現実から、目を背けてはいけない。背けていいはずがない。僕たちだかこそできること、やらなければならないことがあると彼は思ったのだ。
「東京で生活をしていると、被災地でスポーツイベントをやるなんて非常識だ、と思うのが普通ですよね。地元の人たちに迷惑をかけてしまう、と考える。僕もそうでした。ところが、被災地で色々な方にお話を聞くと、支援されること、何かをしてもらうことに慣れてしまっていると言うんですね。だから、我々は自分たちの手で何かを作り上げなきゃいけない。ぜひ力を貸していただけませんかと言われたんです」
トライアスロンという共通の価値観
帰京した白戸は、すぐに動き出す。彼が代表を務める「アスロニア」(※1)は、5月20日に毎年恒例のホノルルトライアスロンの開催を控えている。日々のルーティーンワークも、隙間なく時間を埋めている。
だが、白戸に迷いはない。
「今年やらないと意味がない! 1年後には、島の状況もきっと変わっている。まだ瓦礫が残っているいまだからこそ、大会を通じて被災地を知ってほしい。『道路がきちんと舗装されたり、受け入れ態勢が十分に整ってからのほうがいいのでは?』という意見もありました。でも、参加者に不便をかけてしまうところがあっても、今年やることには大きな意義があると思っています」
白戸の熱意は大きな輪となって拡がっていく。
トライアスロンを通じた彼のネットワークには、様々なジャンルの最前線で活躍する企業家が多い。声をかけた途端、復興支援につながるチャリティーマラソン大会のフレームが、瞬く間に出来上がっていく(※2)。
「プロジェクトに関わっているのは、ほとんどがトライアスロンを通じた仲間なんです。単にビジネスだけのつながりだったら、『ウチの会社にとってスポーツイベントはどんなメリットがあるのか?』という話にならざるを得ない。でも、我々はスポーツを通じた人間関係だから、その業界では名の知れた企業家たちが時間も知恵も使って、手を取り合ってやっていくことができる。トライアスロンという共通の価値観、スポーツが持つ連帯感が、このイベントを成功へ導く原動力になっているんです。そしてみんなが優秀なので、僕の力不足を十二分にカバーしてくれます(笑)」
大会名は「気仙沼大島ランフェスタ」に決まった。「楽しむことが支援になる」というスローガンが掲げられた。開催日は5月27日となった。
「大会を主催する場合、だいたい1年前ぐらいから準備をします。通常なら有り得ないタイムスケジュールで動いているのは確かで、時間との戦いと言われることもありますが、お話をいただいたタイミングがそうだったんだから、あれこれ言うよりも先に動こうというのが僕の考えなんですね。トライアスロンのレースを開催するときも、自分がレースに出るときでもそうなのですが、こうできたらといいなという理想論はある。けれど、実際はすべて思いどおりにはいかないわけで、与えられた条件のなかでできることをやるしかない」
被災地を支援したいという気持ちはもちろんあるが、同時に、白戸自身も得るものが多いと言う。
「昨年5月に、福島の被災地を訪問したんです。被災地支援の物資を届けに、様々なジャンルのアスリートと一緒に行ったんですが、『元気になってほしいと思って行ったけど、逆に自分たちが元気をもらったよね』とみんなが口を揃えた。今回も沸き上がる気持ちがあります。家や家族を失ったことを、苦笑いしながら話す方がいるんですよ。『本当に辛かったけど、命があるから頑張れる』って。人間の強さや優しさが心に突き刺さって、そういう人たちと一緒に準備をしていくことで、僕らはたくさんのエネルギーをいただいている」
生きている意味を、温かい心の触れ合いを、何かを作り上げる充実感を、そしてかけがえのない自然を、白戸は全身で感じている。人生の宝物と言ってもいい時間を、過ごすことができている。
「何かを与えてもらうだけでは、人間は満足できないんだなと強く思いますね。誰かに何かをしてあげることに、本能的な幸せを感じるところがある。誰かの役に立つことに誇りや尊厳を感じるのは、人間の美しい部分ではないかなあと」
気仙沼湾に浮かぶ「緑の真珠」と言われる気仙沼大島では、真っ赤に咲き誇るつばきを楽しみながら、心地好い潮風を感じることができる。日本の渚百選と国の天然記念物に指定されている“鳴き砂の浜“十八鳴浜や、点在する奇石がクロマツ林と調和する竜舞崎などの見どころも多い。
さて、白戸はどのようなコースを作り出すのか。
「まず前提としてお伝えしたいのは、参加者の安全に留意しなければならないということ。コースを考えていく過程においても、もし余震が発生したら、もし津波がきたら、という非常時も想定しながら話し合いが進められました。そのうえで今回のランフェスタでは、被災地の現状を知ってもらうことが大切になります。安全を担保しながら、気仙沼大島のいまを知ってもらうコース、楽しみにしていてください!」
標なき道を切り開き、スポーツナビゲーターに!
