激流の中でスピードやテクニックに挑む!
競技ラフティングの知られざる極意
チームテイケイ。海や川といった水に関わるアウトドアスポーツに携わる人であればどこかで聞いたことのあるチーム名ではないだろうか。2010年、日本の競技ラフティングは世界選手権で世界一となった。日本ではレジャーとして仲間や家族と楽しむ印象が強いラフティングだが、実は世界には激流の中、スピードやテクニックを競い合うスポーツとしてのラフティングがあり、浅野重人は日本のラフティングを世界一へと導いた人物でもある。もちろんそれが容易なものであったわけはない。何度も挫折を味わいながら、それでも夢を諦めず、チームをまとめて激流に挑み続けた。そして昨年、その夢が叶ったのだ。
From Faust A.G. Channel on [YouTube]
運命の出会いで、自分の甘さを知る
川の流れを読みながら下ったり上ったり…。激流の中をスピードやテクニックを競い合う競技ラフティング。2010年、オランダで開催された世界選手権で日本から出場したチームテイケイが世界一となり話題となった。そのキーマンとなったのが浅野重人だ。もちろん競技ラフティングは6人のチームスポーツなので彼一人の力だけではない。しかしながら世界を目指すきっかけを作り、試行錯誤しながらも周囲の想定年数より遙かに早い勢いでレベルを一気に引き上げたのは彼の熱い思いと努力の賜物だと言っても過言ではない。そんな浅野にラフティングとの出会いについて聞くと「予感みたいなものはあった気がします」 という。
高校時代、浅野は周囲が当たり前のように大学受験を目指す中、大学への進学に疑問を抱き、それよりもっと大きな国に行きたいという思いから、高校卒業後、ワーキングホリデーを使ってオーストラリアへ飛んだ。最初の数ヶ月は語学勉強。その間にニュージーランドを旅し、生まれて初めてラフティングを体験した。楽しむはずだった川のグレードは5。連続した激流があり、非常に高度なテクニックを必要とする川のレベルを表す基準だ。ちなみにグレード6になるとラフティングは不可能と言われている。
「いくらグレードが表示されたところで日本人の感覚であれば、安全が保証され、当然命に関わることはないだろうと安易に考えてしまう。しかもお金を払うのだから楽しまないと」
ところが生まれて初めてのラフティングで浅野は楽しむどころか想像以上に怖い体験をすることになる。
「最初に注意事項が説明された。もし落ちたら足は川下の方へ向けてできるだけ上げる。とにかくラッコのようになれ」
案の定、浅野は激流に投げ出されたが、いつか誰かが助けてくれるだろうとそのまま何十分も流され続けた、が、いっこうにガイドが助けにくる様子もなく、必死で川岸の方へ泳いで岩にしがみつき放心状態となっていた。助けられたときにはどこか怒りに似た感情がおきたそうだが、一緒に乗っていたお客たちはこれが特別なことではなく、まるで当たり前だというように笑顔だった。その表情を見て、「これまで誰かに頼る、と言うことが普通だったけれど、自然の中では最後は自分が頼り。このときそんなふうに思えたことが衝撃的だったんです」と話す。
その後、旅を終えオーストリラリアに戻った彼は、1993年、ラフティング・ガイドの募集を見つけ応募したのだ。
競技ラフティングとの出会いとチーム結成
ラフティング・ガイドは技術職なので英語が話せてスキルがあればいろんな国で仕事ができる。オーストラリアのケアンズの川でラフティング・ガイドをしていた浅野の周りにも様々な国でラフティングを経験したガイドたちがいて、情報が交換されていた。
「アフリカでラフティングをしていたという仲間の家でザンベジ川の様子をビデオで見た瞬間、衝撃が走ったんです。こんな川があるのかと……。とにかくそのスケールの大きさに驚きました。それからアフリカに渡り、ザンベジ川で約1ヶ月を過ごしたんです。改めて人間の世界がちっぽけに見えるほど自然界の大きさに圧倒されました。まるで津波のような波のたつザンベジ川。しかもその波の高さは7メートル以上にもなる。なにより驚いたのはその中を遡ってラフティングする選手たちの姿を見たことでした。5年間もラフティングをやってきたのでそこそこ自信もあったけれど、所詮、目的は安全に下ることに過ぎなかった。
でも、プロが6人集まるともっと凄いことができるんだということに驚いたんです」
ラフティングといえばガイド。それしか知らなかった浅野にとって競技という新しい世界を目の当たりにして衝撃を受けた。同時に日本に戻って世界のレースに出場するためのチームを結成しようと考える。
1999年、最初はスピリットと言うより技術的に能力があると思われるメンバーを集めチームを組んだ。しかも浅野自身は選手としてだけでなく、チームのリーダーシップをとらなければならない。
