vol.8
仲間と見た、苦しみの向こうにある光
~M.I.T.、アイアンマン70.3への挑戦~
2011年9月17日。愛知の中部国際航空「セントレア」のセンターピアガーデンには、真っ黒に日焼けしたアスリートが続々と集まった。「アイアンマン70.3 セントレア常滑ジャパン」のスタートを翌日に控えて開かれた、選手ブリーフィングだ。
午後1時のブリーフィングに向けて、会場に姿を現す選手たちの中で、ひと際目を引く集団がいた。名立たる企業トップや飲食店オーナーが中心となり、結成されているトライアスロンチーム「M.I.T.」の面々である。部長を務めるのは、稲本健一(同連載Vol.1に登場)。
通常、レースでは個人戦がメインとなるトライアスロンにおいて、なぜチームを組んでいるのか。その理由について稲本に尋ねた。
「レースに入れば孤独な闘いが続く。だからこそ、日々のトレーニングを含めたレース前の準備や、まさにレースの最中、そしてフィニッシュ後に気持ちを共有できる仲間がいることが支えになる。自分のレースを見てくれている人がいる、応援してくれる人がいると思えるから強くなれるんです」
たった一人で体力と気力の限界に挑むトライアスロンは、ストイックの極みのようにもとられるスポーツ。レース途中、幾度となく訪れる「立ち止まって休みたい」「もう歩いてしまいたい」という誘惑に打ち勝つには、戦友が必要なのだ。ビジネスにおいても最前線で闘い続ける彼らを虜にするトライアスロンの魅力に迫るべく、“大人の体育会系”チーム、M.I.T.のレースを追った。
アイアンマン70.3の壁
1st day PM13:00 競技ブリーフィング@セントレア
今回、M.I.T.会長の髙島郁夫(同連載Vol.2に登場)がやむなく欠場となった今大会でチームを牽引する稲本は、レース前日のブリーフィング会場でチームメイトを集め、輪の中心に一人の男を招き入れた。日本トライアスロン界の先駆者であり、M.I.T.のスーパーバイザーでもある白戸太朗だ(過去のロングインタビュー記事はコチラ)。今回の大会実行委員長を務める白戸は、チームメイトたちを前に短い言葉で明快なアドバイスを告げる。
「アイアンマン70.3は、これまでのオリンピック・ディスタンスとは全く違う。ランに入ってからが勝負と考えるくらいでちょうどいい。バイクの時にゼリーなどでしっかりとエネルギー補給をして、バイクでは決して飛ばし過ぎないこと」
気持ちが昂るメンバーを、白戸が敢えてクールダウンさせたのには訳があった。トライアスロンでは、オリンピック・ディスタンスと呼ばれるスイム1.5km、バイク40km、ラン10kmのトータル51.5kmという距離が一般的。だが今回の「アイアンマン70.3」とはは、スイム1.9km、バイク90km、ラン21kmのトータル約113km(70.3マイル)で争われる国際規格で、トライアスリートの憧れのシリーズでもある。
事実、M.I.T.メンバーの大半が、オリンピック・ディスタンスでのレース経験は十分ある一方、70.3マイルの距離は初挑戦の者も多い。白戸は具体的な戦略を淡々と語ることで、アイアンマン70.3の厳しさと過酷さを再認識させ、メンバーに冷静さを取り戻させたのだ。
そしてもう一つ、選手たちの不安を駆り立てていたのが、レース当日の天候状況だった。折しも太平洋沖には台風15号と16号が発生し、本州へ迫っていた。ブリーフィングの席で「当日朝6時の時点で状況を判断し、波の高さによってはスイムを1.2kmの短縮コースに変更する可能性がある」ことが告げられた。また、オリンピック・ディスタンスの2倍以上の距離となる70.3のコースを確保にするために、同じルートを何度も周回する箇所や折り返し地点の多さなどが注意点として告げられ、コースの難解さに頭を抱える選手も少なくなかった。
113kmにおよぶ「アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン2011」のコース全貌はコチラ
http://ironman703.jp/course/
嵐の兆し
1st day PM17:00 バイクチェックイン@常滑港
ブリーフィングと選手登録を終えた選手たちは、バイクチェックインのため、セントレアから橋を渡り、常滑港のバイクのトランジションエリアへ向かった。ひたひたと接近する台風の影響から風が強くなり、スイムのスタート地点となる常滑港の海には、港内とは思えないほど、高い波が打ち寄せていた。
嵐の予兆か――。
稲本は、荒れる海を横目で見ながら、祈るような気持ちでバイクの調整を行っていた。
