Vol.4
パールオープンの贈り物
「第34回ハワイパールオープン」を1カ月後に控えた2012年1月、新田治郎は沖縄のゴルフ場にいた。普段、ゴルフ練習場には一切足を運ばず、寒さの厳しい1月、2月にいたっては、ラウンドもほとんどしないという新田が、5日間にわたり、みっちりクラブを握っていた。ゴルフ仲間とプロゴルファーを率いて、4泊5日の沖縄滞在中、5ラウンドをこなすというハードな強化合宿。それは、憧れのパールオープン初出場へ向けて、恥ずかしいプレーをしたくない、そして願わくは、予選を突破したいという意気込みの表れでもあった。
きっかけは好奇心
パールオープンへの挑戦
パールオープンと言えば、トッププロのみならず若手の登竜門のような場としてアマにも門戸が開かれ、日本人ゴルファーにとっても非常に馴染みが深いトーナメントの一つ。石川遼選手がアマチュア時代から参加し、プロ転向後に初の賞金を獲得した大会としても知られ、横峯さくら選手やミシェル・ウィー選手など女性ゴルファーにも挑戦の場を与えてきた。
その由緒ある大会に、新田が挑戦するきっかけとなったのは、ファウスト・ゴルフチームの創設メンバーとして4年前からパールオープンへ挑み続けてきた井上盛夫(当連載VOL.1から参照)の存在だった。井上は、ゴルフコンペ2011年間シリーズ「AUDEMARS PIGUET JAPAN CUP Powered by Faust A.G.」の年間チャンピオン(この模様はコチラ)であり、コンスタントに70台で回る腕前。だが、そんな井上もこれまでのパールオープンの戦績は芳しくない。普段、井上や同じくファウスト・ゴルフチームの浅野則之、新田らはお互いに、永久にハンデなしでスコアを競うことを誓い、しばしばラウンドを共にする親しいゴルフ仲間である。
パールオープンでのスコアを新田に冷やかされた井上が言った「パールオープンは、普段通りのプレーができないんだよ。半端じゃないくらい緊張もするし…。治郎も出てみろよ!」のひと言が、新田の好奇心をくすぐった。
合宿、現地練習、雨対策…
万全を期して臨んだ予選
1月の沖縄での強化合宿では思うような手応えを掴めなかった新田は、2月7日に行われるパールオープン予選の4日前に現地に入り、到着早々、闘いの舞台となるパールカントリークラブへ空港から直行、練習ラウンドを行う。翌日も別のゴルフ場で1ラウンド、日曜日こそ休養に充てたものの、指定練習日だった予選前日にも1ラウンドをこなし、調整を進めた。
ハワイに到着した初日と、予選前日の練習ラウンドでは、パールカントリークラブに拠点を置くテクニカルサポーター、マーク川島と共に回り、ホールごとに細かいアドバイスを受けた。パールCCを知り尽くし、絶大なる信頼を寄せるマークから具体的な戦略を得たことは、新田に冷静さを取り戻させ、大きな自信と安心感を与えたに違いない。
さらに雨天を想定し、普段は使わない滑り止め用の両手グローブを事前に日本で調達。そしてハワイ特有の芝目が強いグリーンに対応するために、現地入り後は、パター練習を入念に行った。
「ハワイに入ってからは、絶好調だったね。指定練習日も最後の17番と18番を連続バーディで上がれたし、これなら明日は大丈夫。行ける!と思った」と語る新田は、心身ともに最高のコンディションで予選当日を迎えたのだった。
ハワイ+ゴルフは
社長としての誇り
2月7日、予選当日。時折、雨が落ちる不安定な天候。気温も低く、ハワイらしからぬ厳しい状況下でのスタートとなった。国籍、年齢、性別、プロアマの境界も超えて、予選には97名が参加し、36の本戦出場切符を争う。
新田の気持ちは昂っていた。
「ハワイってさ、すごく特別な場所。何でもうまく行きそうな“気”があるというか。太平洋の真ん中に浮いて海に囲まれていて、人も気候も明るいし。テンション上がるんだよね」
