単独西回り世界一周を成功させた
世界が賞賛するシングルハンドセーラー
「Corinthian(コリント)セーラー」として世界のセーリングファンから賞賛を受ける斉藤実氏。無寄港単独世界一周の大記録とともに、すでに7度の単独世界一周航海を成功させていた。そしてセーリングヨットでの航行が非常に困難であるといわれる、西回り単独無寄港世界一周に2008年より挑戦。度重なるアクシデントにより、大幅なスケジュールの順延があり、無寄港の記録はならなかったが、今年9月17日に3年ぶりに横浜に帰港し、数々のギネス世界記録を達成したのである(この報告記事はコチラ)。Corinthian(コリント)とはセーリングの初期の姿、最小限の装備による冒険的なセーリングを表す言葉である。
夢をあきらめない。追いかけ続ける77歳
浅黒く日焼けした肌に、ヨットマンらしい満面の笑顔が印象的な斉藤氏。その小柄な体躯からは、シングルハンド(※)のヨットで世界一周を8度も成功させた人物とはすぐには思えなかった。外洋の恐ろしさを知るものにとっては、ヨットの操船を全て一人で駆り、世界を一周することがいかに大変な偉業であるかが理解できるからである。世界中の筋骨隆々な無数のヨットマン達が憧れながらも果たせないでいる「世界一周」を、77歳という年齢で、なぜ8度にもわたって成し遂げられているのか。その最大の理由は「夢を決してあきらめないこと」「目標を持ち、それを追いかけ続けること」だという。近くで見た斉藤氏の体には毎日のトレーニングによる素晴らしく引き締まった筋肉があり、その腕には大きな傷が刻まれていた。
病弱な少年時代、山登りを経て50歳でのプロデビュー
1934年1月、東京の下町、浅草の製油の製造・販売業を営む家に生まれた斉藤は、幼少時は病弱な少年だった。第二次世界大戦に入った、真珠湾攻撃の年、昭和19年に集団疎開をした。
「学校も休みがちだったんだけれど、剣道をやっているうちに次第に身体は強くなってね、家族で筑波山に登ったのがきっかけで山に目覚めたんだよ」
丹沢の鍋割など近隣の山々などで山登りの楽しみを覚えると、谷川岳などの名峰を登り始め、30代は登山に傾倒。本格的にロッククライミングも始めたが、「当時からだんだん山が汚れてきていて、タバコの吸殻は捨てる、挨拶はしない。マナーがひどくなっていくのがいやだったね」と、「谷川岳が俗化するのに耐えられず」山から遠ざかった。
そこで知人のすすめにより鎌倉でディンギー(※)を始めたのが39歳のときだった。4年目にヨットクラブ「レッツゴーセイリングクラブ」(堀江謙一氏、戸塚宏氏などが所属)のクルーザーグループに移り、ヨットレースの世界へ。しかし、仕事が土日もあったため、なかなかレースに出られず、鳥羽パール(※)などの大きなレースに出るのはずっと後のことだ。
「週末の大きなレースに出られないのは、本当に辛かったね。本格的にヨットをやるには仕事を辞めるしかない。そこで身辺を整理してオーストラリアに渡ることにしたんだよ」と、50歳でそれまでの仕事を全てリタイヤするという一大決心をする。プロセイラー斉藤実の誕生であった。
日本ではあまり陽のあたらないプロセイラーだが、当時から米国やオーストラリア、ニュージーランドでは多くのヨットマンがプロとして地位を確立していた。
「世界にはすごいセイラーがいっぱいいるんだ。オーストラリアのドン・マッキンタイヤーはシドニーでのレーススタート時に、船体が岩壁に寄っていくのも顧みず、他に誰も上げていない中、スポンサーのロゴの入ったスピンネーカーを観客に掲げて見せていたのには感心したね。とても上げられるような風ではなかったんだけどね(笑)」
そして1986年、オーストラリアで43ftのヨットをついに購入。最初に本格的な外洋レースに出場したのは1987年、53歳のときのメルボルン~大阪の国際オーシャンレースだ。意気込んで出場したレースだったが、部品も足りず、ブロックが飛んでしまってシドニーに入ったもののリタイヤとなってしまう。しかし、オーストラリアのショートハンドセイリング協会のチェアマンである、前述のドン・マッキンタイヤーに「翌年のオーストラリア一周レースに出ろ」といわれ、翌年シングルハンドで日本を出て、シドニーへ向かうことに。
「そこで台風に1回、サイクロンに2回出くわしたんだけど、この時はすごかった。本船のマストが見えなくなるほどの大波に遭ったんだ。レースでシドニーを出るときも大荒れで、クルーに行方不明者が出るような状態だった。私はダーウィンで心臓発作を起こしてしまって。高血圧の薬を飲んでいなかったんだね。結局またリタイヤしてシドニーに帰ることに。このレースは本当に悔しかった。だから雪辱を晴らしたかったんだ」
その後、オークランド~福岡のフリークルーのレースでついに完走、三位に入賞して見事リベンジを果たす。「その時は薬をちゃんと飲んでいたからね。表彰式の後でお酒飲んで発作起こして倒れちゃったけど(笑)、ニトロ持っていたから助かった」。冗談めかして笑うが、この頃から、持病との闘いを余儀なくされ、冒険をさらに厳しいものにしていた。
※スピンネーカー……レース艇が追い風の時に使うセイル。
※鳥羽パール……1960年に始まった国内最大規模の外洋ヨットレース。全国から大型ヨットが集合し、三重県から一昼夜かけて神奈川まで順位を競う。
