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チーム・リアルディスカバリー、
世界最高峰の冒険レース「XPD」への挑戦〈後編〉

MID CAMP

コースの後半へ突入 
同時にトップチームはゴールへ

北欧のThule Adventure Team やニュージーランドのSeagateといったトップチームがゴール付近で接戦を繰り上げている頃、初参戦のリアルディスカバリー(以下RD)はコース約半分の地点にたどり着いていた。

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RDが中間地点にたどり着いたころ、プロのトップチームはゴールへ到達しようとしていた。
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長いマウンテンバイク(以下MTB)から次のトレッキングのトランジションエリア(以下TA)となっているのがMid-Camp(6時間の休憩が義務付けられている)だ。ここに着いて、まずチェックしたのはそれまで競い合っていた他のチームとの差だ。
「〈Active Atoms〉とこれほど差がついていたとは・・・」
Active Atomsは、香港とシンガポールの選手から構成されるチーム。これまでの行程でほぼ同じペースでレースを展開しており、同じアジア圏のチームとしてお互いを鼓舞し、ライバルとして意識する関係だった。チェックポイント(以下CP)22のマッキントッシュ湖でのカヌーを終え、数分の差でTAを先に出発したRDだが、MTBセクションの途中で彼らに抜かれていた。しかもその差が12時間。愕然とした(後にActive Atomsは途中のCPをほぼスキップしていたことを知るのだが)。
「しかし、最後まで何が起こるかわからないのがアドベンチャーレース。4人で進めば、タイム差を縮められるはずだ」
そんな思いを抱きつつ、義務づけられている6時間の休憩と国立公園の植生保護のため、バイクやシューズなど装備品の洗浄をおこなった。久しぶりに大会側から提供された温かい食事をとったRD。1時間ではあったが、屋根のある場所での睡眠は、少し、彼らをホッとさせた。

仮眠をとった後、準備をして再び出発。次はトレッキングセクションだ。レースをスタートして6日目の22時。このときすでにレースのタイムリミットが残り3日となっていた。

XPD全コースマップ

スタート~CP2:シーカヤック17km
CP2~8:トレッキング20km
CP8~9:マウンテンバイク20km
CP9~10:ケービング0.5km
CP10~12:マウンテンバイク50km
CP12~19:トレッキング60km
CP19~20:カヤック(4人乗り)8km
CP20~22:カヤック(2人乗り)20km
CP22~29:マウンテンバイク105km
MID CAMP 6時間の休憩(強制)
CP29~36:トレッキング65km
CP36~41:マウンテンバイク150km
CP41~45:カヤック+カヤックを運びながらのトレッキング75km+12km
CP45~47:マウンテンバイク70km
CP47~52:海岸線を走るコーステアリングトレッキング25km
CP52~ゴール:マウンテンバイク35km

CP29→CP30

65キロのトレッキング
辛い決断の時

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MIDCAMPから過酷な海沿いの砂丘トレッキングへ!
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CP29~36は65キロにわたる海岸沿いのトレッキング。大会側から“最も困難になるだろう”と警告されていたセクションだ。当初の予定ではこの区間を32時間30分で乗り越えるはずだった。





