Vol.19
試練を乗り越えた、その先に
エアロバティックスへの復帰
2010年秋。突然のレッドブルエアレース休止の発表を受け、室屋義秀はある決意を固めていた。
エアレースが休止になるといっても、トレーニングは続ける必要があるし、むしろ休止期間は技術を蓄える絶好のチャンスだ。ならばと、室屋が翌年の目標に見定めたのはエアロバティックス世界選手権、通称「WAC(ワック)」への挑戦である。
「この2年間、エアレースに出ていましたが、僕自身、もともとエアロバティックスをやっていたこともあり、本心はどちらもやりたかった。だから、エアレースが休止になったことはある意味チャンス。ここで一度、原点回帰して、技術的にもブラッシュアップしようと思ったんです」
スピードが優先される、やや特殊性の強い競技であるレッドブルエアレースに比べ、WACのほうが技術的には難易度が高い。だからこそ、WAC用のトレーニングを積むことは、パイロットが技術を身につけるうえでは非常に有効なのである。
「エアレース休止と聞いて、すぐに2011年の照準をWACに定めました」
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World Aerobatic Championships 2011(前篇)
新たなターゲットへ向け、室屋の準備が始まった。
機体は、現在ロスアンゼルスに置いてあるエアレース用のエッジ540をエアロバティックス仕様に改造することに決めた。と同時に、世界トップクラスのエアロバティックス専門コーチにも指導を依頼した。採点競技であるエアロバティックスの場合、いかに見栄えのいい演技で審判にアピールするか、そのためのポイントを指摘できるかどうかがコーチの力量。些細なことにも思えるが、技術的には僅差の選手たちが競う以上、そうした部分が大きな差となって成績に表われるのだ。
当然、そのためには資金の確保も必要となる。室屋は自ら、営業活動を行い、スポンサー獲得にも奔走した。すべてが順調に、とは言い難かったが、準備は進み、いよいよ室屋が機体の改造とトレーニングのため、そろそろロスアンゼルスへ渡ろうと考え始めた矢先−−−
3月11日、未曾有の大震災が東日本を襲った。
震災を言い訳にしたくない
震災発生から1カ月ほどは、WACのことを考える暇もなかった。
室屋の活動拠点である、ふくしまスカイパークの滑走路には何本もの亀裂が入り、使用不可能。加えて、ガソリンがまったく手に入らず、飛行機を飛ばすどころではない。
「普通に考えて、これは(WACに)出られないんじゃないか。状況的に、どうやっても無理だろう。頭のどこかでは、そんなことを感じていたんでしょうね」
だが、次第に落ち着きを取り戻し、5月にはエアショーと中心とする復興イベントを開催できるまでになった。子供たちと触れ合い、彼らの笑顔を見ているうちに、「震災を理由にあきらめることはないんじゃないのか」。そんなことを考えるようになった(復興イベントのレポート記事はコチラ)。
ありがたいことに、スポンサーに名乗りを上げてくれる企業も現われた。
「楽音舎(らくおんしゃ)という音響関係の会社なんですが、そこの社長さんが飛行機好きで、『世界にチャレンジするなら、同胞として応援しようじゃないか』と。これにはかなり勇気づけられましたよね。震災後、一番ハッピーな話だったかもしれません」
とはいえ、当初の予定通りに機体や専門コーチを手配することは資金的に無理があった。
幸いにして機体は、エアロバティックスのパイロットであり、飛行機の設計者でもあるフィリップ・スタインバッハがデモ機を貸してくれることになった。Sバッハ。性能的にも申し分なかった。
しかし、問題はコーチだった。そもそもエアロバティックス専門の、それも優秀なコーチとなると数が限られるうえに、スケジュールや費用の問題もあってすぐに代わりは見つからない。いよいよ室屋が途方に暮れていたところ、救いの手を差し伸べてくれる人が現われた。室屋のチームメイトでもある、ユルギス・カイリスである。
カイリスは、いわば天才肌の現役パイロットであり、他人に技術を教えることを専門にしているわけではない。しかし、言い方を変えれば、そうは直接指導を受けることなどできない、超のつく一流パイロットである。「(カイリスの地元である)リトアニアでトレーニングしてみたらどうか」。カイリスの提案に、室屋は迷うことなく飛びついた。
