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INTERVIEW with FAUST Seiichiro Takashima
耐久レースの転戦を夢見て

セパン24時間耐久から1ヶ月、今回のQUESTに参加したドライバー7人たちはそれぞれの思いを抱いて日常へと帰っていった。崇島もその一人、普段は経営者として化粧品の輸入販売業務をこなすかたわら、新しく展開する新ブランドの準備で忙しい。このチャレンジが、彼にとってどういう通過点だったのか、レースを始めたきっかけは、次なる目標は? Mephistoが話しを聞く。

セパン24時間への道-レースとの関り

Mephisto(以下M)レースを始めたのはいつ頃からですか?
Faust(以下F)レースを始めたのは、ちょうど1年半前、アイドラーズ・ゲームというレースがスタートでした。
 最近の話ですね。それはどんな形態のレースなんですか?
 参加するクルマはポルシェやミニが多いのですが、フォーミュラーカー、国産車、なんでもありのサンデーレースです。名前に「ゲーム」と付いているのは、普段乗っているクルマでゲームを楽しもうという感覚です。スプリントレースと耐久レースが年間数戦あって、僕はスプリント中心に昨年、本格的に参戦しました。

サンデーレースは、プロではなく、趣味でやっている人たちが中心ですよね? 趣味性の高いレース?
 いろいろな人が来ていますね。ワンデイのレースで、多くの人がナンバー付きのクルマで来て、予選を走って、本選を走って、自走して帰る。だから基本的にクラッシュは少ないです。それでもレースなのでアツくはなります。でも、基本的に気持ちよく走れますね。僕もスプリントの時は、荷物番をしてくれる妻と二人で行って、一日楽しんで帰ってきます。
 崇島さんはどんなクルマで参加したのですか? 一年間通して走った結果は?
 初代のポルシェ911、ナローポルシェですね。最初は 930Cupというクラスを走っていたんですが、タイムが徐々に上がっていたので、そのポイントをもって9 Cup-2というクラスにステップアップしました。最終戦でクラス2位を取ることができて、総合ポイントでは2008クラスチャンピオンを取ることができました。

 トップが取れた理由を自分なりに分析してみると?
 メンテナンスをしてくれている田口モータースの社長、田口さんのおかげはもちろんですが、シーズン途中で参加した耐久レースで、チームドライバーの一人として出場した木村さんや、セパンのチーム監督のBBR志村さんとの接点が生まれて、いろいろアドバイスをしてもらい、上手くシリーズを過ごせたのが良かったですね。クルマも身体もいい方向に向いていったと思います。

 今回のセパン24時間の話は、その繋がりがあってなんですね。
 ええ、志村さん、木村さんから、いいタイミングでセパン24時間の話をしていただき、すぐ決めました。

 セパンの話に移る前に、もう少しレース、クルマとの関係を聞かせてください。いつ頃からレースのことを思い描いていました?
 かなり小さい頃からですね。高校生ぐらいの時にはルマン 24時間、当時はポルシェ956とか962とかが活躍していて、それを夢中になって見ていた覚えがあります。それで、18歳で免許を取って、すぐに富士のライセンスと国際A級ライセンスを取得したんですが、レースには金銭的な壁があって出られませんでした。「こんなお金がかかるんだ~」と知ってしまったんです。当時でも、がむしゃらにお金を稼いで、その全部をレースに突っ込めば走れたのかもしれないけど、結局、一般道に行ってしまいましたね。箱根とか湾岸とか。
 その当時のクルマはなんだったんですか?
 72年のナローポルシェですね。
 車歴はポルシェ一筋なんですか?
 そんなことはないですよ、輸入車が多いですけどいろいろと乗っています。今は72年ナローと78年のポルシェ911ターボ、キャデラックのフリートウッドが2台、それとフェラーリ412があります。古いクルマが好きなんですよ。バブルの頃、ちょうど輸入外車を仕事で扱っていて、ランボルギーニやフェラーリといったスーパーカーにもいろいろ触れる機会があったんですが、正直メンテナンスしきれない。ドツボにハマるのは嫌だったので、自分ではオーナーカーにしませんでした。湯水のように使えるお金でもあれば別でしょうが・・・そうこうしているうちにバブルも弾けて、その会社はたたんでしまいました。
 時間が経ち、事業の方も軌道に乗って、レースへの思いが蘇ったということですか?
F そういうことになります。

