Vol.9
山川雅之、稲本健一、アイアンマンへ初トライ!
過酷、波乱の226キロ〈前編〉
オーストラリアから帰国したふたりは、奇しくも同じ言葉を口にした。
山川雅之と稲本健一――ビジネスでもトップを走るトライアスリートである。
初めて挑戦する舞台で、未知の距離に挑む。
期待があった。同じくらいの不安もあった。
身震いするような興奮に包まれ、心密かに野心を抱いた。
様々な思いが交錯して、胸のなかで複雑な斑模様を作り出す。
「2011アイアンマン・トライアスロン/西オーストラリア州バッセルトン大会」。
壮絶な戦いの末に辿り着いた、ふたりの境地とは──。
1st day
大停電のお出迎え
2011年12月1日、パースインターナショナル航空の到着ターミナルに、久しぶりの再会を喜ぶ日本語が響いた。M.I.T.、Alapa(アラパ)、VengaVenga(ベンガベンガ)といったファウストらも属するトライアスロンチームの面々が、真冬の日本から南半球のオーストラリアへ集まってきたのだ。
あらかじめチャーターしておいたバスに乗り込んだ彼らは、ハイウェイでバッセルトンを目ざす。パースから南へおよそ220キロのドライブは、渋滞や事故がなければ2時間半ほどの道のりである。
大自然というより荒野を貫くハイウェイから降り、バスはバッセルトンの街へ近づく。時刻は夕方に差しかかるところだが、なぜか街は暗闇に包まれていた。
「・・・陽が落ちるには、まだちょっと早くない?」
戸惑いがバスの車内にひろがる。
事情を確認すると、なんと街全体が停電しているというではないか。
言うまでもなく、彼らは観光で来ているわけではない。トラブルを楽しむ余裕はないのだ。4日のレースから逆算してすべてのスケジュールを組んでおり、到着日の食事も大切なメニューのひとつだ。当然、停電ではレストランは営業していないだろう。
ここで稲本が、外食グループ企業を引っ張る彼らしい洞察力を発揮した。
「夕食はチャイニーズを予約していて、ホテルからちょっと遠かったんですね。でも、ガスさえ通っていれば、蝋燭を灯して営業するのがチャイニーズじゃないかと思って、とりあえず行ってみたんです。そうしたら、案の定でね」
円卓の中央に蝋燭を灯して、レストランは営業をしていた。カーボローディングのミッションは、ひとまず完了である。
2011アイアンマン・トライアスロン/西オーストラリア州バッセルトン大会
2nd day
荒れる海、激しい風、思わぬ暑さ
翌2日は、朝8時から試泳へ向かった。停電だった前日は気が付かなかったが、街全体が大会のデコレーションで染められている。どこを向いても、「IRONMAN」の文字が飛び込んでくる。
「ホントに街をあげてのイベントなんだな」
山川が呟くと、稲本が笑顔で頷く。ビーチまで歩いていく間にも、「レースに出るの?」とか「頑張ってね」と、地元の人たちに声をかけられた。
南半球の朝日を浴びたビーチは、穏やかに輝いていた。山川と稲本の表情も、自然と柔らかいものになる。
しかし、試泳から戻ってきた彼らの表情は、さきほどまでとは明らかに違うものだった。想定していたよりも、波が大きかったのだ。潮の流れが激しいところもあっ た。
午後にはバイクコースを試走した。コースを確認するように、20キロほどペダルを漕いだ。二人の身体を、この日二度目の違和感が駆けめぐる。
「風が強いな・・・。(ペダルを)回しても進まないよ」
バイクの試走を終えると、ジェッティー(桟橋)とその周辺を走った。スイムのコースにもなるジェッティーは、バッセルトン有数の人気スポットだ。観光客の間を縫うように走り抜ける彼らの頬を、汗が滴り落ちる。 ランニングを終えた山川と稲本は、どちらからともなく「違うなあ」と切り出した。
「予想していたより暑いね……」と山川が言う。
「僕はシドニーから来たんだけど、あっちのほうが断然涼しかった。たぶん、去年が涼し過ぎたんだなあ。去年、ナオたちはラッキーだったんだよ」と稲本は答えた。
昨年のバッセルトン大会に出場した「ナオ」こと本田直之(※)から、ふたりは「バッセルトンは海がフラットで、風がない。何よりも涼しいので、意外にイケますよ」と聞いていた。アイアンマンに初めて挑戦する彼らには、コンディションは大会を選ぶ大切な条件となる。
ところが、気象条件は想定していたものとかけ離れている。30度を超えていたのだ。レース本番まであと二日あるが、気持ちを切り替えておく必要がありそうだった。
※2010年大会に出場した本田の挑戦はコチラ
http://www.faust-ag.jp/road/road_to_ironman/vol6.php
“大先輩”との出会い
夜は恒例の前夜祭に参加した。カーボローディングを目的としたビュッフェスタイルの食事のあとは、様々なエンターテインメントが参加者を楽しませる。先住民族アボリジニの衣装をまとったアーティストの舞いが、ひときわ大きな歓声と拍手を浴びていた。
