サンディエゴでの第2戦を終えると、室屋義秀は愛機エッジ540の戦闘力アップに着手した。次戦が行われるのは、カナダのウィンザー。北米大陸内での移動で済むため、このインターバルを有効に活用しようと考えたのである。
エアレースというのは、世界的な有力メーカーが莫大な資金をかけて参戦してくる自動車やバイクのレースに比べると、ある意味で非常にのどかな競技である。室屋の表現を借りれば、「半分趣味なのか、自分の会社の宣伝のためなのか分からないけど」、主催者側から認可を受けた専門業者がレース会場に出入りしている。彼らは、ある者はエンジン、またある者はマフラーと、様々なパーツを扱っており、エアレースに出場しているチームを相手に“営業”しているのだ。
各チームは、彼らを交えて情報収集を行う。チャンピオンの機体にはコレがついているとか、アレとコレをつけると馬力がこれくらい上がるけど、重量もこれくらい増えるとか、納期はいつだから次のレースに間に合うとか。
室屋曰く、「オリジナルでマシンの開発を行うF1などとは違い、世界チャンピオンといえども追いつかれないようにするには、新しいパーツを取り入れていくしかない」のである。
デビュー戦のアブダビではそれどころではなかった室屋も、サンディエゴでは情報収集に励んだ。そこで得た有益な情報のなかから、エンジンのチューンナップをはじめ、いくつか新しいパーツを取り入れることを決め、レースが終わるのを待って、サンフランシスコ近郊のチューニング工場へと愛機を送った。
「これによって、マシン自体は非常に戦闘力のある状態になっていました」
ところが、である。
迎えた第3戦。6月11日、ウィンザーでの公式トレーニングセッションが始まってみると、室屋は自らのフライトに愕然とした。確かに、第2戦から1か月以上のインターバルがあり、久しぶりのレースフライトではあった。それにしても、これほどまで思うに任せないとは。
「通常のパイロンヒット」のはずが一転
「結構トリッキーなコースではあったんですが、だとしても、しっちゃかめっちゃかで……。1本目はちょっと高度を上げつつ、コースを確認しながら飛んだんですけど、それでもずっと『ちょっと厳しいな』、『スピードについていけてないな』という感覚のままで……」
飛行機をチューンナップしたことが、少なからず影響したのではないか。タイミングがタイミングだけに、誰もがそんなことを考えた。だが、室屋は周囲の反応をすぐさま否定した。
「いや、それは関係ない。あくまで自分の感覚の問題です」
1本目が終わると、すぐにビデオでフライトのチェックを行った。そこでは、いくつかの修正点が洗い出された。「ついていけない感」がすぐに解消されるとも思えなかったが、よかったときの感覚を少しでも取り戻したい。そんな思いで、室屋は2本目のトレーニングフライトへ向かった。
この日、2回目のコースイン。そして、“事件”は起きた。
室屋の視線は次のゲートをとらえていた。事前の計算では、まっすぐ飛んで通過できるはず。取り立てて何と言うことはないゲートである。だが、どうもおかしい。風も少し吹いてきている。
室屋はわずかにコースを修正。だが、瞬時にして、直後に起こることを悟った。
「(パイロンに)当たる!」。
それでも、室屋はあえてそれ以上の修正をしようとはしなかった。というのも、オンボードカメラからの映像は、ルーキーの室屋にとってすべてが大事な教材となる。パイロンがどの角度からどう見えたら当たるのか。そんな貴重な映像が撮れるのだから、それはそれで悪くない。室屋にはそんな計算があったのだ。
ズバンッ――。案の定、右の翼がパイロンに当たり、空気で膨らんでいたパイロンが見事に裂けた。「通常のパイロンヒットでした」。当の室屋はもちろん、見ていた誰もがそう思った。
ところが、着陸を前に室屋が右の翼に目をやると、塗装がベロリとはがれている。なんでこんなにはがれてるんだ? 不思議に思った室屋ではあったが、まあ、大丈夫だろうと、この時点では、それほど深刻には考えていなかった。
しかし室屋の意に反し、パイロットを降ろした後のエッジ540は、チーム関係者のみならず、テクニカルディレクター、ゲート担当者など、多くのレース関係者によって取り囲まれることになった。パイロンに激突した翼から、前例のない“異変”が見つかったからである。
エッジ540の翼というのは、極々簡単に説明すると、飛行機本体となる骨組の上をカーボンファイバーのスキン(皮)で覆って翼の形を作っている。そのスキンの一部、すなわちパイロンにぶつかって塗装がはげた個所が本体から離れ、浮いた状態になっていたのだ。
