完走という喜びを分かち合うために
チェアウオーカーのレーサー長屋、K4GPへの挑戦
K4-GP(ケイヨンジーピー)というレースを御存知だろうか。
国内で毎年2回、隔年でマレーシアのセパンサーキットでも行われる軽自動車のためのレースだ。参加チームには研究目的の大学のチーム、女性だけのチーム、平均年齢の高い壮年のチームなども混在し、サーキット初走行のドライバーから往年の名ドライバーまでが集う。
限られた燃料で走る〈エコラン〉であり、それでいてラップを争うこの競技はチームの戦略性も求められ、いまや夏の風物詩のひとつとして、多くのドライバーを惹き付けてやまない。お盆休みの交通渋滞が激しかった2010年も、K4-GPの舞台である富士スピードウェイは活況を呈していた。
13時にスタートする500キロ耐久レースのコクピットに、ひとりの男が還ってきた。元F3レーサーの長屋宏和が、再びレーシングスーツに身を包んだのだ。
背筋をピンと伸ばしてみる。そうやってみても、喉元で固まった感情は、下半身へ滑り落ちていかない。心がざわついていた。
感情をコントロールすることには慣れている。
レース前の気持ちは、様々な方向へ揺れ動く。神経が張りつめ、些細なことに苛立ちを覚えたりもする。
とはいえ、レーサーである自分自身がピリピリとした空気を醸し出したら、コクピット全体に伝染してしまう。チームが過度の緊張感に包まれないように、自分の感情を制御することを覚えた。F3のレーサーだった当時からの習慣である。
2004年12月のレーシングカート以来となるレースに臨む今回も、心の揺れはコントロールできていた。ただ、これまでとは違う感情に襲われている自分がいた。
「レース前に怖いなんて感じたことはなかったんですけど、今回に関しては楽しみと同時に不安もあったかなあ」
不安の主たる原因は操縦にあった。
2002年10月に鈴鹿サーキットで行われたF1日本グランプリの前座レースで、長屋は前方を走る車と接触してしまった。壮絶なクラッシュだった(詳細は長屋のインタビューにて)。
頸椎損傷四肢麻痺で重度の障害を負った彼は、自らの指を思うように動かすことができない。左手でハンドルを支え、右手でアクセルとブレーキのレバーを前後させて運転をするのだが、午前中のテスト走行で問題が発生してしまったのだ。
「ブレーキを踏んだ瞬間にフロント荷重になって、ステアリングがすごく重たくなるんですね。ブレーキを踏まないでハンドルを切るぶんにはそれほど抵抗はないんですけれど、ブレーキを踏みながらハンドルを切るとすごく重たくて、切れなくなったりする。そのままだと危険につながるので、これはちょっと考えなきゃいけないと……」
挑戦のサーキットへ
長屋の不安とは対照的に、チームは快調な滑り出しを見せる。スタートドライバーを務めた高崎保浩が、61台中9位でピットインしてきたのだ。
「彼は1999年にフランスで一緒にレースを戦った当時からの友人で、現在もレーシングドライバーとして活躍しています。さすがだね、ということでピットも多いに沸き上がりました」
5人のドライバーで構成された長屋所属のチーム『ランフ・バンW/ピロレーシング』は、3人が車椅子のドライバーである。健常者なら1分ほどで済むドライバーの交代も、ステアリングやシートポジションを調整するために10分以上を要する。それぞれのドライバーが懸命にラップを刻んでも、順位が少しずつ後退してしまうのは避けられないことだった。
スタートから2時間が経過した15時、3スティント目を担当する長屋がマシンに乗り込む。ヘルメット越しにのぞく瞳に、力強い光が宿る。
台風4号の影響で午前中のテスト走行から降り続いていた雨はやみ、コースはウェットからドライなコンディションへ変わりつつあった。コースインの準備が整い、ピットロードへ進み出たマシンがスピードをあげていく。ストレートエンドを疾走する他者の流れに加わり、ゼッケン266のアルトワークスが第一コーナーへ飛び込んでいった
一周目は3分2秒でラップを刻んだ。二周目は3分3秒である。3分15秒で3周目のストレートエンドを通過し、4周目に突入してしばらくしたところで、イエローフラッグが振られる。コース上でトラブルが発生したというシグナルだ。
「セーフティーカーが入ったことでガソリンをセーブできたのですが、その代わりというか、全体が固まるので周りに車が増えるわけですよね。そこから再スタートするタイミングが、一番危険だと感じていました」
チームのみんなのために
それぞれの車のエンジンが回転数を再びあげていくなかで、長屋は自分のペースを保った。懸案だったブレーキングにも細心の注意を払った。
「テスト走行とは、走り方を変えました。ブレーキングは残さず、スピードを殺さずに惰性でコーナーへ侵入していくようにしたんです。ただ、この走りはひとりなら問題はないのですが、他車が後ろにいたり、コーナーへ突入するところでインに入られたりすると、どうしてもそちらを意識してしまうんですね」
コーナーへ侵入していく長屋は、二つの思いに支配される。他車に迷惑をかけたくない。ピットで待つチームのみんなをがっかりさせたくない──だからこそ彼は、安全を最優先にしたドライビングを心がけていたのだが、周囲のドライバー全員が長屋の意図を理解しているわけではない。後続の車を先行させようと思ってスピードを落としても、すぐには追い抜いてくれないことがあった。
スピードを落とす長屋のアルトワークスに、後続の車がぶつかりそうになる。
頼む、僕の車を抜いていってくれ。
だが、長屋の叫びは届かない。
危ない!
