未踏の絶壁の向こう側
日本に世界的な「アルパインクライマー」が存在することをご存知だろうか。有名な山を制覇することを目的とした「ピークハンター」とは異なり、酸素や固定ロープを使用せず、他人のサポートも受けずに、最低限の道具のみ使い自分たちの力で困難な岩壁に向かう、数少ないアドベンチャラーだ。
そして誰も登っていない未踏のルートにトライし、クライミングという行為をよりクリエイティブなものに昇華させた功績が世界的に評価され、世界のトップクライマーの一人に名を連ねるようになったのが平出和也である。
平出は2008年、インドのカメット峰の南東壁をパートナーの谷口けいとともに世界で初めて登攀し、その功績を称えられ登山界の最高の栄誉ともいわれる「ピオレドール(金のピッケル)賞」を日本人として初受賞した。
アルパインクライミングは数百mから数千mにも及ぶ岩や氷や雪の壁を最低限の装備で挑戦するという登山スタイルであり、通常の登山とは異なる。さらに未登攀のルートでとなればその難易度は想像の域を大きく超えている。気象の知識、登攀の技術とともに体力、知力、精神力を総動員してかからないと生命を危うくする。それを「クライミングは遊びですよ」とこともなげに言う彼はいったいどういう人なのだろうか 。
すべて自分の意思で決める、それが山の魅力
学生時代、陸上部に所属していた平出は大学時代には競歩で全国クラスの選手だった。しかし、決められたルールの中で他人と競う競技スポーツに虚しさを感じ、山岳部に入部。2001年にはクーラカンリ(7381m)初登頂を果たし、彼の山とともに生きる人生がスタートしたのである。
そして2011年、クライミングパートナーである谷口けいとともに西チベットの最高峰であるナムナニ峰(7694m)の未踏の南面の渓谷と氷河を踏査し、氷雪の壁から未踏の南峰へ登頂して主峰へと初縦走に成功。その記録について聞こうとすると「ナムナニは僕にとっては特別なものではないんですよ。すでに過去の山行のひとつにすぎない」と言う。
「山に登る前、自分は何のためにどこに行くのか、誰と行くのか、何を持っていくのか、すべて自分で決めなければならない、そこに本質があるんですね。その過程に最も充実感、やりがいを感じるのであって、山頂に立てたかどうかということは大きな問題ではありません。ですから、たとえ撤退した場合であってもそこに大きな悔しさはないんです」
何も情報のない山、未踏の地にこそ本当の喜びがある
彼の登山スタイルはあくまで未踏の山、未踏のルートにこだわりトライすることにある。そこには困難な状況が待っていることは想像に難くない。なぜそういう道を選ぶのだろうか。
「僕の登山のスタートは、テーブルに大きな地図を広げ、人が歩いたところに線を引いていく作業から始まるんですね。何年にどこの隊がどのルートで登頂したとか、過去の登山の記録を調べ抜いて、すべて書き込んでいくんです。すると、そこには誰も通らなかった地図の空白が現れてくる。次にはそこを通らなかったことに、どんな理由があるのか知りたくなってくる。そうしてチャレンジするルートを決めていく、その作業が好きなんです。誰も行ったことのない世界を自らの足で切り開き、この目で見てみたい。ですから僕の登山スタイルは世界最高峰のエベレストだから行きましょう、というような登山ではないんです。実際、ナムナニのルートにしても情報などほとんどなかったんですよ。100km以上はなれた場所から撮った谷の写真が一枚あるのみ。その一枚の写真を頼りに、縮尺の細かくない大雑把な地図を組み合わせて、数少ない手がかりを元に現地に入って、自らの足で踏査して、ようやくルートを見出す。今まで誰も知らなかった世界のヒントを、自らの手でひとつひとつ集めて解き明かす、その積み上げこそが重要。その作業が成功して、初めて山頂に立て、また生きて還ってこられるわけです」
隠された課題を見出す嗅覚、それに伴う技術、そのバランスが必要
彼の独特の登山スタイルは誰もが可能なわけではない。経験のあるアルパインクライマーであってもデータのあるルートでリスクを回避できないことは珍しくない。あえて困難な未踏のルートを切り拓く技術は、いかに培うことができたのであろうか。
「今の若い人たちは課題を与えるといいパフォーマンスを示せる人は数多くいます。けれど、ちょっとグラウンドの外に出ると何もできなくなってしまう人が多いと思うんです。実は登山においてはそちらの能力のほうが重要なわけです。実際に国内でも世界でも僕より登れる人なんていくらでもいます。でも、もし僕に人より優れている部分があるとしたら、人のやったことのない“課題”を見つける嗅覚、そしてそれを成し遂げる能力、そのバランスがいいんじゃないでしょうか。いくら登る技術があっても、その課題を見つけることができなければそこには絶対にたどり着くことはできないわけですから。金のピッケルの時も、カメット峰の未踏の南東壁という、魅力的な課題を見つけ、それを登攀しえたこと、それが受賞につながったのです」
