Vol.3
家族と一緒に80歳までトライアスロンしたい
アイアンマン――それは、スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロという気の遠くなるような距離を、己の肉体のみで泳ぎ、走破する、文字通り超人的なレースだ。オリンピック・ディスタンスと呼ばれる標準的なトライアスロンが、スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロであることを考えれば、その過酷さがどれほど飛びぬけているか、少しはおわかりいただけるかもしれない。
ここで綴られるのは、アイアンマンの中でも世界最高峰、ハワイ島コナで毎年開催される「アイアンマン・ワールドチャンピオンシップ」への出場を夢見る、トライアスリートたちの熱き想いである。
“ロタ※はトライアスロン・ボーイズが先に出ていた大会で、僕らは後乗りなんですよ”――VOL.1のインタビューで、ファウト・トライアスロンチームのキャプテンにして、自らもM.I.T.というチームを持つ稲本健一は、経営者の間ではちょっと知られた“老舗”トライアスロンチームの名を挙げた。
これまで稲本、高島郁夫ら、M.I.T.※の面々にロタ島トライアスロンの魅力を語ってもらってきたが、そもそものきっかけを作ったのは、実はトライアスロン・ボーイズなるチーム※だった。だとすれば、先駆者たちの前を素通りするわけにはいくまい。
そこで今回は、トライアスロン・ボーイズの初代キャプテン、井上英明に語ってもらった。いかにしてロタと出会い、魅了され、そしてトライアスロンの奥深さを知ったのか、を。
※M.I.T.(エムアイティー)・・・髙島郁夫、稲本健一を監督、副監督とし、多くの企業トップをはじめ一般トライアスリートが集い切磋琢磨するトライアスロンチーム。アドバイザーは白戸太朗氏。
※トライアスロン・ボーイズ・・・2004年に結成された40歳以上の企業経営者ばかり40名からなるトライアスロンチーム。初代キャプテンは井上英明。監督は松山文人。
家族で手をつないでゴールした瞬間を、きっと最期に思い出すだろう
「なぜ僕らがロタ・トライアスロンに出るようになったかというと……、実は、僕らのトライアスロン・デビューがロタだったんです。トライアスロンを始めようということになったとき、プロにコーチをしてもらったんですけど、そのコーチに『今まで出た大会のなかで一番よかった大会はどこか』と聞いたら、『ロタだ』と。じゃあ、そこへ行こうということになったわけです。
ロタは海がきれいだし、もちろん環境はいいんだけど、それだけじゃなくて初心者にやさしい。日本の大会だと、スイムは何分で終えなければいけないとか、制限タイムがあったりして厳しいけど、ロタにはそんなものはない。とてもリラックスした大会なんです。僕ら初心者のデビュー戦にはうってつけでしたよ。あのときの気分はもう、きれいな海に驚いて、初めてのレースに感動して、何というか、とにかく最高でした。家族もみんな応援に来ていて、最後はみんなで手をつないでゴールインしたんです。あのときの写真は今見てもいいですね。僕、あの瞬間のことはきっと死ぬときに思い出すと思う(笑)。今では、ロタは僕にとって年1回のデトックス。解毒しに行くような気分ですね。大会が毎年11月なので、1年の締め括りにちょうどいい時期で、1年間頑張った自分へのご褒美にロタへ来るプロのトライアスリートもいるくらいです」
井上がロタを「最高だった」と振り返るのは、言うまでもなく海がきれいだったとか、レース後のビールがおいしかったということだけが理由ではない。初めて出場したトライアスロンというスポーツに、たちまち魅了されたこと。それが最大の理由である。
「達成感でしょうね、やっぱり。僕は足がつりやすい体質で、初めてのロタのときもそうでした。もう足がピクピクしてきて、でもつってしまったらおしまいだから、だましだまし走っていて。正直、レース中はきついなと感じることもありました。それでも、ゴールした瞬間の感動、達成感というのは、今までに味わったことのないものでしたね」
トライアスロン・ボーイズは
飲んだ勢いで誕生した!
