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INTERVIEW with FAUST MASTER
ファウストA.G.アワード2010受賞者インタビュー
次代へと受け継ぐ夢

2010年、当クラブから贈られたファウスト・オブ・ザ・イヤー、冒険家賞、挑戦者賞、社会貢献活動賞、特別賞、そして新設されたJustGiving特別賞。各賞受賞者に、授賞式直後にインタビュー。留まることを知らないさらなる夢を語ってもらった。







 

 

Faust of the Year  ファウスト大賞 栗城史多氏 ニュータイプ登山家

夢を持ち続けられる社会を目指して

Mephisto(以下M)ファウスト・オブ・ザ・イヤー受賞、おめでとうごさいます。

栗城本当にありがとうございます。表彰式でもお話しましたけれど、本当に僕でいいのかな、という気持ちです。

栗城さんの冒険のスケールは、“最高の勇者”の称号にふさわしいですよ。



栗城賞というものをいただいたことがない(2010年12月現在)ので、本当に嬉しいです。同時に、これからもっと頑張れよと応援していただいた、と思っています。僕の場合は「冒険の共有」という新しい形のチャレンジを評価していただいたわけですが、エベレストは登頂できていませんし、まだまだ冒険は途中過程です。

栗城さんによる冒険の共有は、多くの人々にとっての夢の共有でもあります。

栗城僕の経歴を知ったうえで応援メッセージをくれる方が「自分も頑張ります」と書いてくれると、勇気や夢を少しは与えられているのかな、という気がします。その分、登山以外の困難もついてまわりますが、それも含めて冒険だし、そのほうが僕は楽しい。

「頑張ってください」ではなく
「自分もがんばります」がうれしい

特別賞を受賞した堀江さんと、色々とお話をしていましたね。

栗城冒険の種類はたくさんあるけれど、やっぱり最後はやりたいかどうかなんだと、改めて感じました。成功したのか、失敗に終わったのかという結果の前に、挑戦することが大事だということを再確認できました。挑戦しなければ、その先は見えてこない。結果として失敗に終わったとしても、失敗までの過程は消えない。そこから学ぶものって、本当に多いと思うんです。

諦めずにチャレンジすることが大切だ、と。

栗城もともと僕は、記録を作りたくて冒険をしているわけではないんです。みんなと夢を共有して、自分自身が成長したい。僕たちがいま生きているこの社会が、夢を持ち続けられるものであってほしい。そんな気持ちが僕を駆り立てている。だから、「頑張って下さい」という応援ではなく、「自分も頑張ります」という声を聞けるほうが、僕には嬉しいんですね。

今後の挑戦は何かと聞かれたら、まずはエベレスト登頂になりますか?

栗城そこはもちろん。その前に、シシャパンマ主峰に向き合ってみたいですね。

シシャパンマとはチベット語で、「牛も羊も死に絶えて、麦も枯れる地方」という意味だそうですね。恐ろしく険しいことは想像できても、どれほど過酷なのかは想像が及びません。

栗城スキーを担いで登ったことは何度かあるんですが、山頂から滑ったのはマナスルだけなんです。標高7000メートル以上でのスキーは、楽しいという感覚はありません。シシャパンマは8027メートルです。これは自分のなかの高みへの冒険という位置づけで、皆さんと「冒険の共有」をする登山ではない。この春にシシャパンマに挑んで、それからエベレストへ進路をとります。

ファウストではこれからも、栗城さんの冒険をフォローしていきます。エベレストから発信するUstreamやtwitterも、楽しみにしています。

栗城エベレスト頂上から中継する夢は、絶対に達成したいですね。この挑戦にはたくさんの方の力をお借りしているので、僕だけでなく皆さんの目標であり夢でもありますから

ファウスト・オブ・ザ・イヤー受賞が、今後の励みになることを願っています。

栗城僕にはもったいない賞ですが、日本の若者に対するエールと受け止めて頑張ります。日本の若者よ、夢に向かって突き進め、というエールだと。

 

 

