自由に空を飛びたい!——すべてはそこから始まった
小さいころに夢中になったテレビやマンガに影響されて、何かを夢見る。一度でもそんな経験をしたことがある、という人は決して少なくないだろう。
だが、夢見がちな少年が10年、あるいは20年という月日を経て、その“何か”を実現しているケースは、実はそれほど多くない。ウルトラマンや仮面ライ ダーになるなどという、そもそも無謀な夢を抱えてしまった不運なケースはともかく、いつしか“現実”という壁に阻まれてしまうからだ。
だからこそ、ここに紹介するひとりのパイロットを見ていると、子供のころ夢に見た“何か”を実現すべく挑み続けていることが、とてもうらやましく思えてくる。
室屋義秀。2009年の今年、アジア人で初めて「レッドブル・エアレース」に参戦する世界トップレベルのパイロットである。
まっすぐ飛ぶだけの旅客機パイロットには憧れなかった
一般的に「飛行機のパイロット」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、「旅客機のパイロット」であろう。例えば、憧れの職業ランキングに「パイロット」とあれば、これは間違いなく「航空会社勤務のパイロット」を指す。
飛行機に乗りたい、空を飛びたい。そう夢見る男の子は少なくない。室屋少年もそうしたなかのひとりだった。だが、彼が選んだのは、「旅客機のパイロット」ではなかった。
「小さな子供がおもちゃの飛行機を手に持ったとき、普通どうやって遊びます? ブーンって言いながら、空中で傾けたり、クルッと旋回させたりしますよね。常に機体を水平に保って揺れないように、なんて考えて遊ぶ子はいないでしょ(笑)。飛行機が飛ぶっていうのは、誰もが最初はそういうイメージだったはずなんです」
パイロット室屋義秀の原点は、「機動戦士ガンダム」。そして今も憧れの存在は、「紅の豚」のような飛行機野郎。むしろ「パイロットと言えば、旅客機のパイロット」という一般論のほうが、室屋にとっては理解しがたいことなのである。そんな室屋が最初に空を飛んだのは、大学時代。航空部に入り、グライダーに乗った。グライダーというのは形状こそ飛行機の形をしていて胴体部分に乗り込むのだが、エンジンは付いていない。つまり上昇気流や風をつかまえながら、飛行を続けることになる。
「究極の自然との戦い。それはそれで非常におもしろいんです。ただ、準備に時間がかかる割には、飛べる時間はかなり短い。それに、もっと自由に飛びたいということであれば、やはりエンジンがないと……」
大学2年が終わるころ、欲望を抑えきれなかった室屋は飛行機免許を取得すべく、渡米することを決意した。もちろん、日本でも免許は取れる。だが、費用も高いし、雨の多い日本では天候に恵まれず、日数もかかる。ならばと、選んだのがロスアンゼルス(LA)だった。日本で取得しようと思えば、3~400万円。LAへ行くにしても斡旋業者を通せば、200万円。「そこまで貯まるまで待っていられなかった」室屋は、アルバイトで貯めた100万円を握りしめて、単身LAへ飛んだ。
「100万円で足りる保証はなかったですけどね。これが尽きたら、帰ってくればいいやと(笑)。そうしたら、たまたま近くに住んでいた日本人の方の家にタダで泊めてもらえて、しまいには車まで借りたりして。いろいろと恵まれた結果ではあるんですけど、無事に免許を取ることができました。その後もお金を貯めて、年1回くらいは訓練のために渡米して、まとめて1か月くらい飛んで帰ってくる、ということを繰り返しました。日本で飛べば、1時間4~5万円。僕ら大学の航空部のときは、1週間の合宿費用がその1時間分と同じですから(笑)。LAだと、日本の4分の1くらい。渡航費かけても、行っちゃったほうが安かったんです」
しかし、この時点で室屋の頭の中にあったのは、「とりあえずは免許がなければ、何も始まらない」。飛行機に乗りたい、空を自由に飛びたい、という夢をかなえることだけだった。
世界一へ挑む
1995年。この年、室屋はその後の人生を左右するような衝撃を受けることになる。それは、但馬空港で開かれたエアロバティックスのワールドカップでのことだった――。
エアロバティックスとは、極々簡単に説明すれば、上空の限られた範囲でアクロバット飛行の技術を競う競技のこと。それまでに室屋も、アクロバット飛行と呼ばれるものをやったことがないわけではなかった。だが、それはキリモミからの回復など、緊急トレーニングとしてやっていただけで、訓練の一環でしかなかった。室屋の言葉を借りれば、「観客に見せることを前提としたものではなく、体験したことはあるので一応できますというレベル」だった。
「あの大会は衝撃的でした。それはもう、ちょっと……人間の領域を超えているような。僕が目指すのはコレだ、と思いましたね」
一瞬にしてエアロバティックスの魅力にとりつかれた室屋は、2年をかけて訓練資金を貯めると、97年2月に再び渡米。エアロバティックスの全米チャンピオンを育てた名トレーナー、ランディ・ガニエの門を叩いた。
「向こうも商売だから、最初はお客さんですよね。10時間コースで一通り基本技を教えてはくれる。ただ、その後、本格的に教えるかどうかは別でした」
