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Vol.11
高島郁夫、56歳で初のアイアンマンへ
冷静、平穏な心で臨んだ挑戦〔前編〕

スタートラインに立っても、不思議なぐらいに落ち着いていた。
自ら「50歳を過ぎての再スタート」と話し、そこから10年後の60歳で挑戦することを目標に掲げたアイアンマンのレースが、もうすぐはじまろうとしている。それにもかかわらず、高島郁夫の気持ちは高揚感とも、緊張感ともかけ離れていた。
目標を3年前倒しにした自身最大のチャレンジが、お決まりのホーンによって動き出す。凶暴な牙を剥きだしたような荒波に、高島はゆっくりと駆け出していった──。

高島のアイアンマン出場へのシナリオは、ほぼ1年前に一行目が記されている。2012年3月にハーフのアイアンマンに出場し、11月には台湾で再びハーフのアイアンマンを走破した。2013年に入ってからは初めてフルマラソンを完走した。
「フランフラン」「バルス」をはじめとしたデザイン性豊かなインテリアショップ、ライフスタイルショップを国内外で展開する株式会社バルス代表取締役社長の高島は、日本と香港を往復する多忙な生活を送っている。ビジネスタイムがプライベートを圧縮しがちな時間のなかで、バイク、ラン、スイムの3種目を磨き上げていった。
「アイアンマンがどれぐらい過酷なのかは、すでに出場している知人から聞いています。けれど、数カ月前から緊張状態に入る必要もないでしょうし、自分にできる範囲内で楽しむというスタンスは、トライアスロンでもアイアンマンでも変わりません」
2012年秋に取材に応じた高島は、そういって柔和な笑みを浮かべていた。自分のペースを大切にする高島らしい言葉だった。
心にさざ波が立ったのは、レースが2週間後に迫った2013年3月上旬である。自身が会長を務めるトライアスロンチーム「M.I.T.」のアドバイザーである白戸太朗(株式会社アスロニア代表取締役/スポーツナビゲーター)から、「これから先はトレーニングをしてはダメですよ」と告げられたことがきっかけだった。
日本のトライアスリート界を牽引してきた白戸のひと言である。
「身体に疲れを残したまま、レースに臨んではいけないですから」という説明は、もちろん納得できるものだった。それまでのトレーニングも、順調に消化してきた自負がある。
ただ、漠然とした不安が忍び寄ってくるのも事実だった。
「何もしなくていいのかなという気持ちで、落ち着かない日々を過ごしていたところはあったかな。やっぱり、ちょっと心配な部分はありました」

メルボルン到着日の21日、さっそくチームで会場入りし、選手チェックインを済ませる。

アイアンマンチャレンジチームのシンボル

会場にて、チームの面々と。

高島が初めてのチャレンジに選んだのは、オーストラリアのメルボルンを舞台とする「アイアンマン アジア-パシフィック チャンピオンシップ」である。彼のそばにはM.I.T.のチームメイトだけでなく、ファウストではお馴染みの本田直之(レバレッジコンサルティング代表取締役社長/過去の記事はコチラ)が率いる「アラパ」のメンバーもいる。M.I.T.の部長を務める稲本健一(株式会社ゼットン代表取締役社長/過去の記事はコチラ)が説明する。
「我々M.I.T.とアラパは、一緒に練習をしたり飲み会を開いたり、いわば兄弟チームとして活動をしているんです。今回M.I.T.からは僕も含めて6人、アラパからは本田を含めて8人がエントリーしました」
メルボルン入り後は、両チームのメンバーがほぼ行動をともにした。
稲本が続ける。
「アラパにはアイアンマンに出場経験のあるメンバーがいるのですが、M.I.T.から今回エントリーしたメンバーで、アイアンマンを完走したことがあるのは僕だけでした。でも、経験者がたくさんいたほうが、初めて出場する選手のサポート態勢は充実する。そういうこともあって、合同の“アイアンマンチャレンジチーム”という感覚でした」
チームの枠組みを越えて時間を共有することで交流が深まり、レベルに合わせたトレーニングが行なわれていった。「同じレベル同士が集まることで、緊張をシェアできるんです」という稲本の表現に納得する方も多いに違いない。

現地にてチームでバイク練習。身体に火を入れていく。
チーム全員でスイムコースの試泳も行った。

高島は、どうだったのか。
「意外と落ち着いていましたね」と、本人は静かに語る。プライベートでは高島を「兄貴」と慕う稲本も、「まさにそのとおり」と頷いた。
「僕はずっと、『兄貴はロング(アイアンマン)が向いている』と話していたんです。ロングはメンタルとフィジカルの両方が、オリンピックディスタンスやハーフ(のアイアンマン)以上に問われるわけだけれど、高島さんはメンタルが強い。現地に入ってからもいい意味で、淡々と過ごしていましたよ」

レース前々日の22日、アスリートウェルカムディナーにて。選手ブリーフィングも行われた。右から稲本、高島、本田。
ホテルにて、レースアイテムをチェックする。ウェア、ギア類はもちろん、補給食のエネルギーショッツ、痛み止めの薬、ドリンクと超長丁場のレースをしのぐ飲食料も十分に携帯する。