栗城史多
1982年6月9日生まれ、北海道今金町出身。登山家。
「冒険の共有」を目指し、登山中に自らをビデオカメラで撮影、登山行程をUstreamやTwitterでライブ中継するなど、その手法とスタイルから新世代の登山家として注目される。
大学時代から登山を始め、2年後にマッキンリー単独登頂に成功。活動開始の当初、「ニートの登山家」とも呼ばれ、テレビ番組を通じあらゆる世代に希望を与える。2005年、南米最高峰アコンカグア単独登頂。07年、世界第6位のチョ・オユー登頂時から動画配信を開始。08年、マナスルで日本人初の単独・無酸素登頂と山頂からのスキー滑降。09年ダウラギリからインターネットライブ中継。10月、エベレスト単独・無酸素登頂に挑むも8000m付近で断念。2010年4月、アンナプルナ単独無酸素登頂に挑むも断念。9月、エベレストに再挑戦するも異常気象のため7750m付近で断念。一方、7000m地点でのインターネットライブ中継は世界初の成功。

 

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Faust Adventrer of the Year ファウスト冒険家賞 アラン・テボウ氏

自由を求める心が困難に立ち向かうエネルギー源

Mephisto(以下M)母国から遠く離れた日本で、自分の冒険がこのような形で表彰されました。

テボウお話をさせていただく前に、約束の時間に少し遅れてしまったことをお詫びさせて下さい。さきほど日本に着いたばかりで、さすがに少し眠くなってしまいまして……。





いえいえ、わずか1泊の強行軍でわざわざフランスから表彰式に出席していただいたのですから(笑)。

テボウさきほどの表彰式でもお話しましたが、このような賞をいただくことができて、大変感動していますし、大変名誉なことだと思っています。私は帆船でも記録を塗り替えているのですが、昨年(09年)はイドロプテール号で二つの記録を作ることができました。そのことが評価されたのだと思います

日本に憧れていたとうかがっています。

テボウ小さい頃から日本のマンガに親しんでいました。とくにサムライが出てくるものが好きで。その真っ直ぐな生き様は、私自身の価値観と重なるところがあるんです。

貴方の人生は、夢に向かって真っ直ぐに突き進んできたものですね。

テボウ私の冒険はそれなりに資金がかかるもので、最初は工面するのにかなり苦労しました。ホームレスのような生活を送っていたこともあります。いまも借金を抱えていますし(笑)。でも、色々な方のサポートを受けることができ、ここまで続けることができました。

貴方の冒険は、周囲の人々が夢や希望を投影できるものだと思うんです。

テボウスポンサーの方々には、重ねて感謝の気持ちを伝えたいですね。そのかわりではないですが、諦めずに努力すれば、夢は叶うんだということを伝えられたら、私としても嬉しい限りです。

次はロサンゼルスから
日本への太平洋横断

お話があったように、テボウさんも困難を乗り越えてきたわけですからね。

テボウ困難という言葉をお使いになりましたが、私自身は自分のやりたいことに忠実であった結果が現在につながっていると思います。幼少時代を海に近い寄宿舎で過ごし、空を舞う鳥を見て空を飛んでみたい、と思ったことがすべての出発点です。イデロプテールというセイルボートも、そのための手段という位置付けです。

気持ちは少年時代のままなのですね。

テボウ自由を求める気持ちが、困難に立ち向かうエネルギーとなりました。そういう意味では、私はいまも変わっていません。このような素晴らしい賞をいただいても、これまでと同じスタンスで夢を追いかけていくと思います。憧れていた日本でこのような名誉に授かり、今後の目標へのモチベーションもさらに高まりました。世界一周の最短航海記録を塗り替えるのが次の目標なのですが、その最初のステップとして、ロサンゼルスからハワイまで航海します。その後、日本の横浜へ進路をとり、皆さんにイデロプテール号をご覧いただきたいと考えています。皆さんにぜひ、私の“空飛ぶ絨毯”に乗りにお越しいただきたいのです。エンジンなど動力を搭載した船を、風力のみで進む我らのイドロプテールが抜き去る。これはもう最高の瞬間ですよ!