「やはり正規の距離(1900m)を泳いで闘いたいよ。誰かに勝つとか、何位に入るとかいうことは二の次。あくまでも自分の記録への挑戦、自分との闘い。それがアイアンマンだからね」
バイクをラックにかけ、チューニングし、ディレイラー(ギア)部に風雨対策のためビニール袋をかぶせるなど、入念に準備を行ったメンバーはホテルに戻り、カーボローディングと呼ばれる夕食会へ移った。翌日のレースに備え、炭水化物を摂取してエネルギーを蓄える、いわばレース前夜の儀式のようなもの。
波乱を予感させる闘いへ向け、準備は整った。
1200mの短縮コースとなったスイム
2nd day AM6:00 スタートエリア@常滑港
レース当日の9月18日。まだ暗い日の出前、朝5時半を回った頃、常滑港のスタートエリアに選手が集まり始め、バイクの最終セッティングや走行中の栄養補給アイテムの装着など、着々と準備を進めていた。一見すると、心配された台風の影響はそれほどない。昨日に比べれば風も波も穏やかだ。だが、大会本部では最終の調査が進んでいた。スイムのコースを予定通り1900mで行うか、安全を優先して1200mの短縮コースとするか――。
太陽がはっきりと顔を見せ始めた午前6時。スタート地点にアナウンスが流れる。
「安全のため、スイムは1200mの短縮コースでの実施を決定」
M.I.T.メンバーの反応は様々だった。
「70.3マイル走ってこそのアイアンマンだから、残念」
「スイムは得意だから、距離が長い方がスタートダッシュで逃げ切れたかもしれない」
「泳ぎが一番苦手だから、少しは楽になるかな」
「どちらでも、それほど変わりはない」……。
口を突いて出てくる言葉は違えども、急な変更に誰一人として動揺している者はいない。それは、トライアスロンが自然と向き合う競技だということを意味している。ありのままの自然条件を受け入れ、自然に敬意を払うこともまた、トライアスリートの重要な精神なのだ。
M.I.T.それぞれの70.3への想い
レースに臨むM.I.T.のメンバーたちは、それぞれに去来する思いを抱えてこの日を迎えていた。
三浦健一にとってトライアスロンへの挑戦は、実に15年ぶり。15年前、あまりの辛さに断念したトライアスロン。ここに再び戻るきっかけとなったのは、昨年のこの「アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン」だった。
「昨年の大会でM.I.T.のリレーチームで参加して、ランの部分だけ担当したんです。トライアスロンを辞めていた間もランニングだけは大好きで続けていましたから。そうしたら、リレーで3位に入賞することができた。でも、すごく嬉しいはずなのに、実はあまり楽しくなかった。ランで100人は抜いたけど、他の人は3種目を一人でやっている。僕はスイムとバイクの2人が作ってくれた道を、自分はなぞっただけだったなぁって。だから今度は、全部の道を自分の力で切り開いてみたいと思った」
吉崎英司は、リベンジをかけていた。初めて70.3に挑んだ昨年の大会、バイクで3回もパンクするというアクシデントに見舞われ、何とかバイクを終えてランに移ったが、残り5kmの地点で無情にもカットオフ(制限時間オーバー)。記録を残すことができなかった。
「本当に悔しかった。今年はとにかく足跡を残すためにも、バイクでリベンジを果たしてランで勝負をかけます!」
部長の稲本は、不安を抱えたままレース当日を迎えた。昨年の大会では靭帯損傷を押しての出場、今年はアキレス腱の炎症を抑えるため、本人曰く「超痛いけど効く」針で痛み止めを施しての臨戦。
「十分な走り込みができなかったことが気がかり。でも、けがも含めて勝負だからね。何とか6時間を切りたい」とあくまでも自分を追い込む。
午前7時30分。スタートを10分後に控え、M.I.T.が円陣を組んだ。大人の体育会系らしく、恒例のレース前朝礼。朝礼担当の大嶋啓介に続き、気合い入れの言葉が連呼され、想いが増幅されていく。
「オレはできる!」「やってやるぞ!」「せーの、エム!アイ!ティーーーー!!!」
ここからは長い一人旅へと向かわなくてはいけない。だが、常に心は一つ、共に闘うのだということを互いに確認し合い、心を奮い立たせたのだった。
スイムを皮切りに、波乱のドラマが幕を開ける
2day AM7:40 スイム1.2km
スタートは、年齢別に約200人ずつに分けられたカテゴリーごとに、スイムの着水姿勢から3分間隔でスタートするウェーブ方式だ。スイムのコース短縮に伴い、予定時刻より10分遅れとなった7時40分。第1ウェーブの選手たちがフォーンの合図と共に、一斉に水しぶきを上げながら沖へ向かう。いよいよ、闘いの幕は上がった。
