ヨットで世界を3周、太平洋を8回横断して
最初の航海はいまから48年前、1962年のことだった。23歳の青年は94日間で、世界初の太平洋無寄港単独横断を成功させる。
人類未踏の領域を突き進む日本人海洋冒険家は、ここから「世界初」という三文字を誰よりも身近なものとしていく。ソーラーパワー(太陽電池)のボートで、足漕ぎボートで、アルミ缶リサイクルのボートで、生ビールの樽を利用したヨットで、堀江は冒険の歴史を紡いできた。
2008年には、波の力だけを動力とするウェイブパワーボート(波浪推進船)「サントリー マーメイドⅡ」号でハワイ~紀伊水道の航海を成功させた。さらに、風力、人力、波力、太陽光という四つの自然の力それぞれを推進力としたヨットやボートで数々の冒険航海を制覇したのは、世界広しといえども彼だけである。
海洋冒険家としての野心はいまなお衰えを知らず、新たな挑戦心が胸のなかで波打つ。
堀江謙一、73歳にして意気軒昂である。
航海への欲求は人間の本能
堀江さんの海洋冒険家としての原点は、どこにあるのでしょうか?
――高校のヨット部が始まりですから、原点は部活。その延長の航海です。
なぜヨット部に?
――大した動機じゃなく、漠然としたものでね。中学時代に器械体操をやっていて、体操部に入ろうと思っていましたが、なぜかヨット部へ入ってしまって。まだ自分の気持ちが固まっていない、そういう年代というか時期ってあるでしょう。
小さなきっかけで動き出したわけですね。
――そうです。入学した高校の体操部があまり活発じゃなくて、何かちょっと失望したようなところもあり。いまの時代なら進学する高校の何部が強いのかも調べられるんだろうけど、当時はそういうことも難しいし、僕はもう行き当たりばったりで(笑)。
身体を動かすのは、そもそも好きだったわけですか?
――まあ、そうですね。体操やってましたからね。体操って、格好だけ見たら大変でしょう。鉄棒の大車輪なんて、うまい下手はともかく、まず技をちゃんとできるようになるまでが大変。それに比べたら、ヨットはまだ簡単やった。難しさの意味がまた違います。ロープを持って引っ張るぐらい、体操からすると簡単やった。
そこからもう、一気にのめり込んでいくと?
――ヨットの良さというのはね、チャンスがあること。陸上競技とか水泳は、運動神経のあるヤツとか肺活量のムチャクチャあるヤツには勝てないじゃないですか。ヨットは違うんですよ。動力源は風で。練習をしていれば、誰にでも出来る幅の広いスポーツです。
自然と向き合うことが好きだった、ということもあるのでしょうか?
――ヨットの航海いうのは、人類がずっと以前から持っている夢だと思います。
目の前に広がる海の先には何があるんだろう。あの先に行ってみたい、といった欲求は、誰しも抱くものでしょうね。
――そういう感じで、誰の心のなかにも大なり小なりあるものだと僕は思う。だから『なぜ冒険に行くんですか?』と聞かれることが、僕からするとおかしいというかね。その質問を受けると、『えっ?』と思うわけですよ。僕は本能だと思うから。
たとえば、波の力を使うボート(※2008年、世界で初めて波の力で動くウエーブパワーボート「サントリー マーメイドⅡ号」で太平洋単独で横断)にしても、110何年ぐらい前に、イギリスで特許を申請した人がおられるんですよ。考えた人はもっと昔からおると。おそらく、1000年前にもおったと思う。『なぜ?』なんていうものじゃなくて、多くの人が考えてきたことだと。70数年前にアメリカの『ポピュラーサイエンス』いう雑誌にウエイブパワーボートの模型で実験をしたという記事が紹介されていました。僕のウエイブパワーボートもハワイ出航前に、その雑誌が誌面を割いてくれました。『ニューヨークタイムス』のサイエンス欄にも、取り上げてくれました。
風、太陽、人力、波…4つの自然の力で航海
誰もが抱く夢や憧れではあるけれど、実際にやるとなると障害が多いというか、やるところまで踏み出せないのかもしれません。
――ヨットや帆船の歴史は5000年前に始まったと言われていて、当時だって波はあったはず。ということは、5000年前に波力を利用したボートがあってもおかしくない。それにもかかわらず、21世紀に僕が始めてウェイブパワーボートで太平洋を横断できたのは、幸運でした。ソーラーボートは太陽電池が発明されないとできないけど、波を利用することはもっと前からできたわけで。自然エネルギーを使ってソーラーボートとウェイブパワーボートができたというのは、出来すぎです。
人並みはずれた実行力がなければ、決してできることではないと思います。
――自然エネルギーである、風力、人力、太陽光、波力。この四つを使った航海は、僕の場合は一応終りました。四部作はできた事になります。
2008年の航海でお使いになった『SUNTORYマーメイドⅡ世号』は、ウェイブパワーボートですよね。波を推進力にするということは、波が大きいほうが速度は出るのですか?