実際、斡旋会社を通じて入校している日本人が他にもいた。並のパイロットなら、最低限の訓練だけやったらゴクローサマ、だったかもしれない。しかし、室屋は違った。
ある日ガニエは突然、室屋に言った。「世界大会へ行こう!」。それまでの10時間は室屋にとっても、「お客様モードで非常に楽しい訓練だった」が、それからは空気が一変。「世界大会へ向けた、全然レベルの違う訓練になった」のだった。
「僕の何を見て、そう判断したのか分かりませんけど、すごい教官の言うことですからね。ある意味、胡散臭いとも思いましたけど(笑)、僕はそれを本気にしたわけです。でも、よく分かっていないから、そんなに深く考えずにイケイケでやれた。今だったら、とてもじゃないけれど、できないと思います。怖いもの知らず、でしたね。おまえなら世界選手権に行けるって言われたから、じゃあ行こうかって」
驚くべきことに再渡米からわずか5ヶ月後の同年7月、室屋は日本代表チームの一員として、アドバンスクラス世界選手権の舞台に立っていた。しかも、目標だった――が、現実的にはかなり厳しいとも思われた――予選を通過。「僕の戦いはそこまで。本選はもう話にならないというレベル」ではあったものの、名伯楽の眼に間違いがなかったことを証明して見せた。
その後は、世界選手権でチームメイトだったパイロットの支援もあり、日本国内で開かれるエアショーなどに参加。飛行チャンスを得ることで技術を高めていった室屋は2002年、自ら「Team Deepblues」を旗揚げし、本格的に世界レベルでのフライトを目指すことになったのである。
「自分でチームを立ち上げて、エアショーに出たり、スポンサーを集めたりしているわけですが、それらは副次的に発生したことなんです。あくまでチームを作った目的は、“世界一の飛行技術を磨くため”。エアロバティックスの世界選手権で勝つことなんです。そのためには飛び続ける必要があるし、一番上のクラスの飛行機じゃないと世界とは戦えないですから、お金もかかる。本来、僕はパイロットに専念する必要があるのに、チーム立ち上げ当初は練習なんかほとんどできなくて毎日営業していましたけどね(笑)。今はようやく理想に近い形になってきています」
レッドブル・エアレースとの出会い。そして、参戦へ
エアロバティックスでの世界一を目指す。そんな夢を追い求めていた室屋とレッドブル・エアレースとの出会いは、偶然から生まれた。
06年10月、日本でエアレースのデモンストレーションとなるイベントが開かれることになった。だが、そんな特殊なイベントをハンドリングできるチームは、日本にはひとつしかない。言うまでもなく、Team Deepbluesである。そんな事情も手伝ってこのイベントでデモンストレーターを務めることになった室屋は、レッドブル・エアレースの開発者であるピーター・ベネゼイにその才能を見いだされた。ベネゼイの推薦を受けた室屋はレッドブルとスポンサーシップ契約を結ぶと、そこからエアレース参戦へのプロジェクトが一気に動き出したのである。
レッドブル・エアレースに参戦しているパイロットは、室屋曰く、「超有名人ばかり」。自分自身が参戦するなど想像していないことだった。驚きもあったが、その一方で、日本人パイロットが参戦するなら自分しかいない、という自負もあった。
室屋はエアレース参戦へ向け、本格的なトレーニングを開始。レッドブル主催のトレーニングキャンプを経て、08年9月、参戦条件となるスーパーライセンスを取得すると、11月にレッドブル・エアレースへの参戦が正式に発表されたのである。
ここで、レッドブル・エアレースの概要を簡単に説明しておこう。ベースは、スタートからゴールまでのタイムを競うタイムレース。ただし、その間には機体を回転させたり、90度倒したりという規定の技を入れながら、コース上に設定された旗門を通過しなければならない。各レースには15人が出場し、予選上位 12人が「トップ12」セッションに残り、その上位8人が「スーパー8」に進出。さらに上位4名が「ファイナル4」と呼ばれる決勝レースに進み、そこでのトップが優勝となる。
旗門を通過しながらタイムを競う。文字にしてしまうと、何でもないように思えるが、実際の旗門は高さ20mのパイロン(円錐状の塔)で構成されている。その横を通過しなければならないということは、必然的に、彼らは高度15mくらいの位置を飛ぶことになるのである。
「時速400km近く出ているとしたら、15mってわずか0.15秒くらい。一瞬のミスで地面に当たってしまう。それくらい低いところを飛ぶわけです。それに、旋回するにしても失速する手前ギリギリで回るのが一番効率がいいんですけど、失速してしまうと自動車でいうドリフトしたような状態になって、抵抗が大きくかかってくる。簡単そうに見えるんですけど、そういうギリギリのところでベストのコースを飛んでいるんです」
今回のインタビューで、室屋は待望のデビュー戦を間近に控え、期待と不安が入り混じった複雑な心境を言葉にしている。
——正式に参戦が決まってからは、どんな準備をしているんですか?