そのスピード感はちょっとした恐怖を伴うとも聞いていますが、楽しみにしています。

テボウ最後に、私以外の受賞者も、素晴らしい方々ばかりです。その方々に、私からもぜひ「おめでとう」を言わせていただきたいです。皆さんのおかけでで、新たな闘志が沸き上がってきました、と。

 

アラン・テボウ
1962年9月19日生まれ、フランス出身。海洋冒険家。風力のみで海上を高速で航行する“セイルクラフト”「イドロプテール号」を開発、自らキャプテン として冒険を続けている。「イドロプテール号」は、水中翼を擁する三胴船のヨット。水中翼による揚力で船体が持ち上がり、海面を文字通り飛ぶように高速航 行する。
2009年11月、500mの距離を56.3ノット(約104km/h)での航行に成功。無動力ボートの限界速度といわれる50ノット(約92km/h)を初めて超え、世界最速記録をマーク。ギネスブックにも登録された。
2011年は、ロサンゼルス~ハワイ~横浜の太平洋横断チャレンジを控えており、目標は、現在の世界一周最短航海記録50日間を更新すること。

 

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Faust Challenger of the Year ファウスト挑戦者賞 赤坂剛史氏 サラリーマン極地ランナー

諦めないで走り続ける大切さを、次代へ

Mephisto(以下M)授賞式の4日前に帰国したばかりとのことですが、南極マラソンはいかがでしたか?

赤坂夢を実現することができたのは嬉しかったですね。

赤坂さんの挑戦のルーツは、市民マラソンだったと聞いています。

赤坂初めてフルマラソンで完走できた時、走る楽しさを感じることができました。それから極地マラソンのことを知り、いつかは出てみたいなと思うようになりました。一緒に走る友人たちとも、そんな話をするようになって。





最初の極地マラソンが、2008年のサハラ砂漠マラソンですね。

赤坂サハラマ砂漠マラソンに参加して、南極マラソンのことを知りました。僕はプロのランナーではありません。ごく普通のサラリーマンです。自分が南極マラソンを目ざすなんておこがましいと思いましたが、いつかは走ってみたいという夢を抱くようになりました。09年4月にチリのアカタマ砂漠マラソン、10年6月の中国のゴビ砂漠マラソンを完走して、出場する権利を得ることができたのです。

南極マラソンの出場権は、三つの砂漠マラソンのうち二つを完走することで得られる……と説明するのは簡単ですが、7日間で250キロを走破する大変過酷なレースです。

赤坂極地マラソンは食料が自給自足なので、15キロ近い荷物を背負って走ります。サハラ砂漠マラソンは『世界一過酷なマラソン』と言われていますし。でも、完走したときの充実感は、いつも言葉では言い表せません。ものすごく大きな感動があります。

サラリーマンを理由に
夢をあきらめたくない

普通のマラソンではなく、なぜ極地マラソンなのでしょう?

赤坂なぜ……ひと言でお伝えするなら、走ることが好きという気持ちがまずあるからでしょうね。南極マラソンに出場していたランナーに、同じ質問をしたことがあるんです。答えはいつも、「好きだから。楽しいからだ」というものでした。しかも、誰もが笑顔なんですよ。走っているときも、楽しそうなんですね。

それはすごい!

赤坂極地ですから、暑さや寒さに襲われることもあるし、靴擦れをしたり、道に迷いそうになることもあります。それでも、走る喜びは消えません。

赤坂さんはサラリーマンですから、会社を休まなければいけない。競技を続けていく環境もまた厳しいです。

赤坂スケジュールの調整がつかず、大会のエントリー費用を、無駄にしてしまったこともありました。今、こうしてファウスト挑戦者賞をいただくことができたのも、会社はもちろんサポートしてくれる企業さん、仲間たちの理解と協力があったからこそ。周りの皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。それから、妻にも感謝しています。極地マラソンを走る自分をみたことがなかったので、南極には妻も一緒に行ったんです。

だからこそ、感謝の気持ちを持って走っているわけですね。

赤坂そうですね。もう一つは、サラリーマンだからという理由で夢を諦めたくはない、という気持ちです。サラリーマンでもできるということを伝えられたら、と。

夢だった南極マラソンを走破して、次の目標は何になりますか?

赤坂それなんですよね……。目標であり夢でもあったものを達成したら、すぐにまた新しい目標を見つけられるかのかな、と思ったことがあります。でも、やりたいことはありますよ。

具体的には?

