HOME > MASTER > 大空の覇者へ! > Vol.25 覇者へと続く道(前編)怒涛の幕張、新時代の幕開け〜レッドブル・エアレース2015千葉戦

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 Vol.25
怒涛の幕張、新時代の幕開け
〜レッドブル・エアレース2015千葉戦

その道のりは平坦ではなかった。しかし室屋義秀は今まさに「大空の覇者」への歩みを進め、その快進劇を多くの人々と分かち合っている。待望のV3の投入、念願の日本開催を実現した後の室屋の胸の内に去来するものとは––。

超高速! 超低空! 最大時速370km、最大重力10Gという、常人なら一瞬でブラックアウト(失神)する飛行機で駆ける世界最速のモータースポーツ、レッドブル・エアレース。無謀とも思えた挑戦を掲げ、長い雌伏の時を経て、新しいステージへと向かうこの男の変容を見逃すわけにはいかないだろう。これは、空に自由を求めたひとりのFaustが、大空の覇者へと昇りつめるまでを追うドキュメントである。

5月16、17日の2日間でのべ12万人が千葉・幕張海浜公園に詰めかけ、熱戦が繰り広げられた日本初開催のレッドブル・エアレース。その主役が唯一の日本人パイロット、室屋義秀であったのは間違いない。
この記念すべきレースに合わせてニューマシン、エッジ540 V3を導入した室屋は、ラウンド・オブ・14でコースレコードを記録するなど、果敢なフライトで会場を大いに盛り上げた。ラウンド・オブ・8でポール・ボノムに敗れ、最終順位こそ8位に終わったものの、室屋は確かに母国開催のレースで主役を務め上げたのである。

©Jason Halayko/Red Bull Content Pool
©Samo Vidic/Red Bull Content Pool

Race Highlights from Japan - Red Bull Air Race 2015

日本航空スポーツ史に残る初のレッドブル・エアレース開催。日本民間航空発祥の地でもある千葉の海浜に、同エアレース史上最多動員という、のべ12万人の観客が押し寄せた。ラウンド・オブ・14で室屋はソンカと対戦、今大会最速の50秒779を叩き出しラウンド・オブ・8へ。続くボノムとの対戦でも果敢にプッシュしたが、オーバーGによるDNFで敗退。

だが、12万人を熱狂させた彼のフライトは、実のところ、綱渡りとでも言うべきギリギリの準備によって成し遂げられたものだったこともまた事実である。室屋が明かす。
「ゴールデンウィークの段階では、最悪、V3がレースに間に合わないことも想定して、(今季開幕戦まで使っていた)V2も同時並行で整備していました」

日本初開催となるエアレースのおよそ1か月前――。ニューマシンV3は、室屋の活動拠点であるふくしまスカイパークに、当初の予定から10日ほどの遅れをもって届けられた。1か月あまりという限られた時間で新たな機体をレースで使えるように仕上げなければならない室屋にとって、わずか10日とはいえ、それは手痛い遅れだった。運送会社の手違いや通関でのトラブルなどが重なり、それが大きな重しとなって室屋たちを苦しめることになった。

©Samo Vidic/Red Bull Content Pool
もうひとりのレース・アナリスト、アーロン・ドワイヤー(右)も今季よりチームに加わった。©Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool

ひとまずV3の組み立てを完了し、飛ばしてはみるものの、オリジナルで設計したカウリングの寸法に狂いがあり、エンジンのクーリング(冷却)システムがうまく機能しない。「完全にオーバーヒートして、これはちょっと危ないという状態でした」と、室屋は言う。
もちろん、単純に空気を多く取り込めるように改良すれば、エンジン温度を下げることはできる。しかし、空気の取り込み口を大きくすれば、それによって空気抵抗が大きくなり、スピードが落ちてしまう。極力空気抵抗は小さく抑えたままエンジン温度を下げるという、ギリギリの修正が求められた。

