到着直後に見舞われたトラブル
近年、国全体が急激な経済成長を遂げる以前から、アブダビのランドマークとしてそびえたっているホテルの一室に、総勢15名のエアレースパイロットが集められていた。
だが、主催者側から伝えられたのは、結局何の進展もなかったという事実のみ。ミーティングが終わると、あるものはため息交じりに、あるものは苦笑いを浮かべて、部屋を出て行った。
「これでミーティングは何度目だ?」
室屋義秀もまた、自室に戻りながら、そんなことを考えていた。
レッドブル・エアレース2010年シーズンは、開幕戦から早くもトラブルに見舞われていた。室屋は通常、レースの約1週間前に現地入りする。だが、今回はシーズン初戦であることや、アメリカからアブダビへ直送されてくる新エンジンを引き取らなければならないこともあって、レースの2週間前にはアブダビに入っていた。
ところが、である。エアレース関係の機材が丸一日、通関を通らず、ようやく通ったとの連絡が入ると、今度は機体の組み立て場所に使えるはずだった空港の立ち入り許可証が発行されていないという。
ようやく許可が出たようだ――。そんな情報が流れる度に、パイロットが集められてミーティングが開かれるのだが、結果は「NO」。そんなことが、ひどいときには1時間おきに繰り返されているうちに、3日間という時間が過ぎた。
「さすがに、これ以上待っていたら、レース本番に間に合わない」
焦るチーム室屋。主催者側もついに痺れを切らし、急遽近くの埠頭の倉庫を借りて、レース用の滑走路脇の特設倉庫との両方で、なんとか作業場所を確保した。チーム室屋も昼夜を問わず準備をスタート。すでに3日間もの無為な時間をやり過ごしてしまった以上、もはや余裕はまったくない。朝8時から夜10時まで、満足な休憩もとらずに3日間、ただひたすら組み立て作業だけに費やし、レースに臨める状態までたどり着くのがやっとだった。
いつもより1週間早く現地入りしていたとはいえ、それでも多少の混乱があることは覚悟していた。だが、さすがの室屋もこれほどの遅れに見舞われるとは思ってもいなかった。
目標達成へ上々の滑り出し
アブダビ到着直後からトラブルに見舞われたが、組み立て終えた“ニュー・エッジ540”の仕上がりは悪くなかった。
新エンジンはどうしても内部の温度が上がってしまい、そのうえ外気温が高い中東特有の気象条件もあって、エンジンを全開にすることができない。つまり、“慣らし運転”が必要だった。それでも2日間計4本を飛んだトレーニングセッションのタイム順では、余力を残しながらの6位。室屋は「他のパイロットがまだ結構ミスをしていたから」と言うが、上々の滑り出しだった。
「感触としては、トップの3、4人とは1秒半くらいの差があるかなという感じですけど、セカンドグループはダンゴ状態。去年はダンゴのなかに入れていなかったけれど、今年はそのなかにいる。だいたい目標にしていたところまで来ているな、という実感はあります」
好調ぶりは、予選でも持続された。
予選1本目。室屋は2秒のペナルティこそあったものの、予選通過圏内の7位につける。すると、2本目を前に場内放送の大画面に映し出されたのは、今まさに2年目の飛躍を予感させるフライトを見せた、室屋の生インタビューだった。
「ペナルティはあったけど、マシンの調子はいい。(2年目になって)トラックの飛び方も分かってきたし、自信も出てきている」
そう話す室屋に、インタビューアーが「ファイナル4も狙えるのでは?」と尋ねると、堂々と「トライしていく」。その後、室屋は2本目でひとつ順位を落としたが、悠々8位で予選を通過した。
室屋が予選を一度で通過するのは、昨年の第5戦(ポルト)以来2回目(ワイルドカード<敗者復活戦>では決勝へ何度も進んでいる)。「ちょっとした優越感じゃないけど、決勝前夜も何となく気分が違う」というのが、室屋の実感だ。しかも、予選8位ということは、単純に順位を当てはめれば、室屋が目標として掲げるスーパー8進出が手に届く位置につけたことになる。
誰の目にも順風満帆に見えた、2010年シーズンの船出。しかし、室屋自身は一抹の不安を感じてもいた。
「順位よりもタイムですよね、僕らが気になるのは。去年に比べれば、断然安定しているんですけど、それでもまだアップダウンが激しい。(予選のフライトは)とても安定して勝ち上がれるような状態ではなかった」
強風でレースは大波乱に
果たして、室屋の予感は翌日、不幸にも的中する。