「最初はプレイイングマネージャーとして選手とコーチ業の両立をはかろうとしたんですが、それは不可能に近い状態ものでした。やっぱり選手としてうまくなりたい、さらにチームのリーダーシップをとらなければならない。それはなかなか難しいことで、結局チーム内に不協和音が生じ、チームが崩壊したんです」
浅野が目指した競技ラフティングは当初はまだあまり知られていなかったが、近年日本でも年間の大会数が増え、今では年間7回ほど大会が開催されている。競技は1チーム6名がボートに乗り込み、スプリント、スラローム、ダウンリバーの種目を競い合う。まずスプリントは、200〜300メートルのコースを2艇のボートが同時にスタートし、先に前に出た方が主導権を握る。スラロームは約300メートルのコースの中に緑と赤のゲートが張られ、緑は川を下り、赤は川を遡りながらゲートをくぐりゴールする。そしてダウンリバーは約8キロに及ぶロングコースを3艇のボートが同時にスタートしスピードを競い合う。全種目の総合が勝敗を決めるのだ。
2003年、スポンサーの理解を得て新たなチームを結成することになった。同じ失敗を二度と繰り返さないために浅野は選手としてではなく、チームを世界一にする監督に徹することにした。
「選手として出場できないことに抵抗はありました。ただ指導者になったからといってラフティングができなくなるわけじゃない。それに最初は川や自然の奥深さに魅力を感じていたけれど、人を指導していくことにも奥深さがあってその方が勝っていたんです。しかも面白い。自然の原理原則がわかればすべて同じ。もちろん人間に対してもね」
2007年、韓国で開催された世界選手権で3位となったチームテイケイ。表彰台に立ったことで浅野を含むチーム全体の自信につながった。中でもこれまでの練習が間違っていないことに対する確信になった。
2009年のボスニアヘルツェゴビナの世界選手権は激流の中、これまでにない激しい競り合いで2位を獲得。そして翌2010年、日本の競技ラフティングにとっては運命の年。オランダで人工コースを使って開催された世界選手権でチームテイケイは見事世界一となったのだ。
ラフティングを通して自然から学んだこと
スポーツとしてのラフティングを知ってもらう前にまずは楽しむことが大事。
ラフティングのメインシーズンは一般に4月〜10月で、国内では70河川以上でラフティングが行われているという。その中で浅野が好きなのは岐阜の長良川と長野の安曇野だという。その理由は、
「長良川は視界が開けていてとにかく景色が素晴らしい。そして安曇野は犀川から豊科に向かう途中に前川という小さな川があり、湧水で透明度が魅力。流れはゆっくりで初心者でも気楽に楽しむことができる」という。ラフティングが盛んな群馬県の水上(みなかみ)は水(みず)の上(うえ)と書き、水の神(かみ)とも読める。また郡上八幡も長良川の支流である吉田川によって栄えた場所だ。「水が豊富な場所には自然と人を引き寄せる力がある」という。
「僕の場合はラフティングを通して川から学ぶことが本当に多かったんです。競技ラフティングの世界というとどうしても筋肉ムキムキで技術や体力、チームワークが重要視されがちだけれど、まずは川のことを知ること、自然の原理を知ることが何よりも大切なんです。つまり自然の原則をどのくらいわかっているかが重要とも言えます」
この自然の原則はラフティングで世界一になるために必要なだけではなく、普段の生活、人とのコミュニケーションをとるためにも大事なことだという。
「泉って常に新しい水が内側から湧いていますよね、外から汚れた水が入り込んでも内側から湧く水でつねに清水でいられるんです。これは人も一緒。人の目や外のことばかり気にして外の意見ばかりを取り入れてしまうと自身が濁ってしまう。常に自分の中にあるものを大事にすることが大切なんです」
浅野はなにか悩みがあるときは必ず川へ行く。そしてその川から自分の人生に必要なことを学ぶのだという。世界を制した浅野は今後、日本の競技ラフティングの認知度をあげることだけでなく、ラフティングを通して学んだ経験を未来を担う子供たちに伝えていきたいと熱く語っていた。
浅野重人
ラフティング競技監督
ラフティング競技監督。1974年南アフリカ共和国ヨハネスブルグ生まれ。93年オーストラリアで最年少(19歳)でラフティング・インストラクターとなる。アフリカ・ザンベジ川で見た競技ラフティングに魅了され、99年日本代表チームを結成。03年日本初のプロチーム『チームテイケイ』を結成し選手兼監督として活動するがチーム崩壊。以降、監督に徹し2010年、オランダで開催された世界選手権でチームを世界一に引き上げた。日本における競技ラフティングのパイオニア的存在である。
公式サイト
http://asanoshigeto.com/
Text: Aya Kubota
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