腕一本で勝負する世界
一見したところ、華麗なる転身、である。
ボクシングの世界で頂点を極めた男が、今度はアートの世界でその才能を開花させようとしているのだから、そんな表現もあながち大袈裟ではあるまい。
元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン、鬼塚勝也。果敢に打ち合いを挑むスタイルと端正なルックスで評判を博した、かつての人気ボクサーである。そんな鬼塚がグローブを絵筆に持ちかえて新たな挑戦を始めていると聞けば、誰しもが華やかな、かつ順調な歩みを想像するに違いない。
だが、実態は違った。
鬼塚は世界一になるために、ボクシングに人生のすべてをささげてきた。そんな唯一無二の目標を失ったとき、代わりとなる糧を見つけることは容易ではなかったのだ。一度世界の頂点に立った男は、しかし、だからこそ、道に迷った。
元世界チャンピオンがたどり着いた、新たな挑戦の舞台とはいかなるものなのだろうか。
ボクシング以来の興奮
鬼塚勝也は行き場を失い、さまよい歩いていた。
1992年、ボクサーとしてWBA世界スーパーフライ級チャンピオンの座に就き、栄華を極めた鬼塚は、しかし、タイトル獲得から2年半、6度目の防衛戦に敗れたばかりか、ボクサーにとって致命傷となる網膜剥離を患った。
「世界一強い男」。ただひたすら、それだけを目標に見定め、脇目も振らずに突き進んできた男は、ボクサー生命を断たれた瞬間、進むべき針路を見失ってしまった。
「人生のすべてをボクシングにかけていましたから。いざそれがなくなったときに、自分はどうやって生きていったらいいのか、まったくわからなくなったんです」
しばらくして鬼塚は、文字通り、さまようようにして旅に出た。どこへ行きたかったわけでもない。「一度、自分としっかり向き合ってみよう」と考えたからだった。
“きっかけ”は、そんな旅の途中での出来事である。
アメリカ・ロスアンゼルスに降り立った鬼塚は、保育士のアルバイトを求人広告で見つけ、面接を経て2カ月ほど幼稚園で働くことになった。
ある日のことだ。鬼塚は子供たちが昼寝をしている時間を利用して、クレヨンであれこれと絵を描き、壁に貼りつけておいた。鬼塚にしてみれば、「落書きみたいなもの」である。ところが、目を覚ました子供たちは、その絵に気づくとキャッキャと大喜びしたのである。
「そんな子供たちの様子を見て、自分のなかから何かこう、湧き上がってくるものがあったんですよね」
この時点での鬼塚の胸のうちを明かせば、正直なところ、見失っていた針路が定まったというほどのものではなかった。だが、リングを離れて以来、無為に時間を過ごしていた鬼塚にとっては大きな衝動となった。
「アメリカから帰ってきてからは、こもるようにして絵を描きました。それは人に見せるためとか、これで(仕事として)やっていこうとかじゃなくて、自分が没頭できるものとしてやっていただけ。そこに自分に才能があるとかないとか考えることもなく、ただただ絵を描くことで興奮するような気持ちになれたんです」
思えば、元々、絵を描くことは好きだった。小さい頃は美術展でよく賞状ももらっていた。
ボクサー時代にしても、スケッチブックを広げてというほどではなかったが、手持無沙汰に任せて包装紙の裏などに絵を描いていることは多かった。鬼塚自身は「ほとんど無意識に近かった」が、当時を知るジム関係者のなかには、鬼塚が描いた“落書き”を持っている人が結構いるというから、その多作ぶりは相当なものだったのだろう。
ちなみに鬼塚が地元福岡で開いたボクシングジム(スパンキーK・セークリット・ボクシングホール)も、トレーニング場の内装や壁に掛けられている絵は鬼塚自身の手によって描かれたものだ。ボクシングジムらしからぬ、どこかアトリエを思わせるような芸術的な空間は、確かに鬼塚が「絵を描くことは昔から好きだった」ことを裏づける。
ボクシングでしか味わえなかった高揚感が再び
子供たちの無邪気な歓喜に後押しされ、絵を描くことにのめり込んでいった鬼塚。とはいえ、ここまでなら、それはいわば趣味の延長線上にあったにすぎない。
元世界チャンピオンがアートの世界で本格的に動き出すのは、これもまた、偶然の出来事がきっかけだった。絵を描くことと同時に、ファッションにも興味のあった鬼塚は、アートとファッションを絡めて何かできないだろうかと、新たな活動を探っていた。そんな折である。
鬼塚は知人を介し、ある人物(鬼塚は後に、その人物がギャラリーを経営していることを知る)と会うことになった。自己紹介も兼ね、鬼塚が「こんなものを描いています」と、自らがデザインしたTシャツを差し出すと、返ってきた言葉はあまりにも唐突で意外なものだったのだ。
