冒険のクロニクル

人類は、新たな未来を切り開くために、数多の冒険や挑戦を重ねてきた。未踏の地を目指した者、知られざる世界を開こうとした者、そして、前人未到の記録を打ち立てようとした者などなど。いにしえより多くの勇気ある人々により綴られた冒険と挑戦の歴史。高度な文明を築き上げた現代にあっても、未だに身ひとつと叡智を駆使し、さらなる冒険に挑む人々がいる。「過去」「現在」そして「未来」。彼らの冒険の歴史を紐解くことで、世界はまた夢と希望と勇気を与えてもらえる。『冒険のクロニクル』は、世界で活躍する冒険者たちの生き様を書き記していく。

プロフリーダイバー・篠宮龍三

グラン・ブルーのその先へ音のない青い海への挑戦(後編)

ジャック・マイヨールに魅了された一人の青年は、フリーダイビングの世界に身を投じて以来、ただひたすら青い海の深みを追い求める。水深100mを超える海中ではかすかな水音以外の音はなく、ただただ深い、青の世界が広がる。
自らの肉体を細部まで研ぎ澄まし、恐怖心をコントロールし、過酷な競技に挑み続ける日本人唯一のプロフリーダイバー 篠宮龍三。
今年40歳を迎えるいまもなお、進化を続けるアスリートの一人である。

最年長でなお、強いアスリートであり続けること

篠宮が長く競技を続けている間には、同じ時代にしのぎを削ってきたライバルたちが次々に引退していった。篠宮は「日本では僕が一番の古株。世界的に見ても同期のヤツらはみんな辞めていっています。僕と同じころにフリーダイビングを始めて、今でもやっているのは他にひとりくらいになっちゃいましたね」と苦笑する。
篠宮自身、そろそろ自分も、という気持ちになっても不思議はないが、しかし、そうは簡単に辞められない理由もある。
すでに引退していったライバルたちはみな、一度は世界記録を塗り替えたことのある者ばかり。篠宮の言葉を借りれば、「いつ辞めてもよかったヤツらなんです」。だが、篠宮は違う。「僕の場合はまだ、そういうエポックメイクをしていないので、早々に(辞める)というわけにもいかない」のだという。

「周りからは『いつまで続けるのか』と心配もされます。子どももいるし、嫁からは冷たいツッコミがあったり(苦笑)。そういうのもあって、やっぱり安全第一で(3種目の)平均値を上げていくほうが、今の自分のライフスタイルには合っているのかなとは思います。リスクをかなり取って、一か八か1種目で突き抜けようとするよりも、3種目の総合で平均値を上げていくほうが、命に対するリスクを少なくするという意味でもいいのかもしれません」
そこには当然、葛藤もある。篠宮は、「果たしてそれが、見ている人にとって応援しがいのあるもので、すごくファンタスティックなものに映るかどうかは、また別なんですけどね。それは自分でもよく分かっています」と素直に認める。
言わば、プロとしての矜持。単に成績を残せばいいのか。そこに見てくれる人を魅了する要素はなくていいのか。そんな葛藤である。
「でも、速球派のピッチャーが技巧派になり、経験とスキルをもとにして最終的な勝利へ導いていく。やっぱり、そういうやり方に変わってきますよね」 そう言うと、篠宮は力を込めてこう続けた。

「それを逃げとか力が落ちたとか、カッコ悪いって見る人もいるのかもしれないけど、そうじゃない。やっぱり命あってのスポーツだし、そのときそのときで、可能な限り最高の仕事とか最高のアピールができればいいかなと思うんです。だから、まだ何か輝けるものが残っているのであれば、それをやり切ってからじゃないと辞められませんよね」

そんな篠宮は、現在メジャーリーグで活躍するイチローに憧れを抱き、「僕はフリーダイビング界のイチローになりたいと思ってやってきた」という。
「誰よりも早く世界に出て行って、日本人としてのプレゼンスをアピールしたり、記録に挑戦したりというところはカッコいいなと思っていますし、バット1本で世界と渡り合うその姿に、全然住んでいる世界は違いますけれども、僕もああなりたいなって勝手にシンパシーを感じています。昨年お会いした葛西ノリさん(スキージャンプの葛西紀明選手)もそうですが、最近は40代の強いアスリートが増えてきましたよね。フリーダイビングは息長くやれるスポーツで、60代、70代でもまだ続けている人がいますし、ジャック・マイヨールが最高記録を出したのも56歳のときですからね。僕なんて、まだまだハナタレ小僧です(笑)」

とはいえ、余力を残して楽しみながらでも、とにかく長くやれればいいと考えているわけではない。篠宮は「市民ランナーのように競技を続ける気はない」とはっきり言い切る。
「やるからには日本記録やアジア記録を更新するとか、表彰台に立つっていうのが、やっぱりプロとしてのミッション。そこは自分の職業観というか、プロ意識という部分に関わってくることなので、もしそれができないのであれば、スパッと辞めたほうがいいと思っています」