――そのとうりです。
設計はご自身で?
――僕のアイディアもありますが、東海大学で波浪推進船を研究している寺尾裕教授から、データを提供頂き、ヨットデザイナーの横山一郎様に設計をお願い致しました。ウエイブパワーボートの原理はドルフィンキックの原理で、波を受けて船が上がるときも下がるときも水を後ろへかく。波に合わせて船体が上がり、降りる。それによって、推進力が生まれる。簡単な原理です。21世紀ではなく紀元前でも開発された可能性は十分にあったと思われます。
ということは、操縦は舵だけですか?
――そうです。電気がいるわけでも何でもないんですから、5000年前は大げさとしても、せめて大航海時代にはあってもおかしくないですよね。21世紀に発明されるようなものではないですよ。
誰も気付かなかった……いや、やろうとしなかったということでしょうか。
――110何年前に特許を申請している人がいるわけだから、一世紀以上前からとっくに気付いている。特許制度のない以前にもアイデアを持った人はおられたが記録がないだけだと思います。だけど、やろうとした人がいなかったということでしょうね。
そこで「なぜ堀江さんはやろうとしたんですか?」と聞くと、答えに窮してしまうわけですよね?
――ううん、まあ、僕は波力船での航海が出来ると思ってました。やりたいと思って、できると思ったら、やるんじゃないですか。
夢を目的に変えると一瞬一瞬がワクワクする
堀江さんのボートやヨットは、素材に工夫を凝らしていますよね。アルミ缶、ビール樽、ペットボトルなどを使っていらっしゃいます。環境への配慮を感じます。
――それは本能的なものでしょうね。ヨットをやっていたから、自然エネルギーには関心があった。『エコ』とかいう言葉は知らなかったけれど、やっていることはエコだったことになるのかな。世の中がリサイクルをする循環型の社会になってきて、ゴミは分別すれば資源になるということはモラルとして定着している。僕らも同じですよ。ヨットやボートを開発するなら、できるだけリサイクル材を使うとか、リサイクルできるものにすることは考えたい。一社会人、一ヨットマンとしてのモラルと考えている。結果としてなかなかいいことだと啓蒙できたら嬉しいですけど、そのためにやっているわけじゃないです。
航海へ出るたびに、海が汚れてきていると感じていたのでしょうか?
――最初の航海は48年前ですが、そのときはもう汚れていました。科学的にどこまで汚染されているのかは、船上から見るだけでは分からなかったですが……。海が汚れる原因は二つあって、ゴミと廃油。廃油はね、めったに船の通らない地球の裏側のようなところでも見かけていた。ところが、1992年から93年にかけて足漕ぎボートで太平洋を横断しました。そのときから廃油も見なくなったんです。
何か思い当たる理由はありますか?
――アマチュア無線をやっている関係で、マグロ漁船の方とよく話をしていたんですが、それ以前は廃油を海へ流していたということを聞きました。でも、いまは指導を受けていて、中和剤か何かを入れてから流すようになっていると。僕が感じているのは、科学の進歩とモラルが向上することで、海の汚染はかなり防げているのではないかと。それ以後の5回の航海では、廃油にあうことはないですね。
数カ月にわたる航海では、色々なことを考えると思うのですが。
――一番はやはり、安全航海について。予定どおり進んでいるか。食料がなくなるペースが早くないのか。ロープはいたんでないか。身体の調子はどうか。色々なことをチェックしている。航海中の船というのは、つねにどこかが壊れるほうへ向かっている。消耗は激しいですから。舵ひとつにしても、すり減ってきてガタガタいってくるし。最近はなるべく、減りにくい材料を使うようにしていますが。
不安と向き合う日々ですか?
――不安はつねにありますよ。危険はつきまといますから。デッキでぼうっとしていたら、波に流されるかもしれない。休んでいるときでも、神経は遣っている。
経験を蓄積することでカバーできること、予測できることはあると思うのが、それでも不測の事態に直面しますか?
――それはやっぱり、何があるか分かりませんからね。だけど、このへんは安心していけるなあとか、ここは気が抜けないぞ、といった予測は立ちますね。
皮膚間隔で察知できる?
――まあ、そうですね。いままで航海してきたなかで、『あそこはちょっと危なかった』という反省点もありますから。だからやっぱり、一回目より二回目、後になるほど安全性は高まっているでしょうね。それとは逆に、やっていることはエスカレートしていますけど(笑)。
楽しみを感じる瞬間というのは?
