Vol.10
山川雅之、稲本健一、アイアンマンへ初トライ!
過酷、波乱の226キロ〈後編〉
スイム3.8km
海面に叩きつけられるようなうねり
かつて経験したことのない緊張感に包まれながらも、稲本は「気持ちは冷静だった」と言う。スタートを告げるホーンをしっかりと聞き取り、周囲の景色を確認する余裕もあった。
「出場選手がどんどん水のなかに吸い込まれていくわけだけど、それが綺麗だなあ、美しいなあ、と感じたんですよ。その場の空気が、すごく良かったんだよね」
とはいえ、1500人が一気に水しぶきを上げるのだ。スタート直後のバトルは壮絶をきわめる。
ここでも稲本は冷静だ。想定していたプランに沿って対応する。
「スタートでの1秒、1分のロスなんて、僕にはどうでもいい。先は長いんだから、いつもどおりの手順を踏むことを最優先した。スイムは3種目のなかで一番不得手な競技だから、ウォーミングアップぐらいの気持ちで、あまりペースを上げないように気をつけました」
山川もマイペースを心がけた。稲本と同じように、彼もスイムを苦手としている。周囲に影響されることなく、自分の泳ぎに集中していた。
選手がバラけてきたのは、1キロ過ぎあたりである。ようやく自分のペースで泳げるようになってきたところで、自然のいたずらが彼らを翻弄する。
稲本が肩をすくめた。
「急にうねりが大きくなってきて、スクロールのたびに海に打ちつけられるんですよ。タイミングがまったく取れない。日本海の漁船みたいに身体が上下するから、ちょっと気持ち悪くなるし」
スクロールをしても、なかなか前へ進まない。荒波に揉まれるような時間は、1.9km先、ジェッティーでUターンするまで続いた。
ふたりを支配するのは、「焦ってはいけない」というメンタリティである。自然と真正面から向き合うだけに、どんなコンディションも受け入れなければならない。そのうえで、少しずつでも確実に距離を稼いでいくのだ。
先にビーチへ戻ってきたのは、山川だった。1時間20分21秒である。全体では760位、45歳から49歳のエイジグループでは71位の成績だ。
「ほぼ目標タイムだ」
山川の身体を、悪くない感触が駆けめぐる。
「さあ、バイクで挽回するぞ!」
977のゼッケンを着けた山川のバイクが、弾かれたようにコースへ出ていく。バイクは60キロのコースを3周回する。
それからおよそ10分後、稲本がトランジッションエリアへ現われた。スイムに要した時間は1時間30分49秒だった。全体では984位、40歳から44歳のエイジグループでは153位である。彼もまた、ほぼ予定どおりのタイムを弾き出していた。
バイク180km
積み重なる“想定外”
出場選手が時間をロスしないように、トランジッションエリアにはボランティアが待機している。ウェットスーツを脱ぐ際などにサポートをしてくれるのだ。
「なるべく気持ちのいい形でバイクへつなげるために、この日はトライウェアを着ていなかった。ウェットスーツの下は裸で、ボランティアの女性が困ると悪いなあと思って、すぐに着替えちゃったんだよね」
トランジッションのタイムは、6分56秒だった。スイム終了時は984位だった順位が、677位までランクアップした。
稲本自身は、ここで順位を上げようなどとは思っていない。「トランジッションで30秒ぐらい稼いでもしょうがない」と考えている。それなのに、順位は上がってしまった。彼よりもゆっくりと準備をしている選手が多かった、ということだろう。
この瞬間から、稲本のレースは想定外のシナリオを描いていくのである。
バイクのコースへ飛び出した山川は、ペースを自重しながら周回していた。
9月の愛知でのアイアンマン70・3でも、スイムの遅れを取り戻すためにバイクで頑張り過ぎてしまうことがあった。最後のランに影響を及ぼさないためにも、ペース配分は重要だ。バイクはもっとも得意な種目だが、「抑え気味に、抑え気味に」と心のなかで繰り返していた。
それでも、微妙にペースが上がっていく。海沿いの直線で強い向かい風にさらされるため、ペダルを漕ぐ足に自然と力が入っているのかもしれない。
アクシデントに見舞われたのは2周回目である。マーシャル(審判員)にドラフティングを宣告されたのだ。4分30秒のペナルティボックス待機を強いられてしまう。
「バイクとバイクの間を12台分開けなければドラフティングを取られてしまうんですが、少し渋滞して前と詰まっただけで、運悪く取られてしまって。ペナルティそのものの時間だけでなく、その前後でやはりタイムロスはあるわけです。ペナルティからレースへ戻っても、スピードに乗るまでには時間がかかりますから」
自分のペースを守れ、という声が響く。
挽回しなければ、という声が追いかける。