室屋は5月3日に山口・岩国で開かれるエアショーに参加するため、一度チームを離れなければならなかったが、その段階でV3がレースで使えるようになるかどうかは疑わしかった。「もしゴールデンウィーク明けの5月6日までに準備が整わなければV2に戻す」。チーム内ではそんな確認が取られていた。「V2で飛んでも誰も気がつかないよな」。ジョークまじりに室屋が口にしたことだが、状況はまんざら冗談とも言っていられないほど切迫していた。
厳しい状況ではあったが、カウリングの設計を担当したエアロン社のエンジニアがブラジルからやってきて、セッティングに立ち会っていたことは幸いだった。後に分かった結論を言えば、設計段階でメーカー側から受け取っていたエンジンの寸法に間違いがあったことがセッティングがうまくいかない主な原因だったのだが、設計担当者がその場にいたことですぐさま修正が施された。

結果的に当初予定していたシステムからは少々方向転換が必要になったが、それでもレース本番に間に合わないという最悪の事態は回避できた。
「もし彼らがいなかったら間に合わなかったでしょうね。現場で即座に判断して、あれを直す、これを直すというように対応できたからギリギリ間に合いました」
室屋はそう語り、胸をなでおろす。

しかし、レース本番へ向けて機体のメドが立ったとはいえ、それですべての問題が解決されたわけではなかった。本番まで残された時間は、1週間足らず。室屋自身が、新機体でテストフライトをする時間があまりに短すぎたのである。機体到着の遅れがなく、「もしプラス1週間でもテストフライトの時間が長ければ、かなり違ったと思う」と室屋は語る。
そんななか、幸か不幸か、レース会場となる千葉が季節外れの台風に見舞われたことは、室屋にとってはせめてもの救いだった。

©Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool
©Balazs Gardi/Red Bull Content Pool

強風が絶え間なく吹きつけ、ハンガーに機体を置いておくことさえままならない千葉では、予定していたトレーニングフライトを行うどころではなかった。ところが、幸いにしてまだ福島にとどまっていた室屋は、テストフライトを続けることができた。
「千葉で他のパイロットが飛べないなか、福島で機体のセットアップとトレーニングを進めることができた。しかも誰もいなくて静かだから集中できる。わずか2、3日ですが、その期間があったから、少しは巻き返せたと思います」
とても順調とは言い難い準備期間を経て、室屋は日本初開催という晴れの舞台を前に、少なからず不安を抱えていたのは間違いない。それでも室屋は「(V3を導入したことでの)期待のほうがずっと大きい。オーバーGとかオーバーヒートは懸念材料として残っていますが、福島でデータを取ってみて、全体としては(V2に比べて)タイムが上がっているのは分かっていますから」と自信をうかがわせた。

レースアナリストのベンジャミン・フリーラブ。©Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool
スタートゲートをいかに制限速度一杯で通過できるか。©Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool 
第5ゲートでのバーティカルターン。©Jörg Mitter/Red Bull Content Pool

実際、16日の予選当日に行われたトレーニングセッションで初めてレーストラックを飛んで見ると、「福島で取ったデータから予想していたよりも速かった」と室屋。これはおもしろい戦いができる――。室屋は徐々に気持ちが高ぶっていくのを感じていた。
予選の順位は9位。開幕戦では自己最高の3位につけていたことを考えれば――それに加えて、新機体が導入されていたことを考えれば――、傍目には拍子抜けの感は否めないが、室屋の実感は違っていた。「フライトの質は悪くない」。その手応えはチームスタッフも同じだった。
室屋が予選1位のボノム、前年総合優勝のナイジェル・ラムとともに、予選後の記者会見に出席している間、レース分析を進めていたベンジャミン・フリーラブは、今か今かと室屋がハンガーに戻ってくるのを待っていた。
「もう答えは分かったよ、ヨシ」
室屋が戻ってくるなり声をかけてきたフリーラブが指摘したポイントは、「スタートスピード」と「第5ゲートのバーティカルターン」の2か所だった。
スタートゲート通過時のスピードは、ルールで時速370kmまでと決められており、これを超えるとペナルティとなる。しかし、だからと言ってスピード超過を怖がって遅くなればタイムに影響してしまう。つまり、スタートゲートはリミットいっぱいのスピードで通過するのが理想なのだが、新機体の特徴をつかみきれていない室屋は、どうしてもスタートスピードを上限に合わせることができていなかったのだ。