生憎の空模様ではあったが、前日のラウンドでの好調ぶりが新田の心を晴れやかにしていた。
実は、新田がハワイでのゴルフを“特別”と感じるもう一つの理由がある。現在、株式会社ジェイプロジェクトの社長として日本各地やハワイに飲食店を展開する新田がゴルフを始めたのは、24歳の時。一世を風靡したマハラジャの東海地区統括として、史上最年少社長に抜擢されたのを機にゴルフを始めたという。
「マハラジャでは、社長以外はゴルフをやってはいけないというルールがあったんです。だから社長になったら絶対ゴルフをしてやるって思ってた」
さらに社員旅行で訪れるハワイでは、社長だけがハレクラニに宿泊するとい う慣わしも。当時、社長の側近としてその姿を目の当たりにしていた新田にとっ て、いつしか“ハワイのハレクラニに泊まり、ゴルフをする”ということが目標 になっていた。以後、20年以上にわたり、ゴルフは新田のライフワークとなり、ハワイに滞在する際はハレクラニに泊まることが定番となった。
暴風雨に襲われた
魔の1番ホール
パールオープン予選でINスタートとなった新田は、10番ホールで記念すべきパールオープン第一打を放った。ティーショットは、順当にフェアウェイ真ん中へ。セカンドでグリーンに乗せるが、前日から降り続いていた雨の影響で思いの他グリーンが重く、ボールが転がらない。結局このホールは3パット、ボギー。
だが、ティーショットには手応えを感じていた。同じ組で回った選手と比べても飛距離では決して引けを取っていない。充分通用するという自信を得た。
前半、苦しみながらも41で終えた新田にマークが声を掛ける。
「ジロー、天候も不安定だし、全体的にスコアは伸びていない。カットライン(予選通過スコア)が80くらいまで下がることも充分あり得るよ」
予選通過の可能性が残されている――。マークの言葉に、新田のモチベーションが一気に高まる。
しかし、ハーフ後の1番ホールで大きな試練が待ち受けていた。グリーンまでおよそ110ヤードを残し、第3打を打とうとした瞬間、嵐のような暴風雨が新田を襲った。前が見えないくらいの激しい雨。
「試合慣れしていないから…。そんな状況でも打たなくちゃいけないと思った」
3打目のボールは確実にグリーンの方へ向かったが、暴風に掻き乱されてボールを見つけ出せない。結局、その3打目はロストボール扱いとなり、打ち直したボールはグリーンに乗せることができなかった。苛立ちを隠しきれず、平常心を取り戻せないまま打ったパターも外し、トリプルボギーでホールアウト。
このことでは、試合後にマークから「大会経験の少なさが出てしまったね。あれ程の荒天であれば、打たずに待てば良かったんだ」と言葉をかけられている。通常のラウンドと違い、トーナメントとなれば時に“ずる賢さ”も必要となる。技術に加えて、試合ならではの駆け引きの大切さを、新田は身をもって実感した。
来年への布石となる
7番で見せた攻めのゴルフ
新田が、最も印象に残っているホールとして挙げたのが7番ホール。アイアンを不得手とする彼のゴルフは、ドライバーで距離を稼ぎ、できる限り低い番手のアイアンでカップに寄せるというスタイル。“鬼門”とも言われる7番ホールは、大半の選手がグリーン手前の池を避けるために短めの距離を刻み、結果的にスコアを崩しがち。だが新田は、前日のマークとの打ち合わせを受けて、ドライバーで攻めることを決意、池の前まで運ぶ好ショットを放つ。残念ながら、バーディショットがカップに嫌われこのホールはパーに終わったが、守りに入って安全策を選ぶのではなく、積極的に攻めることができたという自らのメンタル面の強さが、新田をまた一つ成長させたホールでもあったのだ。
