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Vol.6
本田直之、初のアイアンマンレースへ
総距離226キロに己の肉体のみで挑む!

ついに、この日がやってきた。
2010年3月のオリンピック・ディスタンス出場を皮切りに、ハーフのアイアンマンも含めて9つのレースを走破してきたのも、すべてはこの日を迎えるためだった。
「トレーニングはうまくいきましたし、いまは落ち着いた気持ちですね。期待と不安のどっちが大きいか? やってみなければ分からないところはあるので、どうでしょうね……半分ずつくらいですかね。まあでも、ここまできたらあとは自分の力を出すだけですから」
オーストラリアへの出発を数時間後に控えた本田直之は、言葉どおりの落ち着いた口調で話した。それに、と付け加える。数日前に友人から受けた激励が、不安を取り除く効果を果たしていた。同時に、闘志が沸き上がるスイッチの役割も。
アイアンマンは、誰にでも挑戦できるものじゃない。スタートラインに立った時点で、お前はもうれっきとしたアイアンマンだよ──。

トライアスロンの距離について

オリンピック・ディスタンス…スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの合計51.5キロ(オリンピック種目採用距離)
アイアンマン70.3…スイム1.9キロ、バイク90キロ、ラン21.0975キロの合計51.5キロ(アイアンマンの半分)
アイアンマン…スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロの合計225.995キロ
※このほかさまざまな距離がある。今回本多が挑むのはトライアスロン最長の距離「アイアンマン」だ。

2010アイアンマン・トライアスロン/西オーストラリア州バッセルトン大会コー スMAP

スイム
バイク
ラン

オーストラリア・バッセルトンへ――高まる機運

レースまであと3日

師走の喧騒と冬の寒さに包まれた12月1日、本田は成田空港へ向かった。自身が1年の半分を過ごすハワイへ戻るためではない。『2010アイアンマン・トライアスロン/西オーストラリア州バッセルトン大会』に出場するためである。
パース行きのカンタス航空の機内で約10時間を過ごすと、日付は2日早朝である。時差がほとんどないため、ジェットラグに悩まされることもない。専用車に乗り込み、およそ230キロ離れたバッセルトンを目ざす。3時間ほどのドライブだ。
ユーカリの木が織りなす車窓の景色が変わると、車内にカチカチというウインカーの小さな音が響いた。専用車はハイウェイを降りる。バッセルトンの街並みが見えてくる。窓を少し開けてみると、地中海性気候の穏やかな空気が頬を打つ。
ここが、アイアンマンに挑戦する舞台なのか──。
本田は胸の高鳴りを覚えた。

スイムコースとなるインド洋に突き出したジェッティと呼ばれる桟橋。
日本人は比較的珍しいこともあり、主催者側から取材を受ける一幕も。
本田らが中心となるトライアスロンチーム「アラパ」の仲間たちと。

ホテルへチェックインし、チームメイトとともに大会本部へ向かう。アイアンマンヴィレッジへ導く標識があちこちに設置され、いくつもの巨大なテントが世界中から集まるアスリートたちを迎える。人口2万6千人のささやかな街は、レース一色に染まっていた。
本田と彼のチームメイトは、ビーチへ足を運んだ。彼らに先んじて、試泳をしているアスリートもいた。3日後の大会へ向けた機運は、すでに高まっている。

夜、男たちは、文字通り身体にエネルギーを漲らせる

レースまであと2日

カーボローディングパーティの会場では様々なエンターテインメントが用意され、いやがおうにも気分が高まる。

翌3日は実際のレースのスタート時間に合わせてベッドから出た。午前中にバゲットピックアップ(受け付け)を済ませ、その後はコースの視察と各種ギアの確認に時間を充てる。バイクを組み立て、タイヤの空気圧をチェックした。

