極限状況下で生を感じた冒険譚を記したい
冒険のかたちはさまざまだ。
誰も行ったところのない場所へ行ってみたい。
誰も見たことのないものを、この目で確かめたい。
鳥のように空を飛んでみたい。
人間が作り出した動力を使わずに、自然の力だけで海を駆けてみたい。
胸に抱く好奇心や探求心は、さまざまな冒険のかたちを作り出してきた。
角幡唯介という男がいる。
「謎」、「幻」、「空白」といった言葉に抗い難い魅力を感じる彼は、あるときは人類未踏の峡谷へ向かい、あるときはミステリーを解きあかすような冒険を敢行する。そのうえで、壮絶かつ過酷な体験を、ノンフィクションとして発表しているのだ。
角幡の肉声を聞いてみよう。
彼が抱く世界観に、我々は驚くはずである。
角幡にとって探検家という職業は、ずっと思い描いてきた人生のコースではなかった。
「最初から興味があったわけではないんです。『なぜ探検家になったんですか?』と聞かれることがあるのですが、小さい頃に植村直己さんの本を読んだとか、原初的な体験があったわけではなくて。ただ、これはみんなそうだと思うんですけれど、若い頃って自分を燃やせるようなものを持ちたい気持ちがあるじゃないですか。だけど、それが何なのか、そのときはまだ分からないという。僕にもそんな時期があって……」
北海道芦別市の実家は、スーパーマーケットを営んでいた。四人兄弟の長男として生まれた角幡に、両親は家業を継ぐことを望んでいた。はっきりと言葉で伝えらなくても、少年は両親の期待を感じ取っていた。
「跡取りとして見られることが、幼い頃からプレッシャーというか、嫌だったんですね。人生が決まっていることに恐怖を感じていた。将来がなんとなくでも見えると、そこから逃げ出してしまいたくなるところが僕にはあるんです」
家業の形態が変わったことで、跡を継ぐ使命からは解放された。だからといって、人生の進路がはっきりと定まったわけではなかった。
“のめり込むほどに将来の見通しが立たない”探検との出会い
早稲田大学へ進学した角幡は、高校の友人に誘われてラグビーのサークルに加わった。楕円球を追いかける時間にはそれなりの充実感があり、練習後の飲み会も楽しかった。
その一方で、そこはかとない飢餓感が、胸のなかで澱のように沈殿していた。
このままサークル活動をして、アルバイトをして、就職活動をして、社会人になるのか。決まりきったコースを歩むのではなく、見通しが立たなくても生きている実感が得られる人生を過ごしたい──行き場のない欲求が膨らんでいた。
「そんなことを考えていたときに、大学の構内に貼ってある探検部のビラが目に止まったんです。A3ぐらいの用紙にメルカトル図法の白い地図が印刷されていて、過去の活動が吹き出しで書き込まれていた。アフリカのコンゴで怪獣を探すとか、タクラマカン砂漠を横断するとか、東ティモール解放戦線の将軍に接触したがピューリッツァー賞を逃す、とか」
新入生に混じって、2年生の角幡は探検部の一員となった。3年時には幹事長に指名された。
初めてチベットを訪れたのは、4年生の夏である。彼を含めた5人のパーティーで、ツアンポー渓谷の入り口の村に一カ月ほど滞在した。
チベットの奥地に潜むツアンポー峡谷は、18世紀から「謎の川」と呼ばれ、探検家や登山家の興味と関心を集めてきた。たまたま書店で手にとった文献によれば、地理的に残された空白区間はもはや5マイルほどしかないとのことだった。峡谷の核心部をすべて探検しよう──その後の彼を突き動かす冒険心に、はっきりと火が灯った瞬間である。
「どうして探検部にハマったのか。自分なりに考えてみると、探検とか登山って、真面目に取り組めば取り組むほど、どんどんとのめりこんでいく。でも、そんな仕事は基本的にないから、やればやるほど逆に将来の見通しが立たなくなってしまう。そういう不安定さというのが、自分には合っていたのかもしれません」
6年間をかけて大学を卒業するが、就職という選択肢はなかった。新聞記者になりたいという希望はあったものの、友人たちに語っていた「探検家になる」という夢を追い求めることにした。
アルバイトをして資金を貯め、山へ行くというサイクルで2年間を過ごした。
目ざすべき山には、ツアンポー峡谷がもちろん含まれていた。
ところが、「最初に行った翌年から、なぜか中国当局からの許可が下りなくなってしまった」ことで、角幡の計画は足止めを余儀なくされてしまう。
アルバイト先の作業現場では、優秀な戦力となっていた。「正社員にならないか」と、熱心な勧誘も受けた。だが、土木作業員としての将来像は輪郭を帯びてこない。かといって、そのまま非正規社員として過ごすことへの疑問や不安も渦を巻いている。大学卒業時に一度は諦めた「新聞記者になる」という夢を、角幡はひとまず追いかけることにした。複数の新聞社を受験し、朝日新聞への入社が決まった。
「会社員になるまえに、もう一度ツアンポー峡谷へ行っておきたいと思って、2002年12月から翌年2月までの3か月間ほど滞在しました。現地の人の家にずっと泊めてもらって、空白部を3回に分けて探検しました。そのほとんどを踏査することに成功しました」
