永遠の海の美しさを求めて
セノ-テでのギネス記録挑戦
2011年1月7日、二木あいは、メキシコのセノ-テで、一番長い距離をフリ-ダイビングするというギネス記録に挑戦した。だが、本当の目的は、ギネス記録達成そのものではなかった。二木がギネスの先に求めようとしたものとは……。
一枚の写真がある。
深みかかったブル-の海の中を光のスポットライトが降り注ぐ。そのステ-ジの中を人間が悠々と泳いでいる。その姿に、人工的な違和感はない。水に反発するのではなく、あらゆるものと融和した優美さがある。
「こういう一枚の絵で海の美しさを表現し、美しい海を守ることを始め、いろんなメッセ-ジを発信しているんです」
自ら被写体となった絵を見ながら二木あいは、そう語る。
「今回のギネス挑戦も、その活動のためのひとつだったんです」
2011年1月7日、二木はメキシコのセノ-テで、洞窟で一番長い距離を一息で行くギネス記録に挑戦した。これは従来、アスリ-トが世界ランキングを争うコンペティティブなものではなく、深さを競うものでもない。距離を競うもので、通常のダイナミック(プ-ルで行なわれる距離を競う競技)と異なるのは、場所が洞窟だということだ。ここで二木は、フィン有り、フインなしの2種目のギネス記録に挑戦したのである。
そのスタ-トは、2010年3月。それから2回メキシコへ準備のため渡航。フィジカル面での本格的練習が、2010年11月。ギネス挑戦の2ヵ月前に始まった。
「ここからインナ-マッスルを使った泳ぎを始めたんです。泳ぐ時、いらない力を使って泳ぐと酸素を使うので、乳酸がたまり苦しくなって、水中に長くいられなくなるんです。でも、インナ-マッスルは小さな筋肉なので、使う酸素も少ないし、水に反発せず、流れとともにラクに泳げるんですよ」
最初の1ヵ月は、インナ-マッスルを意識してプ-ルをただ歩くだけだった。「泳ぎの練習ももちろんしました」。 毎日5、6時間も入り、塩素臭くなった。だが、いっこうに手応えが掴めず、「先生、大丈夫かね」と、不安になったという。
「2ヵ月で完璧ではないですけど、やれるところまでやりました」
セノ-テには、1週間前に入った。
「現地では、まず自分の体の中のクリ-ニングを始めました。お腹の中に食物があると消化するのに酸素を使うので、既製品や炭水化物を摂らず、玄米と野菜と果物だけを摂るんです。消化の事よりも、せっかくのギネス記録挑戦という場、自分を最高の状態で望みたかった。空腹状態なので地上ではかなり辛いですが、逆に水中は必要のないことに酸素を使わないので、すごくラクなんです」
クリ-ニングと並行して、水中のトレ-ニングも欠かさなかった。いや水中トレーニングと言うよりは、調整。1日1本本番さながらに泳ぎのみを1週間。ギネス挑戦と同じように泳ぎ終わるまでの動きを体に染み込ませ、「これは、簡単なんだよ。自分の限界に挑戦している訳じゃないんだよ。楽しいんだよ」という安心感を脳に持たせる。フリ-ダイビングは、体作りも大事だが、メンタルの要素が非常に大きいのだ。
100m、1分52秒の時空の旅へ
1月7日、ギネス記録に挑む前、マヤ族の祈祷を受けた。セノ-テは、マヤ族が生活用水や生贄の場所として使用しており、「生から死への通り道」と言われてきた。マヤの儀式には周りにいる人全員、そして私自身の体の中を浄化し、生から死の通り道を通り、また生に戻って来なさいという意味があるという。そして、神聖な場所、セノーテへ入ってもいいですかと伺いを立て、許可を頂くという意味合いもあった。
仲間たちが見守る中、ウエットを着て、フィンを付けて胸まで水に入る。呼吸を整えて、少し瞑想する。潜るタイミングは、自分で決められるのだ。
「OK」