受け付けでえたバゲットにはゼッケンやスイムキャップが。左上のヘルメットはエアロ仕様だ。

夜はカーボローディングパーティーが開かれた。レースで最大限のパフォーマンスを発揮するためには必要な儀式のひとつだ。
様々に味付けをされたパスタ、ライス、パン、ジャガイモなどの炭水化物が、シルバーのトレイにズラリと並ぶ。オージービーフや野菜なども豊富だ。
会場内のステージでは、並行してイベントが行なわれる。大会が近づいてきたなという思いが、足元からじわじわと、しかし確実に全身へ拡がっていった。
「現地に着いた瞬間から、盛り上がりが凄いんですよ。カーボパーティーもそのひとつで、気分が最高潮に盛り上がるように演出されている」
パーティー終了後はレース会場内のテントにて、競技説明会が開催された。エネルギー源となるグリコーゲンをチャージした身体に、闘志が漲っていく。
トレーニングの成果をすべて解放するまで、あと2日──。

会場にはレースに向け、炭水化物を摂取しエネルギーを蓄えるためのブッフェがずらり。アラパのメンバーとともに気合を入れる。

226キロを戦い抜く万全の装備を

レース前日

レース前日の4日は午前11時にホテルを出発し、チェックインを済ませた。バイクとランのギアを、トランジッションエリアの指定された場所にセッティングする。アイアンマン初挑戦にあたっても、エキップメントや装備品はこれまでとほぼ同じだ。
「違うことといえば、バイクのホイールを変えて、スイムで使うゴーグルを新品にしたぐらいですね。距離が長いので曇ると困るから、ゴーグルは新品にするようにしているんです。あとは、塩のカプセル。汗をかいたときに水ばかり飲むと、低ナトリウム血症になって危ないので、塩分を補給するんです」
低ナトリウム血症に見舞われると、嘔吐や下痢、熱傷や腹膜炎などを引き起こしてしまうことがある。一般的な装備品はこれまと同じでも、未知なる距離を乗り越えるための準備は、細部にまで行き届いていた。
この日は何度かにわか雨に見舞われた。スタートを待ちきれないアスリートの熱を、少しでも冷ますためなのか。はやる気持ちと、冷静な思いと──本田もまた、いつもとは違う夜を過ごしていた。

トランジッションエリアにはものすごい数のバイクが。TT(タイムトライアル)バイクとよばれる、空気抵抗を減らすエアロ仕様が施されたバイクだ。

いざ、アイアンマンの称号を目指して

レース当日

トライアスロンの中で最長距離であり、国際規格となっている「アイアンマン」。観客、応援の数も半端ではない。

レース当日の起床時間は、スタート時間から逆算して3時30分に設定した。
ベッドから抜け出し、軽く身体を動かしてみる。悪くない。いい感じだ。

うっすらと夜が明けてきたところで、ビーチにほど近いシグナルパーク内にあるトランジッションエリアへ向かう。素早く着替えを済ませ、頭のなかでレースをシミュレーションする。
目標タイムは12時間30分である。難しいタイムではない。本田にとっては、きわめて現実的な数字である。トライアスロンのオリンピック・ディスタンスをクリアし、ハーフのアイアンマンも走破してきた手応えを、充実したトレーニングがさらに分厚くしている。

スイム3.8キロ

スタートを前にオーストラリア国歌が斉唱される。アスリートを包んでいたざわめきが収まり、緊張感が駆け抜ける。
一瞬の静寂ののちに、スタートホーンが鳴り響く。現地時間5時30分、本田のアイアンマンへの挑戦が始まった。
インド洋に突き出したジェッティと呼ばれる桟橋を反時計方向に周回するスイムは、1300人弱の参加者が一斉にコースへ飛び出す。
ジェッティが目印になるためミスコースや蛇行の心配は少ないが、コース取りは熾烈だ。 「僕はスイムが得意なので、いつもは先頭集団からスタートするんです。でも、今回は1300人近くが同時にスタートする。バトルに巻き込まれてもしょうがないから、あえて集団の真ん中あたりからいくことにしたんです。3800メートルも泳ぐんだから、ゆっくりいこうぜって思っていたんですけど、それこそ1500メートルぐらいまでバトルが続いたんですよ」

スタート直前。1300人ものトライアスリートが号砲をまち、緊張感が張り詰める。

衝突を避けようと慎重にコース取りをしながら泳いでいた本田だが、 前方を泳ぐアスリートに顔面を蹴られてしまう。痛みよりも先に襲ってきたのは、視界の歪みである。コンタクトレンズに不具合が生じてしまったのだ。
「見えない、ああ、取れちゃったと。うわあ、この先どうしたらいいんだ、と思いました」
本田が言う「この先」とは、スイムだけを指すものではない。トランジッションエリアのバックに、予備のコンタクトレンズを用意していなかったのだ。
いつもは準備しておくのに、この日に限って、なぜ。

