夢は人生が続く限り、私のなかで生き続ける
海上に波の跡を残しながら、時速100キロ超で疾走する真っ白のセイルボート(帆船)。
それはまるで、青い空を三本の鍵爪で切り裂きながら飛ぶ、白い鷲のようだ。
「イドロプテール号」。
水中翼を擁し、三体の胴からなる帆船は、エンジンやモーターの力を借りることなく、風の力のみで最高時速104キロのスピードで航行し、無動力船の理論的限界値時速100キロの壁を打ち破った。
この船のキャプテンであり開発者がアラン・テボウ氏(フランス)。
ファウストA.G.アワード2010冒険家賞を受賞した彼である。
その少年は、フランス北西部ブルターニュ地方で生まれ育った。大西洋沿いのボグダンという歴史豊かな街である。
全身で受け止める潮風は、いつだって馥郁とした香りに満ちていた。
眼前に広がる海の向こうには、いったいどんな世界があるのだろう。
地図上で空想を抱くのではなく、実際の海上を旅してみたい。
茫洋たる大海原を、飛ぶように駆け巡りたい。
少年の胸には、溢れるばかりの独立心が波打っていた。
「海の上を飛ぶカモメを見ながら、ああ、自分も空を飛びたい、といつも思っていました」
口許におだやかな笑みが浮かぶ。夢と希望に満ちた少年の姿が連想される。
しかし──。
印象的な笑顔の裏には、我々の想像が及ばない人生が隠されていた!
波乱に満ちた生い立ち、冒険の原点
世界の海を旅する冒険家は数多くても、自ら設計・開発したセイルボート(帆船)で海上を“飛ぶ”冒険家はあなたをおいて他にいません。この壮大なチャレンジに思い至ったきっかけは、いったい何だったのでしょう?
――冒険の話をするには、幼少時代の境遇から説明する必要があるでしょう。私は特異な環境で育ちました。父親が航空関係の仕事に就いており、アフリカで働いていたのです。母親はと言うと、精神病院に入院していました。物理的に考えて、両親は私を養育できなかったんです。ですので、寄宿舎のようなところに住んでいました。
ご両親と離れ離れで育ったのですね。
――両親に会ったのは、生涯で4回だけです。ある意味ではとても悲しいことですけれど、また別の見方をすると、自由に生きることができたと捉えることもできる。私の弱点でもあるし、力の源泉にもなっています。
ご兄弟は?
――兄と弟がいます。
兄弟は同じ寄宿舎に?
――いえ、別のところで育ちました。悲劇ですね(笑)。
寂しさを感じることはなかったのでしょうか?
――感情的なことはともかく、行動の自由はありました。何をやっても良かったんですね。寄宿舎が海の近くにあったので、ゴムボートに乗ったり、ヨットの模型を作ったりしていました。
ごく自然な欲求として、航海に出たいと思うようになっていくわけですか?
――漁師さんが乗るような船に何度も乗せてもらっていたんですが、船の上空には魚を目当てに鳥が集まってきますよね? そのときに思ったんです。ああ、僕も自由に空を飛びたい。風のように舞いたい、と。海に浮かぶ船ではなく、海面から離れていたらいいな、浮かんでいたらいいな、海の上を飛びたいな、と思うようになったんです。そんなことを考えながら成長していき、軍務に服するときがやってきました。当時のフランスには、まだ兵役があったんです。そこで、エリック・タバルリィさんと──世界的に有名なヨットマンの彼と知り合いになる機会にめぐまれました。エリックのもとで務めを果たしながら、だんだん、ちょっとずつ大きなボートに乗るようになったんです。最初はたしか、ゴムボートだったかなあ。
それからは、夢に向かって突き進んでいった?
――それしかしていない、と言ったほうがいいでしょうね。
自作の船による初めての航海は?
――いまから28年前、二十歳のころに自分が設計した船で初めて航海に出ました。ホントにもう、一生こればかりしています。
会社に務めたことはない?
――ええ、ありません。
ボートの製作費はどのように集めていたのですか? かなりの資金が必要なのではと想像しますが?
――製作費の前に、ヨットの操縦訓練を受けるためにお金がかかりますから、とにかく色々なアルバイトをしましたよ。引越しの手伝いとか。それから今度は自分が操縦を教える立場になり、プロジェクトを続けていくことがきました。とは言っても、色々とお金がかかります。ヨットのトレーニングのコーチをしていたときは、生活にまわせるお金がほとんどなかったので、それこそホームレスだったんです。
今のあなたからは想像もつきません。周囲の反応はどのようなものでしたか?