M.I.T.の先陣を切ったのは、第2ウェーブの横瀬武夫、稲本、熊城翔太。最終第9ウェーブの女性陣2人まで、次々と闘いの渦へ挑んでいった。
日が昇るにつれ、常滑市一帯には突きぬけるような秋晴れの空が広がり始める。スイムからバイクへのトランジッションでは、時折笑顔が見える程、余裕すら感じさせるメンバーだったが、これから刻々と上昇する気温と、高低差の激しいバイクコースが、次第に選手たちの体力を奪っていくことになる。
アップダウンの繰り返しに足が悲鳴を上げる
バイク90km
90kmという長く、孤独なバイクコース。時間にして3~4時間ものあいだペダルをこぎ続けなければならず、常滑市の丘陵地帯に張り巡らされた複雑に入り組む周回コースでは、強烈なアップダウンが何度も何度も選手たちを襲うこととなる。最初は余力を残して坂を駈けあがっていても、後半になるにつれ、蓄積した疲労は確実に選手の“足”を奪っていき、同じ登り坂でも何倍もの辛さとなってのしかかってくるのだ。
レース前に白戸が一番のポイントとして挙げていた、最大の難関であるバイクのレース中、実はM.I.T.メンバーにも様々なトラブルが発生していた。
チーム1、2位を争う丸山剛はパンクに見舞われ、即座にチューブ交換をして復帰したもののタイムを大きくロス。
昨年のリベンジを誓っていた吉崎は、サイクルコンピューターが故障し、バイクスタート直後から走行距離がわからない中でのペース配分を強いられていた。
朝礼の際、声出しの先導者として、人一倍気合いの入っていた大嶋は、折り返しの多い複雑なコースに惑わされる。70km時点で、誤ってバイクのフィニッシュ地点に向かってしまったのだ。再びコースの分岐点まで戻り、ようやく残りの距離を走破してランに移った頃には、大嶋の体力は限界を迎えていた。
過酷さを増すレース。エイドステーションでは、水のボトルを何本も補充する選手の姿が目立ち、ボランティアの準備が間に合わないシーンも。さらにピットインゾーンでは、時間を気にしながらも、水をかぶったり、何度も何度もスポンジで首筋や頭を冷やしたりと、火照りきった体を冷やすために選手が群がっていた。
強烈な日差しとの闘い
ラン21km
この日、セントレア付近の最高気温は32℃を超え、猛烈な残暑を記録。バイクで体力、気力共に激しく消耗した選手を待ちかまえていたのは、陽光を遮るもののない、海岸沿いの灼熱のランコースだった。穏やかな水面を照らし、シーリゾートのような美しい眺めを演出する強い日差しは、強烈な牙となって選手に襲いかかった。
「想像を超えるタフなレースだった」
「この暑さに頭がくらくらし、体力が搾り取られた」
「数km間隔にあるエイドステーションで、冷たい水を頭からかぶりながら走った。あれがなければ無理だった」
フィニッシュ後の選手が口にした言葉が、この過酷なランの道のりを物語っていた。
スタートから4時間10分が過ぎ、優勝者がフィニッシュ。それから遅れることおよそ1時間、M.I.T.の一番手として最初にフィニッシュテープをきったのは、鶴見英斉だった。
「この暑さ、やばいですね。でもバイクを楽しみながら走ることができた」と納得のいくレース運びに、余力さえ感じさせる爽快な笑顔を見せた。
アキレス腱をかばいながらのレースとなった稲本は、目標タイムに及ばず、6時間を超えてのフィニッシュ。足を引きずりながら芝生に倒れ込み「ちくしょ~! 次はやったるぞ」と悔しさをあらわにした。アキレス腱の痛みを止めるために打った針の効果は、ランの12km地点前後で切れていた。「完全な状態で臨めるレースなんてない。何を言っても言い訳にしかならない」と語った稲本は、体全体で呼吸をしながら寝転んだまま天を仰ぎ、しばらく動けない程、力を使い果たしていた。
15年ぶりの挑戦となった三浦もフィニッシュ。「最高! やった~! やりきった!」と人目をはばからず大声で叫んだ。「苦手なスイムの時、途中2回くらい過呼吸になりかけたけど、何とか泳ぎ切れた。バイクとランは自信があったけど、実際に走り始めたら、“まだやれる”という自分と“もう無理”という自分が常に葛藤して揺れてました」とリタイヤの危機を何度も乗り越えていたことを明かした。達成感に満ちた表情で三浦は続ける。「これでやっとアイアンマンになれた。完走できて本当に嬉しい!」
バイクのサイクルコンピューターが故障するというトラブルに見舞われた吉崎は、しかし冷静に対処し、見事に昨年のリベンジを果たした。「残り距離がわからない中でのペース配分はかなり難しかった。目標タイムには届かなかったけれど、とにかく記録が残せたことはよかったですね」