「おもしろいですね。個展をやりませんか」
百戦錬磨の元世界チャンピオンも、まさかの話に一瞬腰が引けた。
「そんなことを考えたこともなかったので、こんな話が来ちゃったよっていう驚きもあったし、いやいや、オレなんて、っていう引け目もあったし」
しかし、だからといって、魅力的な提案を断る気にはならなかった。一方で、突如訪れたチャンスに身震いするような興奮もまた覚えていたからだ。
「なんかこう、アマチュアからプロに転向したときの気分っていうか、自分が好きだから描いているっていうだけじゃなくて、そこで作品を発表するっていうことになったとき、今まで味わったことのないような、いや、ボクシングでしか味わったことのないような感覚を覚えたわけです」
その感覚は一過性のものではなかった。描けば描くほど高まる興奮。自分の絵を人に見られることのプレッシャーもあったが、決して心地の悪いものではなかった。
「自分だけの世界で描きたいときに描いていたものが、そこで(絵を描くということが)戦いになったんでしょうね、僕のなかでは」
何かのスイッチが入ったかのように、体の内からみるみる湧き上がってくる高揚感。久しぶりに味わうその感覚に、誰より鬼塚自身が驚いていた。
「今までボクシングが、あまりにも僕のなかで強烈なものだったんでね。同じ気持ちを味わうことなんてないだろうと思っていたんですけど……。でも、アートもボクシングも一緒なんですよ。腕一本で勝負できるっていうのが、僕には一番合っているんだと思います。自分の世界観で勝負できるっていうのが、きっと好きなんでしょうね……というか、それでしか生きていけないんですよ」
頭に思い浮かぶのは、プロボクサーになりたてのころの感覚である。
「ボクシングを始めて、プロになって、最初は勝つために自分の強さをガンガンぶつけまくるような、そういうものがあったんですよね。毎日が興奮しているような…。ところが、どんどんキャリアを積んでランキングが上がれば上がるほど、いろいろ考えるようになるわけです。勝つために負けない自分を作るというか。僕は世界チャンピオンになるために自分自身を殺して、感情をも捨てるくらいにコントロールしてきましたから」
そして、鬼塚はこう続ける。
「だから今は、より本能に近いところでやっているのかもしれません。自分のアートに対する気持ちっていうのは、プロでデビューしたころのような、自分をぶつけるような感覚があるんですよね。アートの才能がどうのこうのではなく、自分にしかない表現というものを出していきたい。今は、それだけを考えています」
自分にしかない経験をパワーに
とはいえ、元世界チャンピオンの新たな挑戦に対する世間の見方は、恐らくそれほど好意的なものばかりではないだろう。
「それはしょうがないと思います。ボクシング関係者にしてみれば、二足のわらじ程度にしか思わないだろうし、アート関係者にしてみれば、そんな甘いもんじゃないよ、と思うだろうし。僕もそう思いますしね」
実際、ボクシングの元世界チャンピオンが今度は絵を描き始めたと聞けば、器用に世の中を渡り歩いているように見える。だが、現実の鬼塚はそれほど器用な生き方のできる人間ではない。現在に至ったのも、方角も定まらぬままにさまよい歩いた末のことだ。事実、現役引退からすでに18年以上が経過した今、華麗なる転身という表現がふさわしいのかどうかさえ疑わしい。
「1999年にボクシングホールを開きましたけど、プロを育てたいわけでも世界チャンピオンを育てたいわけでもない。逆に自分がこういう厳しい競技を経験しているから、自分から選手になることを勧めることはありません。かといって、練習生大歓迎みたいな商業的なジムにもできないし、自分でももどかしいところはいっぱいあるんです。ただ、ここは自分の柱とも思っていますし、それを守るためにも頑張らないといけないとは思っています」
だが、鬼塚はそうした状況をすべて受け止めたうえで、胸に熱いものが宿す。
「絵のうまい人なんて、世の中にゴロゴロいる。僕なんて鼻クソみたいなものです。でも、アートが自己表現であるのであれば、僕には僕にしかない経験があって、それを何かしらの形で出すことさえできれば、それは特別なことになりうるんじゃないか、と。だから、うまい下手とかじゃなくて、絵から出るパワーみたいなもは、出していきたいんです」
幸いにして、「今の僕の強みは、学がない分、怖いもの知らずで何でも試してみる。そして人の評価に左右されないこと」だと、鬼塚はいう。
「下手くそだと言われても、そんなの勉強したことないんだから当たり前だし、その粗さも僕のパワーだと思っていますから。現に僕の作風は子供の描いた絵から来てますし」