レース前日のカーボパーティー後に、全員で記録映像を撮影した。カメラの前で、一人ひとりが抱負を語る。稲本によれば、高島はさる貴金属会社のテレビCMのフレーズを持ち出したという。
「明日のテーマソングは『純金積立コツコツ』ですって、話していた。タイムの話も少しはしたでしょうが、狙っているわけではない。まずは完走を目ざすというスタンスははっきりしていました。そこはやっぱり、若いヤツらとの違いでしょうね」
56歳の高島は、両チームを通じて最年長である。若いチームメイトたちにとって、彼の存在は大きな支えになっていたと稲本は見ている。
「最年長の高島さんを盛り立てるつもりが、実は高島さんにみんなが引っ張られていました。56歳でアイアンマンに初チャレンジなんて、簡単にできることじゃない。高島さんが頑張ってるんだから自分も、という気持ちは誰もが抱いていたはず、とくに初めて出場する選手は。高島さんこそが、“アイアンマンチャレンジチーム”のシンボルでしたよ」
M.I.T.とアラパによる“アイアンマンチャレンジチーム”は、高まる連帯感とともに3月24日のレース当日を迎える。しかし、高島と彼のチームメイトたちを、かつて経験したことのない試練が待ち受けていた。

アイテム一式をレースナンバー入りのパケットに入れ、バイクチェックインへと向かう。バイクはトラックが会場まで運搬する。
バイクは、今回の挑戦用に手に入れたTT(タイムトライアル)バイク「サーベロ P5」。
トランジッションエリアにバイクをセッティングする。
左:何千というバイクが並ぶ様は圧巻だ。本田もチェックイン。 中:稲本も、パケットを自分のゼッケンナンバーのフックに引っかける。 右:スイムコースの下見。
左:レース当日の朝、会場入りする高島。 右:スタート前にバイクをチェックする。今回は白戸太朗(右から2番目)も同じ出場者の一人。心強いアドバイスをもらえた。

スイム

大荒れの海、混乱のスタート

朝6時過ぎ、薄暗いビーチへ高島らが到着すると、大会関係者が慌ただしく連絡を取り合っている。スタートを待つ選手たちもざわついている。プロカテゴリーに出場するトップアスリートも、表情に険しさを刻む。
波の高さが尋常ではなかったのだ。

大荒れの海を目の前にする高島。

海外でのレース経験が豊富な白戸をして、「自分のキャリアでもっとも荒れている海」だという。トライアスロンなど各種レースの運営にも携わる白戸は、「日本なら海の状態を見るまでもなく中止にする」と明かした。
中止を含めたいくつかの選択肢から、運営サイドはスイムコースを3.8キロから1.9キロへコースを短縮したうえでの実施を決定する。さらにそこから、スタート直前で1.5キロまで距離が短縮された。7時40分を予定していたスタートは、ほぼ1時間遅れた。
強く冷たい風が頬を斬りつけるなかで、高島は小さな失望を味わっていた。「スイムが3.8キロじゃないとアイアンマンにならないんじゃないか?」という思いが脳裏を過っていたのだ。
高島の懸念を察した白戸が、「悪天候の中、レース環境の悪い中でも戦う、これこそアイアンマンですよ!」と力強く答える。高島のハートに、スイッチが入る。
エイジグループにエントリーした男女合わせて2000人あまりの選手が、スタートラインの砂浜へ集まってくる。遠浅なので少しでも早くスイムへ移行できるように、前へ前へと選手が出ていく。

左:いよいよスタート! チーム全員で気合を入れる。 中:自身初となるアイアンマン挑戦へと望む高島の表情は真剣だ。 右: スイムのコースマップ(3.8キロ)

高島は落ち着いている。ふたつの気持ちが彼を支配している。
「アイアンマンは長いだけに、タイムを競うレースのような緊張感がない。スタート前もドキドキすることもなかったですね。むしろ、この荒れた大きな波のなかをどうやって泳ごうか、という意識が強かった」
8時20分きっちりに、レースの開始を告げるホーンがビーチに鳴り響く。波を蹴るバシャバシャという音が重なり、選手たちが一斉に海へ飛び込んでいった。

出場者全員が一斉にスタート! 大荒れの海へと飛び込んでいく。

ある程度の深さが確保されたところから、本格的なスイムがスタートする。2メートルはあろうかという波が、高島を翻弄する。波の上に撥ね上げられ、すぐにたたき落とされる。身体のコントロールができない。近くを泳いでいる他の選手と、何度となく接触してしまう。視野の確保もままならない。集団の先頭を走る選手が頼りだ。
ところが、選手たちを誘導するはずのライフセーバーも、突然のコース短縮に伴うルートの変更を把握しきれていない。ブイの先でUターンをするべきなのに、手前で折り返してくる選手もいるようだ。
海面に描かれるべきコースは混乱を極め、なおかつ高波が選手たちを押し流す。高島も混乱に巻き込まれ、最短距離を泳ぐことはできなかったが、40分41秒で1.5キロを泳ぎきった。スイムからバイクへのトランジッションエリアへ飛び込むと、稲本がまさにバイクへのスタートを切るところだった。
「イナケン!」
チームメイトの背中に声をかけると、高島はバイクの準備を急いだ。

無事、スイムアップした高島。表情は明るい。
本田のスイムアップ。

Profile

高島郁夫
たかしま・ふみお
株式会社バルス代表取締役社長

1956年福井県生まれ。1979年関西大学経済学部卒業後、マルイチセーリング株式会社に入社。90年に株式会社バルスを設立後、96年にMBOによって独立する。2002年ジャスダック市場に株式を上場、2005年東証二部に株式を上場。2006年東証一部に株式を指定替え。 2002年に香港、10年に中国、11年にシンガポールに法人をそれぞれ設立する。2012年、MBOにより非上場化。Francfrancをはじめとして、BALS TOKYO、J-PERIOD、La boutique Francfranc、WTWなどを展開。ファッショントレンドや感性からマーケティングを実施し、大型路面店の展開や海外展開の拡大などグローバルブランド化を推進している。趣味はトライアスロンとサーフィン。

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