料理に理想はない 詩を編むのと同じことだ
新たな美食への挑戦心あふれた、前衛的な料理を生み出すピエール・ガニェー ル氏。パリの本店は10年間三ツ星を保持し、ロンドン、東京、香港、昨年はドゥバイとソウルに出店。常にトップを走り続ける、料理界のFaustだ。過去 にはミシュラン三ツ星店を閉店した経歴や、近年では料理に科学を取り入れた分子ガストロノミーを実践するなど、料理へ挑戦心は枯れることがない。その源と は? そして、氏にとっての「冒険」とは?
白と言おうかブラウンと言おうか。輝く髪を、古来日本では賢者や山伏がそうであった総髪のように無造作に後ろへ流し、頬には髭を蓄えた顔。真っ白なコックコートをまとったがっしりした長身。一種、古代の魔術師のようでもある風貌は、彼が鬼才の持主であることを証明しているようだ。
青山に構える自身の名を冠したレストランに、年4度、季節のメニューを新たにするために来日するピエール・ガニェール氏。滞在期間中は、自身がこの東京店の厨房に立って料理を提供する、スペシャルウイークを開催する。その最終日の休憩時間に、東京店の個室に現われた氏は今年で59歳になるのだが、連日のハードスケジュールと厨房の指揮を執っていた疲れを、みじんも感じさせなかった。
あなたのフランス料理は、パリの三ツ星店の中でも前衛的で、挑戦性が溢れていることで知られていますね。その先にある“理想の料理”とはどのようなものですか?
「私の料理に理想は存在しません。『理想』とは危険な言葉です。理想の形やゴールがないからこそ、私にとっては“日常”が非常に大切。人生は常に戦いです。より良い料理のため、よりよい結果を勝ち得るため、取り引き相手であったり、スタッフであったり、契約や信用において、常に誰かと競り合い、交渉をしていかねばなりません。そのすべてが戦いなのです。親友のエルヴェ・ティス※は逆に、“人生は幸せだ”と言っていますがね。もちろん、周りがすべて敵だという意味ではありませんよ(笑)。それには、お客さま、スタッフ、取り引き相手・・・人生のランデブー(遭遇=出会い)において、誠実であることを大切にしなくてはなりません」
※エルヴェ・ティス…フランス国立農学研究所の物理化学者。分子ガストロノミーの研究者として知られる。フランス農事功労勲章ほか受賞多数。詳しくは本文にてのちに記述。
“これが理想”と決めてしまうと、それは創造活動の死を意味するということでしょうか。だからこそあなたは、料理への挑戦をやめることはないのですね。
それでは、あなたにとって料理とはどのような存在でしょう。
「理想形はないとはいえ、料理とは、人に夢と驚きを与えるものでなくてはなりません。それは、“正しい味”であり、絶えず新たな料理を出し続けることで、なしえること。料理とは、私にとって毎日、“詩”を編んでいるようなものですね。その日によって、その日に誰と会うかによって、私の心を映して変化してゆく」
詩を編むように料理をクリエイトする。時に厨房のピカソとも呼ばれるガニェール氏らしい言葉です。そう捉えることのできるセンスも、あの前衛的な料理を生みだすのに必要なのですね。
「しかし、中には評判のよくない料理も当然でてきます。5〜8人の人間から好ましくない評判を聞けば、料理に何か原因があると考えるべきでしょう。当然、好みは人によって異なりますし、食べる時の精神状態、時間、環境によっても変化します。“人に夢と驚きを与える料理”と、言葉にするのは容易ですが、実現させるのは非常に難しい。ですから理想形は、やはりありえない」
ガニェール氏の枯れることのない挑戦心。それは氏にとって至極当然の事であるゆえに、「挑戦していることは何か」と尋ねても、素直に答えが返ってくるものではないようです。料理について質問を重ねていくと、その答えが自然と“挑戦”の内容になる。氏の料理はよく前衛的、芸術的と称されますが、決してそうした料理を作ることが目的ではなく、「夢と驚き」を追求する日々連綿と続く創作活動が、結果としてそのようなカタチとして現れるということなのでしょう。
シェフとしてではなく、
個人として「砂漠」「南極」へ
そろそろ、よりFaustA.G.らしい話題をお聞きしましょう。
仕事以外で挑戦したい「冒険」や、一度は訪れてみたい場所はありますか?
