戦場は蒼き大海原!
ビル・フィッシュとの闘い―後編
獲物なき競技2日目
早朝5時。枕元の目覚まし時計が、ジリジリとけたたましい音をたてる。幸先のいいスタートに、ついつい昨晩遅くまで酒が進んだ林(トップ写真中央)は、眠い目をこすりながらベッドを抜け出した。頭をすっきりさせるべく熱いシャワーを浴びる。まだ夜も明けきらない中、ホテルをでると、軽い運動がてら歩いて近場の店まで行き、その日の昼食などを用立てる。桟橋へと向かう頃には、新しい一日に向けての気構えはすっかり整っていた。
そして2日目のゲームが始まった。今日のボートは50フィートと大きめで、きわめて居住性もいい。HIBTでは、自分でチャーターボートを選べない。船はすべてクジで決められ、しかも日替わりだ。腕とカンのいいボート・キャプテンに当たれば、それだけビッグ・ブルーを捕らえる可能性も、また船上で過ごす時間の快適さも増す。その運も競技の一部分なのだ。
フィッシング開始の合図とともに林たちの乗る船は、北向きへと進路を取った。初日が好調だったこともあって、ちょっとリラックスした面持ちのメンバーはギアのセッティングを終えると、思い思いの場所に腰を落ち着けた。昨日に引き続いて天候は良好、波も穏やかだ。
HIBTでは競技対象になるフィッシングの範囲が決められている。とはいってもその範囲は広大で、たとえ40チームがいっせいにトローリングしたとしてもニアミスはまずありえない。ハワイ島の西岸(直線距離にして南北約160キロメートル)、沿岸から約20〜40キロメートル沖までの海域が競技エリアで、この範囲ならどこでトローリングしてもいいのだ。
だがこの日、林たちにラッキースターは輝いてくれなかった。1日が静かに過ぎていくなか、聞こえるのはエンジン音のみ。ロッドはぴくりともしない。2日目を終了した時、林たちには一本の当たりもなかった。
そして今日もヒットなく…
競技は3日目を迎えていた。昨日に引き続き 、林たちにツキは巡ってこない。船長もなんとか当たりを見つけようと、レーダーで魚影を探りながら走る。この海域に魚がいないのではなかった。事実、周囲のボートからは、ヒットの報告が次々に無線で流れてくる。なにかできることはないか。ルアーを付け替えてみる。だがやはり効果はない…。
「たとえ道具や条件が同じでも、相手は生き物だから、ヒットするかどうかは運次第。フィッシングというスポーツはだからあせってもしょうがないんです」とチーム・キャプテンの喜多嶋はつぶやく。
午後に入り、空にはうっすらと雲が張り出してきた。心なしか風が強くなり、海面も細かい波頭がたち始める。フィッシング終了の夕方4時には、桟橋付近に高潮が打ち寄せるほどになっていた。計量とポイント報告のため、必ず桟橋に立ち寄らなければならない船以外---つまり当たりがなかったチームは、安全のため街の北側にあるハーバーに帰港するようにと本部から司令が出る。林たちの船は昨日に続き、報告すべき獲物がない…。空手のまま、ハーバーへと向かうしかなかった。
And game is going on…
4日目午前7時半、カイルア桟橋。林たちは接岸しようとする自分たちのボートを、不安げな面持ちで見つめていた。今日乗り組むこのボートは今年HIBTに初参加で、船長の経験不足ぶりがかねてからウワサになっていたのだった。昨日に引き続き荒れ模様の桟橋に、なかなか接岸できない船。林たちは意を決し、船が岸に近づいた瞬間を見計らって次々に飛び乗った。
「今日こそはなんとか当てたい…」
二日間続けてまったく手応えがなかった林たちは祈りにも似た思いを抱えていた。いつものごとくロッドを船縁にたてラインを流してからも、休むことなく海上に目を馳せる。昨日までの結果では、カイルア・コナより南の海域での当たりが多かったと聞き、南へ進路を取るように船長に伝える。
ゲーム開始1時間。 清々しい朝の空気が薄れ、照りつける太陽の熱に取って代わる頃、船尾のロッドが激しく揺れた。
「来たぞ!」
ボートクルーの叫び声に、全員飛び上がって船尾へ急ぐ。アングラーは若手・山口だ。山口は席に飛び乗ると、慎重に、だが敏速にリールを巻いていった。引きの具合からいってさほど大きくない獲物のようだ…。やがてあがってきたのは、大きなシイラだった。惜しいかな、シイラはHIBTのポイント対象にはならない。獲物があがった安堵と共に軽い失望が船内をよぎる。だが、とにかく久しぶりのヒットにメンバーの気持ちは明るくなった。