ふたつの思いがせめぎ合い、やがて、一方の意識が勢力を拡げていく。
少しずつ狂いだす体内の針
「ああ、みんな無事にバイクへ進んだんだな」
バイクの一周回目でチームメイトや友人とすれ違うたびに、稲本は安堵と闘志を覚えていた。「スイムは命の危険があるから、みんなちゃんと上がったんだな、と。もちろん、ここでお互いの位置関係がだいたい分かってくるから、よし、負けてらんねえぞ、追いつくぞっていう気持ちにもなります」
ところが、1周回目が終盤を迎えたところでトラブルが発生する。
「いつも使っているバイクパンツを、日本に忘れちゃっていたんです。そんなに影響はないだろう、違うものでも大丈夫だろうと思ってたんだけど、走り出した瞬間から『あれっ?』っていう感じで。一番フィットする、一番履き慣れたバイクパンツじゃないと、(サドルのショックを緩和する)パットがずれるんですよ」
しかも、皮膚の擦れを予防するヴァセリンを塗り忘れてしまったのである。女性ボランティアへの気遣いが先行したために、トランジッションエリアでやるべき作業を省略してしまったのだ。
サドルで擦れた股間が血で滲み、ほどなくして出血してきた。
2周回目からは、向かい風がさらに強くなってきた。バイクを漕ぐ脚が重さを感じる。歯を食いしばった。
100キロを過ぎた。稲本の気持ちのなかで、何かが弾けた。
「股間の痛さも向かい風も、あと80キロじゃないか!」
そう考えたら、痛みが和らいだような気がした。ペダルを漕ぐ足に力がこもる。
当初の予定では、ペースアップは残り40キロからのはずだった。40キロも早い。2周回目の最後のストレートでは、スピードメーターが時速48キロを指していた。
「あきらかに飛ばし過ぎ。完全に距離感覚が麻痺していました」
バイクは6時間1分40秒だった。スイム終了時から350人をオーバーテイクし、全体順位は632位まで浮上した。
「6時間を目標にしていたので、タイム的には予定どおり。ただ、向かい風が凄かったなかでの予定どおりなんですよ。しかも3周目は、追い風だったところも向かい風になった。その状況での予定どおりは、体力の配分が狂っているということ。時間の帳尻はあっているけど、想定の1・3倍ぐらいは体力を使っている」
稲本の身体を、無視できない違和感が駆けめぐっている。
山川もペースを乱していた。
彼も6時間に目標を設定していた。タイムは6時間6分17秒だから、こちらもほぼ予定どおりにトランジッションエリアへ飛び込んでいる。
「ドラフティングをとられたあとは、気持ち的に冷静さを失ってしまいました。次の周回は明らかなオーバーペースになってしまいました」
バイクの走行中に、山川は20キロごとに補給食を取っていった。喉の通りが良くて手間取らないゼリーを用意したのだが、終盤は胃が受け付けず、無理やり流し込んだ。身体の内面から、疲労は着実に蓄積しつつあったのである――。
ラン42km
山川、稲本、倒れる
5時30分のレース開始から、すでに7時間半以上が経過していた。時刻は午後の13時30分になろうとしている。日差しが真上から照りつけている。アスファルトの照り返しが身体を焼く。レースコンディションは、いよいよ過酷になってきた。アイアンマンは、ここからフルマラソンなのだ。
「ランの走り出しは悪くなかった」と山川は言う。
「バイクが終わったときに、脚が攣るような兆候が現われていたんですね。かなり疲れてるかなと思ったんですが、走り出しは悪くなくて、このまま走れるかなという感覚がありました」
ランは10キロ強の同じコースを4周回する。
二周回目の16キロ地点で、ついに山川の身体が異変を訴えた。足の痙攣と吐き気が、同時に襲ってきたのだ。
「吐いてしまうと、脱水症状をおこすんです。それは以前、海外の大会で一度経験しているので、気持ち悪くても吐いちゃいけないと思っていたんですが……」
21キロの手前で、山川はコース上に倒れ込んでしまった。足が筋痙攣をおこし、吐き気も抑えきれなくなってしまった。吐いてしまった。
沿道で声援をおくっていた現地の家族連れが、山川に歩み寄ってきた。足をマッサージしてくれた。冷たいタオルと飲み物を用意してくれた。
ランの周回になると、疲労に抗えない選手が出てきた。走るのをやめて歩く選手がいて、コースの端に座り込む選手がいた。吐き気や痙攣に見舞われる選手も、山川だけではない。アイアンマンの称号を目ざすレースは、壮絶なサバイバルとなっていた。
ファミリーは山川に聞いてきた。
「救急車を呼ぶ?」
山川はすぐに否定する。リタイヤする気持ちはない。
「いや、少し休んだら、また走ります」
再び走り出した山川は、メインストリートから側道へ入っていった。声援を送る人は少ない。
「さっき助けてくれた家族は、もしそこで倒れて、すぐに発見されなかったら危ないということで、しばらくサポートについて来てくれていました」
