2009年3月、室屋義秀はイギリス・ロンドン郊外にいた。今年1年、彼の手足、いや翼となってくれる愛機と対面するためだ。
室屋は今年からレッドブル・エアレースに参戦する、ルーキーパイロットである。当然、エアレース用の飛行機を手配するのも、初めての経験。機体改造の立案を含め、信頼できる整備工場を頼って、ここイギリスにやってきた。
パートナーとなる飛行機、エッジ540との初対面。
「エンジンのかけ方から覚えないと」とおどけて見せた室屋だったが、ほどなく、想像を上回るモンスターマシンのパワーに驚かされることになった。
失速を知らないエッジ540
通 常、飛行機というのは風に対する角度が限界値を超えると、空気が翼から“はがれ出す”。これが、いわゆる失速である。失速という現象を自動車に例えれば、 高速でコーナーを曲がろうとしたときに起きるスリップにあたるという。翼によって、この角度は必ず決まっているのだが、エッジ540は限界値が高い。
ケンブル飛行場にて.JPGエアロバティックスのときに使っていたエクストラなどは、もう少し早い段階で翼から空気がはがれて振動した。結果、抵抗が一気に増し、スピードが落ち、Gもかからない。ところが、このエッジは違った。
「そこで食いついてくるんですよね。空気がはがれないんですよ、翼から」
当然、大きなGがかかってくる。
いろいろな飛行機に乗ってきた経験を持つ室屋にしてみれば、「そんなに行くわけないだろう」という基本的な感覚がある。ところが、失速するまで角度をつけて試すのだが、エッジ540は失速せずに、どこまでも飛ぼうとする。空力的な特性が抜群だった。
し かも冬場のオフシーズン、パイロットにはあまりフライトの機会がなく、自然と体のG耐性が落ちてしまう。そのため、オフ明けの3日間くらいは、Gをかけ続 けて体を慣らさなければならない。気をつけないと、ブラックアウト(意識喪失)してしまうこともあるほどだ。加えて、新しい機体に——それも想像以上の怪 物に——慣れなければならないのだから、これはかなりの重労働だった。
衝撃的な愛機との初対面だったが、体が慣れてくると、イギリスでのトレーニングは順調に進んだ。
当 初は、雨の多いイギリスの天候を考慮し、スペインへ行くことも考えていた室屋だったが、何といっても初参戦とあり、勝手も分からない。あれやこれやと準備 に追われているうちに時間がなくなり、そのままとどまることを決めた。少し長めにいて、全日程の半分くらい飛べればいいか。イギリスの天候を考えれば、少 々楽観的すぎる気もしたが、実は室屋にはイギリスにとどまりたい理由もあった。
コーチとの二人三脚
レッ ドブル・エアレースでは、ルーキーパイロット2人に対してコーチ1人が主催者によって手配される。その室屋担当のコーチが、昨年まで現役でレッドブル・エ アレースを飛んでいたスティーブ・ジョーンズ。彼の自宅がロンドン近郊だったのだ。スペインへ行けば、天候には恵まれるだろうが、ひとりでトレーニングす るしかない。だが、ここにとどまれば、ジョーンズにトレーニングを見てもらえる。何もかもが手探りでスタートする室屋にとって、そのメリットは大きかっ た。
ジョー ンズによるトレーニングは、“基本的に”レースを想定したものに特化された。“基本的に”と注釈しなければならないのは、実際のレースのように低空で飛行 する機会がかなり限られるからだ。トレーニングを行っていたケンブル飛行場では、他機が飛んでいない朝一番だけは許可されたが、それ以外の時間では高度を 上げなければならなかった。そうなると、トレーニングは「飛行機の限界がどのへんでどういう感じなのか、そうした感触をつかむという程度」のものになって しまう。レースのようにパイロンが立っているわけでもなく、実際のコースを飛んだときの感触を得られるものではなかった。
もちろん、でき るだけパイロンを想定して飛んではいた。だが、とにもかくにもレースとは高度がまったく異なる。室屋の感覚で言えば、「7割のシミュレーション」。本当の 意味でのレース・シミュレーションというわけにはいかなった。レッドブル・エアレース初参戦の室屋にとっては、何よりコース経験が必要だった。
不安とともに本番へ
4 月17日の今シーズン開幕を目前に控えた4月中旬、室屋は第1戦が行われるアブダビに降り立った。アブダビでは本選の6日前に2日間、砂漠の中に特設の練 習用コースが設けられ、トレーニングキャンプが行われた。レース同様のコースセッティングがなされたフルトラックを飛べる貴重な機会である。
室屋の1本目。本人が「ボロボロだった」と振り返るフライトは、オーガナイザーに危険行為と判断され、スタート直後にストップを命じられた。パイロンの立ったゲートを飛ぶのは昨年9月以来。スピードは速いし、ゲートは狭い。
「自分の思っているペースと飛んでいるペースが全然違って、飛行機が先に行って自分のイメージがビハインドになっちゃってた」
パイロットの考えが先を行くか、少なくとも飛行機と同じでなければ、まともに飛ぶことはできない。操縦が乱れるのも当然だった。
最高時速370kmとも言われるエアレースでは、高度が下がるのも一瞬。危険行為といってもノーズの角度がわずか2度ほど下がった程度なのだが、安全を確保するため、そうした動きを見せてしまうとアウト、なのである。
このトレーニングでは1日2本、つまり2日間で計4本飛べることになっていた。
「残り3本は何とかしなきゃ」
1本目を終え、室屋はそんなことを思っていた。ところが、初日の1本目が終わったところで、予期せぬ事態が起こった。中東ならではの、砂嵐の襲来である。
ト レーニングは中止。その後、ルーキーだけはどうにかもう1本飛ばせてもらえたが、それはクアトロ※とシケイン※のエアゲートがセットされているだけの超簡 易コース。まだ予選レースの前に公式トレーニングセッションが残されているとはいえ、事実上、これで本番に入ることが決まってしまった。
このままで本当に飛べるのかな——室屋の頭に、かすかな不安がよぎった。
Yoshihide Muroya
室屋義秀
1973年1月27日生まれ。エアロバティックスパイロットとして、現在まで140か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。昨年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、今年からレースに参戦中。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤を作っている。ファウスト・エアロバティックスチームのスーパーバイザーに就任。
◎レッドブル・エアレース参戦直前のロングインタビューはコチラ
レッドブル・エアレース
室屋義秀ブログ
Team Yoshi Muroya
Team Deepblues
Cooperation:Red Bull Japan
Photo:Taro Imahara at Red Bull Photofiles
Text:Masaki ASADA
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