純粋に体ひとつで海を感じながら、写真を撮ってみたい
子供の頃からつねに水の音のする環境で育ったという彼は、次第に海に潜り写真を撮ることを生業とするようになった。いまでは、その圧倒的な作品群が国内外を問わず多くの人の心に響き、高い評価を獲得。彼は海と地球への祈りを込めて、いまもひとりカメラを手に青い境界線の中を泳ぎ続ける……。
海の中の想像を越えた世界へ
「海の美しさ」と聞いて、多くの人はどんな光景を思い浮かべるだろう。
青い海原を白波が走る様だろうか。あるいは、珊瑚礁を背景に、群れをなして泳ぐ熱帯魚の姿だろうか。恐らく、どちらも間違いではない。
だが、それらは「海の美しさ」のごく一部であり、あえて言うなら、極めて表面的なもの。だからこそ現在、ひとりのフォトグラファーが、海という広大な自然が作り出す、いわば、本質的な美しさを我々に伝えようとしている。
彼の作品のいくつかは、それが海の中の一瞬を切り取ったものであると、にわかには理解し難い。なぜなら、我々の多くはこれまで、海の中には、自然に起きる水の動きと太陽の光だけで作り出される「アート」が存在しているということに、気がつかずにいたからだ。そこには我々の想像を超えた世界があった、とすら表現してもいい。
しかし、それこそが海との共生を選択したフォトグラファー、杏橋幹彦が写し出す世界なのである。
写真に対する苦悩と葛藤
杏橋と海との出会いは、古くにさかのぼる。
「父方の祖父が、山口県の関門海峡を見下ろせる山の上の一軒家に住んでいたので、小さいころ遊びに行くと、決まって無人島で素潜りをしていました。また、東京に住んでいた母方の祖父のところも、家中に水槽があるというような家だったので、とにかく僕の周りには常に水の音があって、魚がいるという環境で育ちました」
杏橋少年が、「なぜ魚は死ぬんだろう」、「海って何だろう」などと考えるようになるのも、自然の成り行きだったのかもしれない。将来の夢についても、「当時は、釣具屋か、漁師くらいしか思い浮かびませんでしたけど(笑)」、海とのつながり抜きには考えられなくなっていた。
そんな少年時代を過ごした杏橋は、YMCAのマリンスポーツ科で気象学から救助法まで幅広く学ぶと、卒業後はカメラをさげひとり旅に出た。もともとスキューバダイビングに興味があったこともあり、旅先では酸素ボンベなどの機材を背負い、海中の写真を撮っていた。
だが、しばらくすると、そんな自分の行為の理不尽さに苛まれるようになる。
「車で海に乗り付けて、ちょっと潜って、魚にストロボ当てて帰ってくる。人間が作った道具のせいで、魚にもダメージを与えるうえに、自分もその道具が原因で死んだとしたらやりきれないと思ったんです。 ダイビングは人の手を借り、ボンベの限られた時間しか潜れない。なにより自分が自由に行きたい時に行けない制約も含め、なんだか海へのイサギ悪さや、恥ずかしさを感じましてね。これは間違ったことをしているな、と」
杏橋はこれをきっかけに、しばらく海から遠ざかることになる。
その後の約2年間、海とのつながりは趣味でやるサーフィン程度。疎遠と言ってもいい状態になっていた、ある日のことである。ふいに胸騒ぎがして、“おやじ”に連絡を取ると、彼が亡くなったことを知らされた。“おやじ”とは、14歳の杏橋がパラオでホームステイしていたときの、ホストファミリーの主。もちろん血はつながっていないが、杏橋にとって心の師とでも言うべき、海の先生だった。
「僕もちょうど迷っていた時期で、おやじに聞きたいこともあったんですけど……。人間って生きている時間は限られているんだから、会いたいと思ったら会うべきだし、やりたいと思ったらやるべき。それをきっかけに、もっと海と真摯に向き合って海に入るべきだと痛感したんです」
だからと言って、以前同様、ボンベを背負って写真を撮る気にはなれなかった。
「そこには誰が撮っても同じというか、限界のようなものを感じていました。だから、もっと心揺さぶられるような、強く興味をひかれるものが欲しかった。純粋に体ひとつで海を感じて、写真を撮ってみたかったんです」
ならば、波の中を泳いでみよう――。杏橋が、現在に至る道筋を定めた瞬間だった。
「波の裏側」の世界を知る
