Vol.22
もうひとつの挑戦
2012年冬から2013年新春にかけて、長い月日をかけて準備してきた「輪」が、ようやく、そして次々に、形を見せ始めた。それは未来を見据えたシステムの構築。世界一を目指す室屋の「もうひとつの挑戦」がここにある。
「輪」を作ることの意味
2012年秋。日本チームとして参戦したハンガリーでのWAAC(アドバンスト世界曲技飛行選手権)と、それに続くEAC(ヨーロッパ曲技飛行選手権)。そこで確かな手応えを胸にした室屋は、帰国早々慌ただしい日々を過ごしていた。まずは今回で第3回目となる「全日本曲技飛行競技会」の準備だ。日本でも唯一と言える環境を持つ、ふくしまスカイパークで行われるこの大会は、世界を舞台に活躍する室屋にとっても長年に渡る重要なミッションのひとつ。もっと空の楽しさを皆に知ってもらいたい。本気の人間なら世界を目指せる、そんな環境が作りたい。スカイパークには事務局の一員として、あちこちと動き回る室屋の姿があった。
自身の競技だけでなく、この全日本大会の運営、そしてこの大会から世界の頂点を目指せる日本チームと選手たちを輩出すること、更に言うと、日本のエアロバティックス界全体の大きな「輪」を作ること−−−それらすべてが室屋の挑戦であり、スパイラルを描くように相互作用しあってこそ成立するものと思われた。
「日本で『輪』を作る必要がある、と考えたのは今から10年くらい前のことです」。
10年前の2003年当時、室屋はエアロバティックスの最高峰WAC(世界曲技飛行選手権)に初挑戦していた。すべてが手探りの中、単身乗り込んだ世界大会。そこには国や組織団体の手厚いサポートを受け、万全のチーム態勢で望んでくる強豪国の選手たちがいる。その大会で室屋は、「勝つためには自分自身の訓練はもちろんのこと、日本の曲技飛行競技全体の環境整備が不可欠」だと痛感していた。選手に限らず、マネージメント、ジャッジ、サポートシステムなど大きな枠組みで力をつけなければ…。室屋は自身の最終目標を見据え、それをブレイクダウンした足元の目標と、それを実現するための様々な構想を練った。
「複合的にやらないと。いろいろなものを一緒に進めないと、何も始まらないから」。
まずは競技者のモチベーションとなる、人が集まる仕組みをつくろうと、全日本の曲技飛行競技会の試行大会を開催することにした。やるべきことは山のようにあると思われたが、まず始めたのは機体の購入、そして競技者グループの組織づくり。黄色いエアロバティックス機EXTRA200の下に国内の曲技飛行愛好者が集まり、小さなグループができた。その代表としてファウストA.G.のエアロバティックスチームのキャプテンでもある芦田博が尽力している。芦田は、室屋がかつて空への挑戦を諦めかけた29歳の頃、彼の夢を後押ししてくれた参謀のような頼もしい仲間。その後ふたりは、点在するいくつかの曲技飛行グループに呼びかけ、主要選手や審判として全国の飛行機乗りたちが参加するようになった。もちろん地元の理解も心強い要因だった。室屋をはじめとする福島の空の仲間たちが地元との信頼を地道に築いてきたおかげで、通常困難とされる会場も無事に決定することができた。
試行大会の行われた2009年は、実は室屋にとってレッドブルエアレース初参戦の年でもあった。室屋がレースで動けなかったため、開催は少し季節を遅らせた11月になった。
「風も強くて大変な時期になってしまったけれど、なんとか開催にこぎつけて」
快挙を成し遂げたルーキーイヤー、自身の限界に挑み続ける一方で、室屋は日本の曲技飛行の枠組み作りのためにも東奔西走していた。
この競技会で審判委員長を務める鐘尾みや子(FAIインターナショナルジャッジ)は、大会に至るまでの道のりと室屋についてこう語る。
「室屋さんは日本の曲技飛行における第3世代くらい。実は過去に何度もこうした大会を開催しようとはしたのだけど、実現までに至らなかったんです。それは、室屋さんのように、自分のことだけでなくその先の世代のことまで考えて実際に動こうとするトップ選手がいなかったことが大きな要因でした。彼の存在がなければこの競技会もここまでこなかったでしょうね。傍から見ていると人のための労力のほうが、自分の為のそれよりずっと多いのではと思うほど」。
室屋の原動力、世界を知る仲間、周囲の協力を得て歯車は少しずつ回転していく——本大会実行委員長には日本の曲技飛行の先駆者である奥貫博が、審判委員長には前出の鐘尾みや子が、チーフジャッジには在米のエアロバティックス教官である高木雄一らが就任(高木はその後2012年WAACとEAC日本チームのマネージャーを務めることになる)。その他選手たちを含め、曲技飛行、航空スポーツ界の人材が、大会の実現に向けて一気に集結していった。