「義」の文字が大きく描かれた室屋のハンガーの片隅には、何本ものレッドブルの缶が並べられていた。一見、無造作に置かれているようだが、よくよく見ると、それはコーストラックを模しており、缶はパイロンの代わりに立てられていることが分かる。室屋に限らず、ほとんどのパイロットはレース前、この“ミニチュアコース”でイメージトレーニングを行う。コース取りやゲートへの進入角度などを、最後のおさらいしておくのだ。室屋は気象条件などを考慮して、レース戦略を決めると、何本かの缶を水のペットボトルと入れ替えた。
「これでフライト前の最後の確認をしているんですが、例えば、風の影響を受けやすいところとか、Gがきついところとかに、こうやって缶とは別のもの(水のボトル)を置いてイメージしておくと、頭の片隅にその印象が残るわけです。そうすることで、頭のなかで、ここは要注意ポイントだと信号が発せられる。限界に近い状態で飛んでいるときには、自分の意識下で、その信号がフライトをコントロールしてくれることもあるんです」
決勝当日、アブダビのレース会場は強風に見舞われていた。しかも、前日までの海からの風とは違い、陸からの風へと向きまで大きく変わっていた。
室屋が水のボトルを置き換える。レースは空前の大波乱となった。
各セッションでパイロンヒットが続出したばかりか、スーパー8ではハンネス・アルヒが機首を下へ向けたとして、危険飛行で失格するというアクシデントまで起きた。
裏を返せば、室屋にとっては上位進出のチャンスでもあった。だが、室屋もまた、パイロンヒットを含む8秒のペナルティを受けてタイムを落とし、5人目に飛んだ室屋の順位は4位(1人はスタートできず)。その時点で、スーパー8進出は絶望的となった。
結局、トップ12セッションでは11位。その後、アルヒが失格となったことで、最終順位はひとつ繰り上がったものの、10位という不本意な成績に終わった。
「完全にパイロットのスキルの問題です。ニュージーランドでは、それなりにレースを想定したトレーニングを積んできたつもりでした。でも、もっとリアルな、実際のレースに近いトレーニング方法を考えないと、シーズン開幕戦はどうしても不安定なフライトになってしまう可能性が高い。トップのパイロットというのは、天才的な技術を持った人たちばかり。それを相手にするには、シーズンオフのトレーニングの段階から何かしらの方策を考えないと……」
室屋は自身のフライトを振り返り、険しい表情で呻いた。
とはいえ、言い換えれば、ニューマシンの仕上がりは悪くない、ということでもある。
「去年までレースで飛んでいたマシンをさらに洗練させているので、悪くなることはないだろうとは思っていました。ただ、機体重量を減らしているので、重心位置が変わっている。それによって操縦性がどうか、というところを少し心配していたんですが、結果は非常によかったです。ペナルティがなければ、タイム的には4、5番手につけているので、マシンとしてはまずまずですね」
室屋は険しい表情を崩さず、そこまで一息にしゃべると、ニヤリと笑った。
「あとは、パイロットの問題だということがはっきりしました」
10位は手放しに喜べる順位ではない。だが、予選を自己2番目の成績で通過するなど、着実な成長をうかがわせた開幕戦でもある。
「まあ、初戦としてはこんなものかな。手応えは悪くないですよ」
室屋義秀、ついに2年目のシーズンが幕を開けた。
レッドブル・エアレース 2010年 年間スケジュール
Yoshihide Muroya
室屋義秀
1973年1月27日生まれ。エアロバティックスパイロットとして、現在まで150か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。2008年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、2009年からレースに参戦。参戦パイロット15人中、年間成績は13位、自己最高位は最終戦バルセロナでの6位。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤を作っている。ファウスト・エアロバティックスチームのスーパーバイザー。
◎レッドブル・エアレース参戦直前のロングインタビューはコチラ
Team Yoshi Muroya
レッドブル・エアレース
Team Deepblues
Cooperation:Red Bull Japan
Photos & Movie:"Red Bull". All other rights reserved.
Text:Masaki ASADA
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