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Tsuyoshi Kaburaki

鏑木毅

プロ・トレイルランナー

Profile

楽しむために、必要なこと。

目の前にあった夢の箱根駅伝出場のチャンスを逃したとき、目標を見失ったように思えた。
こんな人生も悪くないと思ってなった公務員に目標が持てないことを悟った。
少年時代、自分の遊び場は山だったことを思い出して、走ったトレイルランニングの大会。
思いがけず優勝してしまったときから、トレイルランナーとしての人生がスタートした。
鏑木毅、42歳。日本最速の公務員は15年間の宮仕えをやめて、昨年プロのトレイルランナーになった。
人生遅すぎることなんてない。

「走りながら足の中で血がシャカシャカと音を立てるんですよねぇ」
身の毛もよだつようなことをサラリと、のんびりと話す人である。鏑木毅、職業・トレイルランナー。2007年、初めてウルトラトレイル・ド・モンブランに出場したときのことを鏑木はこう表現した。ウルトラトレイル・ド・モンブランとはフランスのシャモニーをスタートして、イタリア、スイスの三国にまたがるモンブラン山系100マイルを一周する、世界最高峰のトレイルランニングの大会である。





ほうほうのていでゴールした瞬間から一歩も歩けなくなった。動きたくても身体がいうことを全くきいてくれない。目の前にある自分の身体が意識から切り離されているかのように感じた。モンブランから空港、飛行機、そして成田に着いて家のドアを開けるまで、ずっと車いすに乗っていた。まともに動けるようになったのは一カ月も経ってからだった。

トレイルランニングには
クリエイティブな楽しさがある。

 トレイルランニングというスポーツを聞いたことのある人は多くはないだろう。ましてや実際にやっているという人はもっと少ないはずだ。トレイルとは、日本語で山道。砂利に土に落ち葉に木の根……舗装されていない里山や登山道などを走っていくスポーツである。鏑木によると「登山とランニングのいいとこどり」だという。
「ランニングが“走る”こと自体が目的のdoingなスポーツなのに対して、トレイルランニングはdoing+being、つまり“そこにいる”ことが楽しいんです。非日常の自然の中にいて、そしてそこでランニングもできる、というある意味贅沢なスポーツなんです」
「ランニングが“走る”こと自体が目的のdoingなスポーツなのに対して、トレイルランニングはdoing+being、つまり“そこにいる”ことが楽しいんです。非日常の自然の中にいて、そしてそこでランニングもできる、というある意味贅沢なスポーツなんです」  山道を思い浮かべて欲しい。左側は谷側の斜面、右側は山側で木の枝が生い茂り、木漏れ日が差している。その山道の真ん中は堅く踏みしめられた土が露出しており、幅が大人二人がすれ違えるくらいだから50cm程度。そこに二の腕ほどの木の根が斜めに横切っており、踏みしめられた土の両側は落ち葉で柔らかい。皆さんはどこを走る(歩く)だろうか。踏みしめられた真ん中? それは果たして楽しいだろうか? 踏みしめられた中央を走る必要はない、というのがトレイルランニングのキモだ。10人いれば10人の走るラインがある。目の前の木の根を飛び越えるもよし、踏みしめるも良し、それとも避けていくのもよし。最短距離を行かずに八艘飛びよろしく、あえてジグザグに行ってもよい。次の一歩をどう出すかという、クリエイティブな要素が、トレイルランニングの魅力である。そして“ランニング”と名はついているが、山道をずっと走り続けている必要もない。「レースだって歩いていますよ。それにスポーツとして行うなら、そんな辛いことしたくないじゃないですか」

 スポーツの定義を、“自分のイメージ通りに身体を動かしたときに、高度な知的および身体的快楽を得られる行為”とするならば、トレイルランニングはまさにその“思った通り”を、走っているあいだ中ずっと得られるスポーツだ。
「ロードランニングの場合は決められたフォームをイメージして、それをカチッと何時間保たせるかという楽しさではないかと思っています。一方、トレイルランニングは自然の中を走ることそのもの、そしてその自然の中では、一歩一歩が違う条件なので飽きないということです。もちろんトレイルランニングでも走り込んでいくとそういったストイックな楽しみはありますけれども」
 スキーやスノーボード、マウンテンバイクなどで、自分のイメージ通りにくだれたときのなんともいえない快感。トレイルランニングのくだりは、それらのスポーツと同様の快楽を秘めている。
「だから自分もくだりの方が好きなんですよね。リズムを取るように、ダイナミックに飛んだり跳ねたり。もちろん歩いたっていいんですよ。というか、走らなきゃならないというルールはないわけですから。レースではそうも言ってられないんですけど」
トレイルランニングを語るとき、鏑木の身振り手振りはより大きくなる。まるで自分がトレイルにいるかのように。