まず6月に約10日間、そして大会直前の8月に約10日間、室屋はカイリスの指導の下、リトアニアでトレーニングを行った。初めて乗るSバッハは、「もっと乗りやすいと思っていた」と室屋。欲を言えば、「もっと時間がほしい」。だが、スケジュール的にも費用的にも、それ以上のトレーニングは難しかった。
「ロール(機体を横転させる技)さえできないという感じで、特にスナップロール(機首を一度上げてからロールする技)へ入る感覚がだいぶ違う。重心位置の関係かもしれないけど、そこまでセットし直している時間はないから」
それでも、「ここに至るまでの状況を考えれば、上等だろう」というレベルまでは持っていくことができた。「トップ10でも、どうせなら1ケタがいい」。室屋は目標を9位に定め、WACが開かれるイタリアの小都市、フォリーニョへと向かった。
予想もできなかったゼロ判定
ここでWACの大会方式について、簡単に説明しておきたい。
大会は規定、フリー、アンノウン1、アンノウン2の4種目で行われる。文字通り、規定とは定められた技で構成された内容を、フリーはそれぞれのパイロットが自由に内容を構成し、演技する。アンノウンとは、それぞれのパイロットが得意とする技を出し合って演技内容を決め、それを全員が行うものだ。つまり、演技内容が事前に知らされていないから、アンノウン(unknown)というわけだ。
規定に関しては、そこでの得点に関係なくフリーには進めるが、規定、フリーのいずれかで、得点が満点に対しての60%に達しないと、その時点で失格となり、アンノウンには進めない。だが、一般的にそこで脱落するのは、ごくわずか。室屋の言葉を借りれば、「普通に考えて、60%をクリアできないというのはちょっとありえない」。
特別に意識するような関門ではない、はずだった。
大会前日の抽選会で1番クジを引き当てた室屋の規定演技で、今年のWACはスタートした。
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室屋は、無難に規定のフライトを終えた。様々なアクシデントを乗り越えて、たどり着いた大舞台。その1本目のフライトとしては悪くなかった。室屋にも、それなりの手応えはあった。
ところが、である。発表になった自分の得点を見て、室屋は我が目を疑った。
49.18%。「計算ミスじゃないのか」。フライトの出来から考えて、50%を切る得点がつくはずがなかったからだ。
ほどなく、理由が明らかになった。「PZ(Perception Zero)」。今大会から導入された、新ルールである。極々簡単に説明すれば、それぞれのマニューバ(技)ごとに決められた条件を満たしていないマニューバに関しては、その出来を採点する以前に技自体が成立していないと判断され、0点になるというものだ。
室屋はこの新ルールをきちんと把握できていなかった。「ユルギスからも、もっと大きくはっきりと回ったほうがいいとは言われていたが、0点になるとは思ってもいなかった」。トレーニング段階から室屋を悩ませてきたスナップロールが、この新ルールにことごとく引っかかったのである。
規定演技は、フィギュア(複数のマニューバで構成された一連の演技)ごとに採点され、9フィギュアの合計得点で競うのだが、スナップロールが含まれるフィギュアがことごとく0点と判定されていた。室屋は撮影していたビデオで、自らのフライトをチェックしてみたが、自分がイメージした通りに飛べていた。「これがダメなのか」。室屋は愕然となった。
思えば、震災によって専門のコーチによる指導機会を手放したところに、落とし穴があった。確かに、カイリスからの教えで得たものは多かったが、もしエアロバティックスのトレンドに精通した専門のコーチであれば、新ルールの存在に気がつかなかったはずがない。当然、0点になる可能性を指摘されていたはずだ。
また、クジ運も悪かった。室屋は抽選によって最初の演技者となったのだが、エアロバティックスに限らず、採点競技における“トップバッター”が不利であることは、なかば常識だ。審判はまだ目が慣れていないうえ、後から出てくる選手に備え、どうして抑え気味に点数をつけるからだ。
