目標をありったけ考える。乗り越えた時の大きな自分のために
一歩一歩階段を登っていると思ったレース人生に悪夢のような事故が襲った。
人生のハシゴを外されたと思ったのもレースだったが、車いすの生活になった自分を救ってくれたのもレースだった。
「自分は本当に恵まれているんです」
以前では見えなかったものが見えるようになって、人生の目標には事欠かないと思えるようになった。
長屋宏和は、挑戦することが多すぎると笑った。
“自分がそこにいるようなイメージ”があれば、それは実現する。
その事故のことは覚えていないという。
2002年、10月13日、三重県鈴鹿市、鈴鹿サーキット。モータースポーツの最高峰、F1の前座レースに選手として出場していた長屋はライバルと接触、マシンは宙に舞い上がった。縦に回転しながらタイヤバリアを越えフェンスに激突し、地面にマシンもろとも叩きつけられた長屋は意識不明のまま病院に運ばれた。
テレビのニュースでも放送されたので、覚えている人もいるのではないだろうか。
長屋宏和、当時23歳。レーシングカートからモータースポーツの世界に入り全日本カート選手権参戦、フランスレーシングスクール「ラ・フィリエール」を経てフォーミュラドリーム優勝1回、2位4回。同年名門の戸田レーシングからF3参戦と注目のアップカマーだった。
長屋がモータースポーツの存在を知ったのも、この鈴鹿サーキットだった。幼馴染みに誘われて、それほど興味があった訳でもないのに観戦しに行ったF1日本グランプリ。初めて見たその光景に「凄い、カッコいい」よりも先に不思議と「自分がそこにいるようなイメージ」があった。これを自分はやるのだ。
「野球とかサッカーとか、誰でもやるようなスポーツはもちろん好きだったんですけど、それとは違う何かがモータースポーツにはあったんです」
しかし、そうは思ったものの、何から始めればいいのか、長屋少年には分からない。もちろん、知り合いにモータースポーツ関係者などいるはずもなかった。
長屋は自分のことを「恵まれているので」と表現する。彼の人生に置いて一つ目のそれは、母親の存在だった。とりあえず、モータースポーツをやりたい旨を相談すると「やりたければやればいい」と長屋の挑戦する気持ちを汲んでくれた。「でも、やるなら自分で探して自分で方法を見つけなさい」
そういわれてなぜか安心したような気持ちになった。自分でも不思議だった。
追い込みすぎて自分を見失ってはいけない。
こうして長屋は、多くのレーシングドライバーがそうであるようにカートからキャリアをスタートさせ、1999年、フランスのレーシングスクール「ラ・フィリエール」に留学。2000年からは「フォーミュラ・ドリーム」に参戦、2002年にはF3に昇格。それも超名門チーム「戸田レーシング」のドライバーになった。F3はカテゴリーとしてはF1、F3000に次ぐ3番目のフォーミュラのカテゴリーだが、もはやそこは“ちょっと運転が上手い”ような人間では参戦すらできない、戦場だ。
そんな中、2002年の鈴鹿サーキットでの事故だった。
「ちょっと頑張りすぎていたというか、精神的にも追い込んでしまった自分がいたのでしょうね」
その年、長屋のレースシーズンは納得のいくものではなかったという。
「なんとかしないと次の年がヤバい」
ここで結果を残して、観客にも、メディアにも、ホンダにも、アピールをしておきかった。ところがレースウィーク初盤の金曜日にマシントラブルでコースを一周も出来ず、ぶっつけ本番でトライした予選でかろうじて5番手。今思えば歯車が噛みあわないままレースはスタートし、2周目のスプーンコーナーで他のマシンと接触しクラッシュしてしまった。後から周りに聞いた話を聞くと確かに自分は、自分で追い込んでしまったのだろうと思う。
長屋の二つ目の「恵まれている」は、これだけの事故で死ななかったことではないだろうか。
しかし、頚椎C6損傷で車いすの生活を余儀なくされた。病院には2年間入院していたが、とにかくレースに出たかった。乗りたいと医師に相談すると頚椎損傷だから無理だと言われた。
無理だと言われて逆に目標ができた。
「『何とか出来るだろう』という根拠のない自信がありまして(笑)それまでお世話になっていたモータースポーツのフォトグラファーさんが北海道でカートのお店を開いていることを知って、まずは相談しに行ったのです」