国内外で様々な大会に出場している山川も、前夜祭の雰囲気に素直に心を躍らせる。
「アイアンマンは非常にブランディングされた大会なので、前夜祭もしっかりとアレンジされていました」
会場の盛り上がりに身を委ねつつ、山川は緊張感も味わっていた。
「出場選手の醸し出す雰囲気とか空気といったものが、これまでのオリンピックディスタンスやミドル※とは違うなと感じていました。そもそも距離がずば抜けて長いですから、軽いノリでは出場できない。それぞれがトレーニングをして、仕事や私生活をコントロールしてここに辿り着いているんだなろうなと思ったら、連帯感のようなものが沸き上がってきたり、みんなをリスペクトする気持ちが膨らんできたり……」
自らの仕上がりについては、どんな感触を得ているのだろう。言葉が弾むように連なった。
「僕はいま47歳ですが、この年齢になると新しい世界にチャレンジする機会は必然的に減ってくる。そういうなかで初めて挑戦するアイアンマンなので、とても新鮮な気持ちでワクワクしていますよ。準備も完璧とは言い切れないけれど、やれることはやってきたという充実感がある。最後の一カ月は追い込んでトレーニングができたし、一番苦手なスイムについては、ラスト10日ぐらいは毎朝6時に起きて2時間、3キロから4キロ泳ぎ込みました。不安があるとかないとかではなくて、いまはアイアンマンに挑めることが純粋に楽しみで嬉しいですよ」
一方の稲本は、フィジカルコンディションに不安を抱えていた。右足のアキレス腱が、慢性的に痛みを発していたのだ。
「8月あたりから痛みがあって、ベッドから降りられないこともあったぐらい。9月に〈セントレア常滑ジャパン〉というハーフのアイアンマンに鍼を打って出場したら、ランの10キロぐらいで完全に足が止まっちゃって(※)。プロ選手に聞くと、アキレス腱痛はトライアスリートに多く、引退の原因にもなっていると。治すには休養しかないというので、練習もできない。それが辛かったですね。大会が近づいてきているのに、練習できないという辛さは。ようやく走れるようになったのは、10月ぐらいから。シューズを調整したり、中敷きを変えたり、走り方を変えたり、鍼治療をしたりして」
トレーニングを再開できるようになると、仕事のスケジュールが詰まってきた。ゼットングループの代表という肩書を持つだけあり、こなすべきスケジュールは夜まで続く。それも、連日にわたって消化していかなければならない。ワイングラスやビールのジョッキを交わすことも多くなる。トレーニングをする環境としては、少しばかりシビアな状況かもしれない。ただ、それも含めてのレースであり、アイアンマンというのが稲本のスタンスだ。
「11月末あたりからは毎年飲む機会が増えるんだけど、オリンピックディスタンスでもアイアンマンでも、仕事を犠牲にしないのは自分のなかで決めていること。だから仕事柄、大切な飲み会にももちろん参加する。ホントは練習したいのになあ、とかは思わないんですよ」
前夜祭では、モチベーションを刺激される出会いもあった。稲本は興奮気味に話す。
「途中で選手紹介みたいなものがあるんですね。〈初めての人? 5回目の人? 10回目の人?〉といった感じでMCが質問して、参加者が手をあげて。ときには壇上へ招かれたり。色々な切り口から選手を紹介するんだけど、大会の最高齢者が、僕らの隣に座っていた日本人の男性だったんですよ!」
バッセルトン大会に毎年出場しているという76歳の男性は、奥様の介護をしながらひとりでトレーニングをしているという。稲本が続ける。
「日本人としての誇りを感じることができたね。奥さまが寝た後、夜にトレーニングをしているというんです。それから、毎年出ているってことは、過去に大変なコンディションのときもあったはず。そういうことを聞いたら、暑いとか波が強いとか風があるとか、そんなのは大したことじゃないと思えてきてね。甘えてらんないだろ、やるしかないだろっていう気持ちにスパっと切り替えることができた」
二人の胸のなかで、闘志が静かに燃え上がっていく。すべての思いをぶつける瞬間は、もうすぐそこに迫っている――。
※セントレア常滑に出場した稲本の挑戦はコチラ
http://www.faust-ag.jp/road/road_to_ironman/vol08.php
3rd day
“カギ”を握る補給食
レース前日となる12月3日は、5時45分にジェッティーへ向かった。昨晩の前夜祭で今回のメンバーが集まった際に、「本番と同じ時間にスタートをしておこう」という意見が上がり、すぐに全員の総意となったのである。