赤坂自分の経験を伝えていきたい。諦めずに走り続ければ、ゆっくりでもいいから足を止めなければ、きっとゴールできる。それは夢や目標に向かっていく姿も同じで、諦めないで走り続ける大切さを、子どもたちに伝えていけたら嬉しいですね。僕の経験を聞いた子どもたちが、「よし、自分も夢に向かって頑張ろう」とか、「僕も夢を見つけよう」という気持ちになってくれれば。将来的に極地マラソンに参加する子どもが、出てくるかもしれませんしね。

自らの財産を次代に伝えていくのは、素晴らしい社会貢献ですね。

赤坂南極へ行ったことで、自然環境を保護する大切さを強く感じました。現地へ行った人間の責務ではないか、と感じています。講演などを通じて、そういったことを色々な方にお話しできたらと思っているんです。極地マラソンに匹敵するような過酷なマラソンを企画・実現したり、これから極地マラソンに出たいと思っている方のサポートもしてみたいですね。自分が経験してきたことで、皆さんに役立てるものは何かを考えながら、地域や社会に少しでも貢献できたらと。

ご自身の挑戦については?

赤坂そこはこれからも追及していきます。まだまだ挑戦していない、過酷なマラソンはありますからね。やはり僕は過 酷なマラソンが、走るのが好きですから。

 

赤坂剛史
1972年3月6日生まれ、神奈川県出身。会社員。世界で最も過酷な耐久レースのひとつといわれる“極地マラソン”を次々に制覇する市民ランナー。2010年11月の南極マラソン(ラストデザート/7日間250キロ/主催:レーシングザプラネット)に初挑戦、完走を果たしたばかり。
ウルトラマラソンやアイアンマンの完走を経て、2008年にサハラ砂漠マラソン、2009年にアタカマ砂漠マラソン、2010年6月にはゴビ砂漠マラソン(ゴビマーチ/7日間250キロ)を相次いで完走し、目標としていた南極マラソンへの出場権を得た。
企業に従事しながらの挑戦は資金的にもスケジュール的にも困難を伴うが、「サラリーマンでも冒険できる、誰でも夢を実現できる」というメッセージを発信すべく、今日も走り続けている。

 

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人々の笑顔につながる活動を

Mephisto(以下M)授賞式では、「自分がいただいていいのでしょうか」という言葉がありました。

長屋本当に僕でいいのかな、という気持ちです。僕よりもっと頑張っている人はたくさんいるでしょうし。でも、こうやって賞をいただけたのは本当に光栄で、賞をいただけるというのは、なかなか……。



Mない、ですしね。

長屋そうですよね。本当に光栄ですし、この賞に恥じないようにこれからも頑張らないといけない。

Mレースで表彰台にあがるのとは……。

長屋まったく違いますね。レースの順位というものは、自分の頑張り次第で決められるところがあります。でも、こういう賞は自分が決められるものではない。事故から9年ですけれど、車椅子の生活になって新たな挑戦をしてきたことが、このような賞に結びついたのは、何度も言うようですが本当に光栄です。僕の目線というか考え方というか、自分だから分かることを発信して、車椅子で生活することを本当の意味で理解してもらえる環境をつくっていきたいと思っています。

M車椅子の方にも健常者と同じように快適な服を提供する長屋さんのお仕事は、ファウストのテーマである社会貢献につながっています。

長屋貢献しようと思ってやっているわけではありませんが、僕がやっているすべての活動の出発点は、みんなが楽しく、笑顔につながることをしたいという思い。たとえば道路や施設の段差ひとつでも、車椅子やベビーカーにとっては乗り越えにくい壁になっているのであれば、僕らがそれを発信していかなきゃいけない。それによって段差がフラットになって、『あ、ここは段差がなくなっていいね』という言葉が出るような環境がいいなと。洋服にしても、車椅子では着にくかった悩みを改善して、笑顔が生まれるようになったらと、つねに考えていますね。

