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Frank Clark

フランク・クラーク

C.G.インターナショナルCEO

Profile

アロハ・ファイト・スピリットで繋ぐ
楽園ハワイへの夢

アスリートからビジネスマンへの転身。日本とハワイを結ぶ不動産とコンサルティング事業で成功した男のバックグラウンドには、プロゴルファーとしての日々があった。その過程に共通するのは「アロハ・ファイト・スピリット」。人と人との信頼を何よりも大切にし、ニッチなマーケットをアイディアで広げてきたある男の物語。

"プロゴルファー"からビジネスマンへ

「ハワイのビジネスマンって、あまりイメージが浮かばないでしょう?」
開口一番にフランク・クラークは柔らかな表情で、しかし大真面目に切り出した。
「ハワイの人ってのんびりしてると思われていて、“ビジネスマン”ってイメージ湧かないじゃない。でも僕は日本でチャレンジしたい。日本で最も知られるハワイのビジネスマンになろうかなと思って。曙かフランクか、って言われるくらいにね(笑)」

大柄な体躯から滲み出るのは、おおらかで紳士的で人懐っこい雰囲気。米国人の父と日本人の母を持ち、流暢な日本語を話す。いかにも親しみやすいハワイの日系人のように見えるが、実は出身はボストン。ハワイの不動産とコンサルティング事業で急速に頭角を現した経営者であるフランク・クラークに自らを支えて来た信条を聞くと「アロハ・ファイト・スピリット」と表現した。楽園ハワイで醸成された信頼と愛情を以て果敢に挑み続ける魂…そんなイメージを持つこの言葉は、まさに彼の半生をそのまま示すように思われた。

ゴルフとの出会い、そして縁

ボストンに生まれたフランクは父の仕事の都合で幼少期をドイツ、韓国、日本で過ごした。日本にいた13歳の頃にゴルフに出会いすっかり魅了されプロゴルファーを目指すようになる。
「福生に住んでいたんですが、父の仕事につきあって横田基地のあたりで時間をつぶす為にゴルフをしていたら、レッスンプロが『この子は才能があるから伸ばしてあげるべき』と私の父に進言したんです。その頃から既に父より上手くて、フォームもプロの頃と殆ど変わらなかった。その後すっかりゴルフにはまって朝から晩まで練習の日々を過ごしました」
15歳でボストンに戻ってからは地元ノースブリッジ高校でゴルフ部のキャプテンを務め、チームを州のチャンピオンシップに導き、トーナメントでも優勝。16歳でマサチューセッツアマに出場。今でこそ高校生ゴルファーは少なくないが、当時はプロに混じって大会に出場する年少選手は他におらず、注目を集めた。ジュニアゴルフトーナメントでも数回優勝し、地元新聞を賑わす成績を納める。大学のゴルフ部では全米ゴルフトーナメント、NCAA’s Division IIに二回チームで出場し全米10位と7位に輝いた。

高校、大学のゴルフ部時代。ノースブリッジ高校ゴルフ部Ramsでキャプテンを務め、その快挙を記念した道路標識が州境に設置されている。

卒業後数年を日本で過ごした後「一年中ゴルフができる」とハワイに移住しプロゴルファーを目指した。今に繋がるフランクのハワイ人生はここからスタートしたと言ってよいだろう。25歳でハワイプリンスのゴルフオペレーションマネージャーを務め、日本のTVの片山信吾のゴルフレッスン番組で7年間もコーナーを担当するようになった。

「ハワイに移住した当初は本当にお金がなくてね、週100ドルでどうやって暮らそうかと、いつもお小遣い帳とにらめっこしていました。一人暮らしの部屋にはダンボール箱に置いた時代遅れの白黒テレビだけ。だんだんダンボールがつぶれて傾いてきちゃって…当時ゴルフコースに出るのに45ドル、ニアピンで20ドル必要だったからコースに週一度出たら殆ど残らない、いつもハムサンドイッチばかり。でもその頃から、出会ったお客さんが皆懇意にしてくれて、週一度水曜には食事に連れて行ってもらって美味しいものを食べさせて頂いたりして。本当に水曜が楽しみだったなあ(笑)。大企業の社長や、ハワイで知られる有名レストランの経営者、地元のラーメン屋の親父さんまで、ゴルフを通して皆とすぐに仲良くなってしまう。僕の中では社会的地位とか関係ない、区別なく付き合ってきたし、その繋がりや絆が今でもずっと続いている。その頃築いた人脈は僕の大きな財産になったんです」とフランクは言う。

