美しく年月を重ねた男とクルマが生み出すもの
糸を引くような秋の霧雨が神宮の森を濡らしています。いとおしく磨き上げられた宝石のようなクルマたちのボディが、かえっていっそう艶かしく輝いています。
10月11日、東京・明治神宮。この日、珠玉のヒストリックカーの祭典「ラ フェスタ ミッレ ミリア 2008(以下ミッレ ミリア)」がスタートの日を迎えました。
ブガッティ・タイプ35C、ベントレー・6 1/2リッター、フェラーリ・166MMといった、当時の最新最高の技術と素材で、隅々まで丁寧に人の手で産み落とされた宝石のようなクルマたち。その中 で、ひときわ小さく、かわいらしいクルマがありました。フィアット・アバルト750レコードモンツァ、そのクルマこそFaust A.G.のメンバーであり、このイベントに挑む、木村英智さんの愛車です。
多忙な日々を送る木村さんが、このレースに出場するようになって、もう6年目。参加するきっかけは「もともとクルマ好きだから」というのはもちろんのこ と、フェラーリ・オーナーズクラブの人々との交流の中で仲間を応援しているうちに、いつしかこの“日本で一番美しいレース”に魅せられてしまったのだと か。
「これまでの最高位は昨年の18位でした。750ccというクルマの排気量を考えれば、これまでの成績も悪くないと思います。でも、やるからには上を目指したい。今年は10位を狙っていきますよ。では、また!」
そして時計の針が11時を回るころ、多くのギャラリーの声援を受けながら木村さんは出発していきました。
優雅さの裏に潜むミッレミリアの過酷さ
さて、この「ミッレ ミリア」、一見“ヒストリックカーで優雅にドライブしていればいいだけでは”と、思う方もいるかもしれません。確かに、華やかな明治神宮のスタートイベン トだけを見ると、そう思えてしまうのも仕方がないのかもしれませんが、実はそう簡単なものではありません。
イタリア語で「ミッレミリア」、1000マイルという意味の通り、約1600kmもの距離を4日間で走破するこのレース。1日400kmという走行距離 は、現代のクルマでもちょっとした“ドライブ”ですが、何しろ乗るのは戦前ふくめ1967年以前のクルマ。現代のように、トラブルフリーのイージードライ ブ……というわけにはいきません。
そして、このレースの勝負どころは、クルマの速さではなく、各所に設けられたチェックポイントまでの決められた距離を、可能な限り決められた時間ぴったり に走る“ラリー”である点。例えば、50km先のポイントに1時間35~36分の間にたどり着く・・・という具合にそれぞれに課題が与えらます。それに 対し、同乗するナビゲーターとの連携で、距離・時間・速度の緻密な計算をし、実際の走行を行わなくてはならない。要するに、頭脳とテクニックの両面が要求 されるレースなのです!
おまけにルート説明は、カーナビなんてもってのほか、地図ですらありません。なんと「一旦停止ラインから500m先の十字路を右折」という“言葉での指示 書き”が渡されるのみ。つまり一度コースを外れると、地図を見られないので、容易に復帰することができないのです。「では、早めにチェックポイントに到着 し、クルマを止めて待てばいいではないか」……という面白くない“ツッコミ”はレギュレーション違反。それでいてタイム計測は100分の1秒単位というシ ビアさ。いかがでしょう、「ミッレ ミリア」がただのクルマ好きの優雅な大会では決してないことが、お分かりいただけたでしょうか。
さて、スタートの明治神宮から六本木ヒルズを通った出場者たちは、そのまま高速に乗り、一路裏磐梯を目指します。ルートとなった沿道には地元の老若男女が 旗を振り、声援を贈ってくれます。地元の人々にとって「ミッレ ミリア」は年に一度のお祭り。これを見ていると、本家イタリアのごとく、“ヒストリックカーを愛する”という世界観が根付き始めていることを実感します。 そんな観衆に木村さんたち出場者は手を振り、挨拶を返しながら、タイムを計算しつつ、ルートを確かめつつ、愛すべき古きクルマのコンディションに細心の注 意を払って、1600kmの道のりを紳士に走り抜けるのです。
そんな道中、チェックポイントや信号で止まる度に、応援してくれた地元の子どもたちに、何かを渡している出場者が。見れば、それは記念のピンズ。出場者は 毎年、記念のピンズを自費で作り、それを子どもたちにプレゼントするのです。こうした交流は、12回を数える「ミッレ ミリア」の中で自然と生まれたもの。なかには去年、ピンズを渡したことをきっかけに手紙でのやり取りを続けた子どもと、感激の再会をした出場者もいたので した。
明治神宮~六本木~日光~福島裏磐梯~白石~喜多方~成田~横浜と「ミッレ ミリア」のルートに沿って、ヒストリックカーを触媒としたふれあいのサイドストーリーがいくつも生まれていく、これもミッレミリアの醍醐味の一つです。
そのルートには人と文化の出会いが広がっている
「東京ではフェラーリもメルセデスも当たり前のように走っています。けれども、地方ではそうはいきません。ましてや、こうしたヒストリックカーが目の前を走るなんて、とても珍しいことなんですよ」と木村さんは言います。
「僕はこのイベントでクルマを見た子どもが、クルマの素晴らしさやデザインに目覚めてくれればいいと思うんです。もしかして、そうして見た何千という子ど もの中から世界的なデザイナーが生まれるかもしれません。そのきっかけが作れたとしたら、それは本当に素晴らしい。そういった意味で、私は自分が楽しむと ともに、何かを他者に与えることができるのではないかと。それもこのイベントの意義だと思うのです」
そう、それこそまさにFaustの精神なのであります!
