徹底的にビビって
自分の良いところも悪いところも極地で知る
かつて「カミカゼウキョウ」とまで言われたその男が、実に良くしゃべることが意外だった。
話し出すと止まらない。
加えて、実は自分の成すべきことを事前に考えておくロジカルなタイプであるという。
「結局、セコいんですよ、自分」と彼は謙遜する。
でも、それを切り離した極限のところに、自分が生きている証を求める性が
心の奥にあることも知っている。
「カミカゼウキョウ」と呼ばれた男
F1で小林可夢偉が活躍するのをみるにつけ、かつての片山右京の活躍が脳裏に浮かぶ。1994年シーズンの開幕戦から立て続けに5位入賞を果たし、ついにドイツGP予選で当時の日本人最高位5番グリッドを獲得。すわ決勝ではついに表彰台か、とあのスタートの瞬間は思わせた。実は「カミカゼウキョウ」のあだ名は、ずっと前のフランスF3に出場していたときに付けられたものらしい。が、それでも確かにあの時の片山はまさに「カミカゼ」に相応しかったと思う。
あれから17年。カミカゼウキョウと呼ばれた男は、自らの会社、KATAYAMA PLANNINGの代表として日本中、世界中を飛び回っている。もちろん、クルマを軸としながら活動をし、仕事の中にはおなじみのテレビでのF1解説や、レーシングチームのスポーティングディレクターといったものもある。しかし核となる仕事は、子どもたちに野外活動などを通じた教育を行う「片山右京チャレンジスクール」だという。
「たとえば自閉症の子供たちや、不登校の子どたちへのスクール、小学生のためのサマーキャンプ、トレッキングや自転車ツーリング。頭でっかちに考えるだけではすぐに忘れちゃうから、知恵や生きる糧、モチベーションみたいなものを身体にしみ込ませるような。夢だとか、モチベーションだとか、生きる目的とか、そういったものにはエネルギーが必要でしょ? で、そういうものを失っている子どもたちに『いや、生きているってまんざらでもないぞ』とか『お金で買えないけど楽しいことはあるぞ』とか『一所懸命とか頑張るってことは恥ずかしくないんだぞ』とか『身体って心が動かしているんだぞ』とか、そういうことを伝えています」
先日、地元の神奈川・相模原に「TeamUKYOサイクルステーション藤野」という施設を片山はオープンさせた。日ごろ自転車の練習コースとして良く訪れる相模原市緑区の旧藤野町。都内からクルマでほんの1時間程度で行けるこの場所に、レンタサイクル、空気入れ、基礎的な工具を用意し、サイクリングの集合場所もしくは休憩場所として使えるサイクリストのための小さなコミュニティスペースを作ったのだ。
「土地も余っているし、町おこしをしたいし。夏はプールが欲しければ自分たちでセメント張ってペンキ塗って、自転車に乗りにくい真冬はログハウス作って、薪を燃やして暖炉の前でみんなで本を読んだりできれば豊かじゃない? とかね。場所自体は月に20万円とかそのくらいしかかからないわけですよ。そこに一口100万円とかで企業スポンサーを20社くらい集めれば、地元の人を雇用する原資はできるわけですよね。そうすれば、今やっている自転車のイベントの基地にもできるしな……といろいろ計算してシステムを考えちゃうわけなんです」
F1の解説者として冷静にレースを俯瞰するような片山とはまた違う語り口調。次々と思いが口をつく。そして、片山の話しぶりは非常にロジカルである。
片山右京は、ある種の“触媒”である
思えば小学生の時からそうだった。子どものころから自転車と山登りが好きだった片山が、あるとき自転車で日本一周を思いつく。父親に小遣いをもらおうとしたら「計画書を出せ」と言われた。予算を計算して必要最低限な金額しかもらえなかったという。
「だから、もう自分は本当にセコい人間なんですよ。どこかで計算して現実的。コンサート行っても『チケットが5000円だから、会場のキャパが5000人で入りはだいたい80%だから2000万円で会場費が……』なんて考えちゃう」
片山右京は、計算の人だったのだ。
「うん。で、F1だけかな、計算が全然当てはまらなかったのは(笑)」
普通に考えればF1引退後の片山のライフプランとして、モータースポーツが軸足という道はあり得たはずだ。自身のレーシングチームを結成して運営したり、チューニングパーツやショップ経営を手広く行っていくという考えは無かったのだろうか。
「もうお金のことはある意味いいかなと。有価証券も固定資産もあって、だからお金もうけのために日々走り回るような仕事のスタイルはせずに、お腹が減ったら食べれるご飯があればいいや、的な感覚で生きていきたいと思ってて。とはいえ、ヨーロッパの貴族のようにお金が有り余ってるわけじゃないから余裕なんてない。だからいわゆるノーブレス・オブリージュのようなものとはもちろん違うわけだけど(笑)」
