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05 INTERVIEW

Kaoru Ogisawa

扇澤 郁

パラグライダー・パイロット

Profile

50歳は、まだ挑戦の折り返し地点

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富山の片田舎で、周囲は山だった。
なんとなく楽しそうだったからスキーを始めた。
気がつけば、冒険家の先輩たちの後を追いかける青春時代を過ごしていた。
ふとしたきっかけでパラグライダーをやってみた。
それが仕事になったとき「Red Bull X-Alps」というイベントに出会った。

何の関連もないような要素が50歳を目前にした今、ピタリとはまったような気がした。
扇澤郁。日本を代表するパラグライダー・パイロットが今年も世界で最も過酷なアドベンチャー・レースに挑む。

 

アルプス800kmをパラグライダーとトレッキングで横断

人生にひとつたりとて無駄なことはない、と人はいうけれど、その一つ一つの経験がどこでいきるのかは、人それぞれだろう。経験というジグソーパズルのピースが、あるべきところにおさまり、ひとつの大きな絵を作る。彼は今、その時にある。
7月19日から約3週間、Red Bull X-Alps(レッドブル・エックス-アルプス)というレースが開催されることを知る人は多くはないだろう。
オーストリア・ザルツブルグからモナコまで、アルプス山脈を含む直線距離約818kmを、途中7つのチェックポイントを通過しながら、24時間ノンストップでパラグライダーと自らの足のみで踏破するアドベンチャー・レースである。動力を使わないレースでは世界で最も過酷な大会といっても過言ではない。
 

アルプスでは、パラグライダーのフライトで距離を稼ぎ、着地したらまた再び徒歩でパラグライダーのテイクオフに適した地点まで登り、また飛ぶ…を繰り返す。フライトでは時に100kmほどの移動距離を稼ぐこともできる反面、風を読み違えたり、歩くルートを間違えたりすれば、数10kmの行程をロスすることもある。それをリカバーするためには、ひたすらアルプスを歩き続けなければならなくなる。

選手はパラグライダー、ハーネス、緊急用パラシュート、ヘルメットと補給食など最小限の装備を持つのみで、クルマで伴走する「サポーター」以外の援助は禁止。選手の平均睡眠時間は3時間、レース後は体重が10kgほども落ちるといい、おまけに、トップの選手がゴールしてから48時間以内にゴールしないと強制的にレースが終了し失格となるという、ルールまで無慈悲なレースなのだ。

この、世界で最も過酷なアドベンチャー・レースに参戦する日本人がいる。
パラグライダー・パイロット扇澤郁。2007年に初参戦し、当時は前評判に上らないノーマークの選手だったが、結果は“期待を裏切る”5位入賞(しかも完走したのも5人のみ)と、すばらしい成績を残した。今年は期待を背負っての参戦2回目となる。扇澤のライバルはヨーロッパの選手を中心とした29名だ。
自分の強みは? という質問に、しばし逡巡した後、ちょっと笑いながら扇澤は「やっぱり気合いと根性でしょうか?」と答えた。

「ヨーロッパの選手もとても真剣なのですけれども、どこかで『ああ、つらい。もうビールでも飲んじゃおうぜ』という雰囲気になることがありますね。その点、僕らは日本のパラグライダーの代表として行くんだという気持ちが強いですから」

僕は、自分の住んでいる世界を背負って生きている

条件が整えばパラグライダーでの飛行距離は100~200kmにもなる。ゆえにレッドブル・エックス-アルプスではいかに飛行に適した場所に到達できるかが重要となる。

扇澤は現在、パラグライダー関連のプロダクツを輸入する商社アエロタクトに勤務し、商品の企画開発、テストパイロットなどを仕事としている。日本全国のパラグライダーショップへ赴き、商品の解説やパラグライダーのインストラクター活動で家を留守にすることもしばしば。欧米に比べて愛好者人口が少ない故に、また空を飛ぶというパラグライダー故に、安全性に対する啓蒙活動と正しいフライトの仕方を伝えていく必要があるためだ。パラグライダーに全てを捧げるような生活は、欧米に比べて愛好者人口の少ない日本のパラグライダー界を良い方向に発展させていきたいとの思いが強いからに他ならない。

「日本でパラグライダーをやっている人が今までこんなにひとつのイベントに注目したことはなかったんです。世界選手権に行ったって『スイスに誰か行ってなんかやってる』くらいな感じでしょうか。それが、この大会では反響が凄いんですよ。日本の仲間がみんな注目してくれている…それを現地で実感するんです」