スイムは目標通りのタイムであがる本田。当然リタイアする選手もいる。

懸命に水をかきながら、本田は後悔の念に襲われていた。
「でも、ゴールをしたらちゃんと視界が合って。外れていなかったんです。助かった、と思いましたよ」
スイムのタイムは1時間10分56秒だった。1時間10分を想定していたから、ほぼ予定どおりである。

バイク180キロ

アイアンマンほどの長距離である。バイクはスピードを出したい気持ちを抑えつつ、時速30キロ弱をキープする作戦。

トランジッションを終えた本田は、バイクのコースへ飛び出していく。市街地を海岸沿いに北上し、住宅街へ進路を変えたあとは湿地帯へコースを取る。再び海沿いへ出ると、路面の舗装がやや粗いエリアもある。海沿いのコースは防風林で遮られ、全体的にフラットなので、「走りやすさを感じることのできるコース」だ。60キロに及ぶこのコースを3周する。

「過去に参加したことのある方にヒアリングをしたところ、バイクのコースは海沿いなので風が強いと聞いていたんです。でも、今年はそれほどでもなかった。2周目ぐらいからちょっと吹いてきましたが。気象条件はレース当日にならないと分からないので、それはラッキーでしたね」
12時間30分の目標タイムにバイクが占める割合として、本田は6時間30分前後を想定した。時速30キロ弱のスピードをキープするのが条件だが、アスリートの意思は常に攻撃的である。
一歩でも前へ、一秒でも先へ、という欲求は抗い難い。ましてやバイクのトレーニングには時間を割いてきた。週末は必ず100キロをノルマとし、合宿では一日に160キロを走り込んだ。
「そこは本当に難しいところで。いこうと思えば、いけちゃうんです。苦しみを感じずに、30キロ以上のスピードを出してしまう。でも、『それではランで潰れてしまうよ。そうならないためにも、心拍数をはかりながらやったほうがいい』というアドバイスを、経験者の方からいただいたんですね。これは本当に役立ちました」





バイクも目標タイムをクリア。ランへのトランジッション時は、スタッフがバイクを預かってくれ、ラックへ自分で置きに行く必要はない。

心拍数が150を超えないペースを保ちながら、本田は180キロを走り抜く。ドラフティング(※)に厳しいマーシャル(※)から、警告を受けることもなかった。自制することで他者に先行を許す悔しさは、ランで巻き返すんだというモチベーションへ転換した。 「必要以上に追い込まなかったけれど、タイムは6時間ちょっと。目標タイムより速いわけですから、悪くないんです。ランにうまくつなげることはできたと思う」

ラン42.195キロ

最後となるラン。しかし想定外の出来事もかさなり、徐々に本田から「足」が奪われていく。

スイムとバイクのタイムを合算すると、ここまで7時間18分強である。ランに5時間を要しても、目標タイムはクリアできる。レース前は持ち得なかった意欲が、本田のなかで輪郭を帯びていく。
「スイムは予定どおり、バイクもいいタイムで終えたから、よし、11時間台を狙ってみようかなと。ランが始まってみると、身体が異常に軽かったし。これはいけるぞ、っていうぐらいで」





