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Vol.4
クラシックカーがつなぐ震災復興の道
日本橋から気仙沼へ〈前編〉
ジャパン・クラシック・オートモービル2012  Road to Kesennuma

101年の新たな出発は、復興への架け橋だった──。
日本橋の架橋100周年を祝うセレモニーとして、2010年にスタートした『ジャパン・クラシック・オートモービル』(以下JCA)。一昨年に白寿を、昨年は百寿を華々しく彩ったこのイベントは、四季折々に様々な表情を見せる日本橋においても、すでに欠かせないものとなりつつある。
3回目を迎えた今年は大幅なスケールアップをはかり、日本橋から街道を走る旅へ踏み出すことになった。ハンドルを握るのはJCAのプロデューサーであり、アートアクアリウムプロデューサーとしてFaust A.Gでもお馴染みの木村英智だ。日本橋から北上する彼が目ざすのは、東日本大震災の爪痕がいまなお色濃い宮城県気仙沼市である。
彼はなぜ、何のために、気仙沼へ向かったのか。
被災地と木村をつなぐ温もりに溢れた物語が、ここから幕を開ける。

日本橋上に集うクラシックカーたち

東京・日本橋

街往く人たちが思わず足を止める。珠玉の名車が日本橋を彩った。
日本橋でのパレード中、警視庁のマスコットキャラクター「ピーポくん」とともに。
JCAの会場で、気仙沼を向かうプロジェクトを説明。この直後、激励の拍手が木村に注がれた。

トップ写真:降り注ぐ歓声のなか、いざ、気仙沼へ! 

関東地方に桜が咲き誇る4月8日、「JCA」が誇る往年の世界的名車が日本橋に集結した。木村らが駆るクラシックカーは春の交通安全運動パレードに参加し、日本橋上にズラリと展示される。これほどの名車が勢ぞろいする光景は、なかなか見られるものではない。すぐに人だかりが膨らみ、カメラと携帯電話のシャッター音が重なる。「JCA」では毎年の光景だ。
だが、今年はもうひとつ大切なプログラムがあった。13時から出発セレモニーが行なわれたのだ。最終目的地の気仙沼へ届けるお土産を、木村が預かるのである。彼の身体に降り注がれた拍手は、これから始まる旅への期待の現われだったろう。木村が運転するフィアット・アバルト750レコルドモンツァは、たくさんの思いを乗せていく。
「過去2年のJCAは、ある意味で日本橋で完結していたんですね。だけど、日本橋は街道の拠点であり、人もモノも情報も文化も、すべてここを通っていく。新しい世紀へ踏み出す日本橋から飛び出していくタイミングとしては申し分ない。じゃあどこを目指そうと考えたときに、頭に浮かんだのが気仙沼でした」

3・11直後の
被災地支援が発端だった

昨年の東日本大震災発生直後、木村は被災地へ向かっている。会社のトラックいっぱいに支援物資を詰め込み、宮城県石巻市へ車を走らせた。
避難所へ到着すると、すでに多くの物資が届いていた。仕分け作業が追いついていないほどだった。
木村はすぐに考えた。批難所に物資が集まったままということは、支援を受けることができていない人がいるのではないか──。
同行した友人が、SNSで状況を発信した。
「僕らはトラックいっぱいに飲み物や食べ物を積んでいます。連絡をもらえればコーラ1本でも、どこへでも届けにいきます」
気仙沼から、連絡が届いた。すぐに車を走らせる。ここで木村は、在宅被災者という現実を目の当たりにする。
「連絡をくれたのは佐藤さんという女性で、彼女はエステサロンのようなリラクゼーション施設を経営していたんですが、一階部分が津波に流されてしまった。でも、2階の家が残っているので、在宅被災ということになっていたんです。避難所へ行けば物資はもらえるけれど、車も自転車も流されているから移動手段がない。一番近い避難所まで、歩いて40分もかかるという。食料や水を抱えて歩くには、大変な距離です。それで僕は、持ってきた荷物をすべて置いていくことにしました。さらに、在宅避難の現状を今後も伝えていくので、佐藤さんの住所などをオープンにして、店舗があった一階部分を物資の供給拠点にさせてほしいとお願いしたんです。そのおかげで、全国から毎日のように物資が届くようになったそうです。これらの一連の作業は同行した友人の黒澤氏が中心になって盛り上げてくれました」
佐藤さんをはじめとする気仙沼の人々との交流は、その後も続いた。彼女たちが東京へ出かけてきた際には、木村が主催するアクアリウムのイベントに来場してくれた。事前に連絡をくれれば招待できるのに、誰もが自分でお金を払うのだった。
「東京に来た人はみんな来てくれたんですが、色々な理由で来られない人もたくさんいました。『そういう人たちに、僕の展覧会を見せてあげたい』と見に来た人達から言われました。もちろん僕も被災地で開催したい気持ちは大きいが現実的には厳しい。でも、今回のJCAで僕個人ができることとして、代表的な作品である〈花魁〉※を見てもらいたいと思ったんです。僕ができることはエンターテインメントですから。それと合わせて、スーパーカーを引き連れて気仙沼を目ざそうと」

