今だからこそ言える、ということになるだろうか。
「本当にあんなコースを飛べるのかなっていう恐怖心がありました。(エアレースは)僕には向いてないんじゃないかとすら思いましたからね」
わずか1年前の心境を、室屋義秀はそんな言葉で表現した。
昨年、室屋がレッドブル・エアレースのデビューイヤーを戦い続けるなかで、不安を口にすることがなかったわけではない。だが、「恐怖心」という言葉まで用いて、これほど直接的に心の中にある負の感情を表に出したことはなかった。
昨年はシーズン開幕直前に、イギリスでわずか1週間程度のトレーニングを行ったのみ。事実上、ぶっつけ本番でアブダビでの開幕戦を迎えていた。エアレース参戦に必要なスーパーライセンスを取得するためのキャンプに参加し、それ相応のトレーニングをこなしていたとはいえ、実際のレースは明らかに別物だ。コックピットの中で感じる独特の緊張感は、レースでなければ味わえない。
1年前、ルーキー・パイロットははっきりと恐れを感じていたのである。
充実のシーズンオフを経て
しかし、1年前を振り返って、現在では当時の感情を正直に吐露できるようになった。そのこと自体、室屋の精神的な変化を物語る。まるで雲をつかむような状態でアブダビに渡った昨年を思えば、今年はいい準備ができた。
このシーズンオフは、ニュージーランド・オークランドにあるチームコーディネーターのロバート・フライの自宅を拠点に、充実したトレーニングを消化してきた。レース機であるエッジ540は改造中のために使用することができなかったが、フライの所有するスホーイを使って、思う存分トレーニングを行ってきた。その合間にはレッドブル・ニュージーランドから依頼を受け、エアショーにも出演。冬場はほとんど飛ぶことのできない日本とは比較にならないほど、恵まれた環境に身を置くことができた。
Yoshi Muroya High Flyin in Auckland
何よりニュージーランドには、低空飛行が可能なローフライングエリアがあることが大きかった。1週間のトレーニングのほとんどを、上空高く飛ばなくてはならなかった昨年のイギリスと比べ、より実戦に近いトレーニングを積める。加えて、フライの自宅からハンガー(飛行機の格納庫)までは徒歩1分。ハードなトレーニングの後には、フライの妻――ちなみに彼女は日本人だ――が作ってくれるおいしい日本食にありつける。
「トレーニングの環境としては抜群でした」
昨年、スペイン・バルセロナでの最終戦を自己最高順位の6位で終え、いい感触を残していることに加え、オフの順調なトレーニングが室屋に精神的な余裕を与えていた。
MUROYA Edge540 training in NZ
戦闘力を増す“ニュー・エッジ540”
2年目のシーズンに向け、着々と準備を進めていたのは、パイロットだけではない。このオフは大掛かりなマシンの改造にも着手した。
昨年10月、最終戦が終わると、エッジ540はすぐに船便でスペインからニュージーランドへと送られた。室屋はマシンを送り出すと、早速アメリカへ渡り、改造準備の手配に動いた。
エンジンメーカーとの話し合いや最新部品のチェックなど、やるべきことはいくつもあったが、渡米最大の目的は、今回の改造のメインテーマである新カウリング作成を行う技術者と会うことだった。
ロイ・カンディフ――チームコーディネーターのフライとは数十年来の友人で、カーボン成型のスペシャリストである。主にヨット作りでその手腕を発揮する一方で、自身もパイロット免許を持つ飛行機好き。60歳を過ぎ、すでに本業はリタイアしていたが、エアレースに興味を示してくれ、力を貸してもらえることになった。
11月、船便の到着に合わせてニュージーランドへ飛び立った室屋は、現地でフライ、カンディフと合流。室屋はこの冬、日本-ニュージーランド間を計3度往復し、自身のトレーニングとマシンの改造に明け暮れることになった。
アブダビの開幕戦でお披露目される“ニュー・エッジ540”の主な変更点はふたつ。
まずは、胴体がすっきりと絞られたこと。キャノピー(コックピット上部のカバー)も昨年、ハンネス・アルヒ(2009年準優勝、2008年優勝/オーストリア)が使用していたものと同タイプが採用された。
そして、もうひとつが最新のチューニングを施した、ニューエンジンである。改造を終え、新たなハートを手に入れた機体は、アブダビへ直送されることになった。室屋が「現段階でも、かなり戦闘力は上がっている」と言うレベルに達した。
