ファウスト・アドベンチャラーズ・ギルド ようこそ。地球を遊ぶ、冒険家ギルドへ

05 INTERVIEW

Kei Taniguchi

谷口けい

アルパインクライマー

Profile

“世界の山を巡る旅人”

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谷口けい、その登山歴を見れば彼女が日本を代表するアルパインクライマーであることは一目瞭然である。2008年、クライミングパートナーである平出和也とともに、インドのカメット南東壁の未踏ルートの登頂により、登山界の最高栄誉「第17回ピオレドール賞」を受賞している。
だが実は「登山家」と呼ばれること、「アルパインクライマー」と決めつけられることに違和感があるという。いわく、自分は「世界の山を巡る旅人」であり、岩壁や氷壁を登ることに対して特別なこだわりはないというのだ。自分の可能性、範疇を限ることなく、様々なことにチャレンジし続ける。それが谷口けいという言わば「冒険家」のスタイルなのだ。

ロビンソン・クルーソーと植村直己、霊峰マッキンリー

インドのカメット峰(7756m)の南東壁の未踏ルートを平出和也と登頂したことで、2008年「第17回ピオレドール」を受賞した。
2008年、カメット峰を平出とともに登頂。
インドのカメット峰の絶壁を登攀する。

谷口の身長は150cm台と小柄で、どこにそんなエネルギーがあるのかと思うほど。幼い頃は運動とは無縁で、小学校ではインドア派の少女だった。図書館にある本をすべて読んでやろうというほどの本好きで、冒険小説にはまったという。無限の世界が広がる冒険小説に心躍らせ、ロビンソン・クルーソーやトム・ソーヤに憧れた。
そして本を読み漁る中で、植村直己という一人の冒険家に出会ったのである。自分の経験したことのない、厳しい自然の中での冒険、挑戦する姿を見せてくれたその本は、彼女の空想の世界を大きく広げてくれた。アラスカのマッキンリーで彼が行方不明(1984年)になってしまったとことで、その頃から大人になったらそこに行こうと決めていたという。
そして時は流れ2001年、社会人になって所属した山岳会でその年に計画された、彼女にとって初の海外遠征は、奇しくも霊峰マッキンリー。植村直己氏が遭難した、憧れ続けたその山だった。会の先輩に連れていってもらうような形ではあったが、パートナーの体調不良などのアクシデントもあって、2日続けて2度の登頂に成功。自分の登山に大きな自信をつけることになった。
「冒険って、人類の根底とか、DNAのはるか昔の記憶にあるものじゃないかな、と思うんです。そして植村さんの本との出会いはわたしにとってそれを思い起こさせる、運命の出会いだったんだなと思います」

谷口けいのアルパインスタイル

再び少し遡るが、明治大学では夜間部に入ったとこともあり、様々な事情で、植村直己も所属していた憧れの山岳部をあきらめ、自転車のツーリングクラブに入り、様々なアドベンチャーレースに挑戦した。当時「女性だからできない」と言われるのが嫌で、以来、山がフィールドになっているスポーツには何でもチャレンジしている。登山、MTB、トレイルランニング、カヤック・・・・・・。
「誰が何といおうと、やりたければ自分が努力してやればいいと思う。女性であることはあまり関係ありません。それにクライマーと呼ばれるのも実はあまり好きではないんです。クライミングそのものに特別こだわっているわけではなく、頂上へ行くのにいろんな方法を試したい。たとえばそこに岩壁や氷があったとしても、その山に対して、その時に一番自分らしいアプローチがあると思っていて。それは時代や年齢、経験によって変わっていってもいいものだと思っています。今は、フィックスロープを使ったり、いっぱいボルトを打って困難なグレードに挑戦するようなスタイルにはあまり興味がなくて。自分の持てる装備、この身ひとつで登り、最後にクリーンアップして山に負担をかけない。それを追求していったら、それがたまたまアルパインスタイルだった、ということなんです。山登りにはゴールというものがありませんしね。だから山を征服するという言葉も好きじゃないんです」