そして、ふたつ目のポイントであるバーティカルターンもまた、V2との特徴の違いが影響していた。室屋が語る。

「V2の場合はターンの途中で少しスピードを緩めてから加速してあげたほうがタイムが縮まったんですが、V3の場合は無理やりでもターンしながらそのまま加速したほうが速かった。それはトラックを飛ばなければ分からないことでした」

フライトの質は悪くない、という手応えがありながらタイムの上では9位と低迷した原因を、フリーラブが的確に指摘してくれたことで室屋の不安はまた少し小さくなっていた。
果たして室屋は、ラウンド・オブ・14で50秒779という驚異的なタイムを叩き出す。自ら「いいフライトでした。会心ですね」と振り返ったように、これは予選からファイナル4まですべてのセッションを通じてこのレース最速のタイムだった。
結局、室屋は続くラウンド・オブ・8で王者ボノムを倒すべく、果敢に攻めのフライトに打って出た結果、10Gの制限を超えるオーバーGのペナルティを受け、DNF(Did Not Finish=ゴールせず)に終わった。

もちろん、敗因は様々考えられる。だが、何かひとつ挙げるとするなら、やはり準備時間が足りなかったことに尽きるだろう。室屋の言葉を借りれば、「ラウンド・オブ・14で10Gを超えなかったのは、ラッキーだっただけ」。十分なトレーニングフライトを行えず、新機体の性能を手の内に入れ切れていなかった室屋にとって、「V3を10Gに制限することはまだコントロール下になかった」という。要するに、いつオーバーGのペナルティを受けても不思議はなかったのだ。
「相手がポール・ボノムということで、全開でなければ勝てないという思いが強すぎて、筋肉の反応も微妙に変わってしまったのかもしれません」
そう言うと、室屋は苦笑いを浮かべ、ほんの少しだけ悔しそうな様子を見せた。

これまで日本の航空スポーツを一から作り上げ、引っ張り、支えてきた室屋にとって、日本初開催となるエアレースが特別なイベントだったのは疑いようがない。室屋は「航空スポーツの維新と言っていいくらい。新しい時代の幕開けだと思う。今までの全部のレースを足してもかなわないくらい、日本戦1レースには大きな意味があった」とさえ言う。
ただし、一パイロットとしての見方となると、記念すべきレースも少々異なる色合いを帯びる。象徴的なのが、レース後に室屋が何度もかけられた「残念でしたね」という言葉だ。

「誰にとって残念なのか、何の価値に対して残念なのかということですよね。優勝を期待していた人からすれば残念だったのかもしれないけれど、僕は決して優勝候補と言われるような立場ではなかったし、『そんなに残念じゃないんだけどな』というのが正直なところなんです。レースを見てもらったら分かるように、我々のチームは確実に前へ進んでいますから」
地元開催のレースということで、室屋は他のどのパイロットよりも注目を集めた。そして高まる関心は、いつしか目に見える結果――優勝とか、表彰台に登るとか――を求める過度な期待へと変化していった。

©Samo Vidic/Red Bull Content Pool
©Andreas Langreiter/Red Bull Content Pool
写真左©Jörg Mitter/Red Bull Content Pool、写真中・右©Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool

それでも室屋はあくまで冷静に対応してきた。世の期待に水を差すような発言こそしなかったものの、一方で「優勝宣言」をぶち上げるようなことも決してなかった。今、自分がエアレースパイロットとして、どんな位置にいて、何をしなければならないかを誰よりも理解していたからである。「そんなに残念じゃないんだけどな」。その言葉の真意はここにある。
大観衆が集まり、たくさんの声援を受けたことは強いモチベーションとなった。多くのメディアに取り上げられたことで、エアレースの知名度は飛躍的に高まった。それはそれで事実としてある。
だが、「勝負に挑むアスリート」という観点に立ったとき、本来、地の利があるはずの日本で、自分は本当に勝つための最善の準備をしてきたのかどうか。日本戦を終え、室屋はそんなことを考えている。

©Balazs Gardi/Red Bull Content Pool

振り返ると、レース準備のための物理的な時間が限られているなかで、取材対応に忙殺されてしまうこともあった。日本初開催に際してできる限り取材を受け、イベントにも出席したい。そんな思いがあったからだが、結果として準備に遅れが出たり、肉体的精神的に疲労が蓄積したりという状況も生まれた。
「もう少し取材やイベントに使う時間を減らして、余裕をもって競技に臨んだほうがいいなとは思いました。もっとデータを分析する時間も必要だし、体を休める時間も必要。もし来年も日本でエアレースが行われるなら、もう少し余裕を持ってやったほうがいい。それはある意味反省として残りました」