ためらいが、なかったわけではない。「スーパーカーで被災地へ行くなんて、ホントに大丈夫なのか」と、心配の声をあげる友人もいた。だが、木村は自らの信念を貫く。
「現地の方々と話をしたときに、『人それぞれ、自分のできること、持っていることで支援してくれたら、それだけで嬉しいんです』と言われたんですね。『そもそも、被災地でそんなことは不謹慎だとか、被災者が気分を害するかもと心配されたりすることが、私たちにはとても残念で悲しいことなんです。被災者である前に普通の感覚も持っている人間なのだから』とも」
被災地で、被災者から、生の声を聞いたからこそ、木村は気仙沼を目ざしたのである。自分を待ってくれている人がいる──それだけで、批判や揶揄を受けても耐えられると思った。心のドアを、自分で閉ざしてはいけない。勇気を持って開けば、きっと新しい何かが待っているはずだ、と。

※花魁……木村が創作したアクアリウムの代表作。1000匹を超える色とりどりの金魚が泳ぐ巨大な金魚鉢がライトアップされた様は、妖艶な遊郭と花魁を思わせる。

気仙沼へスタート

日本橋→埼玉・加須→茨城・大洗→

日本橋を出発した木村は、最初に埼玉県加須市へ立ち寄る。福島県双葉町の方々の避難先を訪問し、花街道というNPO法人から預かったプランターを贈呈した。双葉町の町長とも話をすることができ、被災地の現状に触れた。
「原発の影響で避難を強いられる以前は、花に囲まれて暮らしていた方もいたと思うんです。とても喜んでいただけました」
その後は茨城県の大洗町へ車を進めた。水産加工場が津波の被害を受けた友人を、激励するためである。
「経営していたレストランは浸水してしまったものの、営業を再開することができたそうで。友人の笑顔を見ることができて、とても有意義な時間になりました」

日本橋を出発して、最初に向かったのは埼玉県加須市。今回のイベントに協力してもらったワクイミュージアムへ。イングリッシュスタイルのおもてなしで迎えられた。
左:積み込まれた植木の花は、福島県双葉町の方々の避難先へ届けるもの。慎重に、大切に、心をこめて運んだ。 中:木村の車が乗り入れたのは、廃校となった埼玉県立駿西高校。双葉町の方々の避難先だ。 右:双葉町の井戸川町長に植木を手渡す。その後、原発の状況を聞く機会にめぐまれた。

目の当たりにする原発事故の影響

福島・いわき→郡山→猪苗代→裏磐梯→喜多方→福島→相馬→

大洗磯前神社から海をのぞく。この素晴らしい景色との出会いは、木村にとって僥倖だった。

2日目は大洗磯前神社で、車のお祓いをしてもらうことからスタートした。茨城県にはこれまでなかなか縁のなかった木村にとって、この日のドライブは発見の連続となる。
「JCAの本来の目的は、時間をかけた寄り道の旅なんですね。飛行機や鉄道にように点と点を結ぶのではなく、車を走らせながら様々な文化に触れ、景観や食事を堪能しながら、地元の人たちと交流を深めるというものです。その意味で言うと、茨城県の海沿いは素晴らしいのひと言!  まるで外国にいるようで、本当に綺麗でした。峠があったり、渓谷に出会ったり。これから茨城県は秘密のドライブポイントになりそうです」
午後には福島県に入った。翌3日目から4日目までを費やして、県内のいわき市、郡山市、猪苗代町、裏磐梯、喜多方市、福島市、相馬市に立ち寄った。
「喜多方はラーメンが有名なところで、行列店もたくさんあったそうです。あちらでは儀式のようになっている朝ラーメンをいただいた店にも、『ここからは20分待ち』という看板というか目印があった。それぐらい人が集まっていたんでしょう。でも、風評被害で客足はパッタリ途絶えてしまったそうです」
福島県には、木村が住む東京とあまりにかけ離れた生活があった。「学生時代の恩師が先生をしている県立福島高校を訪問しました。正門近くに線量計があったのですが、数値が0.78なんです。先生に聞くと、『原発が爆発する前は0.1とかだった』と。学校内の数値が約70倍ですよ!  でも、政府は大丈夫と言っているらしい。本当に、本当にそうなのか……」

左:大洗磯前神社で、旅の無事を祈念して御祓いをしていただく。荘厳な空気が周囲を包んだ。 中:大津漁港にて。震災の爪痕の激しさに、声を失った。 右:大津にて、震災で砕けたままのアスファルト。そのすぐ近くには、ここに住む人々の日常がある。
左:小貝浜海浜公園にて。クラシックカーゆえの不都合はある。だが、クラシックカーだからこそ感じられるものがあった。 中:学生時代の恩師が教鞭をふるう、福島県立福島高校を訪問。一度のクラスはプレハブ校舎で勉強をしていた。 右: 学校の正門近くに設置された放射能測定器。示す数値は異常なまでに高い。未来ある高校生たちが、かくも厳しい現実のなかで生活をしている。

JCA2012で絆を深めた被災地の子どもたち、大人たちを招き、
「アートアクアリウム展~江戸・金魚の涼~」を今年も開催

会期:2012 年8月17日(金)~9月24日(月) 開場:日本橋三井ホール
公式サイト
http://www.h-i-d.co.jp/art/index.html

Data

ジャパン・クラシック・オートモービル2012  Road to Kesennuma公式サイト
http://h-i-d.co.jp/jca/
 

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