第3回全日本曲技飛行大会
そうして順調に回を重ねて行われた2012年の第3回大会は、機体の手配などの関係で若干の欠員があったものの、インターミディエイトで2名、スポーツマンで8名、プライマリーで5名、全15名の選手が参戦。観戦者は一万人を超え、益々広がりを見せている。「今回の大会ではひとつクラスもアップしてインターミディエイトクラスの選手も参加。着実に進歩していますね」。
今回最も注目されたのはもちろん、上位クラスの2名。夏のWAACに日本チームとして参加した岩田圭司と、フランスで大会経験を積んだ若手パイロット小幡重人の対決は「おやじ世代 vs. 若手ナンバーワン」の戦いとして大会を盛り上げた。
岩田は「生涯現役選手」を目標に掲げ、この全日本競技会に出場している。10年以上のブランクを経ての再挑戦、仕事をやりくりし福島でのトレーニングキャンプに参加、そしてWAACに出場したこの年は、岩田にとって挑戦者魂を再燃させる濃密な時間だった。
「(WAACは)15年くらい前に岩田さんが出ていた頃とは、機体もレベルも格段に上がっているのでキツイところはあったはず。そんな中でも僕の呼びかけに快く応じてくれた。その男気にまずは感謝ですね」と室屋。
年々進化する機体性能に伴い、求められる技の難度も高くなっている。以前は260馬力(ピッツ程度)だったという制限がなくなり、300馬力(無制限=アンリミテッドと同レベル)の機体を使用できるうえ、それに伴いGも±6Gだった制限が、現在では±10Gへと厳しいものになっている。岩田はそんな状況にひるまず果敢に挑んだのだった。
「それだけの経験をして全日本に出場したので、かなりいい状態だったということと、直前にセーフティパイロットとして他の選手の練習にもつきあっていたので、そういう意味では少し有利な態勢だったと思います」
一方の若手代表である小幡。「彼は夏に3ヶ月間フランスで練習し、大会での戦績も収めて、自信満々で帰国して。資金難につき全日本に向けた練習は一回しかできず、ポイントを絞った練習のみで臨みました。練習が少なかった分不利ではあったのだけど、技量レベルでは二人ともかなり近いところにいますね」
小幡は幼い頃に『紅の豚』に憧れ、大学時代よりエアロバティックスに挑戦、室屋の背中を見ながら、やはり世界一の曲技飛行パイロットを目指している。アルバイトをしながら挑戦を続けるその若者に、室屋は厳しくも温かい視線を送っていた。
全日本競技会では(岩田が79.1%、小幡が78.0%と)僅差ながら岩田が優勝を手にし、今後の対決にも期待が持てる結果となった。来年、再来年、世界大会へ出場するのは誰だろう。そんな気持で表彰台に立つ選手たちを見つめていた者も多かったに違いない。
羽ばたき始めた翼
全日本競技会を終えると一息つく間もなく、室屋は各地での年内最後のエアショー、そして年末にかけては、また慌ただしく走り回っていた。今は、ようやく様々な計画が姿を見せ始めようという重要な局面だ。ひとつには、安全を確保しながらの普及に欠かすことの出来ない、曲技飛行統括団体の設立が形になりつつあるということ。そして、この統括団体の管理下において、「世界最高水準の訓練シラバス」を設定し、「訓練生の技量を安定的に向上」させていこうというもの。具体的には、飛行機の免許取得からエアロバティックス訓練までのスクールを、日本とアメリカの2校で一貫した体制のもとに開校させる。
「全日本曲技飛行競技会は、運営態勢も含めて周辺準備もルーティン化されてだいぶ落ちついて来ました。あとは、次に向けてのステップですね。全日本大会も、近いうちにFAI公認の日本選手権となるべく準備を進めているんです」。
「日本選手権になるというのは、“その大会で勝たないと世界に出られない”という実効力を持つ大会になるということ。逆に言えば“勝てば世界へ行ける”ということでもある。そういうステップができることで、全日本から世界へと進む選手が出るようになれば、この世界も一歩進んでいく、でしょう」。
「例えばフランスではナショナルチーム入りするとトレーニングキャンプが4回ほどついてくるんです。そんなふうにナショナルチームに入ることが特典と練習環境に繋がれば、選手たちは一気に伸びるし、後ろの選手たちのモチベーションにも繋がる。最初はどうしても自分で頑張らないといけないだろうけど…(更に上に行ける)そういう仕組みを上手く作りあげていかないとね」
大空への入り口