「まず機体を準備しなきゃいけなかったので、それを手配して整備と塗装。それが2月に終わって、3月からやっとフライトトレーニング。全部ギリギリですね。あと、チームコーディネーターっていうマネージャーと、テクニシャンっていう整備士とで基本3人のチームになるんで、その人員の手配をしました」
——それは全部自分でやるんですか?
「そうですね。誰に聞いても知らないから、自分でやるしかない。とりあえず今年は、去年レースに出ていたパイロットの中古機を買えたんで、その飛行機で参戦します。今年はもう間に合わないんですけれど、2010年以降に向けて改造ができるような素地を整えています」
――改造というと? パイロットの癖に合わせる、とか?
「そういうこともありますけど、もっと根本的な、エンジンの馬力を上げたり、空力的に洗練させたりということです」
――ずっとやってこられたエアロバティックスと新たに挑むレッドブル・エアレース。最大の違いは何でしょうか?
「基本的な技術は一緒です。エアレースはものすごく飛行高度が低いというのが、決定的な違いですね。それにエアロバティックスは競技者レベルでないと、誰の点数が高かったのか分かりにくいんですが、エアレースはタイムが出るから単純で分かりやすい。はじめて見る人でもおもしろいと思います」
――時速400km近くも出るということは、体力的にもきついのではないですか?
「エアロバティックスよりも飛行機のパワーが大きいので、スピードが出るし、スピードが出るってことはG(加重)が多くかかります。なので、体力が必要なのはエアロバティックスも同じなんですが、それに加えてエアレース独特の呼吸法だとかが必要になりますね」
――独特の呼吸法というと?
「Gがかかるときに筋肉をグッと締めて踏ん張るんですが、息を吸いながらでは筋肉を締めにくい。つまり、その瞬間は息を止めるんです。ただ、それが3秒を超えると脳が酸欠になってしまう。エアロバティックスではひとつの技ごとに3秒くらい息を止めて踏ん張っていればもつんですけど、エアレースは長くGがかかってくる7秒8秒の世界。ということは、どこかで息を吸わなきゃならない。そういう呼吸法を覚えなきゃいけないんです」
――いろいろと違いがあるようですが、F1のテスト走行のような、実戦を想定したトレーニングの機会はあるんですか?
「(今季第1戦の)アブダビのレース前に、2日間だけですね。でも、それはルーキー用のスペシャルトレーニングではなく、全員一緒。なので、ルーキーにとってはほとんどぶっつけ本番なんです」
――初参戦となる今年(全6戦)の目標を聞かせてください。
「ここまでお話したような状況なんで、前半の3戦については、とりあえず(パイロンに触れるなどの)ペナルティなくコースを完走することですね。後半の3戦については、スーパー8に残りたい。準備も含めて、てんやわんやでやっている状態だから、正直、3年も4年もやっている人にそう簡単には勝てないと思います。翌年につながる準備シーズンというのが前提としてあるんで、できるだけいろんなことを吸収したいですね」
――そして数年後には……。
「エアロバティックスにしても、エアレースにしても、操縦技術を競う大会はすべて制覇したい。なかでも、このレッドブル・エアレースは大きなタイトル。絶対に勝って世界一になりたいです」
世界6都市で開催される2009年のレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ。室屋のデビュー戦となる今季初戦は4月17、18日、アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで行われる。
日本が生んだ飛行機野郎は、灼熱の中東でどんなデビュー・フライトを見せてくれるのだろうか。まもなくテイクオフである。
連載スタート! エアレーサー室屋の軌跡を綴るドキュメント
大空の覇者へ!〜室屋義秀、レッドブルエアレース・チャンピオンへの挑戦〜 Vol.01
室屋義秀
エアロバティックス&エアレース・パイロット
1973年1月27日生まれ。エアロバティックスパイロットとして、現在まで140か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。昨年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、今年からレースに参戦する。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や成長年教育活動の基盤を作っている。
Photo:Taro Imahara
Text:Masaki ASADA
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