カートには乗れた。レーシングドライバーの長屋に取ってはそれは「転がした」くらいだったが、乗れたことには間違いはなく、嬉しかった。そうやって少し前進できたことが何よりも自分が生きているという充実感を味わわせてくれた。
目標とは、自分だけのものではない。
2004年12月のカートのレースを長屋は一生忘れないだろう。
この時、カート仲間とともに、長屋は耐久レースに出場した。カートとはいえ、他のクルマのそれと変わらず、複数のドライバーがいて、メカニックがいて、チーム監督がいて、サポートがいて、レースが成り立つ。フォーミュラレースの時に勝つか負けるかは、スタートしてしまえば極端な話、ドライバー次第だった。しかし、耐久レースでは、タイヤ交換やガソリン補給、ドライバー交代のスケジュールなどは鉄道のダイヤのように綿密に決められている。そして、その勝つためのスケジュールをこなした者が、美酒を味わう。だから、もし、仮に一人のドライバーが無理にペースを速くしても、燃料補給を余分にしなければならなくなり、例えば燃料補給とドライバー交代を同時にやってロスを防ぐ…というようなチームのプランはフイになってしまう。
それまで長屋がなりわいとしていたフォーミュラレースが個人プレイなら耐久はチームプレイ。たとえ、独走で一位で走っていても最終周でクラッシュしてしまえばリタイアであって、耐久レースでそれは評価にならない。自分だけが力んでも仕方がない。確実に、無事に次のドライバーにクルマを渡すこと。耐久はリレーのバトンに似ている。
「絶対に前を抜く、相手に勝つ…ということだけしか考えていなかった」これまでのレースとは全く違う世界だった。
「レースは勝負。レースは勝つこと以外は負けだと思っていましたから」
その気付きはまさに天啓のようだったのだろう。何とかして次のドライバーにつなげる。チームとして完走する。コース上にいたまさにその時、突然、長屋は気がついた。
「僕はここで無理をしてはいけない。無理してクラッシュしたら皆ががっかりするし、そういう顔を見たくない」
目標に向かって皆で何かを成し遂げること。そのために自分ができることを全うすること。勝つだけではないレースのカタチがそこにはあった。
「皆で喜べて、仲間で目標にむかって何かをすることが、こんなに楽しいことなんだって。もしかしたら自分が純粋に楽しんでレースをしたのは初めてだったかもしれないですね」
三つ目の「恵まれている」は、この瞬間に訪れた。大好きなサーキットでのことだった。
無理なく自分という人間を出せる環境に身を置きたい。
事故から本当に立ち直り、生まれ変わった時だった。
「生かしてもらった命ですから、無理なく自分という人間を出せる環境に身を置かないとただの欲求不満の塊になってしまう。だったら自分が出来ることをした方が、皆が幸せになれるということに気がついたんです」
すると自分がチェアウォーカー(車いす)の生活になった故に出来ることが見えてきた。
「街でチェアウォーカーの人たちに会いますか? そんなに見かけないと思いませんか? なぜなんだろうと思ったんです。病院に行けば、たくさんいらっしゃいます。ディズニーランドに行けば見かけますが、病院ほどではない。みんな何処で何をしているんでしょうか。出られないんですよ。自分も最初は大変でしたから…。外に出て行く手助けをしたいのです」
すると、これまで気にも留めなかったことに次々と気がついた。中でも、長屋が切実に思ったのが、着たい服を着られないということだった。チェアウォーカーは、障害の個所、程度によって必要とされる機能が変わる。また、自分で着られるか、補助が必要かによっても変わる。どこまでボタンを開けるようにするか、フィット感をどうするか、素材をどうするか。もっとも大切なのは褥瘡(じょくそう)への対策だ。褥瘡とは床ずれのこと。床ずれというと、同じ姿勢で体が痛くなる程度と思いがちなものの、実際は体と、その接触している部分(車いすの座面など)で血行不全となって体組織が壊死を起こしてしまうものだ。普通のジーンズを履くと、お尻の縫い目がその褥瘡を誘発してしまう。
まずは手持ちの服を改良していこうと思うと、思わぬ先生がいた。母親は既製服のサイズを補正したり、フィッティングしたりということを30年もなりわいとしてきたモードフィッターだったのだ。長屋は自分を本当に恵まれていると思う。
「ジーンズのここを変えたい、こういう服を着たい、と相談して自分の着たい服を作り始めました。それがカタチになったとき『これはチェアウォーカーの皆に必要なものだぞ』と思ったのです」