「砂漠です! 実は砂漠に行くのが大好きなんですよ。と言ってもここ2〜3年は忙しくて行っていないのですが……、中央アフリカ・マリや、北アフリカ・アルジェリアのサハラ砂漠など5、6か所の砂漠を訪れてきました。そこにあるのは沈黙、無。何もない世界、水、食料…、人は頼り、頼られなくては生きていけないことを再認識する。一緒に行くのは、仕事とはまったく関係のない人たち。砂漠に行く、5、6人のグループがあるんですよ。そして、料理のことは全く考えない。何をするかと言うと、とにかく歩くんです。まだ暗い朝5時ごろに起きて、気温が上がってくる7、8時から12時ごろまで歩く。お昼から15時ごろまで休んで、また暗くなるまで歩く。そうして4〜10日間は砂漠で過ごすんですよ。頭の中が空っぽになって——最高ですね!」
沈黙、無の中に自分を置いて、精神をリセットするのですね。自分をピエール・ガニェールという個人として、人間として、一個の生命体として再認識するというか。精神浄化。そうして新しい料理を思いつくことはあるのですか?
「いいえ! 先ほども言いましたが、仕事はまったく関係ない。砂漠で料理はひらめきませんよ(笑)! 僕の場合はプレッシャーのある日常の中で閃くんです」
きっと、砂漠で得た感動は、日常での創作活動をフラットで新鮮な状態からリスタートすることを、可能にするんでしょう。今度、ファウストA.G.で砂漠へ行くクエストを企画しますので、その時はぜひお誘いさせていただきますね。
料理の閃きで言うと、近年、料理界で話題の「分子ガストロノミー」※はその助けになっているのですか? 料理を科学の観点からとらえた革新的な美食学ですよね。物理化学者のエルヴェ・ティス氏と共著でその書籍を出版※するなど、研究に大きく関わっているように思えます。
「やはり、そう思われるのかな(笑)。最近は取材で、分子ガストロノミーについて聞かれることが多いのですが、その時はいつも“自分は詐欺師なのかな”と思ってしまいます。というのは、エルヴェ・ティスとは確かに親友ですし、共著も出しましたが、少し特殊なんですよ。分子ガストロノミーが私のすべてではなく、いろいろとヒントやアイデアを学び得ることはあるけれど、あくまでもきっかけの一つ。これも新しいものを生み出す“戦い”の一つなのです」
科学的な分析はエルヴェ・ティス氏がおこない、それをガニェール氏が料理に具現化するというスタイルで協力してきた分子ガストロノミー。最先端の料理の一理論と考えられていますが、それもあくまで手段、きっかけ、引き出しの一つにすぎないようです。日々の戦いの中から、自ら詩の様に編み出すのみ、ということでしょう。
「そうそう、次に行ってみたいところは北極、南極かな。ファウストA.G.で南極に行くときはぜひ、誘ってくださいね」
ピエール・ガニェール
フランス料理店オーナーシェフ
パリ8区バルザックに本店を構えるレストラン「ピエール・ガニェール」のオーナーシェフ。1950年フランス・ロワール生まれ。77年、父が経営するレス トラン「ル・クロ・フルリー」を継ぎ、ミシュラン一ツ星獲得。81年サン=テティエンヌでレストラン「ピエール・ガニェール」をオープン、92年三ツ星獲 得するが、96年同店を閉店。同年パリ8区にて本店「ピエール・ガニェール」再オープン、98年三ツ星に返り咲く。現在、本店のほか、ロンドン、東京、香 港、ドゥバイ、ソウルなど7店を手掛ける。
Text:Faust A.G
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