M表彰式の会場に展示されていたレインコートも、長屋さんだからこそ気づく視点から作られたものですね。

長屋雨の日には傘をさせないですし、上下が2ピースになっていると座った状態では脱ぎ着が難しい。屋根のある場所に到着したときに、自分で脱げなければしかたがない。自分が車椅子の生活を送っていて、雨の日でも簡単に脱ぎ着ができて、車椅子をこげることだけを追求して形にしたものです。

Mボタンの代わりにマグネットを使っているのも特徴的です。

長屋ボタンでもファスナーでも、やっぱり大変なんですね。「外出中に突然雨が降ってきても、これを着ればマグネットだから困らないいからな」と思ってくれたら嬉しい。以前の僕もそうだったんですが、雲行きが怪しそうな日は朝から天気予報ばかり見て、雨が降りそうだと予定をキャンセルしたり、病院に行きたいけれどやめてしまうとか、そういうことをすごく耳にするんです。その意味でもお役に立てたら嬉しいんです。

「ありがとう」が生み出すもの



ご自身はブログやツィッターで、感謝の言葉を綴っています。

長屋毎日毎日、小さな感謝が本当にたくさんあるんです。電車を利用していて、駅員さんにスロープを出していただいたり、たまたま近くに居合わせた方がエレベーターのボタンを押してくださったり。そういう皆さんに、「ありがとう」という気持ちをなるべく伝えるようにしているんです。それは、僕に手を差し伸べてくれた方が、違う機会に車椅子の人に会ったときに、また手助けをしていただける気持や環境を育てることで、心のバリアフリーが拡がっていくと思うからです。もし僕が素っ気ない態度をとってしまったら、その方はもう他の人も助けてくれないかもしれない。そういうこともあって、日々の感謝の気持ちをツィッターでも呟いてるんです。「ありがとう」という言葉は人を笑顔にできますよね。

銀座三越の常設店舗「アトリエロングハウス」へ通勤するようになってから、以前にも増して感謝の気持ちを抱く機会が増えているのでは?

長屋それはありますね。以前は行動範囲が決まっていて、いまほど多くの人と接することはありませんでした。お店で働くようになってからは、そういう気持ちがさらに強くなりました。アトリエロングハウスでお客さまが喜ぶ声を聞くたびに、もっとこの仕事をひろげていかないと、と思います。

M生の声は励みになりますね。

長屋いままではネット販売でしたので、お客様の声はメールでいただくことが多かったんですね。でも、店舗を持ったことで、健常者も障害者も変わらずに意見を聞かせていただける。頑張らなきゃいけないです!

Mアトリエロングハウスで、一緒にお仕事を始めてから、モードフィッターでもあるお母様のことは先生とお呼びしていますね。

長屋先生という捉え方しかできないですね。母親という目線はないです。近くにいることで改めて感じたことは、ホントにたくさんあります。母親と子どもという目線よりも、いまの接し方のほうが逆に色々と話せるかもしれない。ケンカばかりですけれど(笑)。自分がレースをやっていたころはあまり顔を会わせなかったし、レースのことを伝えても分からないだろうなと思っていたころがあったので、会話は少なかった。でも、事故をして一緒に仕事をするようになって、話していかないといいものは生まれない。僕には自分の意見があり、先生にも意見があって、お互いに言い合いです(笑)。そこで妥協をせずに意見をぶつけあることが、僕らの物作りには欠かせません。

Mいいものを作りたいという気持ちが、お二人とも強いのでしょうね。

長屋お客様が喜んでくれる声を聞ければ、いくらでも頑張れます。自分にできることを精いっぱいやりながら、笑顔が溢れる生活を少しでもひろげられたら、と思っています。

 

長屋宏和
1979年12月31日生まれ、東京都出身。「ピロレーシング」デザイナー/元F3レーサー。2002年、F3ドライバーとして参戦したF1日本グランプリの前座レースでの大クラッシュ。奇跡の生還を遂げるも、頚椎C6の損傷し、以来車椅子での生活を余儀なくされる。
現在、カートレースやK4-GPでのドライバー復帰に挑みながら、チェアウオーカーのためのファッションブランド「ピロレーシング」を開始。2010年 10月にはチェアウオーカーのためのス・ミズーラ「Hirokazu Nagaya」を立ち上げ、今秋、銀座三越に開店した「アトリエロングハウス」にて同ラインを展開中。銀座三越のリニューアルにあたり、同店のバリアフ リー化のアドバイザーも勤めるなど、チェアウオーカーのための生活改善に精力的に取り組んでいる。

 

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Mephisto(以下M)改めて受賞の感想をお聞かせいただけますか?