ゴ-サインを出す。2分前から30秒、20秒、10秒とカウントダウンし、スタ-トした。洞窟の水は淡水で冷たく、浮力もない。
「海水は潜ると下から突き上げるような浮力があるんですけど、洞窟は塩分がないのでス-ッと泳ぎに入っていけるんです」
水深5mをロ-プに沿って泳ぐ様は、優雅さに満ちている。その姿は、魚のようにも哺乳類のようにも見える。少なくとも人間がプ-ルで泳いでいるような不自然さはない。
「泳ぎは、バシャバシャと泳ぐという感じではなく、グイと押し出して、そのまま流れに乗っていく感じです。その際、手を伸ばしたり、きれいに写真に撮られることも意識しています。ギネス記録というより、世界で一番美しい泳ぎを見てもらいたかったので、泳いでいる時は、何も考えないですね。ただ、目の前にあるロ-プを伝っていくだけ。いろいろ考えると脳が30、40%も酸素を使うし、ひとつ考え始めると次、次と巡ってしまうんで、いいことがないんです」
目前のロ-プを目印に、洞窟内を進んでいく。ゆったりとした時間が流れ、それは水の中を泳ぐというよりも時を泳ぐような感じになるという。そして、最後のカ-ブを曲がると、残りは数十mになった。
「まだ、行けたし、すごく楽しくて、本当は上に上がりたくなかったですね。スピ-ドダウンするから、『みんな、写真撮って』という余裕もありました」
余力を残し、名残惜しそうに水面に向けて上がって行く。水上ではギネス挑戦を支えた仲間が待っていた。自然と歓喜の人の輪が出来る。二木は、フィン有りでは、100m(1分52秒)で世界で女性初の記録、フィンなしでは90m(2分2秒)で世界で人類初の記録を達成したのである。ちなみにフィンなしの方は、ギネス協会が新たにカテゴリーをつくってくれた。
ギネス記録の先にあるもの
だが、二木にとって本当の挑戦は、これからだ。映像などで海の美を伝えるこれまでの活動は、称賛はされども認知度が低く、商業的なベ-スを築くまでには至らなかった。個人の名を広め、これからさらに活動の場を広げて行くためには、ギネスホルダ-という肩書きが必要だったのである。
「でも、自分が撮ったり、被写体となった映像で海の美しさを伝えていくことは、これからも変わらないです」
海の美を伝えること。
それは、やや抽象的で、分かりにくい手法かもしれない。もっと直截的に環境保護を歌えば、偽善的と受けとめられる可能性があるかもしれないが、ストレ-トなメッセ-ジとして人々にダイレクトに響くだろう。しかし、二木は、その手段を講じない。海の美しさをシンプルに表現し、メッセ-ジを発信する。愚直に継続することで人々の感性をノックし、気付いてほしいと訴えていく。
「これからは水族館などで泳いだりするようなパフォ-マンスもやりたいですし、ワ-クショップという形でいろんな人にフリ-ダイビングの面白さを伝えていきたい。魚に近い形で潜ってもらって、ゆっくりと時間が流れる水の中の世界を味わって、リラックスしてもらいたいんです。そして、海を体感してもらいたい。ここから感じる事は必ずあるはず」
ギネス記録は、いずれ破られる。しかし、世界で一番最初に行った、という事実は誰も破る事が出来ない。二木にとっては、あらゆる可能性が今後、広がっていきそうだ。
二木あい
フリーダイビング水中映像家
1980年6月30日、石川県生まれ。3歳から水泳を始め、西日本の背泳の記録を塗り替える。2003年、ボンジュラスでスキュ-バダイビングに出会い、ビデオグラファ-として活躍。2007年、タイでフリ-ダイビングをスタ-トさせ、2009年にメキシコのセノ-テ アス-ルでコンスタントウェイト ウィズ アウトフィン(DYN)でアジア記録を樹立。2011年1月、メキシコのセノ-テ チキンハンで、洞窟の中を一息でいちばん長く泳ぐという種目で、フィン有り、フィンなしの2種目でギネス記録を樹立した。フリ-ダイビングの様々な可能性を探り、その楽しさを世界に広めつつ、海の環境保護にも積極的に取り組んでいる。