ツアンポー峡谷踏破の冒険譚を記し、文学賞をトリプル受賞
2003年4月に朝日新聞へ入社した角幡は、富山支局に配属された。3年後に熊谷支局へ移り、ここで2年間を過ごした。
記者という仕事は、おそらく彼に合っていたはずである。富山支局で担当した黒部川連携排砂に関する連載記事は、『川の吐息、海のため息─ルポ黒部川ダム排砂』という単行本にまとめられた。「地道に調べて真実に迫り、それを記事にしたい」という思いは、満たされていたように映る。
「熊谷支局では仕事にも慣れていたし、それほど忙しくもなかったので、週末は毎週のように谷川岳へ出かけていました。そのうちに、『やっぱりこっちだよな』という気持ちが強くなっていって。このまま新聞記者を続けたら、きっと後悔する。ツアンポーにもう一回行きたい。生きている実感を得られるような生活がしたい、と」
いくつもの思いが折り重なり、角幡は人生の進路を再び修正する。
朝日新聞を退社した08年には、会社員時代の先輩から「雪男を探しに行かないか」と声をかけられ、探検隊の一員としてネパールへ出かけた。
翌09年11月には、自身3度目となるツアンポー峡谷へ向かう。
ツアンポー峡谷を探検した過程は、『空白の五マイル』のタイトルで2010年11月に出版された。ネパールでの探検は、『雪男は向かうからやってきた』のタイトルで、今年8月に単行本となった。
『空白の五マイル』は2010年の第8回開高健ノンフィクション賞、2011年の第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞をトリプル受賞したのだが、『雪男は向こうからやってきた』も、前年の開高健ノンフィクション賞で最終選考まで残っているのだ。
実体験に基づく圧倒的な臨場感を、角幡の精緻な筆致は鮮やかなまでに立体化する。映像として見ることの叶わない奥地へ、読者はいつの間にか引き込まれていくのだ。
予測不能の状況に身を置き、リスクによって照らされる生を感じたい
あなたにとって冒険とは──角幡に聞いてみる。
「まず危険であり、なおかつ主体性があること。それに加えて、システム化していない行為、マニュアル化されていない行為。たとえば極端を言うと、エベレストの登山というのは、僕にとっては冒険ではないと思うんですね。登りかたがマニュアル化している。決まっているやり方からはみ出さないほうが、成功の確率は高まる。それは非冒険的な行為だと、僕には思えるんです」
ならば、冒険的な行為とは何なのだろう。
「先がどうなっているのか分からない場所へ行くこと。昔であれば、地図がないところへ行くのが探検だったわけですから、これはすごく冒険的。現場での試行錯誤があって、先が見えないから色々な面で逡巡する。そのへんが冒険的だと思うんです。そういう意味で、先が見えちゃうのはちょっと冒険とは違うのかなと。反システム、反体制というか、常識の枠組みから外れたところで常識的な世界観を揺るがすような行為をするのが、僕にとっての冒険なんです」
ここまでの彼の人生を振り返ってみれば、野心的な言葉に偽りのないことが分かるはずだ。明るく照らされた舗装路ではなく、暗く険しい道を選ぶのが、角幡という男である。
「たとえば、チベットへ行ったときなんかは、バックアップ態勢は取っていないんですね。普通の冒険なら普通に持っていく衛星電話などを。自分の行為に何を求めるのかという意味で、そのやり方というのは重要だなと思うんです。バックアップを排除すればいいわけでもないのですが、僕は自然により深く入り込みたいという思いがある。そのためには、バックアップを取ると、目的が達成できなくなってしまう気がする。精神的に依存してしまうものがあると、どこかで人間社会とつながっていることになる。ホントに自然に入り込むことを、阻害する要因になってしまうと思うんです」
リスクヘッジとしてのマニュアルやシステムを、全面的に否定するわけではない。「どこか行くのがその冒険の最大の目的であれば、通信機器などを持って行っていいと思う」と言う。ただ、角幡の冒険はその場所に「行く」ことではなく、「自然に入り込む」ことにあるから、彼はバックアップを必要としないのである。
「この先どうなるか分からない状況に身を置きたい。場所が未知であればあるほど、自分を取り巻く状況が不確かになっていく。都市生活では感じないリスクがある。そのリスクによって照らし出される生の感覚を感じたい。自然のなかにひとりでいると、自分の存在がすごくちっぽけだということに気づいて、自然の恐ろしさとか本質が分かるんですよ。だから、人類初とか世界初とか、記録とか距離とかにはまったく興味はないんです」
フランクリン隊を探る冒険譚を書くため、北極1600kmを徒歩行
冒険家とノンフィクション作家のバランスはどうなのだろう。
あくまでも冒険が第一義的な目的なのか。それとも、書きたいから冒険をするのか。「そこは難しいですが」と前置きをしてから、角幡は切り出す。