白いビーチを歩く姿は絵になるが、靴ずれのある選手たちにとってはまるで地獄だ。RDは夜通しでこのビーチを北上。途中、CP30と31は渡された衛星写真を使って、広大な砂丘にあるCPを探さなくてはならなかった。間もなく日の出という時刻ではあったが、薄暗い中での現在地の特定は困難を極めた。
さらに重鎮の足の痛みが深刻さを増していた。細かな砂がマメだらけの足を容赦なく剥いていく。顔をゆがめ口数が減る重鎮。歩行速度が目に見えて低下していた。何とか少しずつ前に進んではいるが、それ以上ペースを上げることは困難だった。そんな中でも、チームは重鎮をプッシュしなくてはならない。これはチーム全体にとっても容易なことではなかった。明るくなっても雲が立ちこめ、雨が降り出すこともしばしば。それだけで気持ちが落ち込む。負荷を軽減するために荷物をメンバー間で分散し、牽引されながらも一歩一歩進む重鎮。
だだっ広い砂漠の中、CP30を懸命に探索する。そんな時、重鎮が南に言った。「これ以上ペースをあげられないが、いいか?」
なんとも言えない空気が漂うが、それを振り払うかのように南は「とにかく前進していることが重要だ」とCP30の探索を続ける。
苦戦しながらも、CP30を探し出した時、重鎮はもはや歩行不可能に近い状況となっていた。
「この先どうなるのか……」
不安な思いがメンバー達を襲う。とにかく前向きな言葉ばかりが飛び交った。ところが……
「これ以上、俺は無理だ」
と重鎮。さらに「みんなにはこれからがある。ここで俺と一緒に終わらせずに、リタイアになっても3人は経験のために先に進んで欲しい」
チームとして決断を下さなくてはならなかった。
砂漠の真ん中で輪になるRDのメンバー達。
重鎮の足の痛みを理解できないわけではなかったが、小澤もひどい捻挫で足が腫れ、(後でわかったのだが)手の小指が骨折した状況のまま進んでいた。
大会側からショートカットを強制されても、自分たちからリタイアはしたくないという思いが強かっただけに、悔しさから号泣するナディ。
しかし、今後のコースはさらに奥地へと進む。そこでのリタイア、そして救助要請となるとヘリコプターを要請することになる。チームにとって、残された選択肢はそう多くないように思われた。
リタイアする場合、大会本部に連絡しなければならない。チームに一台ずつ渡されているGPS発信機「SPOT」の救援ボタンを押せば、完全にリタイアだ。
最後、誰がそのボタンを押すかがためらわれた。最終的に「重鎮の申し出を受ける」とリーダーである南が担うことになった。

RDのリタイアが決まった。

リタイアを言い出した重鎮も、そしてそれを受け入れなければならない他のメンバーにとっても辛い決断だった。

RETIRE

リタイア決定後、様々な思いとともに
コテージで一夜を過ごす

SPOTで連絡を受けた大会側が彼らのレスキューに向かった。一方、RDはレスキュー隊がピックアップしやすいところまで移動した。数時間後、Zeehanと呼ばれる小さな町のコテージに搬送される。外は日が暮れ始めていた。
2つのコテージに二人ずつ。ナディと南。そして小澤と重鎮に分かれた。

悔しさで泣いてなのか、疲れからなのか、ナディと南の顔はむくんでいた。隣のコテージでは小澤が重鎮に話しかけ、ときおり笑いながらこれまでのレースを振り返っていたが、重鎮はどこか複雑な表情をして、「今、見るとたいしたことはないんだけれど、レース中は足が濡れっぱなしで、乾く暇がなかった。しかも泥に次ぐ泥」と痛々しい足を見つめる。

「重鎮さ、MTBなんて今回だけで一年分以上の倒木と水たまりを越えたとか話してたよな」と小澤。
そんな話が彼らのコテージの中で飛び交う。必至でシリアスになりそうな雰囲気をかき消そうとしているように。
しかし、一度は心が折れかけたメンバーだったが、とうていここでレースを終えることはできなかった。
「ゴールでは日本の仲間たちの思いがつまった国旗が待っているんだ」
「例えリザルトでは〈リタイヤ〉であっても、ゴールまで目指したい」
3人の気持ちに変わりはなかった。リーダーである南は、小澤とナディに続行の意思を確認し、大会スタッフに3人でのレース続行を要求したのである。
「ゴールまで行かせてほしい」
まもなく大会本部からの承諾を得て、3人でのレース続行が決まったのだった。

CP30→<SKIP>→CP41→LAST CP52

3人で気持ちを吹っ切りリスタート
最後までチームで

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重鎮を残し、3人でゴールへと進むリアルディスカバリー。過酷なトレッキング、MTBからゴールの瞬間まで。
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翌日は朝から激しく雹が降り、それが雨へと変わった。南と小澤、ナディはリスタートに向け準備を始めた。重鎮は大会スタッフと共にゴールへ移動し、翌朝から取材班の車に乗ってRDの応援に同行することになった。
リタイアし一度は動きをストップさせたことから、コース全行程を進んではタイムリミットまでにゴールにたどり着くことはできない。そこでCP30から、150キロのMTBと70キロのカヤックをショートカットし、CP41のMTBからスタートすることになった。