ある意味で、それは長きにわたる井上の“片思い”がようやく成就した瞬間だった。井上の初レースは、およそ6年前。しかし、それが必ずしも両者の出会いというわけではない。井上がトライアスロンに初めて心ひかれたのは――、話は20年以上前までさかのぼる。
「僕がトライアスロンをはじめるきっかけには何段階かあって、一番初めは大学時代なんですよ。当時、同じ大学にトライアスロンをやっている人がいて、『僕もいつかやりたい』と思ったんです。それが、僕の頭のなかに“トライアスロン”というものがインプットされた瞬間でした。その後、いつかやりたいとは思いながらも、実現できないまま、34歳のときだったかな。エドワード鈴木(建築家)さんが何かのインタビューで『人生が80年だとしたら、40歳の今が折り返し。ここで一度体をブラッシュアップしておかなければいけない』という話をしていて、40歳になった彼はトライアスロンを始めたというんです。その記事を読んだときに、学生時代からいつかやりたいと思っていたトライアスロンが、今度は僕の頭のなかに“40歳までにやらなきゃいけない”ってインプットされたんです。でも、実際40歳になってみると、ここまでズルズル来てしまったから、何か環境を変えないとやらずに終わってしまうだろうと思った。玉塚(元一/リヴァンプ代表取締役)さんと『オレたち40歳だし、何かやらなきゃダメだよ』という話をして、飲んだ勢いで『じゃあ、トライアスロンをやろう。これはもう男の約束だからね』と。こうして、ついにやることになったんです」
やるとなったら、動きは迅速かつ大胆だった。井上の言葉を借りれば、「経営者は意思決定が早いから(笑)」。井上と玉塚の誘いに乗った5名の仲間とともに、総勢7名で結成されたトライアスロン・ボーイズはいきなりロタへと乗り込んだ。2004年のことである。
「でもね、みんなナメていましたよ、ホントに。だって、まったく練習しないで来るんだから。自転車を買って、梱包も開けないままロタに持って来て、まずビニールをはがすところから始まる人もいたくらいです。この自転車、どうやって乗るの、ってそんな感じ(笑)。僕自身も初めてだし、とにかく完走できればいいやという気持ちでした。自転車とランは何とかなると思っていたけど、水泳はホント怖かったですね。プールだったら足をつけるけど、海だとそうはいかないから、ここでおぼれたら死ぬんじゃないかと思って。それでも、初めての大会で3時間半を切れればいいよなって言っていたのが、3時間ちょっとでゴールできたんです。そうなると、次は3時間を切りたいよなとか、その次の年は、あと3分縮まるかもしれないよとか、考えるようになる。今思うと、1回目は過去の記録がないから、精神的に楽だったというか、のんびりやっていたなと思いますね」
半分は勢いで始めたようなトライアスロンだったが、大学時代に感じた「やってみたい」という直感は正しかった。井上は昨年、国内外合わせて6レースに出場するなど、もはや彼のなかでトライアスロンは当たり前の日常として存在している。
「マラソンだったら、とにかく走るしかないけど、トライアスロンは3種目あるから、トレーニングも飽きないですよ。例えば、今日は天気がいいから走ろうとか、雨が降っているからプールへ行こうとか、今日は仕事が休みだから、思い切り自転車をこいでこようとか。暑くても寒くて走るしかなかったら嫌になるかもしれないけど、いい意味での“逃げ場”があるんです。それに3種目あるから、普通のスポーツと比べて3倍の発見がありますよね。例えば、わりと水泳が苦手な人ほど最初は水泳ばっかりやりがちなんです。それでタイムが縮まってくるとおもしろくなって、『水泳は嫌だ』って言っていたのに、『水泳が一番楽しいよな』なんて言い出すんです。ところが、ずっと水泳ばかりやっていると、どうしても頭打ちになってくる。そこで久しぶりに走ってみると、新しい走りに気づくわけです。今度は、新しく出た自転車がよさそうだと聞いて、自転車を買ったりすると、しばらくは自転車がマイブーム(笑)。そうやって、みんなハマっていくんです」
息子も、娘もトライアスロン!
