Vol.004

アクアリウムという道を切り拓く

木村英智

アートアクアリスト/株式会社エイチアイディー・インターアクティカ代表取締役

8月17日から9月24日まで日本橋三井ホールで開催された、
「アートアクアリウム展2012&ナイトアクアリウム」。
およそ5000匹の金魚が、それぞれのテーマに基づく空間のなかで優雅な舞を披露した。
アートアクアリストの木村英智が作り上げるその世界観は、独創的でありながら直観的である。水槽内だけにとどまらない空間作りはメディアアートさながらの複合的な要素を兼ね備え、ハイセンスなインテリアやアートの世界へと昇華する。
日本橋にちなんで江戸時代の金魚鑑賞文化をイメージした今回の展覧会は、週末は1日に1万人を超える観客を動員した。
アクアリウム業界にその名を轟かす男の素顔に迫る。

被災地・気仙沼との絆



2012年3月、木村は自らが毎年手がけるクラシックカーイベント「ジャパンクラシックオートモービル」を震災復興支援に位置づけ、日本橋から気仙沼まで、愛するフィアット・アバルト750レコルドモンツァ(写真中央)で駆け抜けた。そのゴールの手土産としてイオン気仙沼店に「花魁」を展示した。

アートアクアリウム展が始まったばかりの8月19日、木村は“小さなゲストたち”のホストを務めていた。宮城県気仙沼市から20組40名の親子を、東京へ招待したのだ。
気仙沼の人々とのつながりは、昨年3月の東日本大震災をきっかけとする。発災直後に被災地へ物資を届けると、気仙沼から昨夏のアートアクアリウムをわざわざ鑑賞に来てくれた方がいた。そして、口々に東京に来ることができない被災地の人たちにアートアクアリウムを見せてあげたいと言った。この展覧会をそのまま持って行くのは難しい。しかしその声に応えたいと思った木村は大きな決断をした。普段はけっして無料展示はしない代表作の「花魁(おいらん)」を今年3月に気仙沼市内のスーパーマーケットに展示したのだ。
「現地で展覧会を開くのはなかなか難しいので、一番人気のある作品を持っていって、気仙沼のスーパー『イオン』さんに飾ってもらったのです。とても喜んでいただいたのですが、僕の作品はそれが置かれる空間も計算して作っていますので、100%のパワーを見せることができませんでした。それを承知で展示することはアーティストとしての魂を、少々押し潰したところがあったのですね。だけどその花魁だけで喜んでもらえるなら、やはりすべてを、本物を見ていただきたいという思いが沸き上がってきて、色々な方々の協力のおかけでご招待できることになったのです。残念ながら、人数は限られてしまいましたが」

六本木ヒルズの展望台へ登ったり、日本橋から隅田川をクルーズしたり、全日本綱引きフェスティバルにゲスト出演したりと、子どもたちにはたくさんの催しが用意された。様々なシーンで笑顔が弾けた滞在期間のハイライトは、もちろんアートアクアリウムの鑑賞だ。
子どもたちと過ごした時間を振り返ると、木村の表情は自然と緩む。
「子どもたちも付き添いの親御さんも、気仙沼で一度見てくれているわけですが、素直に驚いていましたね。子どもたちには、『木村さんって、ホントに凄い人なんだねっ!』って言われました(苦笑)。3月に僕が気仙沼を訪れたときは、スーパーカーを何十台も引き連れていったので、『あの人はいったい何をやっているんだろう?』というところがあったみたいで。晴れの舞台を見せることができて、僕自身も嬉しかったですね(笑)」
金魚を中心とした水中アートを、子どもたちは夢中になって見つめていた。木村の説明に聞き入っていた。彼らの真剣な眼差しが、木村には忘れられない。

イオンに展示され、多くの人を惹きつけた「花魁」。

「東京へ観光に来るほとんどの子どもたちは、いまならたぶんお台場やスカイツリーへ行くと思うんです。ちょっと足を伸ばしてディズニーランドとか。アートアクアリウムのためだけに、日本橋へ来てもらうのは難しいですよね。ただ、子どものうちから色々なものを見たり、触れたりするのは、とても大事だと思うのです。感性に響くところがあるはず。震災があったからというわけではなく、なかなか東京へ出てくる機会を得にくい気仙沼の子どもたちに、アートアクアリムを見てもらえたのはいい機会になったんじゃないかな、と」
双方向の交流は、今後も続けていく予定だ。

アートアクアリウム展にて気仙沼からのゲストと触れ合う木村(中央)。

「僕が気仙沼へ行く、あちらから招待する、というつながりはこれからも絶やさずに持っていきます。どんな形がいいのかは模索しているところですが、単体としての作品ではなくアートアクアリムを、たくさんの人たちに見てもらう機会を作りたいんです」