ピオレドールは後に続く未来のクライマーたちのためにある

「2008年にピオレドールを受賞したとき、審査員から言ってもらえたのは、どの隊の登山が難しかったからということではなくて、ライトであること、クリーンであること、冒険的であること、美しいラインであること、地球(環境)にローインパクトであること、限界に近い力を発揮したこと、そしてその発想と前に踏み出した行動こそが、受賞の理由だということでした。そう言ってもらえてすごく納得しましたね」
そして翌年、彼女はピオレドールの審査員としても招聘されている。その審査の過程で、あらたに分かったことがあった。
「ピオレドールは、その本人に対する賞賛というよりも、これからそれに続くクライマーたちのためにある賞なんだ、ということ。こういう登山がいいよね、こういう山登りをしましょう、という指標になる賞なんです。候補者を選考するときにもですが、私は、登山のリスクがあるのがわかっていたのに、無謀にもそれを避けないのは現代の冒険じゃあないと思うんですね。リスクを回避しクリアする方法を見つけ、提示することこそ重要。そうでなければ後に続くクライマーに、さらに大きなリスクを背負わせる結果になってしまう。冒険心は必要だけれども、命を尊重することは決して忘れてはいけない。選考した年も、たとえすごく高い山でなかったとしても、未知の可能性を切り拓き、未踏だった山の魅力を知らしめた人に、高い評価が与えられました。審査員になることで、その登山隊がどういう思いをもって、どれだけ楽しいクライミングをしたか、を知ることができて本当に楽しかったですね」

ナムナニでの一度の撤退、そして大きな感動

2011年には、一緒にピオレドールを受賞したクライミングパートナーの平出和也(インタビュー記事はコチラ)とともに、西チベット最高峰である中国西蔵自治区のナムナニ峰南面の未踏のルートに挑戦した。
最初は、たった1枚の、それも100km先から撮影されたナムナニ東南面の写真だけが手掛かりだった。「未踏」とは、文字通り誰も行ったことのない場所なのだから、当然のように情報は何もないところからのスタートなのだ。不確かな情報ばかりを頼りに下調べを続け、曰く「たよりない」チベット登山協会と調整し、現地に入っては根気よく聞きこみと自らの足で踏査を行い、ようやく現地の人間すら知られていない、ナムナニ南東壁、幻のロンゴー谷へとたどり着く。

チベット登山協会から得たナムナニ峰の登山許可証。ルートの記載は申請した未踏ルートと異なり「Nomal」とある。
ナムナニ峰の雪壁を登る。

落石や雪崩の危険のある非常に難しい氷壁だったが、これしかない!と見出したラインに取り付いた。しかし険しい壁を登るにつれ、上の方に雪崩の危険が見てとれた。「すぐ降りるべきだ」という平出の提案を受けいれることができず、氷壁で一晩ビバークするが、翌日にはそのルートをあきらめた。とぼとぼとベースキャンプに戻った後、ルートを変え、やはり未踏の南面の氷と雪の壁へ再トライする。そして壁を登り切り、南峰を初登頂――その途中で誰もみたことのない、感動的なシーンに出会った。
「2008年に2人で登ったインドのカメット南東壁が見えたんです。最初は『別の国なんだからそんなの見えるわけないじゃん』と思ったくらいの驚き。私たちが登ったラインまではっきり見えたのには、本当に感動しましたね。インド国内でも見える場所はないのに、チベットから、それもナムナニ南峰から見えるなんて」
未踏の壁を登ったからこそ見えたという、間違いなく他に誰も見たことのない、眺望。

左写真:ナムナニ南東壁、上方にセラックが認められる。雪崩の危険・・・。 中写真:2011年ナムナニ未踏の南峰から、08年に自分たちが登ったインドのカメット峰のルートが見えた! 右写真:ナムナニ峰の登攀ルート。
ナムナニ南峰を登頂し、主峰へ。
2011年、10月9日、ナムナニの主峰を登頂! 