このレッドブル・エックス-アルプスでは、公式サイトからGoogle Mapと連動した「ライブトラッキング」というシステムにより、オンタイムで各選手がどこにいて、どのような状態にあるかがネットを通じてわかるようになっている。また、出場選手は一日一回、どこにいて何をしているかのコメントを投稿することが義務づけられており、観戦者はよりリアルに状況を把握できるシステムになっている。これまでのパラグライダーの大会では、ここまでの大会演出がされたことがなかった。

「他国の選手は自分のことをアピールするための舞台と捉えているふしがあります。ですが、僕はこれをより多くの人に見てもらって日本のパラグライダーの盛り上げに貢献したいと思っています。ちょっと大げさかもしれませんが、日本のパラグライダー界を背負って行く気持ちです」

 “冒険”が身近にあった青年時代

 

そんな扇澤だが、パラグライダーを始める前は、スキーを中心に活動していた。曰く「富山の片田舎」に生まれ、物心ついた頃には、周りの山にあるスキー場に通いつめていた。知人宅などに居候しながらスキー三昧の日々。世はまさにバブルのまっただ中、「何をやっても生きていけそうな時代」だったので、大学を卒業してもスキーを続けていた。
そんな中、たまたま出会ったのが三浦敬三氏と三浦雄一郎氏の親子である。
特に影響を受けたのは、日本の冒険スキーの第一人者、敬三氏その人だった。扇澤は三浦氏のチームでさらにスキーに励むことになった。

ところが思ったほどにスキーで芽がでる手応えがない。何かないかとモヤモヤした気持ちを持て余していた時、扇澤はパラグライダーに出会うことになる。
振り返れば「あ、飛べた」くらいでそれほど感動しなかったという初フライトだった。しかしそこには「何か面白いことが始まるぞ」という実感があった。

徐々にパラグライダーにのめり込んで行った扇澤は、その後筑波山周辺をベースとしてしばらく過ごし、そろそろ地元の富山でスクールでも始めようかという軽い気持ちで、現在勤めるアエロタクトの社長に相談をした。言われたのは「バカ言うな、もっと練習してこい」との叱責の言葉だった。「それで目が覚めた」。積極的に世界を見てこようとヨーロッパの大会に出場するようになった。

 レッドブル・エックス-アルプスとの衝撃の出会い

武者修行も兼ねて扇澤は1994年からフランスに飛ぶ。パラグライダーの機体のテストパイロットを行いながら、アルプスの山々を次から次へと飛んで回り、同時にワールドカップにも出場していった。気がつけば、日本のパラグライダーの第一人者として知られるようになっていた。こうしてヨーロッパと日本を往復する生活を10年ほど送った数年後、世界選手権で、扇澤はレッドブル・エックス-アルプスを知ことになる。


上:パラグライダーでのフライト以外はひたすらに歩く。歩くことで距離を稼ぐことと、フライトできるポイントとが最大効率となるように歩くルートを決めて行く。下:3週間に及ぶレース中、当然ながら荒天に見舞われることもある。

「世界選手権常連の強豪選手がある年、来なかったんですよ。あれ、どうしたんだろうと聞くと、レッドブル・エックス-アルプスというレースをやるために来ない、と。驚きましたねぇ、世界選手権を蹴ってまでやりたい大会というのはどんなものだろうと」

ちょうどそのころ扇澤はパラグライダーの世界選手権に日本代表として出場し、国別4位、個人3位と自身でも「まずまず納得」できる成績が出るようになり、次の挑戦の場を模索していたときだったのだ。だから、レッドブル・エックス-アルプスの存在を知ったとき、扇澤の頭に直感的に上ったのは挑戦するか否かではなく、次のような言葉だった。

 「あ、これは僕のための大会だ」

生まれた土地が山あいだったこと。スキーを通じて山を知り、リスクを恐れない“冒険”が身近にあったこと。
ヨーロッパでのテストパイロット経験があったこと。
ゴールのモナコはしょっちゅう飛んでいたこと。
日本のパラグライダー界を盛り上げるために何か大きなことが必要だったこと。
自分の思うがままに経験してきたさまざまな事象が、すべてここに繋がっていた。これまで自分のやってきたことは、無ではなかった。パズルのピースが一つ一つ揃うように、カメラのフォーカスが、スッと合って行くような感覚があった。

しかしこの時、扇澤の頭の中にはすぐにレッドブル・エックス-アルプスに出場するという具体的なイメージは持てなかった。出場するにはパートナーとして「サポーター」が必要だったからだ。サポーターは、クルマで選手と伴走し、食料・飲料の供給とナビゲーションを行う。サポーターなくしては大会に出場できず、サポーターが優秀でなければ完走すら難しい。扇澤のレッドブル・エックス-アルプス出場の最後のピースは、その翌年の世界選手権でチームをまとめていた佐相大だった。

