大好きな犬たちと冒険できることは、
私にとって何物にもかえがたい時間です
ユーコンクエスト、という競技をご存じだろうか。
厳冬のアラスカからカナダを横断する、世界でもっとも過酷と言われる犬ぞりレースのことだ。およそ10日から2週間にかけて1000マイルを横断するもので、1984年から毎年2月に開催されている。
大地は凍てつき、森林は深く、山脈は険しい。時ならぬ吹雪が、あっという間に視界を遮る。恐ろしいほどの冷気が、全身の体温を奪う。北アメリカの過酷な大自然は、挑戦者に容赦なく襲いかかる。
生と死の狭間に立たされるようなこのレースに、情熱と闘志を昂ぶらせるファウストがいる。
本多有香──日本人女性唯一の犬ぞりレーサーである。
From Faust A.G. Channel on [YouTube]
夢の始まりは、オーロラだった。
「大学3年生のときに、オーロラが見たくてカナダのイエローナイフに行ったんです。そこで偶然、ソリを引く犬を見たんですね」
数頭のアラスカンハスキーが、一生懸命にソリを引いていた。犬ぞりレースのために交配された独特の犬種は、スピードや持久力に優れ、それでいて人懐っこい。
そもそも愛犬家の本多である。
何て逞しいんだろう。
何て愛らしいんだろう。
何て素直なんだろう。
いくつもの感情が沸き上がり、心を強く刺激する。魂を揺さぶられた、と言っても大げさではなかった。
「その姿に、オーロラ以上に感動したんです。自分も犬ゾリをしてみたい、と思った瞬間でした」
大学を卒業して団体職員として就職するが、犬ぞりレースへの思いは募るばかりである。日常の業務をこなしながら、彼女は犬ぞりレースへつながる糸を探し求めた。
「カナダの観光局にファックスを送って、グラント・ベックさんの連絡先を教えてもらいました。それで、犬ぞりレースをしたいので、何でもしますからそばに置いて下さいとお願いしたんです」
当時の自分を振り返れば、「無謀ですよね」と苦笑いが浮かぶ。彼女がメールを送ったグラント・ベックは、カナダチャンピオンに四度も輝いている超一流のマッシャーである。日本語に訳せば「犬ぞり師」となるマッシャーの世界でとびきりの人材に、ほとんど予備知識もない状態で弟子入りを志願したのだ。
返事はなかなか届かなかった。「やっぱりダメなのかな」というネガティブな思いが頭を過り、すぐに「でも、明日こそ連絡があるはず」という気持ちが力を増す。
犬ぞりをしたいという、真っ直ぐで純粋な思いだけは伝えたかった。伝わるはずだ、と願った。およそ一カ月後、グラントから返信が届く。
「履歴書を送って欲しい。それを見て検討する」
夢の扉が、ゆっくりと開いた。
ハードなトレーニングの日々
3年間の社会人生活にピリオドを打った1998年9月、本多はイエローナイフへ旅立つ。
周囲の反応は様々だった。「頑張って」という言葉をあちこちでかけられたが、誰もが戸惑いを感じているようだった。「カナダへ行って犬ぞりのマッシャーになる」という本多の夢が大きすぎるばかりに、実体として描きにくかったのだろう。
グラントのハンドラーとして、本多は働き始めた。
ハンドラーとはマッシャーのアシスタントのようなものだ。マッシャーがレースに出場するために、ありとあらゆる仕事を手伝うと言えば分かりやすいだろうか。
朝は早い。犬の餌作りから一日が始まり、食事を与え、犬舎を掃除し、犬のトレーニングに出かける。
犬のトレーニングはレースを想定したものだから、本番で走るのと同じ距離を走らせなければならない。1、2時間で終わるはずはなく、6時間も費やすのさえ珍しくない。
これら日常の仕事をこなしつつ、来るべきレースへ備えた準備を並行して進めていく。もちろん、師匠であるグラントの身の回りにも気を配らなければならない。
「やることはいくらでもあるので、時間はいくらあっても足りません。犬の世話、餌の管理、レース用の餌の用意、ソリの修理、ワラの手配、宿泊先の確保……毎日がめまぐるしい早さで過ぎて行きます。食事と寝るところだけ確保できればそれでいいと話していましたので、お金はもらっていませんでした。周りに遊ぶところもありませんから、お金を使う必要もなかったんですけれどね」
グラントのもとで1年半ほどが過ぎると、ハンドラーとしての日常に少しずつ余裕が生まれてきた。仕事が山積みなのは変わらなかったが、自分の夢を追いかける隙間を見つけられるようになった、とでも言うべきだろうか。
自分の犬でレースに出たい
グラントは中距離専門のマッシャーだったが、本多は長距離レースに出たいと考えていた。沸き上がる熱い思いは、彼女のバイタリティに新たな火を灯す。
「長距離のレースに出ているマッシャーのハンドラーになろうと思って、インターネットでカナダ在住の長距離マッシャーを探しました。でも、詳しい住所も電話番号もなかなか分からなくて……」
連絡先が分からなければ、マッシャーが集まる場所へ足を運んで、直接売り込むしかない。
本多はイエローナイフ発のバスに乗り込み、ユーコンクエストが開催されている都市を目ざす。その途中で訪れたドーソンシティで、大会ボランティアを募集しているとの情報をキャッチする。レースのチェックポイントでテントの設営や薪割りといった仕事をしながら、マッシャーに食事を提供したりするという。
これはもう、自分のためにあるような仕事だ──本多のモチベーションは一気に高まった。
「ボランティアの仕事をしながら、マッシャー一人ひとりに『ハンドラーはいりませんか?』と売り込みました。でも、いきなりですからね、断られてばかりだったのですが……。私の条件はグラントのときと同じで、『お金は要らないけれど、住む場所と食事はお願いしたい。それと、レースに出る機会が欲しい』というもの。そうしたらひとりだけ、ジミー・ヘンドリックという人が『お金が要らないなら大歓迎だ』と言ってくれたんです」