「自分たちにしか分からない感動がありました。また南峰を登頂した瞬間、聖山カイラスとマナサロワール湖の織り成す壮大な景色も見ることが出来ました。その後は、降りるにはあまりにも登ってきた南面ルートが危険なため、主峰へ縦走し、ノーマルルートを下降することになりましたけれど」

From Faust A.G. Channel on [YouTube]

2011年、ナムナニ峰登頂の模様をムービーで!
★【YouTube:FaustA.G.チャンネル】でもご覧いただけます(スマートフォンの方 はこちらがオススメ)

山に登る多くのひとたちへ

インタビュー中の1カット。

近年は老若男女、多くのひとが山を訪れるいわゆる「登山ブーム」。しかし登山人口が増えるその一方で、遭難などの事故も増えている。どんな低山であってもそこにはリスクがある。山を知らない人が、多く入ることについて彼女はどう思っているのだろうか。最後に聞いた。
「自然を相手にする限り、フィールドには区切りがないじゃないですか。ルールはあってもそこに審判がいるわけでもない。だからこそ自分で決めなければいけないラインというものがあって。自分の能力と、行こうとする山の大きさだったり、難しさを知っていなければいけない。でもそういう能力を磨くことが出来るのが山の魅力でもあるんですね。だから行くなというのではなくて、自分にとってこの山が簡単なのか難しすぎるのか、考えて、しっかり自問自答してもらいたいですね。そうすることでもっともっと楽しい山登りができるんじゃないでしょうか。山は自分と向き合える場所です。そこで自分と向き合い自分自身と対話することが本当に価値あることだと思っています。まあでもあまりに多くの人が山に行くようになったので、近くの山はどこに行っても人が多くて。自分は静かな山が好きなもので、行けるところが減ってしまったんですけどね」
アスリートらしい、輝くような笑顔でそう言った。

ナムナニ山頂から、聖山カイラスを望む。

Profile

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Kei Taniguchi
谷口けい

アルパインクライマー


1972年生まれ。和歌山県出身。日本を代表するアルパインクライマー。世界の高山を登頂する一方で、アドベンチャーレースにも出場。優勝入賞暦多数。野外研修ファシリテータ―、山岳ツアーリーダーなども行う。都岳連レスキューリーダー、日山協自然保護指導員でもある。初の海外遠征で北米大陸最高峰のマッキンリー峰の登頂成功に始まり、2008年にはインド・カメット峰未踏の南東壁に初登攀。これに対して、平出和也とともに日本人として(女性としても)初のピオレドール(金のピッケル)賞が贈られた。2012年、前年のナムナニ未踏ルートの登攀に対し、ファウストA.G.アワード2012にてファウスト挑戦者賞を受賞。

 2001年 マッキンリー登頂(6192m)、デナリ登頂(6194m・アラスカ)、セルフディスカバリーin王滝(総合1位/East Wind Eco―Challenge)、エコチャレンジin NZ(11位/AXa N East Wind)
 2002年 野口建エベレスト清掃隊(BCマネージャー)、MTB100㎞+MTラン42km in王滝(女子総合1位)、北アルプス山麓アドベンチャー(総合4位、女子1位/インゲンギャルズ)、山岳耐久レース長谷川恒男カップ(総合39位、女子3位)。
 2003年 エベレスト清掃隊(C3・7300mまで)、韓国・仁寿峰クライミングGEAR4(総合3位/大和撫子旋風)、アドベンチャーin山北(総合2位/大和撫子旋風)、白馬山岳ペアラン(総合7位、女子1位/大和撫子旋風)。
 2004年 ゴールデンピーク(7027m・パキスタン)北西稜・登頂。ライラピーク(6200m・パキスタン)東壁新ルート・登頂。
 2005年

ムスターグアタ(7564m・中国新疆自治区)東稜第2登頂、シブリン(6543m・インド)北壁新ルート・登頂。

 2006年 マナスル(8163m・ネパール)登頂。
 2007年 エベレスト(8848m・ネパール/中国チベット自治区)に、チベット側から登頂。
 2008年 カメット (7756m・インド) 南東壁新ルートより登頂、これにより「読売スポーツ賞」「第17回ピオレドール」受賞。
 2009年 キンヤンキッシュ(7400m・パキスタン)、ガウリサンカール(7134m・中国チベット自治区) 北東壁新ルー ト挑戦。
 2011年 ナムナニ峰(7694m) 南東壁初登攀。

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2014/04/30

自由と勇気

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