「もしかすると、何人か飛び終わった後であれば、自分への採点も変わっていたかもしれない」
事実、後続の演技者のなかには、室屋の目にはまったく同じに見えてもPZになっていないスナップロールがいくつもあった。
とはいえ、終わったことにいつまでもとらわれている暇はない。とにかく今は仕切り直して、フリーでは絶対に60%以上の得点を取らなければならないのだ。
しかし、室屋は明らかに動揺していた。エアロバティックスというのは、ギリギリのタイミングを体に覚えさせて臨むものである。スナップロールがダメだったなら、そこだけちょっと直せばいいというほど、単純なものではない。しかも、フリーは2日後。練習する間もなく、室屋は瀬戸際のフライトに飛び立たなければならなかった。
「自分としては少しオーバーコントロールすることで、対応するしかなかった。でも、当然、不安定になりますよね。やったことのないことをやるわけですから。そこばかりを意識するから、全体的に余裕のないフライトになってしまった」
フリーの演技を終え、室屋の予想は「全体的な出来は、たぶん65~67%といったところ。どう考えても70%には届かない。もし、またどこかで0点をつけられたらアウトだろう」。果たして、室屋の悪い予感は的中した。またしてもフィギュアのひとつが「PZ」とされ、得点は59.20%。0.8%及ばず、この時点で室屋の失格が決まった。
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World Aerobatic Championships 2011(後編)
自分は何がやりたいのか
今大会に臨むにあたり、室屋にはトップパイロットとしての自負もあったし、自信もあった。それが「ありえない」ところで敗退してしまったのだ。室屋のなかで、何かがプツリと音を立てて切れた。
「もう飛行機なんか止めよう。こんな競技なんて、やっていられない」
翌日から室屋はしばらく会場を離れ、ひとり無為に時間をつぶした。他の選手の演技を見れば、勉強になることは百も承知だった。しかし、それをしていると、もう立ち直れなくなりそうな気がした。「会場にいたくない。飛行機なんか見たくもない」。強制的に、自らを飛行機から遠ざけた。
思えば、昨年後半のレッドブルエアレースで、これでもかというほど多くのアクシデントに見舞われ続けた。そんな状況でも、室屋は「これで厄払いは終わったかな」と、努めて前向きに振る舞うことを忘れなかった。にもかかわらず、さらなる追い打ち。「まだ続くのかよ」。気がつくと、室屋はひとり毒づいていた。
それでも室屋はひとりの時間を過ごし、少し落ち着きを取り戻すと、様々な思いを巡らせるようになった。
「自分は何がやりたいのか。どこへ向かっていたいのか。それを考えれば、こうしてここにいられること自体、幸せなことなんじゃないか、と」
幸か不幸か、今年のWAC、すなわち最上級のアンリミテッドクラスで失格となったことで、来夏はひとつ下のアドバンスクラスの世界選手権(アンリミテッドクラスと交互に隔年で開催される)に出場できる。室屋に少し、ほんの少し、いつもの明るさが戻っていた。
「歳を取ると、次第に技術も身につきにくくなってくる。だから、ここでもうひと踏ん張りしておかないといけないんです。老眼が始まるときつくなると思っているんですけど、最近、夜、目がかすみだしてきたんで。もう、あまり時間がないんですよ(笑)」
新ルールへの対応の拙さが結果的に致命傷となったように、室屋は「もっとチームとしての体制を整えなければ戦えない」ことを痛感した。資金の問題もあり、すべての環境がすぐに整うはずもないが、少しでも万全に近づけて、来年の夏を迎えたいと考えている。決してすべての傷が癒えたわけではない。それでも室屋は、間もなくロスアンゼルスへ渡る。エッジ540と久しぶりの対面を終えたら、早速、エアロバティックス仕様への改造に着手する予定だ。
開催地:イタリア・フォリーニョ
開催期間:2011年8月31日~9月11日
大会公式サイト
http://www.wac2011.it/wac2011eng/
Text: Masaki Asada
Photos: Pathfinder
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