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それでも、ありがとう!
栗城史多のエベレスト中継に多くの人が感動

単独・無酸素でのエベレスト登頂を目指して8月28日に日本を出発した栗城史多。2009年、2010年に続く3度目の挑戦だったが、今年も残念な結果となってしまった。それでも5,800m地点で行った中継には、多くの人々が感動した。栗城は冒険の共有の約束を果たし、私たちに勇気を与えてくれたのだった。

From Faust A.G. Channel on [YouTube]

7800m地点で、暴かれたデポした荷物に直面する栗城。
★【YouTube:FaustA.G.チャンネル】でもご覧いただけます(スマートフォンの方 はこちらがオススメ)

荷物を掘り出したときのショックは
そう何度も経験出来るものではない



「悔しいです。でも生きていてくれてありがとう」
「次も一緒に冒険できるじゃないですか!」
10月13日午後12時15分。栗城のいるエベレストとつながる予定の時刻、Ustreamの画面には次々とTwitterのつぶやきが流れ出す。本来であれば、この中継は8,848mの頂上に到着する瞬間をつなぐものだった。しかし、栗城は12時間前に登頂を断念していた。

「月明かりがすごいです。これから上がります」
12日午前2時25分(日本時間5時40分)に6,800m地点から頂上へのアタックを開始した栗城は、昼頃には、9日前にデポした(荷物を埋めておいた)7,800m地点にやってきた。ここで雪の中のテントやジャケットを掘り起こし、一昼夜をかけて頂上に到達する計画だった。
しかし、「食料を何者かに食べられていて、ポールもなくなっています」と栗城の無線は告げる。ジャケットやマットは辺りに散らばっているが、テント用のポールや食料、そしてガスが見当たらない。どうやらカラスが食料をあさり、荷物の一部は急斜面を転がり落ちていったらしい。氷河を溶かして水分補給するためには、ガスが欠かせない。
「ガスなしは水なしだから死んじゃうね。もし登ってもガスなしで、7,900mで一夜を過ごすのは難しいと思います。…ちょっと言葉が出ないですね。…本当にごめんなさい。そういうことです」
栗城の3度目となる挑戦が、あっけなく、そして無情にも思いもよらない理由によって、幕を閉じられた瞬間だった。

下山した栗城は、翌日のTwitterでこうつぶやく。
「あの荷物を雪から掘り出したときのショックは生きている中で、何度も経験できるものではありませんでした。すべてが奪われた瞬間でした」
9月20日に5,300m地点にベースキャンプを構えてから43日。これから本格的な冬を迎えるエベレストは、もう春まで人を受け入れてくれそうもない。仲間と積み重ねてきた時間が水泡に帰したと感じたに違いない栗城だったが、彼は持ち前のポジティブさを発揮する。よし、下山して日本のみんなと中継でつながろう!と。

[Ustream録画] 10/13 Nobukazu Kuriki - EVEREST SHARE【栗城史多 エベレストから生中継】

下山決定後の10月12日午後13時35分、5,800m地点から行ったUstream。

チャレンジする限り道は続く
今年の「生ステーション」は前哨戦だ!

12日午後13時35分。栗城の心情を案ずる人たちから励ましのつぶやきが続く中、やっとカメラはつながった。
「5,800m地点からナマステ!」
Ustreamにアクセスしていた1,600人の視聴者の声が聞こえてきそうな瞬間だった。実際にタイムラインには「キター!!!」「お疲れさまでした!」という言葉が次々と現れる。



「これから下山するところです。(下に)ベースキャンプとプモリモハイキャンプが見えます」。吸い込まれそうな青い空と白い雪原に、黒く焼けた栗城の笑顔が輝く。意外に元気そうな声だ。
「カラスにすべてを奪われた感じで落ち込みましたが、チャレンジし続ける限り道はあります。来年に向けてがんばりたいと思います」
「今年は前哨戦ということで、いくつかの会場と電話でつなぎたいと思います」
実は、“冒険の共有”を謳い続けてきた栗城は、今日という日をシェアするために、「生ステーション」と名付けたパブリックビューイングの開催を進めていた。
この日、書店や公民館、寺院など、北海道から九州まで全国の40カ所に、彼から生きる勇気をもらった人たちが集まっていた。栗城はその場で、新潟、東京、そして故郷・北海道の3カ所に電話をかける。そのクリアな音声と鮮明な映像は、本当にエベレストとつながっているの?と思ってしまうほどである。
「北海道は天気いいですかね。ウニ食いたいです。ウニ! すごいです。北海道と電話でつないでみました!」
電話をかける栗城も興奮を隠せない様子。Twitterでも「すごすぎる」「電話?!」といったつぶやきが発せられ、栗城のカメラが氷河を映せば、「きれいだなあ」という言葉が返ってくる。インターネットが距離をゼロにした瞬間だった。そしてそれは地上の距離だけでなく、栗城と彼を応援する人々との距離もなくしていた。

“世界一高い山で単独・無酸素登頂を果たす“という約束は守れなかったが、人々は彼を褒めたたえた。
「夢を、冒険をありがとう!」
「感動しました!」
これまでの42日間、栗城は毎日動画を配信してきた。スタッフの死や地震など、不慮の事故に見舞われながら、精一杯の力で今日という日を迎えたのだ。今年も、息をきらしながら一歩一歩を踏みしめる姿を、私たちは見ることができた。登頂の瞬間こそシェアできなかったが、真の目的である“冒険への挑戦を共有して人々を勇気付ける”という熱い思いは十分に伝わっていた。彼の姿はこれからも私たちを励ましてくれるだろう。次の挑戦を心待ちにしながら、栗城史多にエールを贈りたい

 

栗城史多(くりきのぶかず)
1982年北海道生まれ。大学山岳部から登山を始めて6大陸の最高峰を登る。2008年マナスル(8163m)にて日本人初の単独・無酸素登頂と山頂直下からのスキー滑降に成功。2009年よりインターネット生中継登山を開始。ダウラギリ(8167m)の単独・無酸素登頂と6,000メートル地点からの中継を行う。今年5月、シシャパンマ(8027m)南西壁に単独・無酸素で挑むが、壁を登りきるものの、山頂には届かず下山。2010年ファウスト・オブ・ジ・イヤー受賞。

Data

栗城史多オフィシャルサイト
http://kurikiyama.jp/

2011エベレスト挑戦特別サイト
http://everest.kurikiyama.jp/

ブログ
http://ameblo.jp/kurikiyama/

Twitter公式アカウント
kurikiyama

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