日台親交を泳いで紡ぐ110キロの挑戦
2011年の日本を語る上で、挙げられねばならない出来事が「東日本大震災」。「日本を変えた」といわれるこの出来事は、経済、文化、教育、エネルギーなど文字通りあらゆる面において私たちの考え方を一変させたが、その中でも特筆すべきものの一つが、社会貢献、慈善事業に対する考え方ではないだろうか。今回紹介するのは、数え切れないほどの善意から行われた、東日本大震災における社会貢献活動の中でも、一風変わった、大きく報道されることこそないが、しかし心揺さぶる、ファウストな貢献――沖縄から大海を泳いで渡り、台湾へと義援金のお礼を伝えた熱きスイマーたちの物語である。
From Faust A.G. Channel on [YouTube]
「やばいなぁ」
鈴木一也は、中止すら考えなければならない海の状況を見つめていた。沖縄・与那国島の海は、台風15号が北東に停滞した影響で、大きく揺れ始めていたのだ。だが、ここまで国を跨ぎ、多くの人に支えてもらってやって来た。スタ-トせず、全てをここで終わりにするわけには行かなかった――。
何かを残すことが、今の自分のテ-マ
東北大震災直後、日本中が混乱している中、台湾は日本に200億円を超す義援金を送り、世界でもいち早く救援隊を被災地に送り出した。なぜ、台湾は、日本にこれだけの支援をしてくれたのだろうか。今回の挑戦は、そこが立脚点になっている。
「日本と台湾の歴史を紐解いていくと、いろんなことがわかってきた。さまざまな歴史を乗り越え、先人たちが日本と台湾の文化、経済的交流を深め、友愛の礎を築いていった。それがあったからこそ台湾の人々は、日本に救助の手を差し伸べてくれたと思うんです。それを知って、若い自分らも何かできないかって考えたのが、与那国島から台湾まで泳いで、お礼のメッセ-ジを渡すという挑戦だったんです」
やや唐突とも思える「日台泳断」だが、鈴木は以前からその下地となる活動をしていた。鈴木は、パナソニック(株)に勤務するサラリ-マンだが、大学時代は競泳選手、卒業後はライフセ-バ-の第一人者として活動してきた。大きな手、分厚い胸板、山のように盛り上がった背筋は、まさに水に生きる男の証明だ。2009年には、伊豆大島-茅ケ崎の68キロを22時間かけて泳断した。当時、小児ヘルニアを患い、闘病していた我が子に向けて、諦めないことの大切さ、挑戦することの尊さを伝えようと、過酷な遠泳に挑んだのだ。
「30歳を越えて、子どもに何か残せる活動をしたかったんです。それが大島茅ケ崎間の泳断だった。そういうバックボ-ンがあって、今回の東日本大震災が起きた時に、台湾の復興義援金のニュースがあり、それで台湾へ泳いでいきたいと思ったんです」
自らを「猪突猛進型」という鈴木が、すぐにWEB検索して見付けたのが、「日台スポ-ツ・文化推進協会」だった。その時、会いにきた鈴木に対応し、その後この挑戦の実行委員長になる松本彧彦氏は、海部元首相の元秘書という経歴を持ち、台湾から外交勲章を授与された日台関係に力を持つ人物だった。さらに与那国島に飛び、台湾への航路を渡ったことがあり、東シナ海を流れる黒潮を熟知する海の男・真謝喜八郎氏に協力を仰いだ。真謝氏から伴走船を確保し、日本のバックアップ体制も固まった。6月には「日台黒潮泳断チャレンジ」実行委員会が発足し、9月17日の開催に向けて、本格的に走り出したのである。
失敗できないプレッシャ-
だが、さっそく難問が持ち上がった。
「船とお金ですね」
伴走船は、すでに与那国島で見つかったはずだが、なぜもう1艇必要なのか。
「1艇だけだと、その船がトラブルを起こすとすべてがストップしてしまう。そのためどうしても2艇の確保が必須だったんです。石垣島や本島だけじゃなく、台湾まで探したんですけど、救命ボ-トとか領海を越えられる条件を持つ船がなかなか見つからなくて……。お金もプロジェクト全体で1千万円ぐらい必要だったんですが、今は1社が100万、200万円を出してくれる時代じゃない。それよりも多くの人の支えでメッセ-ジを届けることに価値があると思って、1口3000円として個人スポンサーをウエブサイトで募集したんです。最初、出足は鈍かったですね。でも、海部元首相や王(貞治)さんなど、多くの人たちの応援によって活動が認知されてから動きが出た。そうして、お金と船にメドがついたのが、開催日の迫る、8月末でした」
そして、松本実行委員長を中心に台湾外交部、蘇澳市長らと交渉し、台湾側の受け入れ体制もほぼ整った。すると、いつもの挑戦とは違う気持ちが自分を支配し始めた。
「被災した岩手、宮城、福島の3県の知事から、馬英九総統へのメッセ-ジを直接もらった時、これは絶対に失敗できないって思いましたね。通常のスポ-ツの挑戦であればチャレンジの成功失敗に関係なく、そこに感動があればいいかもしれない。でも、今回の活動は、挑戦はプロセスであって、最大の目的は“ありがとう”という被災地のメッセ-ジを届けること。その役目を全うしなければやる意味はないんだと改めて気がついたんです。国と国が手を結び、今回の挑戦に携わってくれた人のことを思うと、けっこうなプレッシャ-でしたね」