そして最近では、井上のその“熱”が井上家全体に広がり始めた。
「中2の息子にお前もやるかって聞いたら、やるって言うんでね、去年のロタは僕自身の記録は捨てて、ずっと息子と一緒に泳いで、自転車をこいで、走ったんです。トライアスロンで一緒に汗をかきながら話していると、お互いの距離がグッと縮まりますよ。親子の絆の修復なんかにはもってこいだと思います。うちは親子の仲がいいから、心配ないですけどね(笑)。
そのときは、うちの嫁さんとふたりの娘もランだけ参加して、僕と息子がランに入る少し前からスタートしておいて、僕らが追いかけていく。そうして一緒にゴールしたんです。下の娘(小3)はホノルル・トライアスロンのキッズレースにも出ましたよ。ランが200mか300mで、バイクが5km、ランが1kmだから、かなり短いんですけど、あれは自分のレースよりもハラハラしましたね」
現在、トライアスロンというスポーツは確実にその愛好者を増やしている。決して井上の家族が特別というわけではない。井上の募る思いがきっかけとなって7人でスタートしたトライアスロン・ボーイズもその後、みるみるうちに規模を拡大し、気づけば40名を超えるまでになった。
「不思議なもので、集まって飲むと、人に言いたくなっちゃうんですよね。トライアスロン、おもしろいですよって。だいたいベンチャー経営者は昔ガキ大将だったような人が多いから、無鉄砲なんですよ。よく分からなくても、やってみるかというようなノリがある。だから、トライアスロンに興味を示す人は多いですよ。話をすると、昔はただ『へーっ』だけだったのが、今は『そういえば、誰かもやっていたな』となる。みんなが知っているスポーツになりましたよね。トライアスロンの波が来ているなって感じがします」
80歳までトライアスロンはやりたい
「僕自身、まだまだ毎年タイムを縮めていますよ。いつまで縮められるかが楽しみです。長く楽しみたいから、一気に縮めたくはないけど(笑)。年齢とともに体力は落ちるのかもしれないけど、それでもタイムを縮められるのは、やっぱり慣れ。足がつらないようにするには、どう自転車をこいだらいいか、とか、あとはマシンにどうお金をかけるか、とかね(笑)。トライアスロンは奥が深いですよ。でも僕の場合、実はタイムどうこうじゃなくて、大会に出ると決めることによって普段から運動を継続する。そこがトライアスロンをやることの一番重要な部分だと思っているんです。例えば「毎年、春のホノルルと秋のロタには絶対行く」と決める。去年よりタイム縮めたいと思えば、嫌でもトレーニングしますよね。何月何日に1.5km泳いで、40km自転車こいで、10km走らなきゃいけないっていうクサビがガツンと頭に刺さっているから、アクションが起きるわけですよ。そのクサビが抜けたら、何もやらなくなる気がします。もちろんレースはおもしろいけど、それよりも普段の健康管理に役立つということが、トライアスロンのいいところだと思っています。だからアイアンマンレースは……、一生のうちに1回はやってみたいですけど、僕はどう考えても(過酷過ぎて)あれは体に悪いと思う(笑)。だから、1回やれば十分です。『そう言いながら、みんなハマるんだよ』って言われますけどね。僕は80歳までトライアスロンをやりたいと思っているので、まずはハーフの70.3(マイル)※をこなして、80歳までの間に一度どこかでできればいいかな」
詳細はコチラ
http://www.cjiac.co.jp/kouhou/contents/2009/20100120.pdf
ロタ・ブルー・トライアスロン
http://www.kfctriathlon.jp/html/event_triathlon.html#2009_rota
井上英明(いのうえひであき)
株式会社パーク・コーポレーション代表取締役。1963年佐賀県生まれ。87年早稲田大学政治経済学部卒業後に渡米。ニューヨークにて大手会計事務所に入所。帰国後、88年12月株式会社パーク・コーポレーションを設立。89年よりフラワービジネスに参入し、93年南青山に『Aoyama Flower Market』をオープン。その後、03年にフラワースクール『hana-kichi』、06年にオンラインショップを開設。07年にはオフィス、商業施設等のグリーンのコーディネートや、メンテナンス、販売を手がける『Jungle COLLECTION』をオープン。2010年3月末現在で全国に72店を展開し、「Living With Flowers Everyday」をコンセプトに花や緑に囲まれた心ゆたかな生活を提案している。趣味はトライアスロンで、08年代官山にトライアスロンの普及を目指し株式会社ATHLONIAを設立、取締役就任。
2006年 第2回デザイン・エクセレント・カンパニー賞受賞
2007年 第1回フラワービジネス大賞受賞
2009年 第9回ポーター賞受賞
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Text:Masaki Asada
Cooperation:KFC TRIATHLON CLUB
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