鏑木は大学の陸上部で箱根駅伝を目ざす「なかなかの」選手だった。夢は日本の長距離走の晴れ舞台、箱根駅伝。ところが、長年の陸上での疲労の蓄積が、階段も上れないくらいの腰痛を引き起こす。夏は調子が良くとも、秋になり気温が下がると、途端に痛みがぶり返す。真冬の箱根駅伝でベストの体調に持っていくことは無理な注文だった。
「四年生のときに、よりによって大学が総合優勝しちゃったんですよ。そのときは正直テレビを見られませんでした。仲間が頑張ったという嬉しさの反面、なぜ自分が画面の中にいないんだろうと」
その後、鏑木は走ることをあきらめていた。

新しい挑戦に「遅い」はない。

 トレイルランニングに鏑木が出会ったのは、28歳の時だった。安定しているからと公務員になったが、なにか生きることへの目標のようなものを見失っていると感じていた頃だ。地元群馬で山岳レース(当時はトレイルランニングなどという言葉はなかった)が開催されると知り、思いつきでエントリー。初めて出場したその大会で、鏑木は思いがけず優勝してしまう。人生では何がプラスになるか分からない。この草レースの優勝は、なんと全く走らなかった数年間が腰痛を治したためだった。何よりも地面が軟らかく、上り下りがあり、様々な地形、角度、ストライドの幅があるトレイルランニングの特性がものをいった。これなら、身体の様々な筋肉を使い負担がまんべんなく分散される。
「また、走れる」。
トレイルランニングとの出会いで、鏑木は再び生きるべき場を見つけた。そしてその時、鏑木は自分の子供時代を思い出した。山が遊び場だったのだ。実家が山を持っていて管理の作業などに連れていかれることがしょっちゅうだった。
「まぁ、わんぱくな子供だったようで(笑)山道のくだり斜面を友達とわーきゃーいいながら走っていたんですよ。スリルがあるじゃないですか、山道の下り坂って。両親には『山は走るもんじゃない』と叱られましたが、面白いものは仕方がない。思えば、そんなことが今の自分に通じるんだなぁ。昔から同じなんだなぁ、と」
なるべくしてトレイルランナーになった鏑木は、公務員とトレイルランナーの二重生活を始めた。

 こうして、国内外のレースに参加し続けた鏑木は一昨年、ついに15年間の公務員生活に別れを告げ、プロのトレイルランナーとしての活動をスタートした。
トレイルラインはまだ日本でもすそ野が広がり始めたばかりのスポーツで、スポンサードによる契約金やレースの賞金などで生活できるような状況にはなっていない。現在鏑木は、アウトドアブランドのウエア開発を行ったり、講演やトレイルランニングのスクールで全国を回る日々を送っている。競技人口が少ないので師匠も参考書もない。知識・テクニックの蓄積と継承がないためにトレーニング方法さえも確立されておらず「自分の身体を実験台にして日々記録しながら」トレーニングをする。一日10時間ぶっ通しで山を走ったり、富士山の火口を何周も回って高地トレーニングをしたり。42歳という年齢で、保障も何もないプロ生活を、それでも鏑木が送っているのは、ひとえに先駆者としての使命感からであろう。
 プロトレイルランナーとしての鏑木の目標は、このスポーツを文化として日本に定着させることだという。トレイルランニングの生まれた欧州では、サイクリングをしたりランニングをしたりという選択肢と同レベルで、トレイルランニングニングが週末のライフスタイルスポーツとして認知されている。一方、日本では登山文化はあるが、その文化からいうと、山は走るものではないという認識があり、結果、自然環境にインパクトを与えてしまうのではという誤解が生まれているという。鏑木の理想は山登りもトレイルランニングもハイキングも同じ自然の中で共存できる、山の文化を確立することである。





