時代の激変を乗り越えて誕生したTETRIS®
ゲームが生んだ絆と、新たな挑戦とは……
アレクセイ・レオニードヴィチ・パジトノフ(TETRIS®開発者)
ヘンク・B・ロジャース(ゲームデザイナー)
『テトリス』という名を聞けば、すぐに誰もが思い浮かぶ映像があるのでは?
80年代の終わりに、突如、日本に上陸するなり大ブームを巻き起こした、いわゆる「落ちゲーム」の定番。PCゲーム、ファミリーコンピューター、ゲームボーイ……そして現在ではスマートフォンのアプリとして、30年以上経った今でも変わらぬ人気を誇っている。
そのゲームの開発者であるアレクセイ・パジトノフと、ゲームデザイナーのヘンク・ロジャースが来日。『テトリス』を新たに「デザイン・アート」として展開させる挑戦を始めた。
あの伝説的ゲーム誕生の軌跡とは……
アレクセイ: 私は、旧ソ連の科学者でした。その仕事はプログラミングや人工知能などの研究をする科学者。仕事の合間にリフレッシュするためにパズルをするのが楽しみだったんです。当時、私が遊んでいたのは『ペントミノ』というもの。これは5つの正方形からできたピースを組み合わせて遊ぶもので、ロシアには昔からあるブロックのパズルでした。そしてふと、これをコンピューターでもプレイできたら面白いのではないか?と思い立ったのが『テトリス』開発のきっかけです。『ペントミノ』とは違い、四つの正方形からなるピースのパターンを考えました。これを画面の中で回転させて積み上げ、消していくのはどうだろうと。実際にプログラミングしながら、ピースが回転する様子を見て、わくわくしたのを覚えています。ゲームの名前は4を意味する「テトラ」と私が好きなスポーツの「テニス」に由来した『テトリス』と名付けました。
自分が好きなパズルを、プログラミングしてみる……そんな好奇心から生まれた『テトリス』は、多くの人を夢中にさせた。ソ連、チェコ、ハンガリーなどではコピー商品が出回ることも。そんな中、モスクワから遠く離れたラスベガスで、『テトリス』に出会ったのが、ゲームデザイナーのヘンク・ロジャース。
ヘンク: これは面白い!と確信したよ。でも、当時はまだ冷戦の真っ最中。それでもどうにかしてこの『テトリス』を商品として売り出したいと思い、観光ビザでソ連に入り、アレクセイに会いに行ったんだ。
アレクセイ: 同じゲーム開発者として、すぐに意気投合したよね。
ヘンク: 観光ビザで行ったのに、アメリカ人が当時のソ連の人とビジネスの話をしたら、逮捕されるんじゃないかと、僕はずっと緊張していたんだけど……
アレクセイ: ヘンクが私に会いに来たのは、ちょうど「ペレストロイカ」の頃。少しずつソ連が変わろうとしていた時だから、私はヘンクと話すことに危険を感じたことはありませんでした。もしもこれが、もう五年くらい前……80年代前半だったとしたら、私は逮捕されていたかもしれませんね(笑)
時代が激変するタイミングだからこそ、出会うことができたアレクセイとヘンク。その絆は現在も変わることなく続いている。当初、テトリスはモノクロのブロックで、BGMも何もついていなかった。しかしゲームとして発売する時に、音楽もつけることに(その後色もつくように)。
アレクセイ: 当時のコンピューターが出せる色が8色。その中から黒を除いた7色を、それぞれのブロックにつけることで、画面の端に新たなブロックが出て来た時に、色だけでもその形が分かるようになりました。そして、音楽は版権に関係なく使えるものとして、ロシアの古い民謡を使うことに。
ヘンク: その民謡の解釈が、僕とアレクセイで全然違っていたんですよ。
アレクセイ: あの民謡は元々、市場で一人の男が女の子を口説こうとして、実は彼女も自分に気があるんじゃないか……というようなことを歌っている歌なんですよ。
ヘンク: 今ではあれを聞けば『テトリス』の音楽だと思う人の方が多いよね。
こうしてなじみ深い『コロベイニキ』という民謡とブロックを組み合わせたソフトができあがった。しかし、商品化への道程はそう簡単ではなかった。
ヘンク: 僕は、日本の任天堂のファミリーコンピューターのソフトとして『テトリス』を売り出すことを考えていたんだ。その時、僕はもちろん、妻や親の資産まで担保に入れて20万本のソフトを製造した。そしてアレクセイを訪ねると、そこにはアレクセイの他に十人ものソ連当局の官僚たちがズラリと並んでいて……彼らは「PCゲーム、家庭用TVゲームなんて知らない。そんなものを作る許可を出したことはない」と。しかしもう後には退けない状況だからね。そこはありったけの愛嬌を駆使して交渉するしかない。当局の人たちはビジネスには疎い。ビジネスの初歩から説明し、任天堂から担当者をモスクワに呼び寄せ、ソフトの利益の一部を、当局に納めるという形で無事に契約を取り付けたんだ。
この契約の裏側には実はもう一つのドラマが展開されていた。それは、イギリスのミラーソフト社という強大なライバルの存在だ。
