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INTERVIEW with FAUST MASTER
ファウストA.G.アワード2011受賞者インタビュー

2011年、ファウストA.G.アワード受賞式にて贈られたファウスト・オブ・ザ・イヤー、冒険家賞、挑戦者賞、社会貢献活動賞、特別賞。各受賞者に、授賞の感想をインタビュー。今後の目標とともに語っていただいた。







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ファウスト大賞  ファウスト社会貢献活動賞 鈴木一也氏 オーシャンアスリート/会社員

スポーツを通してアジア交流を







Mephisto(以下M) 今年のファウストA.G.アワードには台湾メディアの取材もありました。鈴木さんの今回の活動については、台湾での反響が大きかったようですね。

鈴木 とても大きかったです。与那国島から台湾に泳ぎ着いたときには、テレビ、新聞と、台湾のすべてのメディアが取材に来てくれたほどでした。

M やはり「泳いでお礼状を渡しに行く」ということが注目されたのでしょうか。

鈴木 僕らが手段として飛行機で届けるのではなく、スポーツ(水泳)を使ったというのは、より多くの方々に知っていただきたかったからです。もしも飛行機で届けに行ったら1、2社にしか取材してもらえなかったかもしれません。メディアを通じて日本人の感謝の気持ちを台湾の人たちに示せたというのは、よかったと思っています。

M もちろん、表彰されようと思って始めた活動ではないと思いますが、結果的に、こういう賞を受けた、すなわち、周りから評価されたことについてはいかがですか。

鈴木 素直に嬉しいです。“若いやつら”が正しいと思ってやったことに対して、周りが「よく頑張った」と言ってくれるというのは、粋ですよね。日本もまだまだ捨てたものではないな、と。僕がこんなこと言ったら、怒られるかもしれませんけれど(笑)。

M あらためて今回の活動を振り返って、一番辛かったことはどんなことですか。

鈴木 やはり台風15号が近づいていて、やるのかやらないのかという判断を迫られたのが、一番きつかったですね。スタート地点もゴール地点も舞台は整っているのに、天候は最悪という状態でしたから。これが個人的なチャレンジのイベントであれば、覚悟して突っ込んでいって、成功したら「ラッキーでした」でいいのかもしれませんが、今回はお礼状を託されていたわけで、そのプロセスや姿勢というものも問われていましたから。

M 加えて、悪天候のなかを泳ぐということも大変だったのではないですか。

鈴木 でも、下見も含めた準備のほうがずっと大変だったので、泳ぎ始めてしまえば、むしろいろいろな立場を離れてピュアに泳ぐことを楽しめました。

M 授賞スピーチでも、今後も様々な活動を予定されているとのことでしたが、どんなことを予定されていますか。

鈴木 大きく3つのことを考えています。ひとつ目は、今回は日本人6人で泳ぎましたが、次回は海外の人と半々くらいの人数でやりたいですね。例えば、また台湾を目指すのであれば、日台のメンバー半々で、そのなかで交流を深めて、できれば周りの人に応援していただくような仕掛けも入れて、多くの人を巻き込みながら国際交流するようなやり方ができればと思っています。

M それは必ずしも、台湾に限らず、ということですか。

鈴木 そうですね。ただ、僕は「One Asia, Strong Japan」をテーマに、アジアのなかでスポーツを通しての交流をやっていきたいと思っていますから、アジアの国になると思います。それからふたつ目ですが、これは詳しいことはまだお話しできないのですが、これは台湾で、民間の人たちとスポーツ交流できるような活動を考えています。

M そして3つ目は。

鈴木 これは現在、宮城県女川町の町長などと打合せをしているところなのですが、今回の津波で子供たちが海を怖がるようになった、という話を聞きました。そこで、どうすれば、彼らの心の傷を癒せるのかということを考えています。海開きに合わせて、僕らが女川へ行って子供たちと交流するとか、小学校のプールで水泳を教えるとか、再び、女川の海に子供たちの笑顔が戻ってくるような活動をしたいと思っています。

M 活動はかなり多岐に渡りますね。今回の日台泳断も含め、アジアや国内でのこのような活動は、東日本大震災があったからというわけではなく、以前から考えていたことだったのでしょうか。