かくして木村さんは、小さな小さな重さ600kgしかないアバルトのアクセルを床まで踏み抜き、猪苗代を抜け、福島の小峰城を通り、ツインリンクもてぎのサーキットランをこなして、ゴールの横浜に戻ってきました。街中がすべての出場者を暖かく迎えます。
スタートと同じく小雨の降る10月14日、横浜の空が夕闇に包まれるころ、1600kmもの長い旅が終わりを迎えました。
「去年くらいから“レース”ができるようになったと同時に、本当の大人の男の遊びがわかるようになってきたと思います」
木村さんは1600kmをともにしたナビゲーターの奥様と目を合わせながらイベントを振り返りました。
さてゴール後は、ホテルニューグランドでのブラックタイのパーティーが開かれました。その華やかな一夜が明けた翌日に、いよいよ順位の発表と表彰式です。
木村さんの順位ー得点8892点、総合10位!
750cc、車重ほんの600kgちょっとの小さなクルマでは、周囲のひと回りもふた回りも体力のあるライバル車たちのペースに着いていくのも、本来やっとのことでしょう。それでいながら10位という入賞は他の出場者から見ても快挙といえるものです。
「二日目の終わりに発表された中間順位では13位くらいでした。後半はかなり厳しいチェックポイントが多く、毎年順位の変動が大きくありますから、『もし かすると、……』という手応えはありました。でも本当に10位になれるなんて! 致命的に失敗したところもなく、ここまでこれたのは妻のナビのおかげ。こ こから上は出場経験豊富な方たちばかりですから。それに1位から15位までは時計の商品も出ますしね(笑)」
「走り終わると『あぁ、1年が終わった』と思うんです。というのも毎年、このレースに出場するために絶対に一週間前には仕事を終わらせて、そこからは何が 何でも仕事は入れない(笑)。僕の1年のリズムにミッレミリアが組み込まれていて、公私の区切りにもなっているんです。そして、一年かけてずうっと準備を すすめていく。言い換えれば、この4日間の1600kmの冒険が僕のライフスタイルそのものになっているんですよ。次は一桁の順位をめざし、いつかは優勝 をしたい。そういう目標が仕事や人生の糧になるのって素晴らしいじゃないですか」
打ち込めるものがある。人生のスパイスを持つ。そんな男の笑顔は、歳を重ねた珠玉のクルマのように、まぶしく輝いているのでした。
木村英智(きむらひでとも)
水槽に熱帯魚や水草、サンゴなどを用いるアクアリウムと自らのライフワークであるデザイン、インテリア、アートを融合さ せるアクアリストの第一人者。生態系を維持したままアートとして鑑賞できる世界を構築する唯一のアクアリストとして知られ、2007年、2008年と六本 木ヒルズで行われた「スカイ アクアリウム」の総合プロデューサーとして同イベントを成功に導く。“ラウンジ アクアリウム”“リビング アクアリウム”を提唱し、新たなる価値創造の為に日々活動している。株式会社エイチアイディー・インターアクティカ代表。
ラ フェスタ ミッレ ミリア
1927年にイタリアで行われた公道タイムトライアルレース「ミッレミリア」とその復活版「ミッレミリア・ストーリカ」 を範にとった日本版ラリーイベント。クルマのスピードを競うのではなく、決められたルートを決められた時間ぴったりに走るという時間と運転の正確さを競う タイムラリーである。戦前から1967年までに製造されたヒストリックカーで東京・原宿の明治神宮前から日光、猪苗代、裏磐梯、白石、郡山などの名所旧跡 を巡りおよそ1600km(1000マイル)のルートを踏破する。今年で12回目を迎えた本レースはクルマ好きの間で「日本で最も美しいレース」と賞賛さ れている。
http://www.lafestamm.com/2008/
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