――頑張れよと励ましてくれる人がいたし、そんなことはもうやめなよという人もいました。船が壊れたりして計画がつまずいたときは、やめとけ、やめとけと言われることが多かったですね。それでも自分は、頑固に突き進んでいきました。
ご結婚は?
――娘が3人います。妻は家を出ていってしまったので、三姉妹をひとりで育てました。
なんという波乱万丈な人生を……。それでも冒険へ駆り立てる原動力は何なのでしょうか?
――娘たちはよくこう言ったものです。「パパが家にいるのは、風がないときだけよね」と。彼女たちは天気予報を見て、「あ、風が出てくるからお父さんはまたどこかへ行くな。そうしたら好きなことができるね」などと話していたそうです。いまはもう大きくなりましたから、私がいなくても大丈夫ですけどね。そういうわけで、いつもスーツケースを持ち歩くような生活をしてきたわけですが、原動力と言うと……寄宿舎にいたときは、両親の影響を受けない意味での自由はあるけれど、共同生活なので行動に制限がある。外出ができないときは、いつも部屋の窓から空を見ていました。真っ青な空を鳥が飛んでいる。ああ、僕もこの部屋から出て自由になりたい。その自由を求める気持ちが、困難に立ち向かうエネルギーのもとでしょうね。
最終目標は世界一周最短航海
イデロプテール号の開発は順調に進んでいきましたか?
――いえいえ、最初は苦労ばかりでした。飛行機だって気球から始まり、飛行船になり、プロペラ機になり、ジェットエンジンを搭載した飛行機が開発され……という変遷を経ている。私の空を飛ぶ船も、一足飛びにはいかなかったですよ。少なくとも四回は壊れていますから。エアバスが使っているカーボン製の新素材を使うようになってからは、壊れにくくなりましたが。
海の上を飛ぼうという考えの根源にあるのは、速さの追求である?
――それが第一の目標です。地球上で一番速いヨットですよ! 世界最速記録は打ち立てたので、これから挑戦したいのは外洋ですね。すなわち、太平洋や大西洋をイデロプテール号で航海したいんです。40日間で世界を一周したい。
世界一周の最短航海記録は50日ですよね? それを10日も更新するとは。限界への飽くなき挑戦ですね。
――充分に実現可能ですよ。そのためにはいまより大きい船が必要なので、資金を集めなければいけません。オーデマ・ピゲ(時計メーカー/スイス)とロンバー・オディエ・ダリエ・ヘンチ(プライベートバンク/スイス)に続く3番目のスポンサーが見つかれば、資金的にも実現可能になります。目下のところ、フランスのシャンパンメーカーのランソンと話をしているところです。
スピードを求めるなら、機械を動力としたほうがベターでは?
――エンジンはイヤなんです。風と太陽だけで動かしたい。
それは自然との共生や共存を考えてのことですか?
――いまは私だけでなくすべての人が、エコロジストでなければいけないでしょう。それぞれの人がそれぞれの場所で、自然のことを深く考えていかないと。私は私の場所で、できることをやっていくだけです。なぜ風を動力にするかと言えば、エンジンを使うより精神的な充実感を得られるからです。風の力だけで100キロ以上のスピードを出すというのは、ホントに気持ちがいいですよ。エンジンを搭載した船を、どんどん追い抜かしていく爽快さといったら!
耐久性については、すでに40日間の航海に耐えられるものができている?
――(両手で30センチほどの幅を示しながら)最初にこのような小さなモデルを造ることから始めるんですが、世界一周を目ざす今回も同じような手順を踏んでいます。現在は、スイスのルマン湖でテストをしています。小さいモデルから造っていったほうが、製作費も無駄がないですからね。
航海中に恐怖を感じたことは?
――ありますよ。でも、それは陸上でも同じでしょう。
命の危険を感じたことは?
――4回あります。一度は船体が折れてしまって、難破してヘリで運ばれました。船体がクルッと回転してしまって、首が切れそうになったことも。あれはちょっと、危なかったなあ。
ちょ、ちょっとじゃないですよっ! 授賞式のスピーチで、「イドロプテールに皆さんぜひ招待したい」とお話していましたが、恐怖は感じないのでしょうか?