鈴木 そうですね。基本的には、そういうマインドは元々ありました。そのなかで、震災のときに日本が台湾の救援隊を追い返すというようなことがあって、そのことに違和感を覚えたというか、これは何かやるべきではないのかと思ったのです。台湾が200億円もの義援金を集めてくれたり、救援隊を送ってくれたりするのは、過去の人たちが築き上げた日台の友好関係があればこそ。これを次の世代に引き継がないわけにはいかない。そういう感覚でしたね。

M 元々持っていたマインドに火がついた、と。

鈴木 つきましたね。僕は、こういう活動には若い人のエネルギーが絶対に必要だと思っているので、これからも強い思いを持って、意義のある一歩を踏み出していきたいと思っています。

受賞活動についてのインタビューはコチラ
http://www.faust-ag.jp/interview/interview039.php

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ファウスト特別賞 篠塚建次郎氏 ラリードライバー

ソーラーカー普及を一生の仕事に





Mephisto(以下M) まずは、受賞の感想を聞かせてください。

篠塚 日本の場合、モータースポーツはスポーツのカテゴリーに入れてもらえないというか、別に扱われることが多くて、それが少し寂しいなと思っていました。ですから、モータースポーツをずっとやってきたことを評価し、私をこういう形で表彰していただけるというのは、とても嬉しいし、ありがたいことだと思います。

M この賞はスポーツだけを対象にしたものではありませんし、日本では珍しい視点の賞でもあります。少し戸惑われたのではありませんか。

篠塚 いえ、今回大賞を受賞した鈴木一也さんのように、大きなニュースにはならなくても、冒険や挑戦をしている人というのは世の中にたくさんいる。このファウストA.G.アワードは、そういう人たちを陽の当たる場所に引っ張り出してくれて、「こういう人たちがいるんだよ」と広く世間に知らしめてくれるという意味ではとても大切な賞だし、すごく素晴らしいなと思いますよ。

M 篠塚さんのような数々の偉業を成し遂げられた方に、そう言っていただけるのは光栄です。

篠塚 日本は、決められたレールの上を走っていないと変なやつだ、という見方をするところがありますよね。でも、実際、私もフランスに7年間住んでいましたが、海外では、みんなが同じレールの上を走る必要はないということがきちんと認められているように感じます。ですから、フランスには(挑戦者賞を受賞した)アラン・ロベールさんのような変な人間がすごく多い(笑)。私たちの世代というのは、(社会の成長が)今日より明日のほうがいい、明日より明後日のほうがいいという時代に育ってきました。でも、今は明日がどうなるかも分からない。そんな時代にあっては、「自分はこう思っているからこうするんだ!」と、自分の強い意志と考えに基づいて行動することはとても大切だと思います。そういう意味で、この賞は素晴らしいと思いますし、この賞のなかにモータースポーツをやってきた人間が含まれたということはとても嬉しいことです。

M 篠塚さんにとっては、自分の考えに基づいて選んだ道がラリーだったわけですね。

篠塚 18歳でラリーを始めた当時は、ラリードライバーなんていう職業はありませんでしたからね。最初はラリーのなかのいわば短距離競走に当たるWRCに出て、その後、長距離競走に当たるパリ・ダカールラリーに出て、今はソーラーカーに乗っていますが、自分が望んだのは車を運転して競技に参戦するということだけ。どういうカテゴリーで運転するかは、長く続けているなかでの偶然の出会いによって変化してきた結果です。

M プロのドライバーとして車を運転し続けたいというところだけはブレなかった、と。

篠塚 よく大学などから講演の依頼を受けることがあるのですが、私が必ず言うのは、「これをやると出世するとか、これをやると儲かるとかいうのではなく、まず自分が好きなことが何なのかを見つけること」。そしてもうひとつが、「自分には必ず何か才能があるはずだから、それを見つけること」です。特に若い人には声を大にして言いたい。それが見つかるかどうかで、その人の生き方は大きく変わると思います。

M 好きなことの延長線上に、ソーラーカーがあったということですね。

篠塚 きっかけは、たまたま自分の出身校である東海大学がソーラーカーのレースをやっているという話を聞いて、サポートするようになったことです。初めて南アフリカで行われたレースに出場し、ソーラーカーで4200㎞を走り切ったときは本当に感動しました。これはすごいことだと思いましたよね。現在、地球温暖化が問題になっています。なぜ、こういう活動にもっとはやく取り組んで来なかったのだろうかと考えさせられました。衝撃的な出会いでした。ずっと車の世界で生きてきた人間としては、一生懸命努力してソーラーパワーで走る“地球に優しい車”が市販されるというところまで、自分が生きているうちに実現できたら嬉しいですね。