 「アルプスの地図をですね、パッと開くとベストなルートが瞬時に見えるらしいんです、彼には。『どっちが早いかなぁ~、こっちかな?』なんてのんきに言うんだけど、それが合ってる。『この点線はクルマが通らない道です』『ここは道がないけど歩けます』なんて、とにかくルート作りの天才なんです。しかもパラグライダーには、上昇気流がどこでどう発生するのか、それをどうやって捕まえるのかが大切なのですが、それもわかってしまう」

大会中、選手は地図とGPSと携帯電話からでしか情報を得ることができない。オフィシャルから各選手の位置情報が、緯度と経度で知らされてくるだけだ。

ナビゲーターの佐相と地図を見ながらルートを決めて行く。パラグライダーの経験もある佐相の見立てを扇澤は絶対的に信頼しているという。

「緯度○○時○○分、経度××時××分」と言われて瞬時にそれがどこか分かる人間はまずいないだろう。ところがその数字から、「スイスの●●選手は今、イタリアの××あたりをうろうろしてて遠回りになっている」と分かってしまうのが佐相という人間だった。音楽家が絶対音感を持っているように、佐相は絶対座標とでもいうべき感覚を持っていた。

「千葉県出身で銚子で船乗りになるんだといって北海道大学水産学部に入ったヤツでしてね。だから海洋実習で漁師みたいなこともやってたので、緯度経度でどこか分かるんでしょうね。どうやら地図を眺めるのも昔から好き…というかある種の趣味だったらしく、北海道の地図に載っている山という山は片っ端から登って制覇したとか…。なんでそんなことしたのかは、よくわからないのですが(笑)」

レッドブル・エックス-アルプスに出場することが扇澤にとって当たり前のように、佐相もまたレッドブル・エックス-アルプスのナビゲーションをすることが当然のような男だったのだ。

扇澤に言わせると「僕は佐相に言われた通りに進むだけ」。こうしてレッドブル・エックス-アルプスに出場する最後のピースが埋まったのだった――。

実は今回インタビューしたのは、扇澤氏がレッドブル・エックス-アルプスに出場するため、ヨーロッパ入りするまさに前日。世紀のアドベンチャーレースに挑む直前の心境を語ってもらった。

まずは、今年の目標を。
――いいところに行けると思っています。機材の仕上がりもいいですし、サポーターの佐相のリサーチもかなりのものです。3週間前に現地入りしますので、気象情報なども集められるでしょう。この競技はパラグライダーでのフライトをどれだけ効率良くできるかが重要で、その点では僕のフライトとナビの佐相の総合力はアドバンテージだと思います。

大会の舞台がアルプスということで、不利ではありませんか。どんなに知識があったとしても現地の選手が皮膚感覚で分かるようにはいかないでしょう?
――もちろん不利ではありますね。アルプスに住んでいなくてもヨーロッパ圏の選手は土地勘がありますし、なによりパラグライダーなので、気流の動きや山の大きさになれていないと厳しいです。もちろん僕は日本人としては、ヨーロッパ圏でのフライト経験は相当多いのですが。

そんな不利を承知で挑戦する理由はどこにあるのでしょうか。
――この競技は瞬発力やパワーではなくて、2週間くらい続く長期戦です。そうすると作戦が生きるというか、ただ速く飛んでも息が切れてしまってはダメなんです。実際、前回の大会では何人もオーバーワークで足を痛めている。そのあたりの兼ね合いを上手くマネジメントできればチャンスはあるでしょうね。

ですが、あと何時間でどこそこまで行かないと間に合わない…というケースもありますよね。
――そこは燃え尽きないように自分を押さえつけるんです。自分で「走っちゃいけないぞ、走るな」と。なぜなら、このレースは長丁場なんで、体力を使い切ってしまうと、そこでストップしてしまいますしリカバリーに時間がかかってしまうから。

その時はどんな心理状況なんですか。
――ポジティブシンキングですよ。これがやはり大事ですね。焦って目標とするテイクオフポイント(パラグライダーで上昇気流を捕まえる場所)まで行っても、上昇気流がなかったら意味がないんですよ。歩きで遅れても、気流が良ければ僕はパラグライダーで挽回できます。条件が合えば200km、半日以上は飛んで行ける。チャンスはいつでも巡ってくるから、それを考えているようにしています。で、佐相と落ち合う場所にいくと「大丈夫、間に合いますよ」って彼がニヤニヤしているんですよ(笑)

そんなに上昇気流を捕まえるのが重要なのですか。
――そうです。この競技は、基本的にパラグライダーでの移動が勝負を決めます。ですから山を登って上昇気流のあるところに到達したらパラグライダーで飛んで進み、地面におりたらまたテイクオフポイントに向かう…という繰り返しですね。上昇気流は太陽が出て空気が暖まらないと発生しませんから、それまでが歩きの移動なのですが、夜中は真っ暗で危険なので休息というルーティンですね。だから逆に目的のテイクオフポイントまで行くのに焦る場合もあるのですが。