距離にすれば700、800メートルだが、彼らには大切な時間だ。海の状態をチェックしながら、景色を瞼に焼き付けておく。距離ごとに変わっていく景色を確認しておけば、コース取りが正しいかどうかを把握できるのだ。
ビーチから戻ると、チェックインへ向かう。バイクとランのギアを、トランジッションエリアにセッティングする。山川も稲本も、エキップメントや装備品はこれまでとほぼ同じものを用意してきた。
工夫を凝らしたのは補給食である。
山川は、小分けしたジェルをバイクに張るようにしていた。
稲本は、栗ようかん、きな粉もち、ネイキッドバーを揃えた。「味を変えたい」というのが理由だ。さらにボトル1本をエネルギーショットで満たした。
また、バイクコースにはスペシャルエイドステーションが設置されていた。ここには各自が準備したフードを置いておくことができる。稲本はここに、おにぎりと味噌を用意した。
普段から食べ慣れているものでも、なぜそれを選んだのかには必然がある。スイム3・8キロ、バイク180キロ、ラン42・2キロ、総計226キロを乗り切るための戦いは、すでにはじまっているのだ。
The Race Day
重さを増す「ゴールで会おう」という言葉
夜明け前のバッセルトンに、アスファルトを擦るシューズの音が静かに響いていた。スイムからバイクへのトランジッションに、出場選手たちが続々と集まってくる。
午前4時に到着した山川と稲本は、それぞれに準備を進めていく。バイクにエアを入れ、フードやボトルを所定の位置にセットする。身体をほぐしながら、着替える。これまで何度も繰り返してきたスタート前の作業だが、いつもとは違う意味合いを帯びているように感じられる。
稲本はゾクゾクするような高揚感を味わっていた。
「この時間帯が好きなんだよね。みんなが集中して、戦闘態勢を高めていくでしょう。で、いままでにないエネルギーを感じた。やっぱり、これまでのトライアストンとは違うぞ、とこっちも気持ちがグッと高まっていった」
山川は自分なりのレースプランを確認していた。
「苦手なスイムで遅れを取るだろうから、そのぶんはバイクで取り戻そう。でも、バイクで飛ばし過ぎると、ランに影響が出てしまう。突っ込み過ぎちゃいけない。栄養補給も大切だから、そこもしっかりやらなきゃいけないぞ」
5時30分にエリートがスタートすると、一般の参加者がスタート地点に集まってくる。山川と稲本らは、互いの健闘を祈るように握手をして抱き合った。
そして、「ゴールで会おうな」と声をかけあった。
稲本が言う。
「トライアスロンのオリンピック・ディスタンスで、『ゴールで会おう』と声をかけ合うことはない。でも、アイアンマンは僕らだと最速でも11時間とか12時間くらいで、15時間かかるかもしれない。ゴールまでに間違いなく多くの困難が待ち構えている。握手とかハグに、とんでもない重みがあった」
白地に赤でゼッケンが染め抜かれたキャップを、出場選手はかぶっている。稲本が「691」、山川は「977」である。
日の出の直後にもかかわらず、ジェッティーにはたくさんのギャラリーが詰めかけている。大会を盛り上げる彼らにとっても、待ちに待った瞬間なのだ。
プアアアアーン!
耳慣れたホーンが、静寂を切り裂く。
ひざのあたりまでビーチに入っていた1500人もの選手たちが、一斉に水面へ飛び込んでいく。水しぶきが上がり、白いキャップがジェッティーに添って隊列を作っていく。
山川は、稲本は、無事に226キロ先のゴールへ辿り着けるのだろうか。
“あの”アナウンスを、彼らは聞くことができるのか。
かつて経験したことのない長く険しい一日が、ゆっくりと動き出した。
トライアスロンの距離について
オリンピック・ディスタンス…スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの合計51.5キロ(オリンピック種目採用距離)
アイアンマン70.3…スイム1.9キロ、バイク90キロ、ラン21キロの合計112.9キロ(アイアンマンの半分)
アイアンマン…スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロの合計225.995キロ
稲本健一(左)
いなもとけんいち
株式会社ゼットン代表取締役
(http://www.zetton.co.jp/)
山川雅之(右)
やまかわまさゆき
THE CLINIC Body Design総院長
(http://www.theclinic-bodydesign.com/)
2011アイアンマン・トライアスロン 西オーストラリア州バッセルトン大会
http://ironmanwesternaustralia.com/
Text:Kei Totsuka
Photos:Makoto Ozaki
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