「こちらはもう止まるぐらいのスピードになって、後ろから突っ込まれそうになったことがありました。後ろの車のドライバーさんには申し訳なかったんですけれど、ふいに自分の思いとは違う動きをしてしまうことが起きるんですね、まだ」
自分より速い車に抜かれるのであれば、何とかして自分を納得させることもできる。次のカーブで、ストレートで、抜き返してやると思うことができる。
しかし、いまの長屋には自分から勝負を仕掛けることができない。完走するという目標を達成するために、チームのみんなと喜びを分かち合うために、リスクは最小限にとどめなければならなかった。自らアクセルを緩め、他車に先行させることを受け入れなければならなかったのだ。
「昔の自分だったら、そんなこと絶対に考えられなかったですね。前の車にぶつけてでも抜いてやろうって思うところですけど、いまの僕がそういうことをやるのは無意味なんです。順位やタイムよりも、次につなげること。もっと頑張れば、もっといいタイムが出せると思うんですけど、トライするリスクのほうが、いまは大きい」
唯一の楽しみは、第1コーナーを曲がった直後の二つ目のコーナーだった。コカ・コーラコーナーと呼ばれる左曲がりのカーブこそ、コースレイアウトと長屋のドライビングがもっともマッチするのだ。表情にも笑顔が浮かぶ。
「右コーナーはハンドルの操作が難しくなるんですが、富士はその右コーナーばかりなんです(苦笑)。左コーナーは圧倒的に少ないので、第1コーナーを抜けた次のコーナーだけは絶対に早く走る、少しでも速いスピードで走りたいという思いがあって」
イエローフラッグの影響で4分台へ落ちたタイムを、長屋はスタート直後と同じように3分台前半まであげていった。周回が9周を数えたところで、ピットからの無線がドライバーの交代を告げる。ラスト一周で順位を二つあげたところで、長屋の冒険は終わった。およそ25分間のドライビングだった。
「最後の一周が、実は一番緊張するんです。ピットの用意ができている、あと一周だと安心した瞬間が危ないので。ホントはね、もう一周ぐらいしたいなあと思ったんですけど、無理をするのは良くないし、コースアウトせずに、車をぶつけたり、途中で止まったりもせずに、次につなげることが何よりも大事でしたから」
レーサーとしての本能
5人のドライバーが1回ずつのスティントを担当した長屋のチームは、一度のトラブルもなしに76周を周回し、500キロを完走した。最終ドライバーとともにアルトワークスがピットへ戻ってきた瞬間に、大きな歓喜が沸き上がったのは言うまでもない。
「今回のテーマは〈挑戦〉だったんですが、目標にしていた完走をチーム一丸で成し遂げることができて、初参戦でゴールを迎えることが出来たのは、予想以上の成果だったと思います。
みんなが応援してくれて、ひとりずつ何か役割を持って、同じ方向へ進んでいく。仲間の大切さというものを、改めて感じることができました。僕自身はすごく楽しめたし、チームのみんなも楽しんでくれていたことは、とても良かったなあと思いますね」
ピットブル前のストレートエンドでは、最高時速140キロを弾き出した。とは言っても、F3のマシンに比べれば半分のスピードである。「でも、楽しかったなあ」と、長屋の声に興奮が混ざる。
「ストレートがすごく長く感じられたんですよ。F3の半分のスピードだからなんでしょうけど、それでも、面白さは何も変わらなかったですね。軽乗用車だけど、意外と速いんだなあって思いましたし。加速してくれるし、面白い。抜かれるのは悔しいですけどね(笑)」
次回のレースの予定は、まだ決まっていない。
はっきりしていることがあるとすれば、ひとつの挑戦の終わりは、新たな挑戦の始まりを告げたということだろう。自分を支えてくれている人々に心配をかけない範囲内で、なおかつ信念に則ったチャレンジを、長屋は模索していく。レーサーとしての本能に素直であることは、自分らしさを表現する大切な機会のはずだから。
長屋宏和
元F3レーサー/「ピロレーシング」デザイナー
ながや・ひろかず。1979年生まれ。レーシングドライバー。1992年、13歳でF1鈴鹿グランプリを見てレーシングドライバーを志す。同年レーシングカートを始め、全日本選手権出場、ICAクラス3位となった後、フランスにレース留学。2000年からフォーミュラ・ドリームに参戦し、2年間で優勝1回、2位4回の好成績を収める。2002年からF3にステップアップし名門戸田レーシングのドライバーに。同年、F1鈴鹿グランプリの前座レースにてクラッシュ。一命をとりとめたものの頚椎C6を損傷。現在はチェアウォーカーのためのファッションブランド「ピロレーシング」を運営する。
公式サイト http://www.piroracing.com/
Text:Kei Totsuka
Photos:Hiroshi Kodaira
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