そうしたパイロットの練習環境の充実のために始動させるのがスクールだ。室屋の元には日々「どうしたら曲技飛行パイロットになれるか」という初心者からの問い合わせが届く。そんな未来のパイロットや選手たちに向け、室屋はJAS(Japan Aerobatic School)を、ふくしまスカイパークとLAのレッドランドを拠点に開校させる。小型飛行機の免許が取得でき、また、比較的単価が安く短期集中で曲技飛行の訓練もできるレッドランドにはPitts S2Bを。福島には曲技飛行専用の上級機Extra 300Lを配置し世界を視野に入れた選手の育成を計る。レッドランド校は2012年12月に既に始動し、早速トレーニングが始まっている。
「空を飛びたいという気持はあっても、今まではどこに行っていいか分からない。入り口が見つからない。あっても非常に高い所にあってとてもじゃないが到達できないという状況があったんです。だからまずは情報を公平に提供する場所としての統括団体があって、スクール(JAS)で免許を取りトレーニングを重ね、地方大会、全日本、世界へと進んで行ける道筋を作りたい。機体のレンタルだってどうしても必要になりますから、それも日本で整える。そうして世界への道筋をフォローすれば良くなるので、たぶん…皆行けるようになるでしょう?(笑)」
少しおどけた口調で、静かに語る。それは室屋自身が岩礁にぶつかり試行錯誤しながらたったひとりで開拓してきた大空への道であり、彼自身が最も望んでいたものだったことは想像にかたくない。彼が自身の挑戦の傍らで行う、未来のパイロットたちへ道を繋ぐ活動。自分の夢の実現のために不屈の思いで続けてきたすべてのことが、既に自分ひとりのためのものではなくなっている。
室屋の静かな瞳を見ていると、どうしてもリチャード・バックの名著『かもめのジョナサン』を思い出す。飛ぶことそのものが目的で、来る日も来る日もたったひとりアクロバティック滑空を繰り返し、いつの間にか誰も到達できない高みへと到達する孤高の鳥。「どうしてだい? ひとりでだって飛べるよ?」。しかし、そう言いながらいつの間にか、ジョナサンの周りには、同じような瞳を持つ、何羽もの鳥が群をなして飛んでいる−−−高い精神性について書かれたと思われるこの物語が、実は飛行機乗りによって書かれたものだと知る人は少ないかも知れない。しかし室屋の不屈の魂と、挑戦によって得られた仲間たちの姿は、「完全なる境地」を目指す「無限の可能性を持ったカモメ」たちに、なんと似ていることだろう。
日本の空を切り開く彼らは、大空に輝く鋼鉄の鳥たちだ。美しく群れなして、福島の空を、世界一の舞台を、希望を乗せて飛んで行く。そんな光景の見られる日を、我々は今から心待ちにしていよう。
Yoshihide Muroya
室屋義秀
1973年1月27日生まれ。日本を代表するエアロバティックスパイロットとして、現在まで170か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。2008年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、2009年からレースに参戦。参戦パイロット15人中、自己最高位は最終戦バルセロナでの6位。2010年も善戦するも、レッドブル・エアレースは2011年から休止に。2011年、エアロバティックス世界選手権WACに出場。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤作りにも取り組む。東日本震災復興においてはふくしま会議への協力など尽力する。2009年、ファウスト挑戦者賞を受賞。
エアロバティックスチーム「チーム・ディープブルース」公式サイト
http://teamdeepblues.jp/index.html
JNAC (全日本曲技飛行競技会/Japan National Aerobatic Chanpionships )
http://teamdeepblues.jp/championship/
JAS(ジャパン・エアロバティック・スクール)
http://path-finder.co.jp/jas/
ふくしまスカイパーク
http://www.ffa.or.jp/fsp/about.html
関連記事:ワールドエアロバティックチャンピオンシップへの道
http://www.faust-ag.jp/road/road_to_wac/road-to-wac-vol02.php
Text:Michiru Shida
Photo: Taro Imahara/TIPP, Yoshinori Eto(PACO), PATHFINDER
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