なぜ、漠然と「海の中」ではなく、あえて「波の中」だったのか。これまでの海との付き合いから、杏橋にはそれなりの確信があった。「波によって水が撹拌されて、海の中では陰影が生まれる。だから、きっと波の裏側には誰も見たことのない光景が広がっているはずだ」。実際、波の裏側へ潜ってみると、未知の世界にたちまち魅了された。
「そんなことをしている人が周りにいなかったから、誰にも相談できなかったけど、すごくワクワクしましたよね。きっとスリルもあるだろうし、やりがいもあるだろう、と思っていました。もちろん、そこには挑戦という一面もありますけど、それ以上に、いかに自分の納得する生き方をして、そこで幸せを感じるか。そのことが僕にとっては重要でした。だから、正直なところ、大事なのは波の中を動き回るという行為そのもので、写真は二の次(苦笑)。やってみたら、とにかく波の中を動き回ることが気持ちよかったんです」
現在の杏橋の活動に至るスタートは、あくまで自己満足、自己陶酔だったと言ってもいい。とはいえ、「波の裏側」の世界を知るうちに、少しずつ意識も変わってきた。
「僕は、あれだけの量の水が50メートル位もの範囲で崩れ落ちる世界にいる。それを世界で何人の人がやれるかを思えば、ぜひ多くの人たちにも見てほしいし、その世界を伝えることが自分の役目なのかなと思うようになりました」
もちろん、前人未踏の世界に飛び込むからには、それなりの危険も伴う。ハワイのノースショアでは大きな波に巻き込まれ、おぼれたこともあった。息ができず、パニックに陥りかけた。杏橋自身、「ライフガードとしての経験がなければ、死んでいたかもしれない」と振り返る惨事だった。それでも、辞めようとは思わなかった。
「おぼれたのは自分の責任で、海のせいじゃない。自然との調和が足りなかったからなんです。だから、それは辞める理由にはならなくて、むしろ、もっと海を理解して、もっときちんと準備しようと考えるきっかけになりました」
以来、杏橋は主に精神的な部分で、海との付き合い方を変えた。それまではストレッチ運動、すなわち、肉体的な準備運動だけで海に入っていたところに波との意識を深めるため、ネイティブアメリカンの人々がとり行なうセージを焚き、太陽や海をはじめとした自然への感謝や祈り、修験道の呪術的な事までも取り混ぜ、ヨガなどよいと感じた様々な精神的な行為を加えたのである。杏橋は現在でも、一礼して海に入り、一礼して海から上がるという儀式を欠かすことがない。
世界各地で波の裏側を見て回った末に、現在は活動の中心をフィジーに置いている。岩盤が珊瑚であることなど、海中の美しさを作り出すための様々な自然条件を総合的に判断した結果である。
波の中を泳ぎながら撮影
それにしても、杏橋はこともなげに「波の中を泳ぐ」と言葉にするが、実際のところ、海の中でどんなことをしているのだろうか。いや、もっと率直に疑問をぶつけるならば、どうやってこのような写真を撮っているのだろうか。
基本装備は、カメラの他には、水中メガネ、ウエットスーツ、フィンのみ。最低限の危険(珊瑚で肌を切るなど)から身を守り、快適に動き回ることを追求した結果、たどり着いた“三種の神器”である。
「水面である程度まで見ていて、波を引き寄せ、『来たっ』と思って潜ると、波は速いので頭の上にある、という感じです。長いときは5時間くらい海に入っていますが、写真を撮っている時間なんて一瞬ですから、波を待っている時間とかわしている時間がほとんどですよね。潜るタイミングはすべての感覚を総動員して決めます。最悪なのは、落ちてきた波を背中でまともに受けること。背骨が折れてしまうこともありますから、かなり危険です。なので、とにかく深く勢いよく潜る。怖がると筋肉も酸素を消費してしまうので、強い気持ちを持って、平常心でいることが大切ですね」
波に合わせて潜った後は、波の崩れ方を見て、レンズの向き、シャッターのタイミングを瞬間的に判断する。ファインダーをのぞいている時間はないので、特製の防水ケースに収めたカメラを手に持ち、撮りたい方向(基本的には、太陽光線を受けている水面方向)に手を差し出すようにしてシャッターを切る。
「こういう波が来たら、ここにいなさいっていう教科書はないので。波が来てから、場所を変えられたとしても、せいぜい5mの範囲。あとは水深と角度を変えるくらいしかできません。もう少しこっち側にいたら、もっといい写真が撮れたかもしれないと思うこともありますけど、自然ってそういうものですよね。こちらは撮らせてもらっているわけだから、自分でどうこうできる世界じゃない。いろいろと頭の中で考えていても、その場に行ってみたら、風が予想と違って、波の崩れ方が違うこともある。だからこそ、見たこともないような形や模様に出会えるんですけどね」