こうして、長屋は『ピロレーシング』というチェアウォーカーのためのファッションブランドを立ち上げた。「自分は本当に恵まれています。身近な人がその道のプロだったんですから」。名前は、レーシングカート時代に付けられたあだ名から取った。
今、長屋はこのピロレーシングのブランドの運営を中心に、全国の学校・企業への講演、原稿の執筆、レース会場などのバリアフリー化のアドバイザーなどで忙しく動いている。チェアウォーカー用に改造したクルマを自分で運転し、行きたいところにどこでも行ってしまう。
「チェアウォーカーの生活になって最初のころは外に出るだけでも大冒険でしたけどね(笑)」
今日一日をどれだけ楽しむことができるのか? それも人生の目標になる。
長屋は、大中小、さまざまな目標を定めて日々を送っているという。少年時代はカートを始めることがチャレンジだった。今、思えば小さいことかもしれないが、当人にとっては重要な一歩だ。挑戦の難易度、大小は人が決められることではないのだ。
長屋曰く、小さい目標は「今日一日をどれだけ楽しむことができるか」ということ。その一日の頑張りが、他の人の役に立てたら嬉しいという。中くらいの目標はピロレーシングの製品を必要な人に届けられるようにビジネスを拡大していくこと。最近では三越銀座店に出店し、同店のバリアフリー化のアドバイスも行った。オリジナルのポンチョが先の北京パラリンピックで使われるという名誉にもあずかった。世界中に困っている人々がいるはずだ。できれば世界にピロレーシングの製品を売っていきたいという。
大きな目標は「F1のワールドチャンピオン」だ。
「僕はこの夢を今も捨てずに持ち続けています。それが叶うか叶わないかなんて自分も分からないし人にも分からないでしょう」と長屋はちょっと遠くを見るような目で語り、再び近くに視線を戻した。
「同時に、目標をすごくいっぱい小さくても大きくても持つことにしています。そうして、それを乗り越えた時に自分が大きくなった実感を感じることができる。そのために目標はたくさん必要なんです」
F1のワールドチャンピオンは遥か遠く、恐ろしく遠大な目標かもしれない。しかし、2004年のあの日、カートの耐久レースで「仲間で同じ目標に向かい、それを達成することがこんなに素晴らしいことなんだ」と知った長屋ならそれをやり遂げるかもしれない。ドライバーだけがチャンピオンではないということを知っているのだから。
インタビューの後、帰ろうとすると長屋は机に置いてあった紙の束を見せてくれた。それは講演をした小学生からの作文の山だった。絵入りのもの、字のきれいなもの、書き直しの跡ばかりが目立つもの、中には書き足りなかったのか、テープで紙をつぎ足したものまであった。長屋はもちろん全てに目を通す。自分の言いたかったことが伝わっているという嬉しさがそこにはある。手紙を書くことがおっくうだった少年時代、カートレースをやりたい一心で初めてまともに書いた手紙が通じた時のことを思い出す。全てはレースに教えてもらった。
「これを読むと本当に外に出て良かったとしみじみ思います。こんな喜びは(外に出なかったら)ずっと知らなかったでしょうね」
自らを「レース馬鹿」と評する長屋の人生のレースは、まだこれからだ。
オフィシャルサイト
http://www.piroracing.com/
長屋宏和
元F3レーサー/「ピロレーシング」デザイナー
ながや・ひろかず。1979年生まれ。レーシングドライバー。1992年、13歳でF1鈴鹿グランプリを見てレーシングドライバーを志す。同年レーシングカートを始め、全日本選手権出場、ICAクラス3位となった後、フランスにレース留学。2000年からフォーミュラ・ドリームに参戦し、2年間で優勝1回、2位4回の好成績を収める。2002年からF3にステップアップし名門戸田レーシングのドライバーに。同年、F1鈴鹿グランプリの前座レースにてクラッシュ。一命をとりとめたものの頚椎C6を損傷。現在はチェアウォーカーのためのファッションブランド「ピロレーシング」を運営する。
公式サイト http://www.piroracing.com/
Text:Toru Mori(tsunagaru.inc.)
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