競技が始まってから、7時間30分近くが経過している。それにもかかわらず、疲労感はほとんどない。軽快な足どりで、路面をとらえることができる。
「飛ばしているつもりはないのに、1キロ5分を切っちゃうようなペースで入っていった。これはマズいなあと思って、ちょっと落としながら走っても、前半のハーフが1時間55分くらいだったので、これはマラソン、サブフォーもいけるなと。そこから精神的にも乗り始めたんですけどね……」
フルマラソンを4時間以内で走りきるサブフォーを、アイアンマンで達成する。アスリートなら誰もがチャレンジ精神をかき立てられる状況だろう。しかしこのとき、本田の背後からゆっくりと危機が迫っていた。
「実はタイムとかペースを測っていたガーミンという時計が、途中で落ちちゃってたんです。データが途切れてしまっていた。バイクはバイクに時計がついていて、ランもランで個別にタイムを測っていたんだけど、ここまでどれぐらいかかっているのかの総合タイムがすぐに分からない。頭のなかで足し算をしながら、ゴールタイムをイメージしていたんです」
想定外の事態はそれだけではない。
「アイアンマンというのは、通常では有り得ない時間にわたって身体に負荷をかけている。しかも、ランで内臓が揺さぶられるわけですよね。人によっては、まったく食事ができなくなってしまう。でも、栄養は補給しなきゃいけないから、事前に身体を慣らしておかなければいけない。僕は一週間前から整腸剤を飲んだりしていたんですが、いつもは美味しく感じるジェルが、今回のランではなぜか口に合わない。身体が受けつけなかったんです」
「EXPECT THE UNEXPECTED」──通常なら有り得ないこと、予測できないことを想定しておけ。アメリカのアスリートがしばしば使い、トレーニングの教本や専門書で読んだフレーズが、ずっしりとした意味を持って迫ってくる。本田はエイドステーションを積極的に利用し、ジェルで摂るべき栄養をフルーツで代用した。不測の事態を想定したメンタルの準備が、冷静な対応につながったのだ。

ランのペースは緩やかに落ちていった。足がズシリと重い。太股が上がらない。腕が振れない。残り10キロになったところで、すでに体力は枯渇してしまったようにも感じられた。
歩きたい、歩いてしまえ、という欲求が頭をもたげる。
誘惑に負けそうな自分がいる。
最初の目標は12時間30分なんだから、歩いても大丈夫だよ。
誘惑を打ち消す自分もいる。
いや、ここで頑張れば12時間も切れるぞ。サブフォーに最後までトライするべきだ。
ギリギリのせめぎ合いが、孤独な葛藤が続く。
本田は、歩かなかった。エイドステーションに何度も立ち寄り、そのたびにストレッチをしてまた走り出した。
歩いているアスリートは何人いた。バイクで本田を追い抜いたゼッケンの持ち主が、全身から疲労を滲ませてしばしば立ち止まっていた。
だが、本田は足を止めなかったのだ。
「ジャストギビング(※)で100人以上に寄付をしてもらっているので、その人たちの応援を無駄にしないためにも、絶対に歩くのだけはやめようと。一度歩いてしまったら、もう二度と走れないと思ったから」
チームメイトとも互いに支え合った。バイクとランは周回コースなので、どこかで誰かとすれ違う。そのたびに「頑張ろうぜ!」と声を掛けた。本田もまた、励ましの言葉をもらった。
大会を包む温かな雰囲気も、本田の闘志を刺激した。住宅街ではさすがに応援が途切れるが、コースのほとんどでギャラリーの熱を感じることができた。
「大会に出場する前は、周回コースってイヤだなあと思っていたんです。でも、これが意外に良くて。たくさんの応援があるから、頑張れる。ゴールは街の中心街なんですけど、周回で必ずそこを通るんですよ。当然、一番と言っていいほど盛り上がっていて、通るたびに『よし、また行くぞ』って元気をもらえる」

軽やかに走り抜けるランナーもいれば、とうぜん、足を止めてしまう選手も多数いた。応援も熱を帯びてくる。

最後の数キロは、「走った」というよりも「耐え抜いた」という表現のほうがふさわしいだろうか。肉体はとうに限界を超えていたが、精神が立ち止まることを拒絶したのだった。
「ゴールの目前は応援がものすごくて、沿道の人とずっとハイタッチをしながら。花道に沿って柵があるんだけど、それをみんながバンバン叩くから、それでまたテンションが上がって。最後はステージを登ってゴールをして……」

Naoyuki Honda, you’re an ironman!!