――それはすべてですよ。計画、準備、実行、すべてが楽しい。楽しいですよ、そりゃあ。朝刊を開いて広告を見て、『お、こんなラーメンができたのか、これは次の航海で使えるなあ』とか。夢を目的に変えているわけですから、一瞬一瞬にワクワクする。
次にたくらんでいること
次の冒険というのは?
――フフフフ。いくつか構想はありますけど、やるための条件が揃わないとできないわけです。ただね、やるとしても、さっきいった4つの複合か、あるいはさらに発展的なものしかない。5番目がないとは思わないけれど、そう簡単ではないですよ……。僕のいままでのプロフィールを見ていただければ、賢明な皆さんは次の予測が立つのではないかなと。50年近くやってくるわけですから、だいたいお分かりになると思いますよ。過去は未来を暗示していると言いますからね。意地悪で申し訳ないですけど、どうかお考えになってみて下さい。
いつ出航してもいいように、体調管理には日頃から気を遣っているわけですか?
――ハハハ、いやいや、特に考えていませんね。まあ、暴飲暴食をしないぐらいで。
トレーニングは?
――しないですね。トレーニングをしないけど、本番が長いですから。それも、一日24時間が本番という生活が、何カ月も続く。いま現在の航海が、次へのトレーニングになっている。新しく何かの計画を立てたときも、あまりトレーニングはしない。ボートのハンドリングを確認したりはしますけどね。
なるほど。本番を上回るトレーニングなんて、陸上ではほぼ不可能ですよね。
――不可能ではないけれど、24時間にわたって集中し続ける生活を、陸上で何か月も続けるのは。さすがにちょっとキツいでしょう。動力源が風とか波で、僕がやることはあくまでも操縦やからね。むしろ、物資の準備を怠らないのがひとつのトレーニングかもしれません。機材とか食料とか、そういったものも大切な要素ですから。
年齢を重ねてきたことで、疲労が抜けにくくなってきたな、といったことを感じる場面はありますか?
――まあやっぱり、ありますけどね。認めたくないですね、ハハハハ。認めないかんのですけどね。
堀江さんは以前から、『3ケタの年齢まで冒険家として頑張る』といった趣旨の発言をなさっています。これは揺るぎない決意と言っていいのでしょうか?
――いやいや、揺るぎありますよ(笑)。だいたいね、ホントに100歳まで生きられるかどうかも分からない。明日のことも分からない。たぶん、3年、5年は大丈夫だと思いますけど、あくまでもそういう気持ちを持っていこうということで。
堀江謙一
海洋冒険家
1938年9月8日生まれ、大阪府出身。海洋冒険家。
1962年 23歳にして6m足らずのヨット「マーメイド号」で兵庫・西宮~サンフランシスコ間を単独太平洋横断航海。サンフランシスコ名誉市民として表される。1973~74年 単独無寄港で西回り世界一周航海(淡路島~大阪・忠岡)。 1978~82年 世界初、ヨットで縦回り世界一周航海(和歌山・由良~ハワイ・ホノルル)。1985年 世界初、ソーラーパワーボートでハワイ・ホノルル~父島間を単独航海。1989年 全長2.8mの太平洋横断では世界最小のヨットでサンフランシスコ~西宮間を単独横断。1992~93年 世界初、足漕ぎボートでハワイ・ホノルル~沖縄間を単独航海。1996年 アルミ缶リサイクルのソーラーパワーボートでエクアドル・サリナス~東京間を単独無寄港太平洋横断。翌97年、エクアドル政府はこの成功を讃え、ガラパゴス諸島の岬と島に「堀江謙一船長岬」と「モルツマーメイド島」と命名する。1999年 ステンレス製ビール樽とペットボトルを再利用したヨットでサンフランシスコ~明石間を太平洋単独横断。2002年 ウイスキー貯蔵樽材を再利用した「モルツ マーメイド3号」で、西宮~サンフランシスコ間を太平洋単独横断。2004~05年 「サントリー マーメイド号」で、単独無寄港で、東周り世界一周(西宮~西宮/東周り)。
2008年 世界初、波浪推進船「サントリー マーメイドII号」でハワイ~紀伊水道間の単独航海。
2008年 植村直己冒険賞特別賞を受賞。
海洋冒険の既成概念を覆す、いつくもの単独航海記録を保持。風、太陽、人力、波という、4つの自然動力を用いたそれぞれの船で太平洋横断を成功させた、世界唯一人、日本を代表する海洋冒険の先駆者である。
公式サイト:http://www1.suntory-mermaid2.com/index.html
Text:Kei Totsuka
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