足がスムーズに前へ出ない。脱水症状にも襲われている。
それでも、山川はレースをやめない。
ランに入ってから、稲本の身体もさらに悲鳴をあげていた。
「ランのスタートは観客席のなかを走り抜けていくんだけど、これがすごい応援で。気持ちがグッと上がった。最初の1キロを4分台で入っちゃったんで、そこからペースを下げて、自分の思いのままに走ることができていた。ところが、17キロで一気に両太股と前傾骨筋が震え出した。見ていても分かるぐらいに」
激痛に耐えられず、コース横の芝生へ、稲本は倒れ込んだ。すぐに立ち上がろうとするが、足が地面へ吸いついたかのように重い。身体中に乳酸が溜まっている。
沿道を埋めつくすギャラリーの声援も、もはや耳に入ってこない。
「そこからは、ストップ&ランに変えました。どんなに痛くても1~2キロぐらい走って、また休んで、というのを繰り返した。歩き続けるより、そのほうがタイムはまだ早いはずだと」
バイクで傷ついた股間は血だらけで、両足は痙攣し、体力は枯渇寸前だった。降り注ぐ日差しがアスファルトを照らし、視界が狭まる。
やめようか。やめてもいいんじゃない? やめたほうがいいよ。弱気な自分の声が、大きくなってもおかしくない。
稲本は違う。ここからさらに、自らを奮い立たせていく。
「一周まわるごとに、手首にバンドを巻いてもらうんですよ。それを見れば、この人は何週目なんだって分かる。自分が3周目で歩いていたら、まだバンドのないおじさんが、タッタッタッタとゆっくり走っていた。順位的には自分より後ろにいるんだけど、その人に対して素直に『すごいな』と思えた。歩みを止めずに、自分のペースでやり切る大切さを、改めて感じさせてくれた」
歩いている選手はたくさんいる。倒れている選手もたくさんいる。身体はもはや限界に達している。限界を越えている人もいる。
それなのに、表情には精気がある。目は死んでいない。
苦しいのは自分だけじゃない。
自分だけがやめられるはずがない。すれ違うチームメイトも、瞳に闘志を映し出していた。
沿道の声援にも支えられた。
「何よりも素晴らしかったのは、ボランティアの声がけかもしれない。掃除をしながら『ウェルダァン!(いいぞ、頑張れ!)』と言ってくれる。沿道で応援してくれる人たちも、軽いノリでやってない。これだけ長いレースなのに途中でいなくならないですから。仮装している人とかもいるけれど、最後まで必死に応援してくれる。アイアンマンにチャレンジしている人へのリスペクトが、バンバン伝わってくるんですよ」
何度、倒れても、嘔吐しても、救急車を呼ばれても
山川も自分と戦っていた。筋痙攣と吐き気は、もはや収まらない。水分を、栄養を吸収しても、胃が受け付けてくれない。何度も倒れ、何度も嘔吐した。しかし、全身からかき集めたわずかな体力を、懸命に両足へ送り続けた。
気がつけば最後の20キロだけで、5時間以上もかかっていた。ランのスタート直後は541位だった順位は、25キロ付近から4ケタへ突入していった。
「1キロ15分ぐらいかかっているので、歩いているのか、止まっているのか分からないぐらいのスピードです。歩いている人にも、凄いスピードで抜かれていくような状態で。景色は変わらず、どんとん日が傾いて、自分の影が伸びていく。すごく侘しい気分になる」
それでも、やめるという選択肢は思い浮かばない。
「身体が動く限りはゴールを目ざそうと思っていたし、少しでも動いていればゴールは近づいてくる。それだけを信じていましたね。ただ、客観的に見て、やめさせたほうがいいような状況にはなっていた。何度も止められましたので。実は救急車も呼ばれたんだけど、拒否しました。苦しそうな表情をすると(救急車に)乗せられちゃうので、どうにか普通の表情を作ろうとしたり。どうすればリタイアさせられないで済むか、そればかり考えていましたね・・・」
ついにラスト2キロまで辿り着いた稲本は、「ここからは何があっても、絶対に走り通そう」と心に誓う。ゴール直前のストレートにさしかかると、ふいに寂しさに襲われた。
「もう終わっちゃうのかあ、寂しいなあって思ったんですよ。朝から10時間以上もずっと向き合ってきたアイアンマンという競技が、ついに終わってしまう寂しさ。日本から届いた応援のメールを思いだしたり、マサさん(山川)は大丈夫かなあとか、いろんなことが頭をよぎった」
参加者をゴールゲートへと導く、レッドカーペットにさしかかった。
観客とハイタッチをしながら、一歩、また一歩、フィニッシュのテープに近づいていく。
あのアナウンスが、ついに自分に降り注がれる。
Kenichi Inamoto,Japan,
You are an IRONMAN!