わずか数カ月で、それも社会貢献をテーマに掲げてレースの開催にこぎつけるのは、イベント運営の経験豊富な白戸にとっても初めてのチャレンジである。しかし振り返れば、「挑戦」は彼の人生を貫いてきたキーワードなのだ。
トライアスロンとの出会いは、スキー競技に没頭していした中央大学時代にさかのぼる。在学中に「全日本雪上トライアスロン大会」で優勝するなどの実績を残しつつ、中大卒業とともに日本体育大学へ学士入学した。さらに同大学の大学院へも進んだ。
高度な環境でスポーツを体系的に学びつつ、白戸は並行してプロトライアスリートとしての活動を本格化させていった。1992年から日本人で初めてのワールドカップシリーズに参戦し、世界各地で戦いに挑んだ。世界選手権の日本代表には、6年連続で選出された。
1996年からは、活動の中心をアイアンマン・シリーズへシフトする。その後は国内随一のアドベンチャーレーシングチームのメンバーとして、世界各地のレースでしのぎを削った。
白戸が活躍していた90年代当時は、トライアスロンもアイアンマンも国内での認知度が高くなかった。スポンサーを探すのにも苦労したはずである。標なき荒涼とした大地を、彼は懸命に切り開いていったのだ。
競技の最前線に立ちながら、白戸の頭には疑問符が渦巻いていた。海外のレースに出場すると、決まって同じ違和感に直面するのだった。
「世界のあちこちへ行って、様々なスポーツイベントに触れてきたときに、空気感が違うなと思ったんですね。日本人の場合は、何て言うかのかな……大会というと決死の覚悟で競争するような感じがありませんか? それに対して海外の人たちは、イベントをエンジョイするんですよね。スポーツというものに対して、日本人はちょっと凝り固まった概念を持っているというか、何かこう違うなあと、ずっと思っていたんですよ」
スポーツが持つ本当の楽しさを、日本に伝えたい。自分を育ててくれたトライアスロンを、もっと広めたい。どちらも、自らに課せられた使命のように思えた。
スポーツを教える。機会を作る。評論する。インストラクターであり、イベンターであり、ジャーナリストであり、白戸自身が現役のアスリートでもある。すべてをひと言でまとめあげたいと考えていた彼に、友人が「スポーツの楽しさを伝える案内役だね」と呟いた。
白戸の頭に、誰も名乗っていない肩書が浮かんだ。
「誘(いざな)う役割を果たすとしたら、『スポーツナビゲーター』っていう造語かな、と思いついた。スポーツを伝えて行くには色々なアプローチがあり、たまたま僕は色々なことをやってきて、それが自分の好奇心とか周りのひとたちの関心とマッチして今がある。その中でホントに良かったなあと思うのは、トライアスロンを通して高島(郁夫)と稲本(健一)と親交が深まり、3人でアスロニアを設立することになった(※3)。それによってステージがひとつ上がったというか、仕事に拡がりが出てきました。ひとりではなく組織でやる楽しさや幸せもありますね」
2008年、彼ら3人を中心に起業した「アスロニア」を日本語でに訳せば、「アスリートの王国」になる。トライアスロンのすべてを網羅する会社を経営しながら、白戸はより大局的な視野に立っているのだ。
「トライアスロンを通じて自分の世界観がひろがり、様々な土地で様々な人と出会い、いまの自分が形成されている。すべてはトライアスロンのおかげで、自分を育ててくれたこの競技に何か恩返しがしたいんです。同時に、僕はスポーツが持つ力を信じているので、多くの人に親しんでもらいたいんです。スポーツの力で少しでも社会を明るくすることができたらな、と思う。サッカーの日本代表が国際大会で優勝するほどの発信力はないけれど、草の根レベルからでも自分にできることをやっていきたいな、と」