©Andreas Langreiter/Red Bull Content Pool
©Jason Halayko/ Red Bull Content Pool

地元・日本でエアレースが開催されることの意味の大きさを、良くも悪くもあらためて思い知らされた室屋。ああすればよかったという後悔がなかったわけではないが、とはいえ、順位から推し量る以上の手応えが、次戦以降を考えるうえでの大きな成果となって残ったことも確かである。
思えば、続く第3戦が開かれるクロアチア・ロヴィニは、昨年の第2戦で室屋が初めての表彰台に立ったゲンのいい会場である。
「千葉のレースで新機体が速いことは分かった。今後はそれをいかに安定して運用していくかということになる。でも、レースに間に合うかどうかも分からないバタバタの状態だった千葉のときに比べれば、次はかなり楽ですよね。チームは落ち着いてきているし、いい状態で第3戦を迎えられると思います」
千葉で得た確かな成果を携えて、室屋はレース終了からわずか1週間後、クロアチアに飛んだ。はっきりと感触が残る手応えに間違いがなかったことは、第3戦の、それもトレーニングフライトから早くも証明されることになる。

©Balazs Gardi/Red Bull Content Pool/span>

REDBULL AIRRACE 2015 千葉戦リザルト

 

1位 ポール・ボノム
2位 マット・ホール
3位 マティアス・ドルダラー
4位 ニコラ・イワノフ
5位 ナイジェル・ラム
6位 マイケル・グーリアン

7位 カービー・チャンブリス
8位 室屋義秀
9位 フアン・ベラルデ
10位 マルティン・ソンカ
11位 ハンネス・アルヒ
12位 ピート・マクロード
13位 ピーター・ベゼネイ
14位 フランソワ・ルボット

第2戦千葉戦での総合成績

室屋義秀…累積ポイントはPoint4で総合8位
http://www.redbullairrace.com/ja_JP/results

RANK PILOT POINT
01 ポール・ボノム 24
02 マット・ホール 18
03 ナイジェル・ラム 8
04 マティアス・ドルダラー 7
05 ピート・マクロード 4
06 ニコラ・イワノフ 6
07 ハンネス・アルヒ 5
08 室屋義秀 4
09 マイケル・グーリアン 3
10 ピーター・ベゼネイ 2
11 カービー・チャンブリス 2
12 フアン・ベラルデ 0
13 マルティン・ソンカ 0
14 フランソワ・ルボット 0

 

Profile

Yoshihide Muroya

室屋義秀

1973年1月27日生まれ。エアショー、レッドブル・エアレースパイロット。国内ではエアロバティックス(アクロバット/曲技飛行)のエアショーパイロットとして全国を飛び回る中、全日本曲技飛行競技会の開催をサポートするなど、世界中から得たノウハウを生かして安全推進活動にも精力的に取り組み、スカイスポーツ振興のために地上と大空を結ぶ架け橋となるべく活動を続けている。
2008年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、2009年からレースに参戦。2010年も善戦するも、レッドブル・エアレースは2011年から休止に。2011年、エアロバティックス世界選手権WACに出場。2012年アドバンストクラス世界選手権WAACに日本チームとして出場、2013年再びWACに出場し、自由演技の「4ミニッツ」競技で世界の強豪と争い6位に。2014年復活したレッドブル・エアレースに12人のパイロットの1人として参戦継続。第2戦で自身初の表彰台3位へ。2015年念願の日本開催実現、新機体V3を投入、コンスタントに表彰台を狙う。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤作りにも取り組む。東日本震災復興においてはふくしま会議への協力など尽力する。2009年、ファウストA.G.アワード挑戦者賞を受賞。Photo©Yoshinori Eto / Breitling Japan

 

Data

室屋義秀 公式ページ
http://www.yoshi-muroya.jp

Team Yoshi MUROYA公式ページ
http://yoshi-muroya.jp/race/

レッドブル・エアレース公式ページ
http://www.redbullairrace.com/ja_JP

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大空の覇者へ!

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