新カウリングの投入が白紙に
ニューヨークでの第5戦欠場を決めた室屋義秀は、レースの行われる週末を待たずに、ハンネス・アルヒから借り受けていた機体をオクラホマへ送り返した。
無念の2戦連続欠場ではあったが、決して落ち込んではいなかった。キャノピーが破損した愛機は、すでにウィンザーからドイツの飛行機メーカー、エクストリーム社に送ってある。「そこで最終調整すれば、ヨーロッパラウンドでは、シーズン前から温めてきた新カウリングシステムを投入できるはず」。その思いがあったからだ。
ところが、肝心の新兵器に関して、チーフ・テクニカルディレクター(以下、チーフTD)からクレームがついた。次戦ドイツからの投入を前提に、ニューヨークのハンガーでエンジン部分の写真を見せたときのことである。
使用可否の争点は、レッドブルエアレースに関するレギュレーションに定められた以下の一文だった。
〈シリンダーラインへの燃料の供給は、スタンダードポートを使用すること〉
通常、飛行機のエンジンには、シリンダーラインへ燃料を入れるためのポート(穴)が上下2か所つけられている。一般的には、ほとんどの飛行機が上側を使っており、下側を使うのはエンジンを後部に搭載する水上機など、例外的ではある。しかし、どちらも「スタンダードポート」なのだ。
厄介だったのは、室屋の新カウリングシステムが「例外的な」下側を使うことだった。
言うまでもなく、室屋はレギュレーションを確認している。「スタンダードって書いてあるんだから、まったく問題ない」。まして、「下側を使っても、馬力が上がるわけじゃないし、何か有利になるわけじゃない」。室屋にしてみれば、そんなことが問題になるとは夢にも思っていなかった。
ところが、チーフTDの判断は違った。あくまで「上部のみがスタンダード」という、誤解、いや、知識不足とさえ言っていい見解を示したのである。
とはいえ、室屋にしてみれば、「どちらもスタンダード」であることを理解してもらわなければならない。一度言い出したら、なかなか聞き入れてくれないチーフTDに対し、ついにはエンジンメーカーの担当者などにも説明を頼み、どうにかその点は納得してもらった。
すると今度は、「ポートについては認めざるをえなくなったチーフTDが、微妙に論点をズラしてきた」。通常はエンジンの上側を通る燃料のラインが下側になることで、排気管の近くを通ることにクレームをつけてきたのだ。「そこが切れた場合、引火の可能性がある」と。
「でも、燃料ラインが切れれば引火の可能性があるのは、どこを通しても同じことなんです」
侃々諤々の議論の末に、最後はチーフTDが折れた。室屋にしてみれば、レギュレーションに沿った、当然の結論である。しかし、チーフTDは、こう言い添えることを忘れなかった。
「次のドイツ戦で、それを使うことはできるだろう。だが、来年のレギュレーションを書くのは、オレだ。今年だけ使いたいなら、使えばいい」
シーズン前から計画していた新兵器を投入し、ここから巻き返そうというところで水を差されたのである。室屋は頭を抱えるしかなかった。
「今、無理にやれば、その先は確実に使えなくなる。しっかり説得してから、来年使えるようにしたほうがいいだろうと判断するしかありませんでした」
第7、8戦が突如中止
ニューヨークから帰国した室屋を待っていたのは、まさに「寝耳に水」のニュースだった。
レッドブルエアレースは、ブタペストでの第7戦、そしてポルトでの第8戦の中止を発表したのである。
正直、2戦連続で欠場した時点で、室屋はシーズン前に立てた「総合7位以上」という年間目標達成は、もはや難しいと覚悟はしていた。だが一方で、残り3戦はできる限り巻き返したい。そんな気持ちも強く持っていた。
ところが、ラスト2戦がキャンセルとなり、これで残されたレースは、次にドイツで行われる第6戦のみとなってしまった。
「2戦を完全に棒に振って、ポイント的にかなり苦しくなっていたのに、最後の2戦がなくなったら、もうどうにもならない。特にポルトやブタペストのコースは機体との相性がいいコースだったんで、そこに焦点を合わせてたんですけどね」
新カウリングの投入断念に続き、第7、8戦の中止発表。もちろん、室屋にショックがないはずはなかった。だが、ニューヨークからの帰国後、10日間ほど休暇を取り、気持ちを切り替えることに努めていた室屋は、梅雨が明けると、エアショーにも参加。心身ともにかなりリフレッシュできていた。
「キャノピーを修理しただけで、特に新しい改造はないけど、確実なフライトを心がけよう」。室屋は、そんな気持ちで“今季最終戦”が行われるドイツへと向かった。
ドイツでの第6戦は、思わぬ形で2010年ラストレースとなった。
年間チャンピオンの行方がこれで決まるとあって、いつも以上に取材メディアの数も多く、レース会場は熱気に包まれていた。
だが、室屋はそんな熱気とは少し離れたところにいた。
戸惑いでフライトが乱れてもおかしくないほど、久しぶりのレーストラック。それでも室屋は、「かなり開き直っていて、ベストを尽くせばいいという感じでした」。その結果、トレーニングセッションの4本目では、4位につけることができた。室屋自身、「上のほうの選手がミスしたのもあるけど、何のプレッシャーもなく、自分でも『アレッ』って思うくらいに力が抜けて、いい感じで飛べました」と振り返るほどの出来だった。