M 新たな挑戦の対象が見つかったわけですね。

篠塚 今、自動車はハイブリッドになって、電気になって、水素になって、というふうに世界中で競争が行われています。でも、将来はソーラーパワーで走る自動車というのが、ひとつのカテゴリーとして成立すると確信しています。すでにソーラーカーは時速100㎞くらいで走れる。でも、そのことはあまり知られていませんよね。ですから、そういう性能の車だとアピールするのが、これからの自分の仕事だと思っています。

受賞活動についてのインタビューはコチラ
http://www.faust-ag.jp/interview/interview035.php

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ファウスト冒険家賞 角幡唯介氏 ノンフィクション作家/探検家

冒険家と作家の境界で







Mephisto(以下M) 角幡さんはノンフィクション作家として数々の受賞歴をお持ちですが、今回は冒険家という部分も含めての受賞となりました。感想を聞かせてください。

角幡 僕の場合、本を書くことがひとつの目的ではありますが、冒険という行為自体と文章表現を連動させて考えていて、その行為自体も表現のひとつだと考えているので、そういう意味では非常にありがたいというか、嬉しいです。

M 作家と冒険家に境界線はないということですか。

角幡 いえ、ないことはないです。元々、大学の探検部にいたので、そちらが最初ではありますが、冒険をして、それを文章表現したいというのとは別に、純粋に取材をしてノンフィクションの作品を書きたいという欲求も、また別にありますから。

M 今回の冒険家賞は、初めてのコンビでの受賞となりました。ふたりでの冒険旅行はいかがでしたか。

角幡 ひとりで行くほうが10倍くらい厳しいですよね。特に、精神的な部分が大きいのではないでしょうか。ふたりで行く安心感というのは、絶対にありますから。純粋に計画を遂行するのに、どちらが有利かと言えば、当然ふたりのほうだと思います。ですが、ひとりで行ったときにしか感じられないこと、表現できないことというのもまたありますよね。ですから、もう一回北極へ行きたいと思っていますが、次はひとりで行きたいです。

M ひとりでしか感じられないこととは、どんなことですか。

角幡 周りに誰もいなくなるので、何かケガをしたり、ミスをしたら終わり。ひとりだと、“かなり死ぬ確率が高い”というような環境のなかを進んでいくわけです。そうすると、すごく自然に深く入り込める感覚はあります。それは、ただ単に怖いというだけなのかもしれませんが。でも、そもそも死だとか生だとか、生き物として根元的な部分がゴロゴロ転がっているのが自然なわけです。その自然と対峙して、精神的に越えていかなければならない。でも、ふたり行く場合、どうしてもその部分の要素は薄れますよね。

M その怖さは嫌ではないのですか。つまり、もう行きたくないとは思わないのですか。

角幡 なりますよ。出発が近づくと行きたくなくなりますし、現場にいるときは早く帰りたいとか、安全なところに行きたいと思います。ただ、これを説明するのはすごく難しいのですが、普段の生活を送っているときに、基本的には充足しているんだけど、何か物足りない感覚があって、もう一回行きたくなったりするわけです。極地でも山でもそうですが、死を感じるような自然のなかに入り込むと、そのときのことがどこかに残っていますよね。

M パートナーである荻田さんは、どんな存在でしたか。

角幡 すごく優秀ですよ。考え方も論理的だし、行動も合理的だし。僕なんか、結構うっかり者だから、「あれ、忘れた!」というようなことがあるんですが(笑)、そういうのは絶対ない。それは極地がどうこうという以前に、単純に人間性とか、素質みたいな部分で優れていると思います。

M 角幡さんは作家として、自分の冒険を本にしているわけですが、それは自分の経験を誰かに伝えたいからなのですか。

角幡 誰かに伝えたいというよりも、自分で感じたことをうまく表現したいということでしょうか。思ったことをおもしろく表現したいというか……それは、誰かに伝えたいから書くということになるのかな。

M “おもしろく”表現したい、というのは、誰かが読むことを前提にしているからでは。

角幡 書評につまらないとか書かれると、すごく落ち込みますから、そういうことなんでしょうね(笑)。やはり、おもしろいと思ってもらえると嬉しいですし。でも、書くときは、誰かに伝えたいからというよりも、自分がおもしろく納得できる文章を書きたいというほうが強いですね。