そしてビジネスの世界へ

転機が訪れたのは30歳の時。ゴルファーとしても十分で生活できるようになったが、新しい挑戦をしてみたくなった。顧客と仲良くなりすぎて仕事仲間から嫉妬を買うような状況もその決断を後押しした。

フランクは日本との強いパイプを持ち、日本人・日本企業のハワイ進出のコンサルティング及びマーケティング、ハワイの高級リゾート物件の販売を行う3つの企業のCEOだ。


94年に立ち上げたアジア市場を専門とするフルサービスビジネス・コンサルティング業及びメディア・サービス会社CG Internationalは急成長を遂げ、2000年にはハワイのビジネス紙「パシフィック・ビジネス・ニュース」での『ハワイ最速成長企業50社』の1位に選ばれた。


「自分でビジネスを始めたきっかけは、クレジットカードの仕事でした。当時ハワイプリンスでプレイする人の78%はローカルの人だったので、彼らのためにそれまでにはなかったゴルフ専門の特典付きのカードを地元銀行と組んで作ったんです。その仕組みを作るまで2年かかった。今ならそんな時間を掛けないけれど事業は初めてだったから毎日勉強で楽しかったですよ。初めてロイヤリティが口座に振り込まれた時は涙が出たなあ」
様々な仕事をした、とフランクは振り返る。知り合いの相談に乗るうちに日本からハワイへ進出する企業のコンサルティング会社を立ち上げるようになり、数年後、それらのマーケティングやPRを手がけるプロダクションを設立、その二つの企業は「急成長を遂げたハワイビジネス」としてハワイのビジネス専門紙でNo.1を獲得するまでに成長した。

その後不動産を扱う「リアルセレクト」を設立。レジデンス物件だけでなく、商業施設の物件についても多くのシークレット物件を扱い、不動産開発会社と直接提携しながら、アジア市場への新規開発プロジェクトの投資・販売促進を行う高級不動産エージェントとして活躍を続けている。携わったのは日本でもよく知られたオアフ島の「マリオット・コオリナ・ビーチクラブ・タイムシェア」の立ち上げ及びPR、その後「コオリナ・ビーチヴィラ」、マウイ島カパルアの「リッツ・カールトン」、「パシフィカホノルル」など。そして直近では2014年12月にオープンになるワイキキ アラモアナの“超高級コンドミニアム”「ワン・アラモアナ」、同じくワイキキのラグジュアリー・ホテルコンド「ザ・リッツ・カールトン レジデンス ワイキキビーチ」でトップセールスに輝くなど、日本人向けの販売やコンサルティングを一手に引き受ける。

アロハ・ファイト・スピリット

「今の僕しか知らない人は、僕が元々いい所の生まれだろう、何も苦労していないと思っているのね。でもそうじゃない」
「25歳からハワイに引っ越して、30で独立して仕事しているけど、僕はすごく働く、日本の経営者の友達には『ハワイで一番働く男だ』っていつも言われてる。ゴルフに誘ってもフランクは朝から晩まで仕事ばっかりしてるって(笑)。でも今もまだ可能性を探っているから、チャレンジは終わらないんです」

アスリートからビジネスマンへ。その転身には相当のマインドシフトが必要だったのではないか? と聞くとこういう答えが返ってきた。
「どうしてそんなに一生懸命仕事をしているのかって不思議がる人もいる。でも僕はアイディアで生きて来た男だから。大きい会社相手だと戦えないから、小さいアライアンスを組みながらニッチな所でずっとやって来たんです。僕にあるのは、長い付き合いの大切な友人、言ったことは必ず守ること、会社も借金ゼロだしね。つまり信用とネットワーク。ビジネスだけで付き合わず、信頼関係を築くというのが信念でもある。お陰でこれまで不景気の時も何度かあったけど、ずーっと生きているよ」。
つまりそれが、冒頭の「アロハ・ファイト・スピリット」というものなのだろう。信用、友情、小さなアライアンス、そしてアスリート時代から培った、不屈のチャレンジ精神と言ったもの。