セパン24時間を振り返って①-スタートを迎えるまで


 話は戻りますが、セパン24時間への話があって、参加を決めた経緯は?
 とにかく24時間レースを経験したかったので、いい話だなと思いました。昨年夏、アイドラーズ・ゲームの12時間耐久に出場した際、あまりにも楽しくてその後の3時間耐久にも追加エントリーしたぐらいですからね。耐久レースは、新しい出会いや共通の趣味をもつ友人ができるので、そういった縁を大事にしたいというのもありました。

 セパンに行く前は、それなりに練習されたんですか?
 F1のフェリペ・マッサのオンボードビデオを見てイメージしましたね。もちろんセパンです。スピードは全く違うけど、参考になりました。
M 何回くらい見たのでしょう?
 20~30回は軽く(笑)
 レーシングゲームでイメトレする人もいるようですが?
 ゲームではやりませんでしたが、本格的なシミュレーターで走ってみました。友人のRFCという会社のモノで、アクセル、ブレーキの細かいセッティングやタイヤの磨耗などがインプットされ、ほぼ実車に近い形でシミュレーションできるんですよ。ただ、Faust.RTが持ち込んだレーシングカーと同じようにはセットできないので、タイムの近いクルマで走ってみました。マッサのビデオも見ていたので、コースにはだいぶ慣れましたね。

 実車に触れたのはセパンが初めてでしたか?
 ちょうど、コンテナ積みする4〜5日前でしたか、監督の志村さんから土曜日に電話がかかってきて、「月曜、空いている?」と言われて、「えっ?」と応えたら、「シェイクダウンするよ」と・・・。慌てて準備したのを覚えています。組みあがったばかりのマシンで富士を走ったんですが、ギヤ比が合ってなくて、その時はレーシングカーとして走ってくれなかったですね。本番レースが間近で、マシンは主催者の用意したコンテナで現地に運ぶんですが、それまで時間がない。そのままの状態でコンテナに載せて、あとは現地合わせということになりました。
 崇島さんはいつセパンに入ったんですか?
 24時間レースのスタートが2月12日の昼で、僕らが入ったのが10日。メカニックたちはコンテナからマシンを降ろし、そのままサーキットでギヤの組み換えをしてくれていました。
M その間、崇島さんは?
 妻と一緒にクアラルンプールの市内観光をさせてもらっていました。夜はチーム全員で食事してミーティング。
M で、レース当日を迎えたんですね。
 ええ、8時からフリー走行でした。走ってすぐに、シェイクダウンの時とは違って状態の良さを確認できたので、ピットインのサインは出ていなかったんですが、自分の判断ですぐにピットへ戻って、次のドライバーにバトンタッチしました。レースカーにぜんぜん触っていないドライバーが5人もいたので。

セパン24時間を振り返って②-レース本番の話

 いよいよレースの話です。いろいろ耐久らしい波乱もありましたが。まずご自身の走りについて聞かせてください。3回コースに出てどうでしたか?
 とにかく、気持ちよかった~。マシンのポテンシャルが高いせいもあると思うのですが、トラブルで順位を落としても追い上げていける。ドライバーとしてはストレスを感じないから、精神衛生上とてもいい。

 スピンやコースアウトは?
 1回目のドライブ、2回目のドライブと1回ずつ。どちらも最終コーナーで、最初は突っ込み過ぎ、2度目はアクセルを踏みすぎ。突っ込み過ぎた時はコースアウトしかけたけど、エスケープゾーンまでは行かずに、かろうじてセーフ。2度目のスピンした時は、無理しちゃっている部分が心のどこかにあったんだろうなと、今は思います。3回目のドライブの時はマシントラブルでクラッチが使えなかったので、慎重に走っていて無理はしなかった。ある面、がんばっていない。その時が一番気持ちよく走れていたから不思議ですね。タイムもコンスタントに出ていたようだし。

 それではチームとしての戦いについて。プレッシャーを感じましたか?