――ハハハハ、そうですね、ちょっと怖いかもしれません(笑)。でも、全然危なくないですよ。乗組員はみんないつも笑いあっていますから、彼らの姿を見ていただければ、これは安心なんだな、と思っていただけるでしょう。これまで招待した方々も、安心して乗っていただけています。
ファウストは“冒険、挑戦、貢献”をキーワードにしているのですが、挑戦と冒険については、アランさんの人生そのものだと思います。残るひとつの社会貢献についてはいかがでしょうか?
――まず、借金を返さないといけないですね(笑)。住んでいたフラットを売却したので、ようやく返せるところですが。
夢の代償、ですか?
――そうですね。今回の来日中に、プロジェクトの賛同者であるティエリー・ロンバールさん(シャンパン「ロンバール」オーナー)の紹介で、日本の企業の方と会うことになっているのです。太平洋でも航海をする予定なので、ぜひ日本の皆さんにも私の夢に賛同してもらえたらと思っています。
私の姿勢を見せることで、多くのフランスの若い人たちに、夢は実現できると伝えること。それこそが、いまの自分にできる社会貢献かなと思います。周りの人たちからは、船を浮かすことなんて絶対にできないよと言われていましたからね。私の母国フランスで「夢の海路」という本が出版されたのですが、そこには今日お話ししたようなことがより詳しく書かれています。少年時代のことも、ホームレスのような生活を送っていたことも。私自身の自己セラピーのような意味も込めて出版したんですが、「そうだったんだ、あなたのような人でもそんなに苦労をしたんだ」とか、「諦めずに努力すれば夢は叶うんだ」という手紙がたくさん届きます。フランソワ・フィヨン首相も電話をかけてくれて、あなたのプロジェクトで協力できることはありませんか、と言ってくれました。
2011年、ロス~ハワイの世界最短航海に挑む!
いま、日本は夢を持ちにくい時代と言われています。
――そうなんですか? でも、今回の受賞式でお会いした方々は、素晴らしい冒険家ばかりではありませんか。たとえば、栗城さんはニートのような生活を送っていたけれど、世界的に注目される登山家として活躍している。長屋さんも大変な事故に遭いながら、夢を追いかけている。そうした方々を讃えるファウストのアワードは、本当に素晴らしいと思いました。
わずか一泊でも、日本に来たかいがありましたか?
――もちろんです! 昔から来たかったんですよ。小さい頃から日本のマンガを読んでいたのですが、サムライの真っ直ぐな生き方などは、私が大事だなと思っていること、私自身の価値観に共鳴するところがありました。昔からあこがれていた日本で、このような賞を戴けたのは二重の喜びです。
もう少しゆっくり滞在できたら良かったですね。
――でも、またすぐに戻ってきます。世界一周の最初のステップとして、ロスアンゼルスからハワイを航行しますが、それから横浜へ向かって、イドロプテールを日本の皆さんに見ていただきたい。現時点での予定としては、1年後くらいになると思います。
そして、ロスからハワイまでは、世界記録が4・5日で平均が19ノットなんです。これはもう十分に破れる。非常に自信があります。
今回は本当におめでとうございました。そして、世界一周の記録達成のニュースを、心待ちにしています。
――こうやって日本に来ることができたように、最近は様々な国でイドロプテールが知られるようになってきました。ヨーロッパだけでなくアメリカなどでも評価されて、すごいヨットだねと賞賛をいただきます。でも私は以前の自分のままで、何も変わっていません。鳥のように海上を飛びたいという気持ちは、人生が続く限り私のなかで生き続けるでしょう。
アラン・テボウ
海洋冒険家
1962年9月19日生まれ、フランス出身。海洋冒険家。風力のみで海の上を“飛ぶ”セイルボート(帆船)「イドロプテール号」を開発。自らキャプテンとして冒険を続ける。「イドロプテール号」は、ヨットに水中翼を付けるという発想から生まれた。水中翼による揚力で船体が持ち上がり、波の上を飛ぶように航行する三胴船のセイルボートだ。
2009年11月に無動力ボートの世界最速記録となる56.3ノット(約104km/h)をマークし、限界航海速度とされた50ノット(約92km/h)をはじめて超え、ギネスブックに記録登録。
2011年、LA~ハワイ~横浜の太平洋横断チャレンジを控えている。目標は、40日で世界一周し、最短航海記録を更新すること。
Text:Kei Totsuka
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