日本に未曾有の被害をもたらした東関東大震災。片山はこのときも、いち早く支援を行っている。まず緊急支援物資を送り、その後の状況を見て緊急支援から復興支援への切り替えが必要だと思った片山は、東京がスーパーに行っても買い占めと物流のマヒで物資がなかった状況の中、ツイッターやWebで呼びかけ、手分けをして物資を確保した。
「そうしたら急にものすごい量が集まっちゃって会社が大変なことに(笑)。急いで2トン車を2台かりて行きました。UFOキャッチャーの景品とかも届けられてて『これはただの不用品じゃないかなー』と思ったら、子どもたちが大喜びで」
着の身着のまま逃げてきた子どもたちにとって遊び道具すらなく、それがストレスになっていたのだった。今回の大災害は支援の受け入れ先となるべき役所や学校自体が消滅してしまったケースもあり、またあまりに大規模なので刻一刻と必要なものが変わる側面もある。
「今は、また別のものが必要になっているそう。行ったタイミングではベストなことができたんです、たまたまかもしれないけど。寄付してくれた人たちの判断が良かったんですよね。それを自分たちは単に送り届けただけで」
現在の片山の立ち位置は、ある種の触媒みたいなものだろう。人々の経済活動だったり、社会活動だったり、もっと小さなコミュニティや個人個人の生活だったり、KATAYAMA PLANNING㈱という自身の会社のスタッフ間だったりという、ある集団の中における“変化”と“経済“のきっかけとなるような。「チーム右京」というのは、だからレーシングチームでもないし、自転車チームでもないし、単なる登山チームでもない。まったくボーダレスに、関係する人々が幸せになれるような片山の行動全般を指す総称のようなものなのだ。
「しょうがない」と口にすると不思議と力が沸いてくる
片山のもう一つの顔が登山家であり、ロードレーサーであるというアスリートの顔だ。両方とも“著名人がちょっと凝っている”なんていうレベルは遥かに超えている。
ロードバイクに関しては、そのガチンコぶりがつとに知られており、2010年10月のジャパン・カップ(アジアで唯一最上位カテゴリーの公式レースに認定されている日本最大のロードバイクレース)に選手として出場したくらいである。
「だって、プロだもの(笑)。こないだのジャパン・カップでは4970円の賞金をいただきましたよ。4970円とはいえ、現金もらいましたから完全にプロです。自分はオジサンだからレースを引っかき回して、ライバルのペースを乱したり、アタックかけたりアシストしたり。若い選手にドリンクや補給食を届けたりね。機材だって今中大介※さんの会社からサポートも受けているし。だから、今も毎日4~5時間は自転車に乗るようにしていますよ」
※今中大介…1963年広島生まれ。元自転車ロードレース選手。株式会社インターマックス代表。日本人で初めてツール・ド・フランスを走った。
9時から収録の仕事があるなら朝4時から自転車で走る。練習で走る時間がとれなかったら、都心~相模原の移動そのものを自転車にしてしまう。距離があるなら仮眠をとる時間も計算してとにかく走る。レースの実践に向け時速50km、60kmレベルのゴールスプリントに合わせるために30秒の全力疾走を何本も繰り返す。一周で6回のダッシュをプロと一緒に6周する。6つの峠を越えて150kmを一気に走り抜ける。自分を追い込みすぎて失神することもある。
しかし、どうしても仕事と両立できないときもある。周囲に流されてしまう事もある。練習が思うようにできないというのはアスリートにとって何よりもつらい。そんなとき、片山は「しょうがない」とつぶやく。
「今ね、自分で一番ポジティブな言葉だと思っているのが『しょうがない』(笑)。ため息をつきながらね。これを自分の口癖にしているんですよ。練習する時間がない時も『しょうがねーなー』。タバコ嫌いなんですが、周りにすっている人間がいても『しょうがない』。仕事が忙しくても『しょうがない』。でもトレーニングや子どもたちの自立支援の本業はあきらめちゃいけないし、『しょうがない』の裏側には『だからやるときはやります』というような意味があるんですよ」
普通はポジティブに聞こえない「しょうがない」というフレーズだが、そこにはある種の達観と空から自分を見ているような客観性があるのだろう。
KATAYAMA PLANNINGの代表としての生活とアスリートとしての生活の2人分をやりとげるモチベーションはなんなのだろうか。
「たぶん自転車乗っている時は、自転車選手としてのモードに入っているんでしょう。でも、自転車に乗るきっかけになったのは、山登りのための体力トレーニングだったから、やっぱり自分の中心は、山なんですよ」
山に登ると自分に潜む傲慢さが浄化される
