Vol.20
失意の底から踏み出す夢への第一歩――日本チーム誕生へ!
屈辱から学んだチーム体制の必要性
思いもよらぬ、「失格」という結果で終えた昨年のエアロバティックス世界選手権「WAC」(World Aerobatic Championship)。一昨秋にレッドブル・エアレースの休止が発表されて以降、2011年の最大目標として見定めてきた舞台で、室屋義秀はこれ以上ない屈辱を味わった。
東日本大震災の影響もあり、当初予定していた準備ができなかったとはいえ、室屋の言葉を借りれば、「ありえない結果」。容易に受け入れることのできない事態に、一度は競技から離れることまで考えるほどのショックを受けた。失格という最悪の結果に至るには、もちろん様々な理由があったが、最大の原因は新ルール(採点方法の変更)に適応できなかったこと。突き詰めれば、世界と伍して戦うに十分なチーム体制が整っていないということにあった。室屋ひとりですべての役割を担うのではなく、専門のコーチやマネージャーのサポートがあれば、事前に採点方法の変更も把握できていたはずであり、最悪の結果で大会を終えることもなかったはずなのだ。
「世界のトップに立つためには、自らの技術を高めることはもちろんだが、チームとして戦う体制を整える必要がある」
今までも、そのことに気づいていなかったわけではない。だが、文字通り、身をもって思い知らされた室屋にとって、チーム体制の構築は何にも勝る優先事項となっていた。
チャンスは、ほどなくしてやってきた。
昨年10月、第2回全日本曲技飛行競技会が終わり、室屋が気の置けない仲間たちと食事をしていたときのことだ。「来年(2012年)は、アドバンスクラスの世界選手権(WAAC=World Advanced Aerobatic Championship)がある。せっかくの機会だし、みんなで出られたらいいな」。そんな話で盛り上がった。
もともと室屋は、2012年の最大目標をヨーロッパ選手権(日本国籍の室屋はオープン参加となる)に定めるつもりだった。だが、室屋は2011年のアンリミテッドクラスの世界選手権で失格となったため、幸か不幸か、本来は出場できない2012年のアドバンスクラスの世界選手権(アンリミテッドクラスと交互に隔年で開催されるの)にも出場が可能になっていた。
しかも、エアロバティックス世界選手権には個人戦とは別に、国別対抗の団体戦もあり、そちらのほうがメインのタイトルだと言ってもいいほどの権威がある。国別団体戦は3人の合計得点で競う(4人以上が出場している国は、上位3人の得点が合計される)ため、これまでひとりで出場してきた室屋には縁のないタイトルだったが、もし3人以上のパイロットが揃えば、「日本チーム」として出場条件をクリアすることにもなる。
「マネージャーとか、コーチとか、いろんな役割の人がいないと、世界選手権で優勝するのは至難の業。そういうことも分かっていたので、日本チームとして体制を整えることは僕にとっても非常に重要なことでした」
チーム体制の必要性を痛感していた室屋は、この話を前向きに考えることにした。
パートナーとともに
当初の予定では、2012年早々、室屋はひとりでアメリカ・ロスアンゼルスへ渡り、エアレース用のエッジ540をエアロバティックス用に改造し、現地でトレーニングも行うつもりでいた。だが、「チームで世界選手権を目指し、日本でトレーニングキャンプを行うならば」と、機体を日本に運んでくることに決めた。
わざわざ機体を運び、日本国内で飛ばすとなれば、飛行許可の取得をはじめ様々な事務手続きが必要になるという煩わしさがないわけではなかった。だが、地元・福島でいつもと変わらぬ環境でトレーニングキャンプができることのメリットも大きい。何より日本チームとしての活動の第一歩。その意義は実に大きなものだった。
結果から言えば、それぞれの仕事との兼ね合いもあり、室屋のほかに世界選手権出場を決めたパイロットは、岩田圭司ただひとり。国別団体戦の出場条件である3人には達しなかった。当然、日本チームとしての成績は残らない。それでも室屋は、自分のほかにひとりでも出場者が出てきたことは、大きな前進だと考えていた。
「今回、岩田さんが(世界選手権に)行くことで、2年後には自分も行きたいという人が出てくるかもしれない。僕ひとりしか出ていないと、遥か彼方でやっているような非現実的な世界に思われるかもしれないけど、岩田さんという仲間が実際に行ってみて、『おもしろかったよ』と周りに話すことで、次につながっていくだろうと。今年も(10月に)全日本曲技飛行競技会がありますが、そこで競い合っている人のなかから、『じゃあ、次はオレも』という人が出てくると思うんです」
室屋にとって中央大学航空部時代の先輩である岩田は、かつてアメリカの国内大会などにも出場していたエアロバティックス・パイロット。10年以上のブランクはあったが、室屋の目にも「訓練を重ねればやれるレベル」にあった。世界のトップパイロットである室屋との力の差は大きいとはいえ、「ひとりだとモチベーションを保つのが難しい」と話す室屋にとっては、頼もしいパートナーの誕生だった。