もっと激しいパイロンヒットなど、いくらでも前例がある。だが、こんなふうにスキンが浮いた翼など、誰も見たことがない。パイロンヒットの瞬間をスーパースローで繰り返し確認しても、原因は分からない。挙句、裂けたパイロンの実物まで持ち込んで、どのようにぶつかったのかを検証してみた。それでも、原因究明には至らなかった。
これだけなら飛ぶことはできる。だが、もしもう一度パイロンに当たったとき、スキンが浮いた状態では翼がつぶれてしまう可能性がある。出された結論は、「詳しい調査を要する」。安全上のトラブルに発展する危険性がある以上、室屋がこれ以上のフライトを続けることは許されなかった。
こうして室屋の第3戦はレース本番を迎えることなく、幕を下ろさざるをえなくなったのだった。
「ついていけない感」を抱えたまま第4戦へ
結果的に、その後の詳しい調査で問題は見つからなかった。カバーを開けて接着剤を注入し、浮いていたスキンを元に戻すという一般的な修理で済んだ。不幸中の幸いと言うべきか、それとも……。
「結局、トレーニングを含めてほとんど飛ぶ機会を失くしたわけだから。それが一番辛いところですよね。他のルーキーパイロットもみんな、だんだんうまくなってるし。もどかしいですよね」
今回の第3戦では、その後に続く公式トレーニング、予選、ワイルドカードと、最低でもあと5本のフライトが行えるはずだった。すべてのフライトを長期的なカリキュラムに組み込んでいる室屋にとって、5本ものフライトを失ったことは、あまりに大きな痛手である。
「第3戦までの到達目標が“3”だとしたら、サンディエゴで“2.5”まで来てたのに、ウィンザーで“2.6”で終わっちゃったような感じですよね」
しかも、3、4戦の間は、今年のシーズンで最長の約2か月が空く。ウィンザーではほとんど飛ぶことができなかったことを考えれば、事実上、サンディエゴ以来、約3カ月ぶりのレースになると言っても言い過ぎではない。
「それは大きく影響するでしょうね。操縦の感覚、G耐性など、やはりレースは(エアショーなどとは)違うんで」。
加えて、最後に飛んだウィンザーのトレーニングフライトで、室屋は「ついていけない感」を残したままだ。室屋が考える「いいイメージをずっと残して、次のレースの準備をすることが重要」という点から言っても、精神的にもかなり辛い状況に置かれていることになる。
「(第4戦の)ブタペストのレースは、完全にトレーニングに徹しようと思ってます。冷静に考えて、自分のスタート地点を少し下げて、自分のスキルに合わせてフライトをプランニングしないと。理想やイメージだけでやっても、ついていけないんで」
当初は、長期的なカリキュラムを予定以上のスピードで消化。第4戦から狙っていけると話していたポイントも、第2戦にして獲得した。ルーキーパイロットはこれまで、順調すぎるほど順調に事を進めていた。そんなところに待っていた落とし穴。
それでも室屋は、努めて明るく振る舞う。
「話としてはおもしろくなってきたでしょ」
第3戦終了後、愛機はオクラホマのメーカーに一度戻された。チームの整備士が立ち合い、トラブルのあった翼の修理はもちろん、さらなるチューンナップも施された。
「無理をしなくても、飛行機にはスーパー8に残るくらいのポテンシャルはある。だから、欲を出してポイントを狙うよりも、ペナルティなく安定して飛べば、成績は自然とついてくるはずなんです」
室屋の言葉が本心からのものなのか、強がりなのかは分からない。ただ、いずれにしても、今年からエアレースに参戦した室屋が、これまでになかった試練を迎えていることだけは間違いない。
Yoshihide Muroya
室屋義秀
1973年1月27日生まれ。エアロバティックスパイロットとして、現在まで140か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。昨年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、今年からレースに参戦中。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤を作っている。ファウスト・エアロバティックスチームのスーパーバイザーに就任。
◎レッドブル・エアレース参戦直前のロングインタビューはコチラ
レッドブル・エアレース
室屋義秀ブログ
Team Yoshi Muroya
Team Deepblues
Cooperation:Red Bull Japan
Photo:Taro Imahara at Red Bull Photofiles
Text:Masaki ASADA
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