誰もたどり着けない場所、そこの映像を撮ること
平出は近年、山岳カメラマンとしても多くの隊に帯同し「他の誰にも撮れない」映像を数多く残している。それは彼のもうひとつの顔でもある。7000mを超える極限的な状況で、数kgものカメラ機材を担いで登ることは大変な負担だ。それを行える人間は世界でもそう多くはいない。
「山で撮影をすることはもうひとつの僕の生きていく道です。そこには自分しか撮ることのできない世界がある。そしてその世界をリアルに伝える事で『山に行ってみたいな』という人が増えればいいなと思っています。登山家のイメージアップにもなるんじゃないでしょうか」
カメラ機材を持っていくことは、他の重要な登山装備を切り詰めることにつながらないのだろうか。
「2005年にある山に、重量を抑えるためにパートナーと話し合って、食料を最低限にして、寝袋を持参せず登山したんです。でもそのときカメラは持っていったんですよ。生きるために必要な装備と、人に伝えるための装備は違うからです。その時、結果的に足が凍傷になるわけですが、できることをすべてやった上で凍傷になったわけですから、その事実を受け止めることが出来ました。しかし失敗を失敗で終わらせないそのときの反省が、カメット登頂につながりました必要なもの、不必要なもの、そのバランスが改善されたことが大きな収穫になりました」
山が帰れという声が聞こえるときがある
そんな超人的とも思える技術と精神力を持つ彼であっても、当然そのルートを撤退するときがある。そこでの判断はどう行われるのか。
「2012年の夏に挑んだパキスタンのシスパーレ(7611m)の未踏の北東壁は、壁が4000mも続くところで、半分くらいしか登れなくて。天気の悪い中、上の方は晴れているのが見えました。食料も十分あったのですが、何か山が帰れと言っているのが聞こえてきて。そこでの敗退は生きて還ることにつながるのだと思い断念しました。山ではすべてがうまくいかない時っていうのがあるんです。目の前の雪がほんの少し動いた時とか、雪に触れた瞬間にそういう感覚に陥ることがあります。理屈ではなく、ただ単に感じるんです。自然のことは100%理解できないし、そうしようとも思わない、でも感じることはできる。昔はなんだこんな壁くらい、というような気負った意識が強かったのですが、今は自分の弱さを受け止められるようになりました。自分の弱さを見せられるパートナー(谷口けい)に出会えたことも自分にとっては大きなことでしたね」
From Faust A.G. Channel on [YouTube]
最大の危機、救援ヘリの墜落、失意の中で得たもの
未踏のルートを切り拓き、数々の山々を登って来た平出だが、その山で死を覚悟し、自らを含め幾人もの人生を左右する、人生の大きな壁にも遭遇している。
2010年11月、平出およびディビット・ゲットラーはヒマラヤ山脈のアマ・ダブラム(6500m)にて、行程の90%まで登り、残りわずかというところであまりに危険な稜線に身動きが取れなくなる。二人で話し合った結果、衛星電話でヘリコプターでの救援要請をした。ヘリはまずディビットを救出。再び平出をピックアップに戻ってきたヘリはバランスを崩し氷壁にクラッシュ。数千mの谷底に落下し、ネパール人2名の救援隊隊員が死亡する事故となった。その後、もう一機のヘリが出動、平出も救助されたのだが――。
「頂上近くの切り立った稜線でディビットが片側に落下、自分は反対側に落ち、お互いを結んだロープでブランコのような状態で止まって助かった。これ以上は危険すぎて登れないと判断したのですが、引き返そうにも登って来た壁を降りるにはあまりにもリスクが大きかった。実際、7000m近い高度でのレスキューは世界的にも稀なことで、非常に危険な状況でした。でもヘリが来て、何回か周囲を回ってできそうだと判断されて相方を最初にピックアップしてもらいました。次に自分の番になったときに、何かおかしいと思って一瞬しゃがんだんですね。その瞬間に頭上をローターがかすめて壁に当たって。ヘリは墜落してしまいました。その後、絶望感というかやりきれない気持ちで、いつ来るかわからない次のヘリを待つ間、僕は生きて還るためにはどうすればいいのか、すべて書き出してみたんです。でも、誰かが別のルートをたどってロープを垂らしてくれるとか、ヘリがやってきてくれるとか、すべて他人任せのことばかり。これは死ぬかもしれないなと思いました。すでに下との連絡もとれず、人間は自然の中では本当にちっぽけな存在であることを痛切に感じました」