「日本で応援してくれている仲間がいる。なんとしてもゴールしたい」という強い思いで再びモチベーションを奮起させ、CP41からCP47を目指してMTBで移動した。その晩はCP47でキャンプ。翌朝、テントから出てきた彼らの表情にはどこか吹っ切れた感じがあった。その様子を一歩離れたところから見つめる重鎮の姿があった。
CP47でトレッキングセクションに移った3人は素晴らしいタスマニアの景色を堪能しながら移動していた。足裏にひびく岩場が続き、どうしてもペースは落ちる。それでも時折小澤の楽しそうな甲高い笑い声が山々に響く。ナディにも笑顔が戻っていた。

重鎮は、取材班の車で先回りした先のCPで3人を待つ間、「俺よりもひどい状況の選手達が歩いている姿を見ると、本当にこれで良かったのか複雑な気分になる。でもあのときは本当に辛かったんだ。もうこれ以上先へは進めないと思った」とぼそっと呟いた。RDの3人の姿を見つけると安堵ともに小さくほほえみ見つめる重鎮。一方、3人は重鎮の姿を見つけると嬉しそうに小走りでやってきた。

ついに到達した最後のCP52で、南と小澤とナディは、拳と拳とを突き合わせた。これが最後のCPという気合。最終セクションはMTBだ。
過酷なトレッキングセクションとうって変わり、表情がどこか引き締まっていた。
「ゴールは間近。ここは本気で行こう!」と言う気持ちが伝わってくる。きついアップダウンの道のりが続く。汚れと日焼けが混じり選手たちの顔がどこかたくましく見えた。海岸沿いを走りきり、ついにゴールとなる会場が見えてきた。ゲートを入り、もはや観客はまばらのスタンドの中、トラックを2周する。その間、スタッフやすでにゴールしている選手たちの拍手が会場に響く。重鎮はゴールラインで応援メッセージの書かれた国旗を広げて、3人を待っていた。
ゴールと同時に抱き合う選手達。
終わってホッとした思い、すべてへの感謝の気持ちで、みんなの目に涙が溢れていた。

GOAL

10日間730キロのレースを終えて
チームリーダー南が振り返る

「よく〈エクスペディションレースは、ゴールするかどうかという前に、レースのスタート地点に立った時点でレースの50パーセントを終えたようなものであり、それまでの準備がレースのすべてを左右する〉と言われるが、そのことを改めて実感した」とメンバーが口々に語った。
「当然、終えた後にいろんな反省点はあったが、限られた期間でやるべきことは全てこなしたし、今後の大きな試金石になったと思っている」とも。
その中でこのエクスペディションレースXPDに出場すると決め、チームを牽引してきた南はレースを終えてこう語った。
「XPDを知ったのは2010年の夏、仲間とGeoQuest※に出場したときのことでした。開催地はタスマニア。ここは過去に訪れた場所の中で僕がとても好きな場所なんです。〈アドベンチャーレースをもし最後にするならここ〉、そんなふうに思えるほどXPDは僕にとって魅力的なレースでした。ただ、10日間のレースで700キロという途方もない距離はこれまで経験したこともないし、最初は無理だと諦めていたんです。しかし、チームメンバーの小澤に気持ちを打ち明けたところ共感してくれ、一緒に仲間を見つけ、4ヶ月という短い間にできる限りの準備とトレーニングを行ってレースに挑むことができました。もちろんレースを終えた直後は〈燃え尽きた!〉と感じたりもしました。ただ一方で〈ここまでやれたんだからもっとやれる!〉、そんな気持ちにも今、なり始めています。当然、レースに出場するためには同じビジョンを共有できる人を探さなければないということも今回改めて実感しました。元々RDはアウトドアを楽しむ仲間と活動してきていますが、今後も、仲間との活動を大事にしながら数年後の海外レースを視野に入れていきたい。もちろん仕事や家庭とのバランスも重要ですが(笑)」
彼らの目線は、次なる挑戦へと向けられている。

※オーストラリアで開催されている3日間ノンストップのアドベンチャーレース。

Data

XPD Tasmania 
Adventure Racing World Championships 2011

公式サイト
http://www.trackmelive.com.au/xpd2011/

リアルディスカバリーのメンバー

右から、南大介(キャプテン)、34歳、アドベンチャーレース歴8年。
重鎮(池田俊彦)、58歳、アドベンチャーレース歴14年。
ナディ(砂田芳子)、3x歳、アドベンチャーレース歴6年。
小澤郷司、35歳、アドベンチャーレース歴9年。

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