ひたすらに歩かなければならないときには、どんなことを考えているんですか。
――道に迷わないように、ひたすらそれだけを考えています。凡ミスをやってしまっては…ゴールは必ずあるわけですから、たどり着かないわけはない。

無心に近い感じですか。
――そうですね。ねん挫してもいけない、道を間違えてもいけない。相当集中していますね。

右上:時には、このように休息をとることも。太陽が昇り、上昇気流が発生する前に目標地点に到達しておけば、しばしの休息が訪れる。ただし、レースタイムは24時間ノンストップなので、過酷にも睡眠時間は自分のタイムに跳ね返る。


モナコでのラストフライトは、出場者の晴れ舞台。ここまで到達した選手のフライトに中継ヘリが同行する。こうしたショーアップもレッドブルのイベントの魅力。

最後にモナコでのゴールをイメージしてもらえますか。
――ヨットがあってまわりにギャラリーがたくさんいて、中継のヘリが飛んでいて。水の上に下りるのですが、僕は、どうやって降りてやろうかと、考えている感じですね(笑)あれはパラグライダー・パイロットにとって晴れ舞台というかデモフライトみたいなものです。あのモナコのゴールは憧れなんですよ。

それをやりたくて歯を食いしばるという…。
――そうです、だから皆うわごとのように「モナコー、モナコー」って大会中言っているわけですよ。ただ…僕の場合は、モナコはゴールであり、スタートでもあるんです。ヨーロッパでの修行がモナコからで、テストパイロットという地位を確立できたのもモナコ。有名パイロットたちと仲良くなったのも、モナコ。僕はそこで育ったし、そこに帰省していくという感覚でしょうか。折り返し地点みたいなものかもしれませんね。

折り返し地点、ですか。
――僕は今年で50歳になるのですが、その節目でレッドブル・エックス-アルプスに出たいと思っていたんです。三浦雄一郎さんの影響ですが、僕が三浦門下生になったときに彼が50歳だったんです。その時、彼が「人生のリスタート」と言ってたのを覚えています。もう半分生きるぞ! みたいな(笑)それに憧れがあってレッドブル・エックス-アルプスは、自分の人生の一度目の集大成と捉えて挑戦します。そう、まだ人生は続いて行きますから、今の自分がどのくらいのものなのか半生を試すんです。もう一回新たに違うものに挑戦するためのね。

今年のレッドブル・エックス-アルプスは、オーストリア・ザルツブルグにて7月19日11時30分(日本時間同日19時30分)にスタートの幕が切って落とされた。夢だった50歳を目前にしての一大イベントに、いま扇澤 郁はどんな絵を描き、次にどんなパズルを始めるのだろう。

 

Equipment for Red Bull X-Alps

GPS、バリオメーター、電話

選手が携帯する情報端末。左から位置情報を座標で表示するハンディGPS、フライトに必要な高度と昇降スピードを表示するバリオメーター、一日の行動を報告するための携帯電話。

アルプス各地の詳細な地図

ヨーロッパを舞台にするこの大会は日本人にどうしても不利となる。ヨーロッパは山岳地図が非常に充実しているので、こうした地図を事前に入手し、ルートの策定に備える。

特注の超軽量パラグライダー

扇澤がテストパイロットを勤めるGINというメーカーのもの。超軽量素材を使い、ロープ類はケブラー。重量は20kg 程度と非常に軽量に仕上がっている。

扇澤がアルプスを踏破するためには切っても切りはなせない、スーパーナビゲーターの佐相大(左)。

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◎レース真っ只中の扇澤選手の動向をGoogle Map連動システムでチェック!!

レッドブル・エックス-アルプス オフィシャルサイト

http://www.redbullxalps.com/index.aspx

扇澤 郁ブログ

http://ogisawa.exblog.jp/

アエロタクト レッドブル・エックス-アルプス日本チーム応援サイト

http://www.aerotact.co.jp/news/2009/xalps2009/index.html

◎SOULにて レッドブル・エックス-アルプス を動画付きで紹介中!

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関連記事:INTERVIEW「三浦雄一郎 プロスキーヤー・冒険家──旗印を降ろさない」

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Kaoru Ogisawa
扇澤 郁

パラグライダー・パイロット


1959年12月27日生まれ。パラグライダーのテストパイロットとして1994年よりモナコを中心にヨーロッパで無数のフライトをこなす。1995年ワールドカップで初の表彰台、2003年日本選手権優勝、世界選手権4位入賞というパラグライダーの第一人者。(有)アエロタクトにてパラグライダーのテストパイロットおよびスクーリングと普及に勤めている。

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2014/04/30

自由と勇気

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