「そうだね。皆夢はあると思うけど、実際にはやらない人が多いじゃない? 僕は割とやっちゃうんです。必ず実行し、最後までやり遂げる。規模は大きくなくてもいい、地味にやってていい。最近は起業セミナーに呼ばれて講演をしたりもするんですが、皆夢を持っているのにダメダメと押さえ込まれていつしか夢を諦めてしまうんですよね。残念なことです」

日本とハワイ、夢の架け橋に

ハワイに夢を抱いて来る日本人を、これまで多く見て来た。しかし失敗して挫折、日本と勝手の違うハワイに嫌悪を感じて撤退してしまう人が多くいることも知っている
「それはとても寂しいこと。ハワイには日本人が多いから、仕事も日本と同じ感覚で進めてしまって思わぬトラブルになることも多い。楽園のように気持ちのいい土地だし、皆フレンドリーだけど、スタッフィング、保険、工事など各段階でライセンスが必要なことを知らなかったり、日本とは違うシステムがある。だから僕はハワイのガイダンスをきちんとして、手を携えてフィニッシュラインまでコンサルをして、成功に向けて踏み出して貰いたいと思うんです」。

ホノルルのオフィスReal Select USA,LLC.には今日も日本からの問い合わせが届く。リゾート物件、移住やビジネス進出までその内容は様々だ。今後最も注目される物件はなんといっても5月に優先販売がスタートするワイキキの通称「リッツ・イーストタワー(ザ・リッツ・カールトン・レジデンス・ワイキキビーチ イーストタワー)」だろう。5月初旬には、「ハワイプレミアム」という高級不動産紹介サイトもオープンする。
「よく言われるけれど、やっぱり不動産も情報が鍵。情報がオープンになった頃にはもう事実上完売していると言ってもいい」。事実、最近彼が開発から手がけた大規模な“超高級コンド”「ワン・アラモアナ」は、206室全室が1日強で売り切れた。だからこそ、フランクのような未公開情報を得られるエージェントとのパイプは大きな意味を持つ。最近ではハワイのレストラン『マウイマイクス』の東京進出のコンサルティング兼オーナーというこれまでとは逆方向の展開も始まっている。不動産、マーケティング、コンサルティングをワンストップで提供するフランクは、今後日本との絆を更に広げる新たなステージを目指している。
「僕自身夢を持ってやってきたからこそ、皆さんにも夢を諦めてほしくない。日本の皆さんがアメリカに進出する時に、僕は信頼できる味方になれると思うんです」

「リアルセレクト」が運営するハワイ不動産情報サイト「ハワイプレミアム」が5月1日オープン!

「ハワイにある数百棟のコンドミニアムの中から日本の皆様に自信を持ってお勧めできる、厳選したプレミアム物件をご紹介するサイトです。日本の皆さんに人気の「プレミアム」及び「ラグジュアリー」グレードのコンドミニアムを中心に掲載しています。まずは、当サイトをご覧いただき、ハワイでのラグジュアリーなコンドミニアム生活をイメージしてみてください(フランク・クラーク)」

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Frank Clark
フランク・クラーク

C.G.インターナショナルCEO


マサチューセッチュ州ボストン生まれ、ロードアイランド州 ブライアント大学卒業。ハワイに住んで25年になる。
英語と日本語のバイリンガル。1994年にゴルフ業界を去り、トータルビジネスコンサルティング会社C.G.Internationalを設立。
2000年にはパシフィックビジネス紙による『ハワイ最速成長企業』で1位、2001年には6位に選ばれる。1997年にPR、広告、マーケティングのC.G.Marketingを設立。2010年には不動産開発会社が日本マーケットに参入するためのサポートの必要性に気づき不動産会社のREAL SELECTを設立。不動産の売買だけでなく、通常の不動産公共事業やコミュニティでは不可能な今後の不動産開発における知識をもたらす。それに付け加え、REAL SELECTはアジア市場への投資や新規開発プロジェクトを推進している。最近のプロジェクトはコオリナのビーチビラ、マウイ島カパルアのリッツ・カールトン、パシフィカホノルル、一番最近ではワン・アラモアナなど。主にクライアントは日本人であり、アジアパシフィックマーケットの幅広いネットワークの戦略的なビジネスパートナーに対してビジネスを提供している。

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