気仙沼をレコルドモンツァで訪れた木村。

イタリア伝統のガラス芸術を通じた日本文化発信



5,000匹もの金魚が泳ぐアートアクアリウム展は今年で2年目。江戸・日本橋の夏の風物詩となりつつある。
ベニーニの金魚鉢を用いたインスタレーション「サンタ・マリア・デル・ペッシェ・ドーロ(金魚の聖母)」。

アートアクアリウムに魅せられたのは、もちろん、気仙沼の子どもたちだけではない。日本橋では2回目となる今回の展覧会は、対外的にも高い評価を受けている。
アクリル素材の水槽が基本となっているなかで、ガラス製の金魚鉢で彩られたスペースがあった。ヴェネチアン・ガラスアートの最高峰であるベニーニのコレクションだ。イタリアが誇る世界的ガラス工房から依頼を受け、木村がデザインを手掛けた金魚鉢が並ぶ。
「ベニーニは世界中にコレクターのいる世界ナンバー1のガラス工房で、アジア人がデザイナーになるのは安藤忠雄さんに続いて僕が2人目だそうです。作品を作るのは7人のマエストロで、そのなかのナンバー1が担当してくれました」
その名も「Kingyo」と冠した金魚鉢は、工房とアーティストの枠にとどまらず、イタリアと日本の世紀を超えた文化的交流を意味すると木村は考える。ベニーニというイタリアを代表する伝統工芸によって、金魚鉢という日本メイドの伝統的ガラス工芸品が作り出されたのだ、と。
ヴェネツィアの工房に詰めていた日々は、木村にとっても刺激的だった。
「最先端のアクリル溶接に触れ合ってきた自分ですから、何百年前から続く伝統工芸にカルチャーショックを受けましたね。古(いにしえ)から伝わる製法に合わせて、僕のデザインも、どんどんと変わっていきました。そのなかで、自分がそもそも考えていた意思を残していくという作業です」
今回のアートアクアリウムは8つの「Kingyo」が展示されたが、形や曲線、大きさが微妙に異なっている。「何しろ、すべてが手作りですからね」と木村はうなずいた。
「ジャパンプレミア用として、通常ではあり得ないスケジュールで9個作ってもらいました。ベニーニは9個、19個、29個など『9』のつく数字でアーティストサンプルを生産していくそうなのです。本格的には来年4月のミラノ・サローネでワールドプレミアになります。ベニーニのコレクションとして世の中に出るのはそこからで、今回は先行披露です」

木村がデザインしたベニーニによる金魚鉢「Kingyo」。

9月24日に幕を閉じたアートアクアリウム展は、12月1日から大丸心斎橋店でも開催される(※)。日本橋三井ホールよりやや小規模となるが、アーティストとしての木村に妥協はない。魅惑の空間が作り出されるはずだ。 海外での開催も視野に入れている。すでにいくつかの候補地も上がっているという。
「中途半端な形ではやりたくないので、じっくり話を進めています。日本でも開催する都市や空間をきちんと選んできましたので、海外でもしっかりとした場所で、アートアクアリウムのブランディングが保たれるようにしていきます」
新たな作品を生み出す意欲も、いよいよ沸点に到達しようとしている。「花魁」を超える代表作を。
「アートとアクアリウムの接点を見出して、2007年のスカイアクアリウム(※)で初めて出来たのが花魁でした。これが爆発的にヒットして、いまだに上回るものを作り出せていない。花魁を超えるのが僕の挑戦で、まだまだ詰めなければいけないところはありますが、空間設計も含めたイメージは固まりつつあります。来年の日本橋で出せたら、と考えていますよ」

※大丸心斎橋店でも…12月1日~2013年1月20日まで開催。
※スカイアクアリウム…2007~09年、2011年に六本木ヒルズ展望台の東京シティビューで開催され、“天空の水族館”として好評を博した。

ゴールのない挑戦へ

奇しくも「挑戦」の二文字を口にした木村だが、「挑戦」の定義もまた独創的である。「ひと言で言い表せば人生そのものになるけれど」と切り出してから、彼らならではの仕事観、人生観をゆっくりと明かしていく。
「ゴールが決まっていたり、あらかじめ決められた目標に向かっていくのは、僕には向かない。マラソンやトライアスロンをやれと言われても、たぶん1キロも走れません(笑)。もちろんその時々の目標はあるけれど、ゴールのない挑戦と言うのかな。というのも、アートアクアリウムにしても、去年からナイトアクアリムとの二部構成にして、夜はバーやクラブにするということを始めている。何かひとつ形になるものを作り上げることで、新しい展開が開けていく。そういうサイクルをずっと繰り返してきたんですね。ベニーニとのコラボレーションにしても、アートアクアリウムから派生したものですし」