ヘンク: 「テトリス」の面白さに気づいたのは、僕だけじゃなかった。イギリスの大手ソフト会社のケヴィン・マクスウェルもソフトとしての権利を欲しがっていた。彼は、イギリスのメディア王ともいわれるロバート・マクスウェルの息子。デイリー・ミラーなどを経営するロバート・マクスウェルはソ連のゴルバチョフ書記長とも親しい間柄だった。ゴルバチョフ訪英の時に、二人は会って「テトリス」の権利についても話し合われることになっていて……。しかしそのタイミングで、アルメニアで大きな地震が起こり、ゴルバチョフ訪英は見送られることに。正に偶然の積み重ねの末に、『テトリス』のソフトは無事に発売することができたんだ。
こうして無事に、発売された『テトリス』のソフト。
しかし、発表当時『テトリス』の版権はソ連の外国貿易協会 (ELORG)が管理していた。そして世界およそ70か国で展開された『テトリス』は、そのゲームの仕様などはバラバラ。ソ連がロシアになってから、ヘンクはその版権をアレクセイに取り戻すため、世界各地で奮闘。そして遂に1995年、ELORGと合同でザ・テトリス・カンパニーを立ち上げた。
この経緯については、2016年9月に発売された書籍『The Tetris Effect』(Dan Ackerman著 PublicAffairs社刊)に詳しい。
そして現在、『テトリス』は新たな挑戦として、ゲームの枠を超えていこうとしている。ヘンクの娘、マヤ・ロジャースは、『テトリス』の版権を管理するブループラネット社の現CEOとして、新たに日本で電通テトリスプロジェクトチームと共にデザイン・アートとしてのテトリスの可能性を模索し、展開を始めている。「TETRIS FAB」(http://tetris.jp/)という新ブランドを立ち上げ、ファッション・プロダクト・スペース・コミュニケーションなど様々な分野と『テトリス』がコラボレーションしていく予定だ。『テトリス』の一目見ただけで『テトリス』だと分かる強烈なアイコン性と、どんなものとでも融和するシンプルでオリジナリティ溢れるデザイン性という魅力が日本をふたたび席巻するだろう。
ヘンク: 『テトリス』は、いわゆる「テトリス・エフェクト」と呼んでいる現象がある。寝る前にプレイすると、目を閉じてもまぶたの裏にあのブロックが落ちてくるのが見えることがあるでしょう。それはイメージだけではなく、町中のブロックやビル、ライトなど、日常を彩るさまざまなものに、テトリスのデザインが思い浮かべられる。そして海外ではすでに、文房具やアパレルなどのデザインとして活用されるようになっているんだ。
そんな二人にとって、これから挑戦したい冒険は何だろう。
アレクセイ: テトリスはすべてのデバイスに対応していくので、そのたびに私はそのデバイスに適した工夫に取り組んでいくでしょう。そしてチェスや囲碁のようにいつまでもみんなに愛されるゲームであってほしいです。
ヘンク: 僕はともかく冒険が大好き。今は「ホクレア」というポリネシアンカヌーで世界一周をすることを目標にしているんだ。機械を一切使わずに、太陽や星の位置、風の向きだけを頼りに世界を巡る。あとはいつか宇宙旅行に行きたいね。今は、ハワイ島に火星の実験住居を建て、実験的にそこに住まうプロジェクトにも参加している。他にもいろいろ……やってみたいことは絶えないね。
『テトリス』というゲームをきっかけに、出会った二人。互いに助け合いながら絆を深め、更に新たな世界への挑戦を続けている。
アレクセイ・レオニードヴィチ・パジトノフ
TETRIS®開発者
1956年生まれ。旧ソ連時代に科学アカデミーに在職し、新しい設備実験のプログラミングを行う傍ら、空いた時間にゲームを作るようになり、テトリスを開発。以後、テトリスの発展に関わるとともに、さまざまなゲームデザインにも携わる。世界的にゲーム業界に影響を与えたゲームデザイナーとして、受賞も多数。
ヘンク・B・ロジャース
ゲームデザイナー
1953年生まれ。インドネシア系オランダ人のゲームクリエイター、企業家、リニューアブルエネルギーの活動家。テトリスのライセンスを管理する株式会社ブループラネットソフトウェア社の代表取締役を務め、テトリスカンパニー等複数の会社を経営。
マヤ・ロジャース
ブループラネットソフトウェア社CEO
テトリスのライセンスを扱うザ・テトリス・カンパニーの専属エージェント会社で、世界的なテトリスのブランディングを手掛ける。父のヘンク・ブラウアー・ロジャースがアレクセイ・パジトノフとテトリスの普及を行い、現在それらの事業を引き継いでいる。
TETRIS FAB
http://tetris.jp/
Text: Sayako Nagai
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