 同じひとつの車を複数のドライバーで走るから、自分のミスで壊せないという意識はありましたけど、プレッシャーというほどではありませんでした。自然に壊れるのはしょうがないですしね。あと、少なからずレースをかじってるので、チーム内の人のタイムはやっぱり気になりますね(笑)。あまりにもタイム差があるとメゲちゃうから。
 マシントラブルがあって順位を落としたときはどう感じていましたか? せっかく逆転して1位にまで上がったのに。
F マシンのトラブルは仕方ないと思えるし、人的ミスも受け止めるしかない。ハンデを背負ったら挽回すればいいだけですからね。アイドラーズ・ゲームの耐久レースの時も、走行タイムの早いチームには加算タイムとかあったし、そういうハンデや過酷な条件を楽しむのが比較的好きな方なので、自分自身は耐久レースに向いてるんでしょうね。
 完走ゴールの後で思ったことは?
F ゴールのチェッカー受けて、安堵感もあったんでしょうね、楽しかったなあと感じました。一方で、同ピットのチームが1-2(ワンツー)の時もあっただけに、最後までいいカタチで走りたかったという悔しさも残りました。ポテンシャルとチームワークを見る限りではどちらかが勝てたレースだと思っています。アクシデントもいい思い出ですけどね。そういうこともあって、また出たいなと思います。このレースが隔年開催と聞いていたので、2年後にまた帰ってきたいと思いました。できれば、同じメンバーでまた24時間を走りたいですね。

 他のレースではなく24時間を、なんですね。
 人手が足りない中でも、フォローし合いながらチームワークよくまとまっていましたから。セパンに限らずこのチームでやれればきっと楽しいはず。それがルマン24時間でも、ニュルの24時間でもいいんだけど、もう1度楽しみたいなと。24時間レースの転戦がいつかできたら楽しいねって、みんなで話していました。

 そういえば奥さんもご一緒でしたが、24時間の間、どんな過ごし方をしたのでしょう。
 サーキットでも、レースのことはほとんどしゃべりませんね。マレーシアに仕事で仕事を作れたら楽しそうだねとか、日常的な会話です(笑)。そういえば、1度ホテルに戻って仮眠しましたね。僕自身はサーキットには慣れているんで現場にいた方がいいんですが、妻も一緒だし、チームの方針に甘えて戻りました。家族連れの方はみなさん戻ったんですよね。
 ええ、ホテルに戻ったり、ショッピングに行ったり、チームの買い出しに行ったりと様々でした。

セパン24時間が終わって-次なるチャレンジは?

 レースから早1ヶ月経ちますが、どうです?
 また早く24時間レースに出たいです(笑)
 次のチャレンジ、目標、夢は?
 セパンの時に、Fausut.RTのチームから一緒にスーパー耐久(以下、S耐)走りませんか?と誘われていたんですが、どうやら現実になりそうなので、新しい目標も見えてきました。2009年のS耐シリーズに参戦することになると思います。シーズン中になんとか1回は表彰台に乗りたいですね。ゆくゆくはインターCライセンスを取って、国際レースに出るという夢も、少し近づいてきました。
 3月末というともうすぐですね。練習は?
 コッソリやります(笑)。アイドラーズのチャンピオンとして、アイドラーズもレベルが高いんだぞというところを見せたいですね。S耐に出て「なんだそんなレベルかよ」って思われたくないですから。そのためにはコソ練をたっぷりしないと。
 今年のS耐の楽しみが増えました。コソ練の成果をじっくり見たいと思います(笑)。本日はありがとうございました。

 

 

  • ◎「24時間耐久! 走り続けた先にある歓喜」STORY本編はコチラ

 

 

Faust Profile

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崇島精一郎(たかしませいいちろう)

ドイツを代表する化粧品の「Florena」(フロレナ)の正規輸入販売総代理店、Cosmetic-Japanの代表。フロレナの販売開始当時、 日本ではまったく無名だった同ブランドを、「品質の良いものは必ず市場に浸透する」という信念のもと、店頭で手にとってもらいながら丁寧に販売していっ た。5年前からスタートして現在では200万個以上を国内に出荷、その実績が本国でも認められ、秋にはドイツで古くから歴史ある化粧品メーカー 「HILDEGARD BRAUKMANN」の総代理店として日本展開を任された。1965年5月生まれ、43歳

  • ◎「自分もチームを作ってセパン24時間耐久に参戦したい!」 という冒険者へ画像

Who is Mephisto ---メフィストとは

人生のすべてを知ろうとした、賢老人にして愚かな永遠の青年「ファウスト」(作:ゲーテ)。この物語でメフィストとはファウストを誘惑し、すべての望みを叶えようとする悪魔。当クラブ「Faust Adventurers' Guild」においては、Faustの夢と冒険の物語をサポートする案内人であり、彼らの変化や心の動きに寄り添う人物。時に頼れる執事、時に気の置けない友人のような存在は、『バットマン』におけるアルフレッド(マイケル・ケイン)、『ルパン三世』における不二子&次元&五右衛門トリオのようなものか? 今後、Mephistoは各クエストの終わりにFaustの皆さまの心を探りに参ります。どうぞよろしく。

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