アートは作品がすべてとは言っても、鬼塚が語っているように、元世界チャンピオンという色眼鏡で見られることは避けられないだろう。もちろん、それは決して望ましいことではないが、鬼塚自身はすでに折り合いをつけているようにも見える。
「最初に個展の話をもらったときも、過去の経歴は出したくないという気持ちが正直あったんです。そのことで薄っぺらく見られるのも分かっているし、やる以上はそれとは関係ないところで勝負してみたいっていう気持ちもありましたから。でも、こうやって描いているうちに、あえて隠すのもカッコつけになるし、気にする必要はないんじゃないかな、と。実際、自分が経験してきたことが自己表現として表われる。絵でもそうですし、自分が話すことも、やっぱりボクシングで例えることが多いんですよね」
しばらくの沈黙の後、「だから」とつないで鬼塚が口を開く。
「より多くの人に見てもらうための間口を広げるためには、元世界チャンピオンっていうのも必要なのかもしれません。例えば、個展のチラシを見たとき、目に止まるかどうかの違いですよね。多くの人に見てもらいたいという意識があるなら、それも使う。やっぱり恥ずかしくなるときもありますけど。ただ、見てもらうきっかけは何であれ、作品に力がなければそこで終わってしまう。だからこそ作品一つ一つの出来だけじゃなく、量の多さや空間も含めたことも考えて表現していきたいと思っています」
ひとつの世界で頂点を極めた男が、栄光から一転、行き場を失い、さまよい歩いた末にたどりついた新たな世界。有り体に言えば、偶然の出会いが鬼塚にチャンスをもたらしたということになる。
だが、偶然の出会いとは、幸運によってのみもたらされるわけではない。
「最初に個展をさせていただいてから状況は変わってきました。ただ、ボクサー時代と同じで、勝つためにはハードなトレーニングを自分に課す。今でも個展前はあらゆることを断ちながら自分を律します。やはり夢や目標が結果として表れるためには、想いに集中し行動に移して継続していくことが必要だと思っています。もちろん周りの人たちの協力があっての話ですが。結局、自分が動いていないと、ことはうまく引き寄せられない。そういう意味では、グーッと奥歯に力が入るような感じで毎日生活しています」
鬼塚はアートの世界で、まだ何を成し遂げたわけでもない。自身、「自分の可能性がどこまでなのか、自分がどんなことをやっていけるのか、まったく分からない」という。
それでも鬼塚は笑みを浮かべて話す。
「今は描いていること自体がすごく楽しいんです」
一度は行き場を失った男が再び、新たなる挑戦の舞台に立った。あたかも、プロデビューしたばかりの新人ボクサーのように。
鬼塚勝也
アーティスト/元ボクシング世界王者
ボクシング元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン。1970年、北九州市小倉生まれ。1988年プロボクサーとしてデビュー。1990年10月、日本スーパーフライ級チャンピオンとなり、3度防衛の後、1991年12月タイトルを返上し、翌年4月、WBA世界スーパーフライ級王座決定戦に挑む。これに勝利し、世界チャンピオンの座に就く。その後、5度の防衛に成功し、世界ボクシング協会よりスーパーチャンピオンと認定されチャンピオンベルトを贈られる。1994年網膜剥離により現役を引退。プロ戦績は25戦24勝17KO1敗。
引退後は、放浪の旅をしながらアメリカに渡り、ロスアンゼルスで保育士を務めたときの子どもたちとの触れ合いがきっかけとなり、絵を描くなどのアート活動を開始。1999年、地元福岡でボクシングジム「スパンキーK・セークリット・ボクシングホール」を開設。TBSボクシング番組では解説を務めるかたわら、ファッションデザインやアート活動を行う。
2011年1月、絵画初個展「RED CORNER」を開催、注目をあびる。5月、文化人・芸能人の多才な美術展2011に出展。10月、「ベストジーニストアワード」受賞。授賞式にはデニム製のサンドバックと2mの巨大な絵画を出展。11月「ベストデビュタントオブザイヤー」アーティスト部門で特別賞受賞。授賞式にて絵画を展示。2012年、文化人・芸能人の多才な美術展2012に出展。2013年、ボクシングホールにて個展を開催予定。
Text:Masaki Asada
Photos:Kiyoshi Tsuzuki(Interview)
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