ステージ上になったゲートでフィニッシュ!アイアンマン本田の誕生である。

アイアンマンではお馴染みのコールが、バッセルトンの空に溶けていく。心地よい充足感が、全身に込み上げてきた。
「あれだけ苦しかったのに、最後はみんな笑いながらゴールしていく。僕もそうでした。マラソンの苦しさとは違うんですよね。何て言えばいいのかな……アドレナリンとかエンドルフィンとか、いろいろなものが出まくって、ものすごく疲れているのに、ものすごくテンションが上がっている状態でね」



かつて味わったことのない感覚である。トライアスロンのオリンピック・ディスタンスでも、ハーフのアイアンマンでも。
「アイアンマンは、生半可な覚悟では出られない。オリンピック・ディスタンスは、極論すれば何とかなっちゃうところがある。完走だけを考えるなら。あれはタイムを狙っていかなきゃいけないんですけど、アイアンマンは完走することがそもそも難しい。事前に準備するのはもちろん、レース中にエネルギー補給ができないと、それでもう競技を続けられないことだってある。女子のトップの選手だったと思うんだけど、最後は這ってゴールしてましたから。限界の限界まで肉体を追い込むのに、終わったらみんな、楽しかったって言うんですよ。『バイクで走ってるときは良かったなあ』なんて、みんなが口を揃える。6時間以上も走ってるのにね」
そう話す本田も、アイアンマンという競技にすっかり魅せられてしまった。無邪気と言ってもいい笑みがこぼれる。
「意欲は増すばかりです。レースに出る前は、毎年これをやるのは無理だろうと思ってたんです。身体への負担も大きいだろうから。でも、1年に一回のイベントとしてチャレンジする価値はあるなっ、ていうのがいまの気持ちです」

2011年もまた、本田はバッセルトンを訪れる予定だ。2年連続でアイアンマンの称号を得るために、泳ぎ、漕ぎ、走る。翌2012年7月には、アイアンマン・オーストリアにエントリーする予定だ。
「バッセルトンからオーストリアまでは約半年ですけど、3回目ぐらいになれば身体も慣れてるだろうなという想定があって。マラソンも、一回目が一番キツいでしょう? 現時点で一回達成している自信があるし、ノウハウもありますからね」
記録へのこだわりも生まれている。「完走することがそもそも難しい」と自認する競技の位置付けが、本田のなかで変わってきた。
「今回は1294人で685位なので、半分より少し上ぐらい。11時間55分というタイムはまずまずだと思うんでけど、それでこの順位ですからね。レベルは高いんだなと。とはいえ、世界中から気合の入った人たちが集まってくるから、それはそうだろうっていう話なんですが。シミュレーションをしてみると、来年は11時間30分を切れそうなんですよ。ランで20分、バイクで10分短縮すれば。あとは、トランジッション。ここでものすごく時間がかかっていたので。あくまでも、希望的観測ですけれど」



スタートは朝5時。本来、フィニッシュ時には日が暮れ夜になる選手は決して珍しくない。

“記念受験”のようなものにするつもりは、最初から微塵もなかった。どこまでも純粋に、ひたむきに完走を目ざした。
それにしても、ここまでのめり込むことになるとは。
「不思議な魔力があるんですよ。言葉ではうまく説明できないけれど、レースに出た人なら分かる魔力がね」
はっきりと語れることがあるならば、ゴールテープを切った直後の感動や興奮を、一度きりにするのはあまりにもったいないということだろう。何度味わっても倦むことのない壮大なスケールに吸い寄せられて、本田はアイアンマンに情熱を注いでいく。

本田直之 フィニッシュタイム
11時間55分09秒

(※)ドラフティング…バイクで他選手の後方に入り、空気抵抗を少なくすること。ドラフティングゾーンの距離は大会によって定めてられており、時間は15秒以内。また、前方のバイクを追い越す際は右側からとなる。
(※)マーシャル…審判員のこと。
(※)ジャストギビング…インターネットを活用したファンドレイジング・サイト。個人がチャレンジを掲げることで慈善団体にチャリティを呼びかける。ファウストA.G.とはコラボレーションを進行中。詳細は記事にて

 

Data

2010アイアンマン・トライアスロン/西オーストラリア州バッセルトン大会
http://ironmanwesternaustralia.com/

 

Profile

本田 直之(ほんだ なおゆき)

レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長。一年の半分をハワイで過ごす。明治大学商学部産業経営学科卒業。アメリカ国際経営大学院サンダーバード校経営学修士(MBA)。(社)日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザー。著書にはベストセラーとなったレバレッジシリーズや『面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則』、『パーソナル・マーケティング』、『ハワイを極める50の法則』、『カラダマネジメント術!』 、『ゆるい生き方』など累計170万部を越えている。

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