Text:Shun Sato
Photos:Aaron Wong
2011/05/19
-
フランク・クラーク C.G.インターナショナルCEO アロハ・ファイト・スピリットで繋ぐ
楽園ハワイへの夢
2014/05/01 -
フェリックス・バウムガートナー ベースジャンパー 困難を乗り越えて、天空へ
2013/07/23 -
山本昌邦 サッカー解説者1/2004年アテネ五輪代表監督 “勝つ”ために人間としての誇りに訴えかける
2013/07/04 -
櫻井玲子 グライダーパイロット いつかはエベレストを見下ろしたい
2013/03/07 -
鬼塚勝也 アーティスト/元ボクシング世界王者 腕一本で勝負する世界
2013/02/14 -
谷口けい アルパインクライマー “世界の山を巡る旅人”
2013/01/10 -
中村俊裕 NPO法人コペルニク代表 世界の貧困に立ち向かうために必要なこと
2013/01/10 -
平出和也 アルパインクライマー 未踏の絶壁の向こう側
2012/12/13 -
田部井淳子 登山家 今も変わらない、山が魅せる世界の驚き
2012/10/25 -
西本智実 指揮者 流れる河のように、たゆみなく歩きたい
2012/10/19 -
竹内洋岳 登山家 ものすごく特別な今さら――14座登頂の意味
2012/08/30 -
カイル・メイナード モチベーショナルスピーカー、作家、アスリート 誰にでも生きる使命・目的がある
2012/06/14 -
白戸太朗 スポーツナビゲーター/株式会社アスロニア代表取締役 挑戦も貢献も人間がわくわくする本能
2012/05/24 -
アラン ロベール “フランスのスパイダーマン”/フリークライマー 高層ビル登頂の裏側
2012/03/22 -
アラン ロベール “フランスのスパイダーマン”/フリークライマー 自由と勇気
2012/02/23 -
斉藤 実 海洋冒険家 単独西回り世界一周を成功させた
世界が賞賛するシングルハンドセーラー
2011/11/24 -
マイク・ホーン 冒険家 今こそバック・トゥー・ベーシック。
基本に戻るべきなんだ。
2011/11/17 -
海老原露巌 墨アーティスト 「書」から、五感の全てで芸術を感じて欲しい
2011/11/02 -
鈴木一也 オーシャンアスリート/会社員 日台親交を泳いで紡ぐ110キロの挑戦
2011/10/27 -
荻田泰永 北極冒険家 北極に生きる男
2011/10/20 -
為末 大 プロハードラー 貢献の意思がアスリートを強くする
2011/10/13 -
角幡唯介 ノンフィクション作家・探検家 極限状況下で生を感じた冒険譚を記したい
2011/10/06 -
篠塚建次郎 ラリードライバー 自分の行き先は自分で決める
サハラの砂漠も人生も
2011/09/29 -
本多有香 犬ぞりレーサー 大好きな犬たちと冒険できることは、
私にとって何物にもかえがたい時間です
2011/09/22 -
浅野重人 ラフティング競技監督 激流の中でスピードやテクニックに挑む!
競技ラフティングの知られざる極意
2011/09/15 -
岸川至 カープ・アイランド・リゾート&パラオ・ダイビング・センター・オーナー 世界のダイバーが憧れるポイント
パラオのブルーコーナーを発見した男
2011/09/08 -
伊藤慎一 プロウイングスーツ・パイロット 身にまとうはスーツ1枚!