最初の世界一周へ
そんな斉藤に、転機となる声をかけたのは、またしてもマッキンタイヤーだった。今度は1990~91年に開かれる世界一周レースに出るように奨められたのである。しかし、そこはもうそれまで出ていたレースとは違い、プロフェッショナルな世界だった。さすがの斉藤も躊躇したと当時を回想する。
「船もでかいし、セイルが破れればすぐ交換。世界一周に出るやつらの凄さを知っていたからかなり躊躇したね。そんなやつらと一緒に出られるわけないぞと。それよりも87年にリタイヤした国際オーシャンレースの雪辱を考えていたし。けれどマッキンタイヤーから何度も誘われて気持ちが動いたんだ。コリント船クラスなら出られるだろうと。その当時は50ftの船を造る資金もなんとかあった。問題は自分自身の身体だけ(笑)。もしもまた発作を起こしてしまったら……。
けれどノンストップ(無寄港)ではなく、ケープタウン、シドニー、ウルグアイに寄るのだから薬も手に入れられる。もうこれ以上考えてもしょうがないやと思い、悩んで3日目の朝に出ることを決めたんだ」
その結果、第3回BOC単独世界一周レース(※)に出場して完走。しかもクラスで第3位(197日20時間)という見事な成績を収めたのである。
こうして数々の試練を乗り越え、突き進んできた斉藤は今年、単独世界一周航海において、最高齢、シングルハンド艇による最多回数の世界記録を樹立するに至る。単独で世界一周ができるヨットマン、そうでない者との決定的な違いを聞いてみた。
「まず第一に技術だね。海の上では全て一人で何でも出来ることが必須条件だよ。豊富な知識と経験が必要。外洋で嵐に遭えば船は必ず何らかのダメージを受ける。セイルが破れたら自分で直す、デスマスト(マストが折れてしまう)してしまっても何とか修理してヨットを走らせる技術がないと生き残れない。次に度胸。大時化の時は60knotの風が吹いていても波を見ながら走らせないとならないからね。後は精神力の強さ。孤独に強いことかなあ。どんな状況に陥ったとしても、マイナス志向な人間は海の上で窮地から抜け出すことはできないでしょう」と言う。無線機があるとはいえ、無寄港のヨットレースであれば、何ヶ月にもわたり、たった一人での船上での生活が続く。その孤独は想像に難くない。
もちろん、海は辛いときだけでない、最高の瞬間をセイラーに与えてくれる。船上で経験する最高の時間を聞くと「船がよく走っている時なんてのはあたり前だけど、海上で鳥が飛んできて船に留まって逃げないときとか、話しかけても逃げずにじーっとこっちの顔を見ているんだよね。ドルフィンが船に寄ってきたりとか、グリーンフラッシュ(太陽が沈む瞬間に一瞬緑の光が現れる現象)を見られるとか、色んなことがある。でも最高なのは水平線に沈む夕陽かな。あの美しさは陸上からじゃあ見られないものだよ」
次のチャレンジに向けて
今年9月、横浜へゴールした西回りでの単独世界一周航海。その船「Nicole BMW Shuten-Dohji(酒呑童子)III」号は、南アメリカのケープホーンを通過するとき、夜間、30数時間ぶりに睡眠をとっていた際に流氷にぶつかり、大きな損傷を受けた。ハワイ沖ではメインエンジンが故障して、ウォーターポンプが壊れた。さらにはメインセイルのワイヤーが切れるなど満身創痍の状態で帰ってきた。斉藤自身も持病の高血圧、心臓病に加えて、想定外のハワイ上陸時の交通事故や転落による裂傷など大きなダメージを受けた。しかし、そのチャレンジ精神は微塵も衰えてはいないようだ。
「北極海への挑戦にはまた新しい船を用意しないといけない。そのためには借金を返して、スポンサーを見つけないと(笑)」
チャレンジするために必要なことは何かを問うと「大きな夢を持って、それが実らなかったら次の夢を見つけて追いかけること。振り返るな。途中であきらめるな。どうせやるなら命をかけて、同じ死ぬならきれいに格好良く死にたいね」と、自分にも言い聞かせるかのごとく、後輩たちにエールを送ってくれた。
(資料提供:斉藤チャレンジ8事務局)
斉藤 実
海洋冒険家
1934年生まれ。日本で、最も世界の海を航海している77歳のヨットマン。本年9月17日に自身の持つ単独世界一周の世界最高齢記録を塗り替えた。今回「ヨットシングルハンドによる世界一周最多記録8回」、「ヨットによる西回り世界一周世界最高年齢記録」と2つのギネス世界記録を樹立。合わせて3つの世界記録保持者となった。単独世界一周レースの最高峰であるアラウンド・アローン(Around Alone)に3回出場。総航海距離24万海里以上。欧米のヨット界は彼に「スピリット・オブ・アラウンド・アローン」の称号を与えている。60歳を越えて単独世界一周レースに3回挑戦。様々な過酷なレースにおいて、多くの挑戦者がリタイヤする中、全てのレースを完走し、そのチャレンジ・スピリットは世界的に高く評価されている。著書に「弧闘」(2003年)角川書店がある。
公式サイト
http://www.saito8.com/j_index.htm
Text: Takamasa Wada
Photos: Minoru Saito
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