そして11時半を回った頃だった。再びロッドが激しくビクついた。今度の当たりは期待できそうだ。ふたたびファイティング・ポジションについた山口は、数分の葛藤の後、船縁に獲物を引き寄せた。スピアフィッシュ! 大きさからいって50kgぐらいか。計量にもちこむほどではないので、タグを打って放すことにする。だが獲物があがりそうになったタイミングで、船が奇妙な動きを見せた。どうしたわけか、エンジンを止めるべき時に船長が船を逆走させてしまったのだ。間一髪でタグを打ち獲物をリリースすることはできた。だがクルーが「ストップ!」と叫んでも船は止まらず、スクリューがラインを巻き込み、ついにはエンジンが掛からなくなってしまった。
“やってくれた…”船長への不安感が現実化したことで、皆の間に一瞬の静寂が走る。このまま競技を中止しなくてはいけないのだろうか。だがそれにしても港に帰るには船を直さなければならない。メンバーやクルーは交代で水中に飛び込み、なんとか絡まったラインを外した。船が泊まってから小一時間経過していた。
ひとまず戦列に復帰しほっとしたのもつかの間。次なるアングラーは林の番だった。競技日程も残すところ1日。「もう一回は大物を釣り上げたい」という思いがよぎる。チームのためにも、自分の充実感のためにも…。だが林はそれを口にすることなく、ただ寡黙にスクリューの波頭と流れるラインを見つめるのだった。
最終日に賭ける
いよいよ最終日。その後昨日は当たりがなく、アングラー・林のポジションはそのまま最終日に持ち越しになった。4日目終了時点での合計ポイント数は500。上位には及ばないが、今日一日で挽回の可能性は大いにある。その不確定さがゲーム・フィッシングの醍醐味でもある。
「きっとオレには当たりが来る」
林は決意ともいえる静かな願いを持ってボートに乗り込んだ。今日のボート・キャプテンは、子供のときからコナの海でビル・フィッシュに親しみ、まだ若いながらも地元で信頼されている男だった。おのずとチームの期待感も高まる。
「昨日までトローリングしてたエリアはあまり当たりがなかったんだ。だから今日は作戦を変えて別の場所に向かうよ」
キャプテン・テディはそう言うと船の速度をあげた。テディの戦略は当たりだった。競技開始して2時間経っただろうか。ふいに船尾のロッドがしなりを見せた。すぐさまアングラー席に陣取った林は、ハーネスをつける間ももどかしく、竿をつかんだ。その瞬間、尖った吻を持つ魚が大きくジャンプした。ブルー・マーリンだ!
「よーし!いいぞ!」
アドレナリンが一気に上昇し、手のひらが熱を帯びる。視線はまだ見えぬ、海中の獲物に集中する。ロッドをつかむ腕にはカジキの必死の抵抗が伝わってくる…。手応えは十分だ。逃さんぞ…! どのくらい経っただろうか。船縁にマリーンの姿が浮かび上がった。170ポンド(70kg)ぐらいだろうか…。ボートクルーがすばやくタグを打つとルアーをはずす。ふいに腕への負荷がなくなり、林は椅子の背に寄りかかった。
そして戦いは終わった
そして5日間のバトルは幕を閉じた。今年の結果は、計800ポイント。 一昨年優勝、昨年は総合2位という輝かしい成績を持つチームだが、今回は残念にも上位入賞に及ばなかった。だが、運が多分に作用するのがゲーム・フィッシングの世界。メンバーたちは、それもまたありと達観の様子。入賞はさておき、カジキ2本を当てた林を含め、アングラーを担当した金田、山口と3人全員がヒットを取ったのは満足できる結果であった。桟橋に降り立ち、最後のポイントチェックを終えた林の表情に、悔いはなかった。
他のチームからも、お互いの健闘を讃えて声が掛かる。桟橋はアングラーとそれを迎える家族や友人、計量に持ち込まれたビッグ・フィッシュを見ようと集まった人々でにわかに華やいでいた。ゲームが終了した歓びと悔しさ、そして安堵と淋しさの入り交じった笑いさざめきのなか、林はふと仲間たちからの会話から離れ、一瞬桟橋の先へと目を馳せる。その先には、遅い午後の陽にどこまでも蒼く輝くコナの海が広がっていった。
ハワイアン・インターナショナル・ビルフィッシュ・トーナメント
毎年、世界中からチームが参加し、ビル・フィッシュの釣り場として国際的に有名なハワイ島コナ沿岸で釣果を競う。
50年前、ハワイが米国50番目の州となった年に始まり、記念すべき50回目を迎えた今年は50チームの参加を募った。
開催日時 2009年7月20日〜24日 ゲームタイム8:00〜16:00
Text:Kaori Mitani
Photos:Akira Kumagai
09/10/01