ただし、室屋が「現段階でも」と注釈するように、改造は現在も進行中である。というよりも、今回の改造の目玉とも言うべき、カンディフに依頼したニューカウリングが未搭載なのである。室屋曰く、「今までになかった新しいアイディアが盛り込まれ、オリジナルの形状で軽量化されている」カウリングは、今シーズン途中で投入される予定になっている。この先に“秘密兵器”が控えていることは、長いシーズンを戦う上では心強い。
とはいえ、それは室屋のマシンだけに限ったことではない。
自信と経験に裏打ちされた余裕
「シーズン中でも開発競争は止まらない。止めれば、今シーズンが終わるころには型落ちになってしまうんです」
すべてが順調に進んだようにも見える初めてのシーズンオフだったが、その実、オフの準備を初めて経験してみて、優勝を狙うチームとの地力の差を思い知らされてもいた。
「トレーニングにしても、改造にしても、このオフの目的の90%は達成できた。でも、逆に言えば、まだ10%足りないということ。優勝するためのチーム体制としてはまだまだですね。例えば、資金面。機体にしても、今あるものはトレーニング用にして、レース用に新しいものを入れるのが理想なんですけど……。ある程度上位に行ける手ごたえはありますが、優勝するためにはもうひとつハードルを越えていかないといけない。それを、このオフに実感しました」
それでも室屋からは、昨年と比べ、話をする表情、そして話し方にも幾分の余裕が感じられることは間違いない。ここまで最善を尽くしてきた自信と、わずか1年とはいえ、世界中の猛者たちと渡り合ってきた経験が、彼を支えている。
今年は、レース日程にも変化があった。開幕戦は昨年より3週間ほど早くなったが、最終戦も1カ月ほど早まった。しかも、昨年が全6戦であったのに対し、今年は全8戦。必然的にレース間隔は詰まる。8、9月のヨーロッパ3連戦では一度も帰国することなく、ヨーロッパに滞在し続けなければならない。
レッドブル・エアレース 2010年 年間スケジュール
だが、室屋はこともなげに話す。
「続けて飛んでたほうが、オン・コンディションを保てるので、そのほうが案外楽かもしれない。2、3日の休養があれば体は回復するし、操縦感覚も鈍らない。実際、昨年も(レース間隔が詰まっていた)後半のほうが楽でしたからね」
年間総合7位を目指して
室屋は今年、年間総合7位という目標を掲げた。達成のカギは「安定性」にある。
「年間総合で7位ということは、単純に考えて、常にスーパー8に残らなければならない。機体の性能だけを比べたら、(常にスーパー8に残ることは)際どい線です。パイロンヒットしたらアウトだし、2秒のペナルティをもらってもかなり苦しい。そういう状態のなかで、常に安定して残るためには、パイロットの準備が非常に重要になります。具体的には、精神的な準備やメンタルコントロール。それが僕のテーマになる」
昨年の最高順位が6位だったことを考えれば、決して楽な目標設定ではない。室屋自身、「かなり厳しい条件を課してるつもり」だという。
「メディアで取り上げてもらうには物足りない目標でしょうけど、まだ2年目であるとか、チーム体制であるとか、いろんな状況を考えれば、容易には実現できない。そういう意味では、チャレンジしがいのある目標設定だと思ってます」
今年9月、ポルトガル・リスボンでの最終戦が終わったとき、どんな結果が出ているのかは、もちろん誰にも分からない。それでも、確かなことがひとつだけある。
もはや恐怖に苛まれる室屋はいない――。
Smoke on!
少しばかりの自信と余裕を携えて、室屋は2年目のスタート合図を待っている。
Yoshihide Muroya
室屋義秀
1973年1月27日生まれ。エアロバティックスパイロットとして、現在まで150か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。2008年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、2009年からレースに参戦。参戦パイロット15人中、年間成績は13位、自己最高位は最終戦バルセロナでの6位。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤を作っている。ファウスト・エアロバティックスチームのスーパーバイザー。
◎レッドブル・エアレース参戦直前のロングインタビューはコチラ
Team Yoshi Muroya
レッドブル・エアレース
Team Deepblues
Cooperation:Red Bull Japan
Photos:Pathfinder, Taro Imahara
Text:Masaki ASADA
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