インタビューは木村のオフィス兼自宅で行った。

ならば、木村が人生を生き抜いていく原動力は何なのだろう。自らが作り出す作品を、多くの人に楽しんでもらうことか? 驚きをもたらすことか? あるいは、幸せを運ぶことなのか。
「……そこは……半分半分ですかね。正直に言って、サービス精神旺盛でやっているわけではないと思うのです。誰かに楽しんでもらうとか、喜んでもらうことが、第一義的な目標とか目的ではありません。たとえば、自分が作ったものを見てみんなが笑顔になってくれたら嬉しいけれど、『これでみんなが笑顔になるはずだ』という確信を持って作り上げているわけではない。作品を作っている過程で、そのあとに生まれる笑顔までは想像できません。自分が考えているモノをどうやって表現しようかと、とにかく必死ですから」
そこまで話すと、木村は言葉を切った。
沈黙が流れる。10秒、20秒、30秒……考えを整理する。やがて、木村の表情に、はっきりとした闘志が浮かんだ。
「今回のアートアクアリウムで言えば、『文化を作りたい』という気持ちが僕の原動力でした。出発点は独りよがりな世界かもしれないけれど、それは決して非社会的でなく、日本橋の街に溶け込むように考えているし、施設との連帯も意識している。この街の歴史や文化を尊重することも。その結果として、老若男女を問わずに喜んでくれたら、それが『文化』なのじゃないかと。そこで生まれた皆さんの笑顔は、確かに次へ向かう原動力になりますね」
アクアリウムとアートを調和させ、壮大なスケールの空間に仕立て上げた木村は、道なき道を歩んできた先駆者である。そして、これから先も彼の前に道はない。足元さえ覚束ない隘路を、彼はたったひとりで打開していく。
「それこそが、僕の人生なのですよね」
そう言って木村は笑う。気負いのない表情に、今度は確かな自信が浮かび上がった。

木村が創作したアクアリウムの代表作「花魁」。1000匹を超える色とりどりの金魚が泳ぐ巨大な金魚鉢がライトアップされた様は、妖艶な遊郭と花魁を思わせる。

木村英智

きむら・ひでとも

アートアクアリスト/株式会社エイチアイディー・インターアクティカ代表取締役/アクアリウムクリエイターズオフィス Srl CEO

1972年、東京都生まれ。自らがライフワークとして追及するアクアリウムに芸術性、デザイン性、インテリア性を融合し、「アートアクアリウム」という独自の分野を確立する。展覧会におけるインテリア、ライティング、映像、音楽、空間構成もデザイン・監修する。
現在はアクアリウムクリエイターズオフィスの活動拠点をミラノ(イタリア)にも作り、アートアクアリウムをヨーロッパから世界へ発信すべく活動中。また、環境保全活動も積極的に行なっており、米国フロリダの世界最高レベルの海洋学研究所「ハーバーブランチ海洋学研究所」のアクアリウムマテリアルブランド「ORA」を日本に展開。アクアリウムと自然環境保護を結びつける活動や、オーシャンアスリートと共に取り組む海の環境保護を考える活動「One Oceanプロジェクト」、米国デイビッド・ロックフェラーJrが設立した海洋自然保護を目的としたNPO「Sailors for the Sea」などにも参加する。

アートアクアリウム公式サイト

http://h-i-d.co.jp/art/

愛用のアイテム フェリージのブリーフケース
愛用のアイテム
フェリージのブリーフケース

「もう7年ぐらい使っています。色々なプロジェクトが同時進行していくので、資料ごとに分けて収納できるこのカバンは自分にぴったり。PCを中央へ入れれば、資料がクッションになってくれる。カバンでも何でも、置いてあるときの佇まいを大切にしていて、その意味でもお気に入りですね。使い込むほど味が出てくる風合いもいいでしょう」

好きな本
「深夜特急」(沢木耕太郎)

「ハードカバーで全巻、文庫は2セットあります。海外出張へ行く際には、必ず忍ばせていきますね。海外を知りたい、海外へ行きたいと思うきっかけを与えてくれた作品です」

好きな音楽
「リヴィング・イン・ザ・ライト」(キャロン・ウィーラー)

「好きな音楽がありすぎて、ひとつに絞るのは難しいのですが、これに決めました。ソウルⅡソウルの初代ボーカルだったキャロン・ウィーラーのファーストシングルで、『光のなかで生きてほしい』という歌詞が胸に響きます」

好きな映画

「これはいくつかあるのですが、『ルパン三世 カリオストロの城』、『風の谷のナウシカ』、それと『プラダを着た悪魔』をあげます。『プラダ……』について言うと、メリル・ストリープ演じる主人公のミランダ・プリーストリーが、『クリエイティブな人々のこだわりによって、様々な色が生まれている』というセリフがあるのですね。僕のイベントも相当に費用がかかるので(苦笑)、『これは削ろうか』と迷うことがある。そういうときにこのセリフを思い出して、自分に言い聞かせます。こだわりがなければ、良いモノは作り出せない、と」

2012/09/28

当「ファウスト魂」ページは、2012年8月~2014年2月まで日経電子版に掲載されていた特別企画を転載したものです。