時速363キロ、距離23キロを飛ぶ鳥人
2011/08/04 -
速水浩平 株式会社音力発電 代表取締役 捨てられている「振動」を、電力に変えていきたい
2011/07/28 -
ボブ・ベイツ トランス・ニューギニ・ツアーズ オーナー パプアニューギニアの秘境と観光業を切り拓いた
“ブッシュパイロット...
2011/07/21 -
片山右京 KATAYAMA PLANNING株式会社代表取締役/元F1ドライバー/冒険家 徹底的にビビって
自分の良いところも悪いところも極地で知る
2011/06/30 -
二木あい フリーダイビング水中映像家 永遠の海の美しさを求めて
セノ-テでのギネス記録挑戦
2011/05/19 -
杏橋幹彦 フォトグラファー 純粋に体ひとつで海を感じながら、写真を撮ってみたい
2011/05/12 -
ロビン・タプレー ナチュラリスト 人々をアドベンチャーの世界へいざなう、それが僕の仕事だ
2011/04/07 -
アラン・テボウ 海洋冒険家 夢は人生が続く限り、私のなかで生き続ける
2011/01/20 -
栗城史多 登山家 “負け”もプロセス次第で“勝ち”...
2010/12/16 -
堀江謙一 海洋冒険家 ヨットで世界を3周、太平洋を8回横断して
2010/12/02 -
ソーラーインパルス プロジェクトチーム ベルトラン・ピカール&アンドレ・ボルシュベルグ
「ソーラーインパルス」は人生...
2010/11/11 -
鏑木毅 プロ・トレイルランナー 楽しむために、必要なこと。
2010/10/21 -
コンラッド・コンブリンク シルバーシー・クルーズ エクスペディション・ディレクター 世界一ラグジュアリーな探検旅行へ
2010/08/26 -
石川博文 プロウェイクボーダー ウェイクボードの夢しか見ない
2010/08/05 -
長屋宏和 元F3レーサー/「ピロレーシング」デザイナー 目標をありったけ考える。乗り越えた時の大きな自分のために
2010/05/27 -
栗城史多 登山家 苦しいことも嬉しいことも分かち合いたい。それが極地を目指す理由
2010/03/25 -
イヴ・ロッシー 冒険家“ジェットマン” 人間が空を飛ぶということ
2010/02/25 -
坂本達 自転車世界一周 サラリーマン冒険家 夢の先に見えるもの
2010/02/04 -
リチャード・ブランソン ヴァージン・グループ会長 Vol.2
冒険が結ぶ家族の“絆”
2010/01/07 -
三浦雄一郎 プロスキーヤー・冒険家 旗印を降ろさない
2009/11/26 -
白石康次郎 海洋冒険家 嵐には愛も勇気も歯が立たない。ひとり自分だけが打ち勝てる
2009/11/05 -
白戸太朗 スポーツナビゲーター トライアスロンは人生の縮図
2009/09/15 -
川島良彰 コーヒーハンター コーヒー界のインディ・ジョーンズ
2009/08/27 -
扇澤 郁 パラグライダー・パイロット 50歳は、まだ挑戦の折り返し地点
2009/07/23 -
リシャール・ジェフロワ ドン ペリニヨン シェフ・ドゥ・カーヴ(醸造最高責任者) 心に深く、降りて行く「旅」
2009/06/18 -
リチャード・ブランソン ヴァージン・グループ会長 美しい地球と生命を救うために新たなる地平へ
2009/05/21 -
室屋義秀 エアロバティックス&エアレース・パイロット 自由に空を飛びたい!——すべてはそこから始まった
2009/03/26 -
篠宮龍三 プロ フリーダイバー 真の冒険は海の深いところにある
2009/02/26 -
村上龍 小説家 確信を持てる挑戦などない
2009/01/29 -
ピエール・ガニェール フランス料理店オーナーシェフ 料理に理想はない 詩を編むのと同じことだ
2009/01/08 -
中里尚雄 海洋冒険家プロウインドサーファー 「自然とそこに行きたくなる」 その純粋な気持ちこそが冒険
2009/01/07