新田のパールオープン初挑戦は、前半41、後半43というスコアに終わった。決して納得のいく結果ではないはずだ。だが、試合を振り返る表情は実に清々しく、少年のように輝いていた。
「今回パールオープンに出場して、劇的に楽しかった! 久しぶりに、心から楽しいと思えた。緊張したり動揺したり、自分のダメな部分に気付くことができた。攻めきれなかったホールもあって、弱虫だったな~とか。だからこれからは、色んな大会に挑戦したい。ハワイにも良いオープンゲームがたくさんあるし、日本の大会にも出て、クラチャン(クラブチャンピオン)とかになれたらいいなとも思う。もちろん、来年のパールオープンもできることなら出場して、予選突破したい!」
雨も降れば風も吹く
ゴルフは人生そのもの
ゴルフ歴21年。その魅力について改めて訊ねてみた。
「僕は野球も好きで、いまだに自分自身も草野球チームでプレーを続けているけど、野球は3回に1回打てば好成績と言われ、3打席三振しても、最後にサヨナラホームランを打てばヒーローになれる。自分が結果を残せなくても、誰かの頑張りで勝てたりもするしね。でも、ゴルフは誰も助けてくれない。ある意味孤独だし、ミスをしてはいけないスポーツ。経営者としては、野球のようにチームワークで攻める気持ちと、ゴルフのような冷静さやミスを回避しながら一人で闘う気持ちと、両方が必要だなって思うんだよね」
新田は言葉を継ぐ。
「ゴルフの18ホールは人生そのもの。良い時もあれば悪い時もある。トータルのスコアが悪くても、ラウンドを通してみればすごくいいショットがあったり、パーで上がれたホールがあったりする。雨の日もあれば、しっかり打ったつもりなのに、風にまくられることもあるしね。ビジネスも同じ。一生懸命頑張ったのに、逆風によって業績が上がらない時だってある。だからゴルフをしていると、悪いことばっかりじゃない、いつか良い時が来るって思えるんだ」
喜びや楽しさ、挫折を教えてくれ、自身と向き合うきっかけを与えてくれるゴルフ。21年前、社長になったことを機に始めたゴルフが、社長として揺るぎない地位を得た今もなお、新田に多くの気付きを与え、成長させている。
パールオープンを通じて、自らの強さと弱さを改めて突き付けられた新田とゴルフの関係性は、また新しいステージに突入したようだ。そして、ゴルフの奥深さを再認識した新田は、さらなる飛躍を遂げ、必ずや来年もこの舞台に帰ってくるに違いない。
新田治郎(にった・じろう)
1966年、京都府京都市生まれ。高校卒業後、日本全国で展開していたディスコチェーン・マハラジャへ入社。24歳の時、史上最年少で東海地区統括会社の社長に就任。経営悪化によりマハラジャが閉店すると、当時の社員らを率いて株式会社ジェイプロジェクト(http://www.jproject.jp/)を設立。現在、「芋蔵」「ほっこり」「てしごと家」など、様々な業態の飲食店80店舗以上を日本全国で展開する他、2010年には海外1号店としてハワイに「大漁」を出店。野球好きが高じ、2009年には硬式野球部を設立。プロ野球選手を輩出するなど、“居酒屋の硬式野球部”として話題に。
Pearl Country Club
ワイキキ空港から車で約20分。目前にパールハーバーが広がり、西側にはワイアナエ山脈が広がる美しいコース。毎年2月に開催される、このパールオープンゴルフトーナメントは、多くのプロ・アマが54ホールに挑戦するハワイで最も権威あるトーナメント。
http://pearlcc.com/jp.html
ハワイパールオープン日本公式サイト
http://www.hpo-japan.jp/
Text:Shizue Hanano
Photos:Makoto Kiryu
2012/03/22
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