白戸はなぜ挑戦を続けるのだろう。新しいものへ立ち向かうエネルギーは、45歳のいまもまったく衰えていない。
「毎日が何事もなく流れていくのは、僕には耐えられない。ハラハラドキドキと刺激的なほうが楽しいし、失敗から学ぶこともたくさんある。早死にしたいわけじゃないですけれど、生き続けることが目標ではなくて、どうやって生きるのかが人生の面白さだと思うんです」
そして、白戸はこう話すのだ。とびきりの笑顔が弾けた。
「挑戦したって、命までは失わないですよ。それだったら、楽しいほうがいいじゃないですか!」
※1……株式会社アスロニアは「トライアスロンをもっと世の中に広めたい」という想いとともに、2008年11月に設立された。情報、グッズ、トレーニングの機会など、トライアスロンにまつわるすべてを提供する。白戸が代表取締役を務め、役員には様々な業界を牽引するビジネスエリートにしてトライアスリートがズラリと名を連ねる。
※2……白戸の呼びかけに賛同した企業家たちが有志で集い、気仙沼大島ランフェスタの運営会議を行った。
その模様はこちらhttp://www.faust-ag.jp/road/road_to_recovery/vol03-2.php
※3……アスロニアは株式会社パルス代表取締役の高島郁夫、株式会社ゼットン代表取締役の稲本健一、株式会社パークコーポレーション代表取締役の井上英明、リバンプ代表の玉塚元一と白戸というメンバーで立ち上げられた(当時)。
気仙沼大島ランフェスタ公式サイト
http://oshima-runfes.jp/
白戸太朗
スポーツナビゲーター/株式会社アスロニア代表取締役
1966年、京都生まれ。
中学、高校ではクロスカントリースキー、コンバインドスキーの大阪、近畿大会で幾度となく優勝し、中央大学商学部へスポーツ特別推薦入学。89年、日本体育大学に編入、92年、同大学院に入学。
トライアスロンには、87年「第2回全日本雪上トライアスロン大会」で初出場し優勝。91年よりプロトライアスリートとして活動を開始し、世界選手権に日本代表として6年連続出場。日本人では初めてワールドカップシリーズを転戦。96年よりアイアンマンシリーズを中心に活動。99年よりアドベンチャーレーシングチーム「サロモン・イーストウインド」のメンバーとして世界のアドベンチャーレースに出場。
並行して90年代後半からは、スポーツナビゲーターとして現在まで活動中。CS放送「Jスポーツ」やNHK-BSなどのスポーツ番組のキャスターや解説者、雑誌連載など務める。
2008年にはトライアスロンの普及、発展を目指して株式会社アスロニアを立ちあげ、ショップ、スクール、大会などの事業を展開中。「ホノルルトライアスロン」「アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン」「エクステラジャパン」などを運営する。
アスロニア公式サイト http://athlonia.com/
Text:Kei Totsuka
Photos:Kiyoshi Tsuzuki(Interview)
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