昨年、バイクで飛ばし過ぎてランでは歩いてしまったという米山久は、満足の完走レースとなった。「走っている時はもう嫌だ、何で出場したんだろうと思う。去年も二度と出るかと思ったんです。でも、フィニッシュしたらまた走りたくなる。次こそやってやる! って。不思議ですね」
苦しみの向こうにある涙と笑顔
2day PM16:00 フィニッシュエリア@りんくうビーチ
スタートから8時間が経過、カットオフの時間まで残り数分。M.I.T.チーム内には、まだ緊張感が漂っていた。あの男がまだフィニッシュしていない。朝礼で気合いいっぱいの掛け声を発した、チームのムードメーカー大嶋啓介だ。前回のホノルルでは好記録を残していた大嶋に、何が起きたのか。
M.I.T.メンバーが見つめる中、フィニッシュゲート前の最終コーナーに姿を現した大嶋は、苦痛に顔を歪めながら、それでも必死に足を前に運び、倒れこむようにフィニッシュした。
「おーおしま! おーおしま! おーおしま!」
励ましの声と大きな拍手、安堵の表情で迎える仲間たちの笑顔に向かって、何度も、何度も頭を下げた。
「すみません。すみませんでした。ありがとうございました…」。
大嶋は泣いていた。自らのふがいない結果と、チームのメンバーに心配をかけたことへの悔しさ。そしてフィニッシュで待ち、応援し続けてくれた仲間への感謝。様々な感情が交錯し、涙となって溢れ出た。
「バイクの途中から何度も両足がつってしまって。ランの残り10km地点からは意識が朦朧として、立っているのがやっとでした。でも、今まで励ましてくれた先輩やチームのみんなのことを思うと絶対リタイヤできない、前に進まなくちゃと思って。最後の1kmは、足を引きずりながら、最後の力を振り絞って走りました」
普段は飲食店経営者として、また店舗運営の講師として講演や執筆活動を行うなど、第一線で活躍するビジネス戦士。そんな大の男が感情を抑えきれずに流した涙。苦痛と屈辱に包まれたであろうフィニッシュから、10分も経っていない大嶋に、酷かと思いつつ「また出たいと思うか」と尋ねると「次回、必ずリベンジします」という答えが間髪いれず返って来た。驚くことに彼はもう先を見ていたのだ。
汗と共に頬を伝い、地面に滴るその涙が伝えてくれたのは、決して苦しみや挫折感ではない。トライアスロンに魅了され、挑み続ける男たちの、言葉では語り尽くせぬ情熱と誇りがそこにあった。
エピローグ
M.I.T.メンバーは、全員が完走を果たした。満足のいく結果を残した者ばかりではないかもしれない。それでもメンバーの表情は一様に晴れやかで、清々しかった。きっと人は、なにかと闘わずして生きていくことはできない。ならばいっそのこと、泣き、笑い、楽しみながら冒険する方がいい――。レース後のM.I.T.メンバーの表情を見ながら、彼らが挑戦を止めない理由に近づけた気がした。
トライアスロンの厳しさに打ちのめされた者も、楽しさや喜びを再認識した者も、苦しみの向こう側にある光を再び目指して汗を流している。「IRONMAN」への階段を一歩上がった男たちは、きっとまた次のレースで、新たなトライアスロンの魅力に出会うことだろう。
御礼
最後に、取材を行ったM.I.T.のメンバー全員に登場いただくことができなかったことをお詫びしつつ、大切なレースの中、取材に協力してくれた皆さまに心よりお礼申し上げます。誠にありがとうございました。
アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン 2011
http://ironman703.jp/
昨年に続き2回目となった国際レース。「IRONMAN 70.3」として世界認定された日本で唯一の大会として、20カ国のアスリートたち約1300人がエントリーした。コースは常滑市内全域にわたり、およそ1300人の市民ボランティアが参加。人も町も「IRONMAN」一色に染まった。距離はスイム1.9km、バイク90km、ラン21kmの合計約113km(70.3マイル)。今回は天候の影響でスイム1.2kmで開催された。
主催:アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン大会実行委員会(構成団体/常滑市、中部国際空港株式会社、株式会社アスロニア)
Text:Shizue Hanano
Photos:Yasuhiro Honmi
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