堀江僕がヨットをやり始めたのは56年前なんですけれど、そのときはまさかこのような素晴らしい賞をいただけるとは考えてもいませんでした(堀江さんの冒険の詳細はInterviewにて)。

堀江さんご自身の、新たな冒険にも期待しております。

堀江ありがとうございます。

※インタビューの続きを今後アップ予定です。

 

堀江謙一
1938年9月8日生まれ、大阪府出身。海洋冒険家。風、太陽、人力、波という、4つの自然力を用いたそれぞれの船で太平洋横断を成功させた、世界唯一の冒険家。
1962年、23歳にして5.8mのヨットで大阪からサンフランシスコまで単独横断航行。サンフランシスコ名誉市民として表される。1974年、単独・無寄港での西回り世界一周航海を達成し、2004年には東回りでの単独・無寄港・世界一周航海を達成。西回りと東回りの2周という、日本人初の偉業成し遂げた。
2008年には、世界初となる波の力で動く、ウエーブパワーボート「サントリー マーメイドⅡ号」で太平洋単独横断に成功。このほか、ソーラーボート、足こぎボート、世界最小外洋ヨットやビール樽のリサイクルボートなど、海洋冒険の既成概念を覆す、8度もの太平洋単独横断記録を保持。日本が誇る海洋冒険の先駆者である。

 

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JustGiving Spceal Prize  JustGiving特別賞 古田敦也氏 元プロ野球選手/野球解説者

「善いこと」の輪がどんどん広がれば、うれしいです

Mephisto(以下M)ジャストギビング特別賞受賞、おめでとうごさいます。

古田ありがとうございます。ジャストギビングは、自分の掲げた目標をみんなに呼びかけて、その目標を応援すると同時に、寄付される団体を知ってもらうという新しい募金のスタイルです。

古田さんは、現役時代から社会貢献活動はよくされていましたよね。







古田選手時代から子供の模範となるように日頃の言動、行動には注意しなさいと言われてきました。プレーしている時間以外でも、例えば野球教室をやって子供たちと触れ合ったり、学校訪問したり、あるいは近くの病院にいったり……。世界に目をやれば、トッププレイヤーと呼ばれる選手はみんな当然のように社会貢献活動をしていますよね。

社会貢献とはいえども、今回のトライアスロンにはちょっと驚きました。

古田僕もです(笑)。トライアスロンとは無縁の人生でしたし。野球って、よくパワー&スピードなんて言いわれますけど、どちらかというと持久系ではなくて、ウエイトトレーニングや瞬発系のトレーニングが中心です。僕は、プロになってから最高で5キロしか走ったことなかったほどでしたから(笑)。

トライアスロンの挑戦を宣言してから、応援する人の輪も日々増えて行くのはどんな気持ちでしたか?

古田ジャストギビングのサイトを見ていただけるとわかりますが、みんながが寄付と一緒に応援メッセージを送ってくれるんで、こんなに応援してもらったら頑張らねば、というのはずっと思ってました。プレッシャーにもなりますけどね、多少(笑)。

そういう意味ではメディアの浸透力はすごいですね。

古田やっぱり最終的にはメディア展開だと思います。日本では、まだ善いことは細々とやるものという雰囲気があります。でも、僕はいつも言うんです。善いことをやってても広がらないと意味がない、と。善いことの記事ってメディアにあまり載らないんですよね。悪いことしたらすぐに載るのに(笑)。
だから、メディアに出るチャンスのある有名人や芸能人が、少しでも発信していくというのが大切なことだと思います。僕がどれだけ力になれるか分からないけど、今回いただいた賞は、そういう意味でもとてもうれしいことなんです。

ジャストギビングを通じて
知り合った仲間が、本当にありがたい

新しいスタイルの募金ですから、私たちも期待してます。

古田設立から10年目を迎えて、本国イギリスでもうまくいっているようですし、日本でもチャンスはすごくあると思います。やっぱり、真っ直ぐにお金だけくれって言われても、すぐに出せないのが世の常です。「お前がそのために頑張るんだったらお金出すよ」とういうことってあると思うんです。実際に僕にも「お前がチャレンジしているのなら、その団体よう知らんけど、応援する」っていう友人がいましたから。そういうことで輪がどんどん広がっていけたら、うれしいですね。

設立から10年で累計1000億円近い寄付金が団体へとおくられていますよね。つまり1年で約100億ですから、これもインターネットの成せる技ですよね?

