温泉旅館とは伝統文化を継承する場なのです
瀧多賀男 水明館3代目代表取締役社長
日本三名泉のひとつとして知られる下呂温泉。岐阜県南飛騨の山間を流れる飛騨川沿いに位置し、癒しとくつろぎを求め多くの人々が訪れる温泉地だ。その下呂に、約1万坪という広大な敷地を有し、日本情緒あふれる立派なしつらえと、至高のもてなしを誇る老舗温泉旅館がある。
その名は「水明館」。1932年に開業し、今年で79周年を迎える水明館は時の天皇皇后両陛下をはじめ、数々の文化人も宿泊に訪れるほど、名実ともに下呂温泉を代表する旅館として今日に至っている。
瀧多賀男氏は、「水明館」を束ねる3代目社長だ。瀧家とは、もともと大正から昭和の始めにかけて尾張・一宮にて「瀧此商会(たきこのしょうかい)」という桑苗や農機具、養蚕具の製造販売をはじめ、一時期は映画館など様々な事業を行う商会を営んでいた一族。初代の瀧多賀男(当代の祖父)の代に、ここ下呂に居を移して旅館を始めたのが水明館の始まりである。
それを引継ぎ、“温泉旅館”という日本の伝統と文化を21世紀の現代に伝えることに尽力しているのが、当代の瀧多賀男氏だ。加えて、観光地として下呂温泉を発展させていく下呂温泉観光協会の名誉会長、さらには日本国内全ての温泉のあり方を考え振興させていく日本温泉協会会長を務めるほか、数多の観光関連団体役員を兼任。まさに、いまの日本の温泉業・観光業を背負って立つ、なくてはならない人物のひとりといえよう。
――3月11日の東日本大震災の影響で、日本全国の観光地はいま、大きな打撃を受けているといわれています。「水明館」の状況はいかがですか?
(このインタビューは2011年3月下旬に行ったものです)
「水明館」は、山水閣、飛泉閣、臨川閣の3つの館と青嵐荘という離れで構成されている温泉旅館です。震災後1週間で、実に6千人もの予約キャンセルがでてしまい、下呂温泉全体では2万人がキャンセル。これは大きな痛手です。しかし、被災地の旅館やホテルは当分営業のめどが立たないはずですから、我々が頑張らないといけません。また、福島からは100名余りの人々がここに避難してきており、できる限りの支援をしているところです。
――阪神淡路大震災のときも、救援活動をされたそうですね。
阪神淡路大震災が起きるすこし前、ちょうどタンクローリーで下呂の温泉を老人ホームなどに送り温泉を楽しんでもらうボランティア活動の準備をしていて、そんな矢先に地震が起きたんです。そこで被災地の方々に温泉でリフレッシュしてもらおうと思い、地震発生の10日後には温泉水を現地まで運び、大変喜んでいただけました。実はこの「水明館」も、水害に何度も見舞われてきた過去があります。1932年の開業後わずか1週間で大雨があり、目の前の飛騨川が氾濫。造りたての建物が流され、床上浸水する被害にあいました。地元の人々はみな、水明館はもうだめだと思ったくらいです。1カ月後には営業再開することができましたが、当時の祖父やスタッフの苦労は非常なものだったと聞きます。父の時代にも大洪水で半年間営業ができなかった時期があり、水明館は水との戦いの歴史をもっているんです。ですから、災害は他人事に思えないですね。
――幾度となく襲う水害の逆境にめげず、温泉旅館を続けるという姿勢は心から感銘を受けます。
私は温泉旅館というのは、畳や着物、浴衣、お茶やお花など日本の伝統的な生活様式を継承する場所だと捉えています。現代は、畳が敷かれた部屋に住む人も減り、畳の良さを感じられるのは旅館とお寺くらい。日本にしかない文化は何が何でも引き継いでいかねばならないんです。ただ、足の悪いお客様には椅子のお部屋で過ごしていただくというような対応も当然行っています。21世紀という時代にあった伝統の伝え方を常に模索しています。
――文化と伝統を受け継ぐというお気持ちが強いのですね。文化という点では水明館の館内にも、おどろくほどの数の美術作品が飾られています。どれも日本を代表する作家の作品ばかりです。
画家・横山大観氏、中島千波氏の作品や、岐阜の美濃焼の人間国宝の鈴木蔵や故・加藤卓男の陶壁画などを展示しています。どの芸術家も、私の祖母と交流があった方々ばかりなんです。祖母は生前、日本文化を大切にしろと常々私に言い聞かせていたこともあって、こういう展示をしています。“館内美術品めぐりツアー”を毎日開催していて、とても好評をいただいています。本物、あるいは一流のものをお客様にきちんと見て、理解していただくことが大切だと思うんです。ただ下呂温泉の水明館に1泊したというだけでは、何も意味がない。美術品のほかにも敷地内にある茶室や能舞台、館内で使われている岐阜の木材である檜や和紙のことをツアーで紹介することによって、日本文化はもちろん岐阜の文化も知ってもらえます。旅館はあらゆる文化と密接にリンクしているので、ただ慌ただしく泊まるだけでなく、そういうものに触れながらゆっくり楽しんでいただきたいですね。
ユニークなアイデアを取り入れ、
地域活性化に貢献
――人気の水明館ですが、いま解決すべき問題点はありますか?