正直なところ、どれだけ言葉で聞いたところで、なかなか水中での動きを具体的にイメージすることはできない。曰く、「波をかわしてから、回り込む」。また、「波を一度崩れさせてから、潜る」。それでもこれらすべては、杏橋がこれまで無数の波と向き合ってきた経験に基づくものであることだけは間違いない。
「僕は波を理解しているし、だからこそ、結構際どい場面でもリラックスしていられる。それは決しておごりではなく、自分のなかでの安心感。大事なのは、自分で体感し、理解することなんです」
例えば、波が作り出す水の高速回転が速いほど、回転している部分としていない部分との境目にはっきりとした線が浮かび上がり、その線を境に、まったく異なる模様が海の中に描き出される。また、波の崩れ方が大きければ大きいほど、水中に差し込む太陽光線が遮られるため、海中は暗くなる。
人間が手など加えなくても、来る波に身を委ねてさえいれば、海の中には様々な模様が作り出されるばかりでなく、光の強弱、色の濃淡までが見事に変化するのである。
「波も落ちる角度によって水面を跳ねるので、しだれ桜のように水が海の斜面を下りていくこともあるし、光の具合によっては、今まで知らなかった青い色が出ることもある。雨の日の海だって、普通は暗く寒いから嫌われるんですけど、水墨画みたいできれいなんですよ」
共感してくれる喜び
現在の撮影スタイルについて、杏橋は「自分の中で納得した形なので、満足している」。ただ、その一方で、「この世界をもっといろんな人に見てもらいたい」という思いは強い。杏橋が都内に構えるギャラリー(仕事場)の向かいには、児童公園がある。だからだろうか、ときどき小学生くらいの子供たちが、恐る恐るギャラリーをのぞき込んでいることがある。
「そういう子供たちを(ギャラリーの)中に入れて、写真を見せてあげるんです。そうすると、みんな最初は何の写真か分からない。空だと思う子も多いですよ。でも、これは海の中なんだよって教えてあげると、一様に驚いて、(生で)見てみたいって言いますからね。こういう写真を撮り始めて5、6年は、人に見せるものじゃないと思っていました。でも今は、これを通して海の美しさやはかなさを知ってもらえればいいし、もちろん飾って美しいと思ってもらうだけでもいい。今までとは違う海の概念を感じ、水に包まれたこの星と太陽や月光の物語りや、また、目には見えない自然の存在を尊重し、うまくは言えませんが『ここからあそこへ』と繋がる何かを、それぞれに感応してくれる人がいれば、うれしいですね」
我々は今まで、海の美しさを知っているつもりでいた。だが、杏橋の作品を前にすると、すさまじいまでの迫力によって、そんな思い込みは直ちに覆される。
まだ見ぬ海の世界が、そこにはある。
写真集「BLUE FOREST 」 発売中
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杏橋幹彦オフィシャルHP
http://www.mikihiko.com/
http://www.boundary.co.jp
杏橋幹彦
フォトグラファー
1969年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。幼い頃より山口県の無人島で素潜りに興じる。 83年、ミクロネシア諸島パラオでホームステイとキャンプを体験。 89年、オーストラリアサーフライフセービングブロンズメダル獲得。92年からは、カメラをさげオーストラリア、インドネシアへとあてもなく向かい、その後数年間は南の島々への旅を繰り返しながら海を撮影。2001年より酸素ボンベ、ストロボなどの機材の使用を一切やめ、フィンだけで息の続く限り波の中で撮影することを決意。以来、彼の生み出す作品の数々は国内外の個展で高い評価を得ている。
Text: Masaki Asada
Photos:Mikihiko Kyobashi
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