「自分の身体を使って文章で表現したいので、二つの立場は連動していますね。冒険は自己表現で、文章によってそれを周囲に表現するということ。書くことが好きですから」
そして、この2月から7月にかけて、角幡は北極圏1600kmの踏破に挑んだ。19世紀半ばに「幻の北西航路」を発見するべく同地へ向かい、129名全員が消息を絶ったイギリスのジョン・フランクリン隊の取材を目的とした冒険である。北極冒険家で知己でもある荻田泰永とともに、100日以上にわたって凍てつく大地と格闘を繰り広げた。
「肉体的にはすごく大変でした。乱氷帯といって大きな氷が積み重なっているところがあるので、大幅な迂回をすることになったり、100km近い荷物を積んだソリを引っ張り上げたり。白熊に遭遇したり、猛烈な空腹に襲われたり。一日5000キロカロリーぐらい食べても、どんどん痩せていくんですよ。体重は10kgぐらい落ちました。ただ、今回はGPSを持っていたので、どこの方角へ何キロ行けば目的地なのかが、一発で分かっちゃう。自然条件とは無関係に計画が遂行できる。霧が出ていたり、風が強かったり、視界が悪かったりして、本来なら進めない、機械のない昔なら進めるはずがない環境でも、GPS が導いてくれる。これはやっぱりGPSはないほうがいいな、と思いました」
いずれにしても、フランクリン隊の消息を辿るという目的は達成することができた。「予定していたルートを辿ることはできたので、たぶん何か書けるというか」と話すと、すぐに「いや、書きます」と前向きで力強い意思表示に修正した。単行本化を前提とした文芸雑誌『すばる』(集英社)での連載が、すでに決まっているという。
「フランクリン隊が遭難をした理由までは分からないし、これまで散々研究し尽くされたことだけれど、彼らが遭難した同じ時期に行き、見た風景に近いもの、ほぼ同じものを見てきたので、それをもとに自分なりの解釈で書けるんじゃないかと。そもそも、彼らがなぜ遭難をしたのか解明したかったわけじゃなく、彼らはどんな場所を旅したのか、生き延びるためにどんな場所を辿っていったのかを知りたかった。フランクリン隊に関する文献はたくさんありますが、基本的には研究者が過去の資料をあたって書いたものが多い。僕の場合は自分の実体験に基づいて書くので、そういう意味でも自分なりの視点を出せると思うんです」
初めての北極圏行きは、新たな目的にもつながっている。「次なる冒険のテーマは?」という質問に、角幡はほとんど間を置かずに答えた。
「今回の極地は、いまの自分のテーマに合っている場所ということで始まったものでした。極地体験の古典的な作品はもともと読んでいて、その読書体験は根底になっています。自分なりの極地のイメージがあったので、一度行ってみて、次はまた極地かなと。北極へ、冬に、ひとりで行きたい。真っ暗闇の太陽が出ない、まさに極地のなかの極地へ。2カ月なのか3カ月なのかは分からないけれど、冬の極地を旅して、太陽が上がってくる瞬間がどう見えるのかを書きたいんです。2か月ぶりか3か月ぶりに見る太陽は、いったいどんなものなのかを」
自然科学、応用科学、地球科学、物理学や生物学といったさまざまなジャンルにおける学術的な進歩によって、我々は地球上のあらゆるところへ最先端の技術を持ち込めるようになっている。それはまた、時代の要求にして人類の欲求でもあったと言えるだろう。
だが、角幡は利便性や快適さをできる限り排除したなかで、独自の冒険を続けている。「こんなことをやっていられるのも、あと3年、長くたって5年ぐらいですよ」と自嘲気味に話すが、冒険家としての闘志や野心は、太く強くなって彼を貫いているのではないだろうか。角幡はすぐにこう付け足すのだ。
「でも、まだまだやり足りない感覚はある。もうちょっと深いところを、見られるんじゃないかという感じがするんですよ」
角幡唯介
ノンフィクション作家・探検家
ノンフィクション作家・探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。95年、早稲田大学政経学部に入学し、2年時に探検部に入部。大学卒業後、2年間の探検活動を経て、2003年4月に朝日新聞に入社。08年3月に退社したあとは、ノンフィクション作家・探検家として本格的に活動を展開している。著書『空白の五マイル』(集英社)で2010年の第8回開高健ノンフィクション賞、20111年の第42回大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞。第1回梅禎忠夫・山と探険文学賞も受賞した。最新刊に8月に発売された『雪男は向こうからやってきた』(集英社)がある。
公式ブログ
http://blog.goo.ne.jp/bazoooka
Text:Kei Totsuka
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