下呂だけに限ったことではないのですが、日本の温泉は、入湯税を見直すべきだと思っています。その税金が、どこに使われているのか不鮮明な部分が多いからです。そこで、下呂ではその税金を一般会計に入れずに、すべての宿泊施設のテレビを地デジ対応のものに買い換えることに費やしました。
この次はLED電球への全面切り替えを検討しています。そういう設備が整うだけで話題になりますし、お客様にも喜ばれます。莫大な宣伝費を使うより効果的ですよね。電球一つにしても、地元の電気屋の協力が不可欠になり、それが地元の活性化にも繋がりますから。結果として、街づくりになるんです。
――税金を有効に使えば、旅館のみならず街の活性化にもなるんですね。
まさにそうです。実際、どこの温泉地も集客数は減っています。下呂温泉は平成2年は170万人でしたが、今年は100万人を切ると予想しています。東京でもどこでも遠方からお客様を呼び込むためには、まず地方が元気でなければなりません。そして、地方の価値を上げることがもっとも大切だと考えています。1989年の臨川閣建設のときにも、地元業者に協力してもらうことにこだわりました。鉄鋼、電気工事、造園、左官、建設……。本当は大手業者にまるごとお願いしたほうがコストもかからないのですが、地元業者のレベルを上げて街を元気にするにはこれが最適な方法なのです。
――温泉地集客数の減少は切実な問題なのですね。瀧さんは、集客アップのためにほかにどんな解決策を練られていますか?
ヨーロッパの温泉地のように、温泉療法の施設を増やしていけたらいいと思っています。エヴィアンやバーデン・バーデン、ブダペストのように、長期滞在できて、かつ保険も効くような。日本の医師にも温泉療法を推進してくださる方はいますが、なかなか実現しない。これがうまくいけば、温泉の新しい活用法として人を集めることができるのではと思います。ヨーロッパでは、温泉水を飲むという治療もありますし。
――海外からヒントを得ることもあるのですね。
ええ、海外の温泉地はいろいろと見て周りました。たとえば水明館の温水プールはヨーロッパのものをヒントにして、1959 年に設置したものです。日本国内で年中入れるプールは当時ここにしかなかったので、東京オリンピックの強化合宿もここで行われたんですよ。
齢74にして、まだまだ抱く夢がある
――水明館も下呂温泉も、ほかにはない試みが成功に導いてきたのがよくわかりました。瀧さんの次なる夢は何ですか?
下呂温泉は現在、「にっぽんの温泉100選(平成21年度)」で第9位に位置づけられています。私は祖父や父の遺志を継ぎ、「下呂温泉を一流の温泉地にする」という一心で今日まで邁進してきました。でも夢は尽きません。
私は歌舞伎が大好きなのですが、地方には昔、地歌舞伎という素人歌舞伎がありました。今も少し残っていますが、宿場には芝居小屋があり、役者もよく宿泊していたそうです。つまり、芝居と旅館はリンクしていたんですね。それを復活させたいですね。そしていつか、江戸歌舞伎を下呂に呼びたい。中村勘三郎さんや市川猿之助さんとも交流があるので、ぜひ実現させたいです。
――面白いアイデアですね! それが実現したら、集客アップはもちろん、地歌舞伎という地方の伝統文化を次世代に伝えていくことにもなります。常に文化の継承を念頭に活動されているんですね。
伝統文化や芸術に造詣が深かった祖母の影響が強いのでしょうね。歌舞伎が好きなのもそのせいです。今でも東京に行くと当日券で一幕だけ観たりしています。かといって、ハリウッド映画やジャズも好きなんですよ。昔は銀座のジャズ喫茶にもよく通っていましたね(笑)。穐吉敏子とか、よく観にいっていました。好きなことをするのは、気分転換にはぴったり。
――御年74歳でいらっしゃるのに、仕事にも趣味にも精力的ですね。ファウストもこんな年の重ね方が理想です。
まだまだやることはたくさんあります。これからも、頑張って水明館と下呂温泉を盛り上げていきたいです。
瀧多賀男
株式会社水明館代表取締役社長。1936年、岐阜県生まれ。成城大学経済学部卒業。59年、祖父の代から続く温泉旅館「水明館」に入社。80年には3代目社長に就任。そのほかにも、日本温泉協会会長や、日本観光協会理事、下呂温泉旅館協同組合理事長など、さまざまな団体の役員を務める。2000年に藍綬褒章、10年には旭日中褒章を受賞。
下呂温泉 水明館
岐阜県下呂市幸田
予約・問い合わせTel.0576-25-2801
宿泊料金その他プランは公式サイトから
公式サイト www.suimeikan.co.jp
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