爆発的な歓喜はなかった。「やったあ!」というよりも、「ホントに言われちゃったよ」というささやかな喜びを感じた。
「自分のなかでは、やると決めたことをやり切った人間、走り出したことをやめなかった人間への称賛、というような解釈でした。それから、色々な人が応援していたんだよ、ということへの気づきがあった」
4時間半に設定していたランは、予定より1時間オーバーの5時間30分17秒だった。フィニッシュタイムは13時間15分21秒である。午後7時ちょうどだった。
「応援してくれたメンバーは、一日中要所のポイントで支えてくれた。ボランティアの人たち、地元の人たち、日本で応援してくれている人たちの存在も、ゴールするためにはなくてはならないものだった。ランの後半から、感謝の気持ちをホントに強く感じていた。ゴールした瞬間も、自分に対する嬉しさじゃなくて、感謝の気持ちのほうが強かったんですよ」
フィニシッュゲートの向こう側に、稲本は「感謝」の二文字を見た。
稲本のフィニッシュからほぼ2時間後、すっかり日が暮れた夜、山川が文字通り倒れ込むようにしながら
Masayuki Yamakawa,Japan,
You are an IRONMAN!
のコールを受けた。ランが7時間33分29秒を費やしたため、フィニシッュタイムは15時間15分31秒となった。
ところが、結果に対する悔しさはなかった。稲本とまったく同じ気持ちを、彼も抱いていた。
「最後の周回は『ここまで来たら頑張れ』という感じで、沿道の人たちも声をかけてくれて。ラスト2キロはサポートをしてくれる人がずっとついてくれて、一緒に歩いてくれて。自分だけの力でゴールしたとは思えないんですね。沿道の人、サポートの人、仲間、周りの人たちに支えられて、最後まで足を止めずにゴールできた。ゴールの瞬間は他のレースでは感じないような感謝の気持ちが沸き上がってきて、コースに対して自然とおじぎをしていました」
“アイアンマン”とは
ゴール直後に抱いた感謝の先に、彼らは何を見据えるのだろう。共通するのは、飽くなき競技意欲である。
稲本は言葉に力を込める。
「もう一回アイアンマンをやってみたい気持ちはありますね。60代、70代の人が出ているし、エイジグループでは40代が一番速い。とりあえず、6月までに70・3(ハーフアイアンマン)とオリンピック・ディスタンスを8レースぐらい入れています」
山川は「リベンジ」という言葉を使った。
バッセルトンでの彼のレースには、実はもう少し続きがある。ゴール直後にそのまま救護ステーションへ運び込まれた彼は、レース前に71キロあった体重が63キロまで落ちていた。極度の脱水症状である。すぐにでも治療が必要な状態だが、他にも治療を受け、点滴を受ける選手たちが列をなし、ドクターが足りない。山川は救護ステーションのなかにも入れず、テントの外で横になって、治療を待たされてしまっていた。
その山川の様子にただならぬ雰囲気を察した稲本は、すぐさまかけつけ、治療の緊急性を訴えた。ありったけの語彙を駆使して、「マサさんに点滴を打たないで誰に打つんだ! いいから今すぐ彼を見てくれ!」とドクターに詰め寄った。結果、山川はすぐ治療がうけられ、体調は快方へ向かっていくのだった。
「バッセルトンではそういう状態だったので、7月にオーストリアのアイアンマンに出ます。レースが終わった直後は『もう二度と出ない』と思ったのですが、次の日には『またやるぞ』という気持ちになっていました」
アイアンマンという大きな目標をクリアしたばかりだというのに、彼らはバーンアウトをすることなく新たな目標へ動き出している。レースに出るたびに課題が見つかり、発見があり、充実感を得ることができるからだ。
You are an IRONMAN――
あのアナウンスを一度聞いたからといって、
アイアンマンへの道は終わらない。
ゴールを決めるのは、誰でもない自分自身なのだ。
稲本健一(左)
いなもとけんいち
株式会社ゼットン代表取締役
(http://www.zetton.co.jp/)
株式会社アスロニア取締役
(http://athlonia.com/)
山川雅之(右)
やまかわまさゆき
THE CLINIC 総院長
(http://www.theclinic.jp/)
トライアスロン専用ジム「トライデッキ」のオーナーも務める(紹介記事はコチラ)
2011アイアンマン・トライアスロン 西オーストラリア州バッセルトン大会
http://ironmanwesternaustralia.com/
Text:Kei Totsuka
Photos:Makoto Ozaki
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