レース本番は、土曜日の予選が雨でキャンセルとなり、日曜日に予選と決勝が行われることになった。つまり、予選の上位12名がそのままトップ12に進出できる。
「無理せず、12位に入ればいい」。そう割り切って飛んだ室屋は、9位で予選を通過した。
しかし、8位とのタイム差を考えると、予選のフライトからさらに1秒程度は縮めないとスーパー8には残れない。270度ターンでタイムをつめるしかないと判断した室屋は、一発勝負に出た。しかし、結果は無情のパイロンヒット。
「後でビデオを見ると、その後はフライトが緩んじゃって、1、2秒遅れてました。でもパイロンヒットがなくても、タイム的には(スーパー8は)難しい。まあ、今の実力ではこんなところかなっていうのが、正直な印象ですね」
「大事故直前」を経験して得たもの
たとえ年間目標に届かないことが分かっていたとはいえ、室屋がこれほど結果に頓着しない様子を見せたのは、今までになかったことだった。レース前からどこか冷めていたとはいえ、あまりに諦観がすぎる。だが、そんな姿勢には理由があった。
「今回のレースで考えていたのは……、言い方は難しいんですけど、一番は無理をしすぎないこと。それは別に、ダラダラと流しのレースをするということじゃなくて、ニューヨークではいろんな意味で自分の限界を超えてたところがあったので、そこを超えないようにっていうことを、一番意識してたんです」
そう話す室屋は、1か月半前を振り返って、「今までの人生で一番危ない状態だと感じていた」という。決して、当時は気づかなかったが今思えば、という話ではない。「危ないと感じていながら、それを止められなかった」のだ。
「ニューヨークでは、もうオーバーヒートしてたんでしょうね。ウィンザーでキャノピーが壊れたにもかかわらず、ハンネスから機体を借りて『これで勝ってやるぞ』みたいな気持ちでしたから。その後も、いろんな問題が次々に起きてるのに夢中で先へ進もうとしている自分に、『これは危ないかもしれない』って感じてました。そうしたら、(ニューヨークでの着陸時に機体を)壊しちゃった。でも、結果的には、あそこで壊してよかったのかもしれないなと思ってます。壊さないで、あのまま飛んでたらヤバかった。そういう状態だったんです。一応、今はリセットしたつもりだけど、でもまたレースになると、同じ状態になってしまいかねない。だから、限界だけは絶対に超えないように。そのことだけは強く意識して飛んだんです」
それが勝負である以上、周囲が室屋に期待するのは当然である。室屋もそれを痛いほど感じているから、結果を出さなければならないという使命感を持つ。しかし、そのことが室屋をオーバーヒートさせていたのだ。
それでも、今は自らの経験を前向きにとらえている。来年以降、さらに自分が強くなるためのきっかけになったのだ、と。
「要は、大事故の直前というか、死の直前まで行ってしまったようなところがあるわけです。でも、そこまで経験できたことで、それがどういう状態なのかもはっきり分かったし、結局、そのリスク管理は自分でやるしかないんだってことも分かりました。もちろん、それをコントロールできなかった自分の弱さもよく分かって、そういう意味では、もう一回自分の内側を鍛え直すいい機会をもらったと思ってます」
こうして終えた、2010年ラストレース。と同時に、室屋にとってはまたひとつ、新たな何かをつかんだレースであり、これが来年へのスタートとなるはずだった。
しかし、室屋は日本を発つ前から噂として聞いていた――わが耳を疑うような――話を、ここドイツで確かな事実として知らされることになるのである。
レッドブルエアレースは、2011年の1年間休止する――。
レッドブル・エアレース 2010年 年間スケジュール
Yoshihide Muroya
室屋義秀
1973年1月27日生まれ。エアロバティックスパイロットとして、現在まで150か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。2008年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、2009年からレースに参戦。参戦パイロット15人中、年間成績は13位、自己最高位は最終戦バルセロナでの6位。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤を作っている。ファウスト・エアロバティックスチームのスーパーバイザー。
◎レッドブル・エアレース参戦直前のロングインタビューはコチラ
Team MUROYA
レッドブル・エアレース
Team Deepblues
Cooperation:Red Bull Japan
Photos & Movie:"Red Bull". All other rights reserved.
Text:Masaki ASADA
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