そして、一緒に台湾まで黒潮を越えてくれる泳者を募った。当初は、一人で泳ぎ切ることも考えたが、失敗が許されないので、成功の可能性を上げるため、あえてリレ-方式を選択した。条件は、海で20kmを5時間半で泳げること。20名ほどが手を挙げたが、合格者は被災地である相馬市出身の中央大学の水泳部の学生含む、自衛隊や消防士、ライフセ-バ-ら計6名だった。
台風から逃げるように泳いだ東シナ海110km
9月17日、6人の挑戦がスタ-トを迎えた。
しかし、日本に台風15号が迫りつつあり、海が荒れたら失敗は決定的となる。黒潮で北へ流されることを考慮し、与那国島から最初は南下して、それから黒潮を横切って台湾へ泳ぐ当初のプランだと150kmあり、間に合わないかもしれない。
しかし待てよ、台風の影響で水面の流れは逆に弱まっているかも……。鈴木たちは自らの勘を信じ、賭けに出た。急きょ、台湾までの直線距離110kmを泳ぐプランに変更したのだ。40キロの距離は12時間の短縮になる。スタート時間も4時間前倒しし、午前7時とした。
台湾側が用意してくれているゴールセレモニーに合わせ、19日の朝10時には現地に到着しなければならないので、この距離短縮はプラスになった。ただ、もうひとつ大きな問題があった。
「サメが恐いのでシャ-クシ-ルドという5mぐらいの電気バリアを作って、その後を泳ぎました。あと、ダツですね。口ばしが尖っていて、よくダイバ-が刺されるので、夜中は頭に着けた自転車のフラッシュライトと、伴走するカヌ-の灯のみで泳ぎました。幸い、海亀やクジラは見えたけど、サメにもダツにも遭遇しなかった。ただ、相馬出身の山田君は、かつおのえぼし(猛毒クラゲ)に刺されて、かなり痛い目に合いましたけど」
6人は、1人につき30分交代で泳いだ。次の番まで2時間半は休める計算だ。鈴木を始めスイマーたちは、泳いでいる間は、余計なことを考えず、ひたすら速く泳いで距離を稼ぐことに集中したという。台風の影響で、いつストップがかけられる分からない。タイミリミットまで、51時間しかないのだ。
「かなり飛ばしましたね。僕は、最初の24時間が勝負だと思っていたんで。その時点で、もし半分程度しか行けないなら、台風の影響も考えて、続行するか判断しないといけませんでした。でも、応援してくれる人たちのために途中で止めたくない。この想いを絶対に届けたい。必死になって泳ぎました」
純粋な人間の力にこだわり、浮力を得られるオーシャンスイムのウエットス-ツは着用せず、あえて水着だけで泳いだ。クラゲに刺されたり、シャ-クフィ-ルドに触れてビリビリ来たが我慢した。海水温度が高いので、30分泳いで船に上がると脱水症状のようになり、水を毎回1リットルも飲んだ。6名は1mでも台湾に近付くべく、海面を必死で漕いだのだ。
だが、18日の午前4時、闇の中、ついに大きく時化た海は、生命の危険を感じるほど狂暴になっていた。
「海が時化て、本当にヤバイなって思った。並走するカヌ-が引っ繰り返って、人が投げ出されたら探そうにも見えないし、これは危険だということで一旦船に上がりました。〈強風〉〈高い波〉〈暗闇〉、この3つが揃うのはまずかった。みんなで太陽が出るのを待ちました。」
100名のスイマ-とのフィナ-レ
「スタートから24時間で、予想より早く2/3を泳ぎ終えて、36時間後には台湾の沖に到着することができたんです。それで、後は翌朝のセレモニ-に合わせて6人で泳ぐだけとわかり、嬉しかったですね。船上では、事故もなく、ここまで来れた安堵感とあの短期間でやれたという達成感でいっぱいでした。すごい自信にもなったし、来年は台湾の人と一緒にできる活動で文化交流をしていきたい、そんなことも考えていましたね」
翌朝、蘇澳の湾には100名を越える台湾人スイマ-たちが出迎えてくれて、一緒に岸まで泳いだ。陸上には大勢の人の喜ぶ姿が見えた。嬉しくて、嬉しくて、鼻の奥がツ-ンとした。
宮城、岩手、福島の各県知事のメッセ-ジは、台北で揚進添外交部長に手渡された。鈴木ら日焼けした6人の表情は、達成感に満ち、ひたすら笑顔だった。
泳いで、メッセ-ジは、伝わったか?
それは、日台の新しい歴史の中で証明されるはずだ―――。
鈴木一也
オーシャンアスリート/会社員
1979年12月1日、群馬県生まれ。パナソニック(株)勤務。幼少の頃から大学卒業まで、競泳を続け、国体など各大会でトップレベルの成績を残す。2005年からはライフセ-ビングの活動をサザンビ-チで始め、2006年にはアウトリガ-カヌ-の活動を始める。現在、3年連続で伊豆大島-茅ケ崎間、68キロの泳断にチャレンジ(成功は2009年のみ)し、10年連続を目指す。2011年9月、沖縄・与那国島から台湾・蘇澳まで黒潮の流れる東シナ海110kmをスイマー6人で泳ぎ、被災地から復興義援金のお礼メッセージを伝える「日台黒潮泳断チャレンジ2011」に成功。神奈川県茅ケ崎在住。
Text:Shun Sato
Photos:Masashi Urushihara
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