日本チーム、世界へ
世界選手権へ向けたトレーニングキャンプはそれぞれ1週間、2度に渡って福島で行われた。
キャンプでは、実際の競技と同じような条件を設定して飛び、このキャンプのためにフランスから招聘したコーチのパトリック・パリス(1998年世界選手権優勝者)からブリーフを受けて修正点を出し、次のフライトを飛ぶということを繰り返す。個々のパイロットが日常的なトレーニングのなかで技術を磨くことも重要だが、複数の選手が集まり、コーチを含めてお互いのフライトを見ることによって、また別の視点から自分のフライトの修正点を発見することができる。室屋自身、「見られているだけでもちょっとした緊張感が生まれるし、そういう場所を作るという効果は大きい」と感じていた。
欲を言えば、同じレベルの選手が集まるのが理想ではある。そうでないと、せっかくのキャンプも効果は激減する。室屋の側に立つと、「自分だけできているような気になって、精度を追求するという点で甘くなるのは否めない」。それでも、「ひとりでやるよりはずっといい」というのが、室屋の実感だった。
また、「日本全体の競技レベルを上げるという意味でも、こういったキャンプを行うことの効果は大きい」と、室屋は言う。
「全日本選手権とはまったくレベルの違う世界最高水準の訓練ですからね。何がどうなっているのか、どこをどう見たらいいのか。初めて見た人は、仮に2本のフライトを見比べても何がどう違うのか分からなかったと思います。でも、うちのパイロット候補生をはじめ、全日本の運営メンバーなど多くの人がこのキャンプを見られたことは、競技の浸透にも役に立ったはずです」
もちろん、本気で優勝を狙おうと思えば、わずか2回のトレーニングキャンプでは勝負にならない。例えば、強豪国として知られるロシアは3週間のキャンプを年6回も行っているし、同じくフランスは年4回のキャンプを国の負担で行っている。彼我の間には、雲泥の差があるのが現実だ。
室屋自身はその後、コーチであるパリスの誘いを受けてスロベニアで行われたトレーニングキャンプにも参加した。福島でのキャンプだけでは、大会までに間が空きすぎてしまうからだった。だが、時間的な制約のあった岩田は参加できずじまい。あとは大会直前のキャンプで最終調整をするしかなく、まだまだチームとしての体制は心もとないものだった。
それでも室屋は、自分を取り巻く環境が少しずつでも“チームらしく”なっていくことに、少なからず充実感も覚えていた。
「僕はひとりでやることに慣れちゃっているというか、もう麻痺しているようなところがある。でも、僕も最初のころはひとりでやるのがものすごく辛かったし、誰か他に人がいないと寂しいものですよね。だから、そういうチームとしての世界を作って次第に仲間が増えていくという環境は、とても重要なんじゃないかと思っています」
幸いにして、マネージャーを引き受けてくれる人も現われた。
高木雄一。サンフランシスコ在住で、現地ではアクロスクール教官の職に就く傍ら、エアロバティックスの審判資格も持つ。そのうえ、機体の整備までこなすというのだから、スーパーマルチプレーヤーである。室屋とは、昨年の全日本曲技飛行競技会でチーフジャッジを担当してもらったことをきっかけに知り合い、「まさに適任者」と見初めた室屋がチームのサポートを依頼。マネージャー就任が実現した。
何もかもが思い通りに進んだわけではない。実際、パイロットはふたりしかおらず、国別団体戦の出場条件を満たすまでには至らなかった。
それでも、晴れて誕生した「日本チーム」として世界選手権に参戦できる。それは夢に近づく、大きな大きな第一歩だった。
Yoshihide Muroya
室屋義秀
1973年1月27日生まれ。日本を代表するエアロバティックスパイロットとして、現在まで170か所に及ぶエアショー実績を誇り、無事故。2008年11月、アジア人初のレッドブル・エアレースパイロットとなり、2009年からレースに参戦。参戦パイロット15人中、自己最高位は最終戦バルセロナでの6位。2010年も善戦するも、レッドブル・エアレースは2011年から休止に。2011年、エアロバティックス世界選手権WACに出場。ホームベースであるふくしまスカイパークにおいては、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。航空文化啓蒙や青少年教育活動の基盤作りにも取り組む。東日本震災復興においてはふくしま会議への協力など尽力する。2009年、ファウスト挑戦者賞を受賞。
エアロバティックスチーム「チーム・ディープブルース」公式サイト
http://teamdeepblues.jp/index.html
Text:Masaki Asada
Photos:Kiyoshi Tsuzuki
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