実はあまり知られていないが、片山と登山の関係はF1時代にまでさかのぼる。その頃から登山はしており、ダカールラリーなどに出ていた頃もたびたびチャレンジしている。
「F1を引退したあとに、南米のアコンカグア※に登りに行ったんですけど、失敗して。でも、その時になんとなく神様に『登りなさい』って言われている気がしたんですよ。雪崩で非常に危険な状況にもなりえるんですけれど、自分はどこかやっぱりおかしくて、そういうアドレナリンが出るところが嫌いじゃないんですよね。ケンカしてやられている時みたいな……徹底的にびびってびびって、そして帰ってくると、ちょっとだけ強くなれた自分がいるんですよ」
※アコンカグア・・・アンデス山脈にある南米最高峰の山。標高 6962 m。
誰にでもある、自分の中に潜む傲慢さや自己中心の心が、少しだけ浄化されるような気がすると片山は言う。F1というモータースポーツの頂点もまた、命と自分の能力の全てをかけて戦う場だった。
「南極でひとりぼっちでテントに1週間閉じこもって、本当に命が脅かされるような現実が目の前にあって。でも、その時にしか見えないもの、考えられること、自分の姿というのがあって。その瞬間に生を感じているんでしょうね。前にヒマラヤのガイドに聞いたことがあるんですよ。『俺たちが危機的な状況に陥ったら責任とか感じないの? 訴えられたりしたらどうするの?』って。そうしたら『何言っているんだ? オウン・リスクだろう』って。ああ、そうか、と。レースやっているときも確かにそうだったなぁと」
どうしても人は、自分の状況を何かのせいにしたがるものだ。生まれ、経済状況、学校、職場。しかし、今自分が立っている場所は、結局自分の意思で立っているのだ。そして、片山にとって自分が立つべき場所は極地であった。
たとえ50回失敗しようとも
勝つまで戦うことが必要
「生きていることを感じる」極地への思いを抱いていた片山が、昨年“絶望のただ中”にいるときに外に引っ張り出したのは、自転車仲間である今中大介だった。日本最初のツール・ド・フランス出場を果たした、今の日本のロードバイクシーンを牽引する人物である。
そして片山は一つの結論に至る。登山の再チャレンジだ。冒険家、登山家は冒険から何かを得、また、失う事もある。片山は、だが、生きている証を感じることと、再びチャレンジすることが自分にとって必要であるという結論も、冒険から得たのだ。何があっても挑戦を続けなければならない、というのは登山家の矜持であろう。それは、自分へのけじめのようなものかもしれなし、復讐、でもあったかもしれない。
「子供のころってみんないじめられたりするじゃないですか。ケンカでボコボコにされた後でも何も仕返ししなかったことはなかったんですよ。ネクラだから(笑)どんな待ち伏せしようと、勝てる状況を作って『あいつはとにかく怒らせないようにしよう』って所まで徹底して戦うんですよ。たとえ1度失敗しても2度失敗しても50回失敗してもね」
かくして2010年12月27日(日本時間)、片山右京は南極大陸最高峰のビンソンマシフ(4892m)の登頂に成功する。これで片山は七大陸最高峰のうちの5つの登頂に成功したことになり、次はいよいよ最高峰エベレストだ。それも単独無酸素登頂でである。
今、片山右京は「ライフワーク」の自立支援と、この未曾有の震災の支援活動を続けながら日々を過ごしている。「しょうがない」とひとりごちて、自転車を漕ぎながら。そして、エベレスト単独無酸素登頂を成し遂げ、仲間に報告できる日を夢見ている。
きっと片山は、この地球上で最も高いあの山の頂から、天を見上げる時がくるだろう。負けたケンカはどうやっても必ず返してきたのだから。
片山右京
KATAYAMA PLANNING株式会社代表取締役/元F1ドライバー/冒険家
1963年生まれ。片山企画代表取締役。元レーシングドライバー。1992年ヴェンチュリー・ラルースチームより、FIAフォーミュラ1世界選手権デビュー。1994年ティレルにてブラジルGP、サンマリノGPで5位入賞、ドイツGP・ハンガリーGP予選にて日本人最高位の5番グリッドを獲得。2001年TeamUKYO設立、同年12月、ダカールラリー初出場。登山家としては1996年ヨーロッパ最高峰モンブラン(4810m)に登頂成功。1998年キリマンジャロ及びエルブルース、2008年マッキンリー、2009年アコンカグア、2010年南極大陸最高峰ビンソンマシフ登頂成功。世界七大陸最高峰のうち5峰に登頂。今後はエベレスト無酸素登頂を目指し準備中。相模原市名誉観光親善大使、自転車生活快適化計画(通称グッチャリ)プロジェクトリーダーなども務め多方面に活躍。
Text:Toru Mori
Photos:Kiyoshi Tsuzuki(Interview)
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