とはいえ、問題がひとつあった。ジミーはアラスカ在住だったのである。ドーソンシティから飛行機を使って、アラスカへ向かう金銭的な余裕はない。バスもサイフへの負担が大きい。中古の自転車を買うのが精いっぱいだった。
「50カナダドル(現在のレートでは4000円弱)で買った自転車で、食料、ガス、ドーソンシティで知り合った人にもらったテントやシュラフを詰めたバギーを牽引して、アラスカへ出発しました」
小さな身体の女性が、極寒のなかで自転車を漕いでいる。
それも、たったひとりで。1000キロ先のアラスカを目ざして。
幹線道路を走るトラックやキャンピングカーが、何度か止まってくれた。
だが、体力の消耗は激しく、風邪をこじられせることもあった。「今日はこれ以上進めない」と、寒風にさらされながら自転車に倒れ込んで休息を取ったりもした。
そんなときだった。思わぬ出会いに恵まれたのは。
「どうしたの、と声をかけてくれた人がたまたまマッシャーで、ジミーのところまで送ってくれたんです。そうしたら、ジミーは留守で、帰ってくるのは2週間後だという。困り果てていると、その彼が『とりあえずウチにおいでよ』と言ってくれたんです」
ピーラーというその男性に事情を説明すると、「それなら、ジミーじゃなくてレイミー・ブルックスのほうがいいんじゃないかな。ここからなら近いし、彼のことは良く知っているから紹介してあげるよ」と言う。
本多に断る理由はない。ピーラーの橋渡しで、レイミーのもとへ向かった。
夢を諦めず生きる
レイミーは祖父と母もマッシャーで、いずれも著名なレースのチャンピオンという血筋の持ち主だった。彼のもとでハンドラーとしてのノウハウを蓄積した本多は、2004年3月に初めてレースに出場する。200マイルのレースを見事に完走した。その後も着実にレース経験を積み、2006年2月、ついにユーコンクエストのスタートラインに立つ。日本人女性初の出場だった。
「でも、途中で天候が悪化して、大会続行が不可能になってしまって……残念でしたけれど、こればかりはしょうがないですからね」
翌2007年も出場するが、今度は犬が体調不良に襲われてしまった。途中棄権を選ばざるを得なかった。
「レースでもっとも重要なのは、犬との信頼関係です。一頭ずつ性格が違うし、長所も違います。レース中になれば、食欲も変わってくる。なかなか食べない犬もいるけれど、食べてもらわないとレースは続けられない。そういう意味では、色々な経験を蓄積していくことも必要です」
シーズンオフの数か月を、本多は日本で過ごす。滞在中は様々な媒体を通じて犬ぞりレースの魅力を伝え、同時に環境問題などのテーマについても意見を披歴する。アラスカの大自然で過ごす彼女は、地球の声なき叫びを日常的に聞いているのだ。
今後の目標はもちろん、ユーコンクエストの完走だ。過酷を極める挑戦に、彼女を駆り立てるものは何なのだろうか。
「そうですね、本当に過酷です。アップダウンが多いコース設定には、大きな山越えが四つもあります。暗黒の世界で、険しいコースを登ったり。また、チェックポイントが少ないので、その分だけたくさんの荷物をソリに積まなければなりません。ソリのコントロールが難しくなりますし、犬たちへの負担も大きくなります。荷物がオーバーフローしたり、装備にアクシデントがあったりと、ハラハラドキドキの連続ですが、こんなに素晴らしいチャンレンジはないと思います。大好きな犬たちと一緒に冒険できることが、私にとっては何物にもかえがたい時間なんです」
From Faust A.G. Channel on [YouTube]
ユーコンクエストの完走のあとには、同レースでの優勝へ夢が拡がる。さらに、世界最長の犬ぞりレースであるアイディタロッド(※)の出場と優勝も視野に入れている。
「自分の夢を諦めずに生きてきた私の姿が、少しでも皆さんを勇気づけることができたら嬉しいです」
8月上旬、本多は日本を離れた。来年2月のユーコンクエストに向けて、彼女はすでに準備を始めている。夢を追いかける充実感に満ちたその表情から、笑顔が絶えることはない。
※アイディタロッド
アラスカ州アンカレッジからノーム間(およそ1900キロ)を
走破する、世界最長の犬ぞりレース。優勝者でも2週間前後の日数を必要とし、マッシャーと犬の健康管理から8時間と24時間の連続した休養を各一回ずつとることがルールで決められている。毎年3月の第一土曜日がスタートとなるため、この大会が春の到来を感じる地元の人は少なくない。
本多有香
犬ぞりレーサー
新潟県出身。大学卒業後、団体職員として勤務。3年後に犬ぞりレースへの夢へまい進する。趣味は、ウサギの罠猟、ビーバーの皮なめし、釣り、写真撮影、ピアニストごっこ。好きな本は、「人間の土地」(サン=テグジュペリ著)。
【これまで参加した犬ゾリレース&イベント】
2004年3月Two Rivers 200 (9位)
2005年2月Serum Run
2006年1月Copper Basin300 (11位)
2006年2月Yukon Quest
2006年3月Two Rivers 200 (3位)
2007年2月Yukon Quest
2009年2月Yukon Quest
本多有香公式ホームページ
http://cgi.morespeed.co.jp/YukaHonda/index.htm
ユーコンクエスト公式サイト
http://www.yukonquest.com/
Text: Kei Totsuka
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