M 今後、予定されていることはありますか。

角幡 冬の北極も行ってみたいですし、誰も行ったことがないようなニューギニアのジャングルにも行ってみたいと思っています。でも、時間が経つとやりたいことというのは、そのときどきで変わりますからね。実際のところ、今は荻田くんと北極へ行った話をまとめなければいけないので、来年の夏くらいまではあまり大きいことはできないですね。

受賞活動についてのインタビューはコチラ
http://www.faust-ag.jp/interview/interview036.php

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ファウスト冒険家賞 荻田泰永氏 北極冒険家

目標は2012年の北極点無補給単独徒歩行





Mephisto(以下M) 荻田さんは長く北極冒険家として活動されています。過去に表彰された経験はお持ちですか。

荻田 いえ、ありません。でも、一回だけでなく、長く続けてきたことでこういう賞をいただけたのかなと思いますから、素直に嬉しいですね。

M 今回は角田さんとのコンビでの北極冒険だったわけですが、これまでと比べて、いかがでしたか。

荻田 今まではひとりが基本だったので、ふたりだったらどうなるのかという興味はありました。

M 北極に関しては経験豊富な荻田さんのほうがガイド役という感じだったのですか。

荻田 そうではなく、基本的にはお互い同じ立場でした。私のほうが極地には何度も行ってるので、最初はナビゲーションの方法やホッキョクグマに対する備えだとかを、私がまずやってみせてという感じではありましたが、彼も元々の素養があるのですぐに覚えますし、私が引っ張るというようなことではありませんでした。

M そもそもの企画したのは、角幡さんだということですね。

荻田 私自身、今回のルートというのは2007年にも歩こうとしたんですが、自分のミスで手を大やけどして途中で止めていたこともあって、そこを歩きたいという気持ちもありましたから、ちょうどお互いのタイミングが合いましたね。

M パートナーとしての角幡さんはどんな人でしたか。

荻田 似ているところもあるし、全然違うところもある。似ている点は、あんまり人間関係でもめないタイプだというところ。お互い全然気を使わないのですが、特別な意識をしなくてもうまくやっていけましたね。意見が対立してもめるようなこともなかったですし。違う点は、私はかなり慎重だけど、彼は結構おっちょこちょい(笑)。でも、そのあたりがうまくかみ合った理由かもしれません。

M 受賞スピーチにもありましたが、荻田さんの次なる目標は北極点無補給単独徒歩行になるわけですね。

荻田 自分でお金を作って、計画を立てて、現地に行って行動するというひたすら一人称の旅でしたから、今までの私の旅は、言ってみれば、冒険、挑戦だけでした。今、目指しているのは北極点無補給単独徒歩行。でも、自分の旅はそこまでだと考えています。これまでの10年間は、自分のためだけにやってきましたが、今度は次のステップに進まなければいけないと思っています。

M それはどんなことですか。

荻田 自分がこれまでにインプットしてきたことを、次のステップでアウトプットするということです。私が大場満郎さんという冒険家の大先輩に連れられて、初めて北極へ行って、それをきっかけに次の年から、ひとりで行くようになったのですが、今度は私が若い人を連れて北極へ行こう、と。大場さんという上の世代の人がやってくれたことを、私が今、あずかっているような気がしているので、これを次の世代の人に受け継ぐ義務があると思うし、それを私がやりたいと思っています。

M アウトプットとは、自分の経験を他の人たちにも生かしてもらう、ということなのですね。

荻田 他にも、これは去年から始めたことですが、北極で雪のサンプルや気象データを採取したりして、大学の研究に役立ててもらっています。パソコンを叩いても出てこないデータが、現地で採ってこられるというのは、私にしかできないこと。北極の可能性を広げていくことも、ひとつの冒険の表現方法だと思うので、そういうことを今後は積極的にやっていきたいと思います。でも、次のステップに行くための一番大きな関門が、北極点の無補給単独。一番難しい挑戦をクリアして、「オレはここまでやってきたんだ」という自信と実績と説得力を持って、次のステップに行きたいと思っています。

M 具体的には、いつごろを予定しているのですが。

荻田 2012年の3、4月くらいにやりたいのですが、もう半年もないですから、切羽詰まっています(苦笑)。資金をどう工面するかというところが一番の問題なんですが、正直、まだメドは立っていません。これから必死に集めるという感じですね。