「今まで山とかアウトドアに関心のなかった若い方が山に行ってくれれば嬉しいですね。その人たちがたとえトレイルランニングニングというスタイルでなくてもその後、自然に親しんでくれれば。友達や家族で来週はトレッキングに行こうか……とか、それまで知らないフィールドを知ることによって新しいライフスタイルや考え方に一歩踏み出せると思うんです。今のアウトドアブームは良い流れを作るチャンスだと思っています」
もう一つ、アスリートとしての鏑木の目標は、世界のトレイルランニングのメジャーレースで優勝することだ。2007年にあの地獄のような苦しみを味わったウルトラトレイル・デュ・モンブランで、ポディウムの一番高いところに立つ。2008年は4位、2009年は3位と、表彰台は経験した。
「3位にはなりましたけれど、これからが大変でして……。2300人出場して完走は5割。完走自体が紙一重で、途中まで3位くらいにつけていても突然意識を失って走れなかったり」
 モンブランの山岳地を一人で黙々と走る。一歩一歩地面を踏みしめていくうちに足の筋繊維が断裂を起こしていく。それ自体は少しハードに走ったりすれば、誰もがミクロのレベルでは起こることだが、山道を連続20時間というレベルになってくると、もちろん回復する時間などない。足を出す、地面に着く、内出血を起こす。一歩踏むごとにガーンと頭に痛さが突き上げてくるという。初出場した2007年にそこまで地獄を見せつけられたレースに毎年参戦している。

苦しさを越えたところには、
きっと楽しさがある。

 鏑木を駆り立てるものは何か。世のプロアスリートすべてが一位を目指すのは、その存在理由として当たり前だが、それだけでは説明がつかないだろう。その苦しみを味わいに行っているのだろうか。
「苦しい状況を乗り越えられれば、自分が生まれ変われるような気が直観的にしたんです」
その時、これ以上ないと思える苦しみやつらさは、あとになって自分の血となり肉となるのがわかるものだ。リミッターの上限が一つ上に行き、自分のキャパシティが明らかに広がっていく。それは神が与えてくれた人間の身体と脳が持つ、可能性を引き出すメカニズムなのかもしれない。
「苦しさも楽しさのうち、みたいな。そういう解釈が出来たときが本物ですよね。経験を積んで行く中で、次第にそれが分かってくるものなのかな、と。その場の苦しさはそういうものだと理解して、普段味わえないような事を経験してやろうじゃないかという前向きな気持ちになると状況が苦しくなくなるんですよ」
一流のアスリートには、常人にとってプレッシャーに押しつぶされそうだったり肉体的に辛そうな状態を、「楽しみたい」「楽しめた」というメンタリティがある。われわれ一般人は「苦しい」と「楽しい」は対極にあって、両立できないものと考えてしまいがちだ。だがアスリートにとって「楽しみたい」という発言は、いわば苦しさの階層が違う境地に至る、ということなのかもしれない。それを乗り越えるために、自らを高めるために、必要なのはトレイルを一歩走り出す勇気なのだろう。

「まぁ、しょせん、ちょっとエネルギーが切れて動けないとか、足が痛いとか、その程度ですから。苦しいからって、足が取れてしまう訳ではないし」
と、またしても肩の力が抜けた話し方で鏑木は言う。
「でね、ウルトラトレイル・デュ・モンブランの“足シャカシャカ”は特殊な例であって、トレイルランニングって楽しいものなんですよ。これを強調したいですねぇ」
そんな鏑木の座右の銘は「楽しむ勇気」である。

 

 

 

Data

オフィシャルサイト
http://www.trailrunningworld.jp/

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Tsuyoshi Kaburaki
鏑木毅

プロ・トレイルランナー


かぶらき・つよし。1968年生まれ。プロフェッショナルトレイルランナー。群馬県桐生市、赤城山の麓に生まれ野山を駆け巡って育つ。中学、高校と陸上部で鳴らし、大学時代は箱根駅伝を目ざすものの座骨神経痛の悪化で断念。28歳の時にトレイルランニングに出会い、公務員の仕事の傍らアスリートとして活動。一昨年よりプロに専念。トレイルランニングの第一人者として普及に努めている。2002年、2003年、2005年内閣総理大臣杯(富士登山競争)、2005年日本山岳耐久レース優勝。2007年THE NORTH FACE ULTRA-TRAIL DU MONT-BLANC12位、2008年同大会4位、2009年同大会3位。

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