その後、平出とディビットは失意の中、事故にあったネパール人の家族に会いに行く。
「そこで本当に救われる言葉をもらいました。『あなたたちに責任はない、彼らは生まれた時からそういう運命にあった。新しい生命をもらったと思って、今後も登山を止めないで欲しい』と。本当は僕らがその家族にお悔やみとともにメッセージを伝えなくてはいけなかったのに、逆に力をもらい、山に復帰する事ができました。その家族、子供たちとは今でも交流があります。命の大切さはいつも感じてはいるけれども、それから、山で決して亡くなってはいけないという気持ちが強くなりました。引き際はより早くなり、中途半端な努力によってリスクを大きくすることなく、起きる前に敗退できるようになりました。そして亡くなった二人の救援隊員は、僕らにとっての永遠のヒーローになったのです」
山が与えてくれるもの
山において、リスクと困難な状況はまったく別のものだと彼は言う。
「アマ・ダブラムでの出来事は、今の僕の登山スタイルに決定的な影響を与えました。困難とは自分の努力と技術によって克服できるもの。リスクは、あえて犯す必要はない、そのレベルを判断する知識と技術を得ることが重要なこと。そして、自分の限界を客観的に見極められない人が事故に遭ってしまうのだと思います」
100%リスクのないところに行きたいのならば街にいればいいし、あえて山に来る必要もない。でも山は多くのことを自分に与えてくれるという。
「ある意味危険な、困難な環境に身をおくことによって、普段の生活がなんてすばらしいものなんだと思えるようになります。当たり前に安全が確保されていることが、実は当たり前のことではないということを再認識することができる。些細なことに幸せを感じたり、普通に生活していると、当然に思って、見逃してしまうようなことを見逃さずにいることもできます。僕は登山はスポーツではない、遊びだと思っています。でも真剣に遊ぶ事が重要なんです。高いところに登る、それは人間の欲望のひとつです。でも容易には行けないところに行くためには、日常で背負っている余計なものをそぎ落とすしかない。自然は地位のある人もない人も、体力のある人もない人も、男でも女でも皆に平等ですから。僕にとって登山は、偽りの無い私自身と向き合える貴重な時間なんです」
平出和也
アルパインクライマー
ひらいでかずや
アルパインクライマー。石井スポーツグループ所属。1979年長野県生まれ。東海大学山岳部で登山を学び、在学中にクーラカンリ東峰初登頂、チョー・オユー無酸素登頂。2008年クライミングパートナーの谷口けいとともにカメット南東壁初登攀。その功績が認められ、日本人初のピオレドール賞を受賞した。2012年ファウスト冒険家賞を谷口けいとともに受賞。
2001年 | クーラ・カンリ東峰(7381m・中国チベット自治区)初登頂。「読売スポーツ賞」受賞。 チョー・オユー(8201m・中国チベット自治区)ノーマルルート無酸素登頂、スキー滑降。 |
2003年 | キンヤン・キッシュ(7852m・パキスタン)西稜・試登。 |
2004年 | ゴールデンピーク(7027m・パキスタン)北西稜・新ルート登頂。 ライラピーク(6200m・パキスタン)東壁新ルート・登頂。 |
2005年 | ムスターグアタ(7564m・中国新疆自治区)東稜第2登、スキー滑降。 シブリン(6543m・インド)北壁新ルート・登頂。 |
2007年 |
シスパーレ(7611m・パキスタン)北東壁・試登。 |
2008年 | 山岳スキー世界選手権(スイス)参戦 ガッシャーブルムⅡ峰(8035m・パキスタン)無酸素登頂、映像撮影。 ブロードピーク(8047m・パキスタン)ノーマルート無酸素登頂、映像撮影。 カメット (7756m・インド) 南東壁・新ルー登頂。 「読売スポーツ賞」「第17回ピオレドール」受賞。 |
2009年 | ガッシャーブルム1峰 (8068m・パキスタン)無酸素登頂、映像撮影。 ガウリサンカール(7134m・中国チベット自治区) 北東壁・試登。 |
2010年 | アマダブラム(6818m)北西壁・試登。 |
2011年 | ナムナニ峰(7694m) 南東壁初登攀。 |
Text:Takamasa Wada
Photos:Kazuya Hiraide
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