受賞活動についてのインタビューはコチラ
http://www.faust-ag.jp/interview/interview038.php

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ファウスト挑戦者賞 アラン・ロベール氏 フリークライマー

フランスでの受賞に続く受賞で嬉しい





Mephisto(以下M) ファウストアワードの授賞式のために、来日していただきありがとうございます。

ロベール こちらこそ、こうして日本に呼んでいただき、とても喜んでいます。

M 今回、ファウストアワードで挑戦者賞の受賞となりました。その感想を聞かせてください。

ロベール まずは、すごく嬉しいです。と同時に、少し驚いてもいます。今年はすでにいくつかの賞をもらっていて、もうこれで全部かなと思っていたところに今回の受賞の知らせがありましたから、ビックリしましたね。

M 他にどんな賞を受賞されたのですか。

ロベール フランスの上院から、2011年に最も過酷な挑戦をした人への賞をもらっています。あと、ポーランドでも賞をもらっているのですが、これはエドモンド・ヒラリー(世界初のエベレスト登頂に成功した、ニュージーランドの登山家)や、ラインホルト・メスナー(世界初の8000m峰全14座完全登頂を果たした、イタリアの登山家)などがもらっている、とても伝統のある賞。ですから、すごく嬉しかったですね。それから、恐らく2012年のはじめくらいまでに、レジオンドヌール(フランスの最高勲章)をもらうことにもなっています。

M レジオンドヌールには、いくつかの階級がありますよね。どの階級をもらうのですか。

ロベール 初めて受賞する人は、一番下からですね。万が一、勲章をあげた後に受賞者が犯罪などの問題を起こしたらいけませんから(笑)。いきなり一番上の勲章をもらうことはないのです。おとなしくしていたら、その次は上の勲章になるでしょうね。

M 1998年に日本でも、新宿センタービルに登ったことがありましたね。来日はそれ以来ですか。

ロベール その後、移動の途中で少し立ち寄ったことはあるのですが、きちんとした形で来るのは98年以来です。

M 久しぶりの日本の印象はどうですか。何か変わったところはありましたか。

ロベール 印象と言われても……、前回(98年)のときは日本に来たといっても、拘置所で過ごしていた時間が一番長いので(新宿センタービルに登り、屋上に到達したところで逮捕された)、正直、日本の印象と呼べるほどのものがないのです。ちなみに逮捕された後、今までで最も長く拘置されたのが日本の9日間で、その次が中国。アジアの国はホスピタリティに優れているのかもしれません(笑)。

M 今回の来日も2泊3日という短い滞在ではありますが、東京スカイツリーをはじめ、東京都内を“下見”されたようですね。

ロベール 東京スカイツリーはとても大きく、世界一のタワー(電波塔としては世界一の高さ)ですから、興味はあります。でも、登るとしたら正式な形で登りたいですね。最後に拘置所で終わるのは、もう嫌です(笑)。

M 世界中のビルやタワーのなかで、今後、登ることを予定しているものはあるのですか。

ロベール それは、あるともないとも言えません。「あそこは無理だ」と言ってしまうと、「やっぱりやろう」と思ったときにやりにくくなりますし、「次はあそこに登ります」と言ってしまうと、警戒されてしまうかもしれません。ですから、申し訳ありませんが、あまり不用意なことは言えないのです。

受賞活動の紹介記事はコチラ
http://www.faust-ag.jp/soul/challenge/soul074.php

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  • ◎授賞式の模様はコチラ

Faust Profile

Who is Mephisto ---メフィストとは

人生のすべてを知ろうとした、賢老人にして愚かな永遠の青年「ファウスト」(作:ゲーテ)。この物語でメフィストとはファウストを誘惑し、すべての望みを叶えようとする悪魔。当クラブ「Faust Adventurers' Guild」においては、Faustの夢と冒険の物語をサポートする案内人であり、彼らの変化や心の動きに寄り添う人物。時に頼れる執事、時に気の置けない友人のような存在は、『バットマン』におけるアルフレッド(マイケル・ケイン)、『ルパン三世』における不二子&次元&五右衛門トリオのようなものか? 今後、Mephistoは各クエストの終わりにFaustの皆さまの心を探りに参ります。どうぞよろしく。

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