古田そうですね、「広がる」という意味ではまさにその通りだと思います。だから日本でもきっかけさえあれば、ブームに乗って定着していくと思うんですよ。いまはまだゆっくり右肩上がりの状態ですから。

もう次の挑戦は決まっているのですか?

古田はい、次は東京マラソンですね。4時間15分を目指してトレーニング中です。これがクリアできたら、自分としては記録を追うことからは、一段落したいですね。ランニングの楽しさもよくわかったし、いまでは一人で皇居をよく走ります。ときどき見知らぬ人に抜かされると、これは負けられないと思う自分もいたり。野球以外にこういう楽しみがあるんだということを経験させてもらったことは自分にとってよかったです。

では東京マラソンの次に考えられている構想は?

古田とくに構想はないですけど、僕の周りではどうもアイアンマンをやらせたいらしいですよ(笑)。ただ、僕はかたくなに拒否してますけど。まあ、アイアンマンに挑戦するかどうかは、今後の僕のポイントだと思います。アイアンマンはすごいですよ、あれをやる人、尊敬します。僕は、いずれは球界にも戻る可能性があるし、そうしたら本業が忙しくなっていまいます。アイアンマンは、いまから準備しても2年はかかりますから、そうすると48歳。まあ35歳くらいだったら、行ったるかって思えますけどね。

古田さんにとって、これまでの野球人生とは違う、今という時間がとても貴重なものなのですね。

古田僕は今年46歳なんですが、元気な60代とか70代になろうと思ったら、やっぱり今から頑張っておかないとって、すごく思います。今がその境目だと。60代のかっこいいオッサンみると、あぁなりたいと思いますからね。今回、ジャストギンビングを通じて知り合った仲間からは、その理想の60代に向かうためのチャンスをもらえたのかなと思います。本当にありがたいと思っています。

 

Faust Profile

古田敦也
1965年8月6日生まれ、兵庫県出身。元プロ野球選手。
JustGivingとは、個人が“何か”にチャレンジすることで、支援したい非営利団体のために寄付を集められるWeb上のプラットフォーム。日本では、2010年3月にサイト(http://justgiving.jp/)がスタートし、初のチャレンジャーとなったのが元プロ野球選手の古田敦也氏。同年5月に開催された「ホノルルトライアスロン」初出場・完走のチャレンジを成功させ、目標金額の30万円を超える寄付金を集めた。寄付金は若者の自立を支援する「侍学園スクオーラ・今人」へ寄付された。
JustGiving は、2001年に英国で発祥し、これまで世界でのべ1200万人が利用、1000億円の寄付を集めており、インターネット時代のチャリティ・ファンドレイジング・ツールとして確固たる地位を築いている。同サイトを利用すれば、誰もが簡単にチャリティプロジェクトを立ち上げることが可能。

 

 

  • ◎授賞式の模様はコチラ

Who is Mephisto ---メフィストとは

人生のすべてを知ろうとした、賢老人にして愚かな永遠の青年「ファウスト」(作:ゲーテ)。この物語でメフィストとはファウストを誘惑し、すべての望みを叶えようとする悪魔。当クラブ「Faust Adventurers' Guild」においては、Faustの夢と冒険の物語をサポートする案内人であり、彼らの変化や心の動きに寄り添う人物。時に頼れる執事、時に気の置けない友人のような存在は、『バットマン』におけるアルフレッド(マイケル・ケイン)、『ルパン三世』における不二子&次元&五右衛門トリオのようなものか? 今後、Mephistoは各クエストの終わりにFaustの皆さまの心を探りに参ります。どうぞよろしく。

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