「夢を追うことの楽しさを伝えたい」

企業やブランドからの招きでの講演では、篠宮が海中で撮影してきた神秘的な写真や映像も披露。その圧倒的な美しさにだれもが釘付けになる。

長く競技生活を続けるなかで、最近では講演会やトークショーへの出演依頼が増えた。その数は、年間20回にも及ぶという。そうした機会を通じて、篠宮が伝えたいことは「夢を追うことの楽しさ」だ。

「僕自身、突拍子もないことだとは思いながら、フリーダイビングでプロになってみたいとか、ジャック・マイヨールの記録を越えたいとか、最初にそういう夢を持っちゃったんですよね。だから、これくらいが自分の限界だなと思っていたことでも、少しずつ段階を踏んでいくと、『あれっ? これ、できそうだな』って現実的な感じになってくるんです。夢とか目標とかを持って生きていくと、すごく大変なこともありますし、好きなことだけで食べていけるって、そんなに簡単なことじゃない。でもやっぱり、それによって人生が充実するし、楽しいことだよって、そういうことを伝えたい。もちろん、競技の魅力も伝えたいし、映像などを使いながら話はしていますけど、最終的に何が言いたいかといえばと、自分の夢を追求していく人生も決して悪くないよってことですよね」。
そんな篠宮が、今後の目標に見定める身近な夢とは何なのか。
「まずは4月のバーティカル・ブルーですね。この大会は毎年出ているので、今年も行きます。僕が初めて100mを越えた海でもあるし、とても相性のいい海です。今回も100m越えとか、アジア記録更新というところまで行けたらいいなと思うし、あとは表彰台。3種目のうち、今強化しているコンスタントノーフィンはもちろん、フリーイマージョンでもまだ記録を伸ばせるんじゃないかなと思っているんで、104mで止まっている記録を105m以上に持っていきたいなと思っています」

フリーイマージョンでの105mには、単に自己記録更新という以上の意味がある。篠宮は少し上気した様子で口を開く。
「105mっていうのは、ジャック・マイヨールが残した最後の自己最高記録ですし、とても大事な数字ですから、コンスタントウィズフィンに続いて、フリーイマージョンでもクリアしたいなと思っています。3種目のうち2種目でジャック・マイヨールの記録を越えられたら、これは結構満足度が高いんじゃないかなと思います」 これまで篠宮は、アジア記録を計37回更新してきた。32,33歳のころは、「潜れば記録が出る」くらいの勢いで、記録更新にもさしたる喜びを表すこともなく、「こんなの楽勝だぜ、みたいな感じでした」。

だが、記録が伸びれば伸びるほど、それを超えるハードルは次第に上がる。しかも、年齢的な要因も加わり、ますます記録更新の数を増やすことが難しくなってきた。「30代前半のころは、40回どころか、50回くらい記録を更新できるんじゃないかと勝手に思っていたんですけどね」。篠宮はそう言って、笑顔を見せる。
「昔は、『こんな記録は楽勝だし、これを早くクリアして世界記録に届かなければダメだ』みたいな感覚があって、自分を満足させちゃいけないとか、これで満足したら終わりだとか、そんなふうに考えていました。だから、記録の一個一個を噛みしめていませんでしたよね。でも、今は逆に、ひとつ記録を更新するごとに、喜びを感じています。若いころに、もうちょっと喜んでおけばよかったな、自分にご褒美でもしておけばよかったなって思いますけどね」

では、これまでに更新してきた記録のなかで、一番印象に残っているものは何か。そんなことを尋ねると、篠宮は当時の喜びを一つひとつ、あらためて噛みしめるように、「イチロー選手は、『現役のうちは過去を懐かしんではいけません』って言っているんですけどね」と言って笑い、こう続けた。
「歳のせいか、最近昔を懐かしむことが多くなって、最初に日本記録を作ったときのことをよく思い出すんですよね。2002年のハワイ島の大会(パシフィックカップ)だったんですけど、当時はまだ61mで日本記録だったんですよ。でも、それまで鳴かず飛ばずで、3年間、日本代表にすらなれない時期もあったりしたので、そのときはすごくうれしくて、『ああ、やっとオレ、日本一になれたんだ』って思いましたね」

2016年の今年、篠宮はフリーダイビングを初めて18年目、プロになって13年目を迎える。長きにわたり、篠宮が海と一体になって潜り続けてきた時間は、同時に、彼が夢を追い求めてきた時間でもある。

(左)2002年、ハワイで行われたパシフィックカップに出場し、総合3位に輝いた時の写真。
(中央)当時、一緒に戦ったチームメイトたち。今も現役の競技者人生を歩んでいるのは篠宮ただ一人となった。
(右)なんとも貴重なネクタイ姿の篠宮。競技の世界で頂点に立つ夢を追い求めるために会社を辞めた彼は、プロのフリーダイバーとしての道を自ら切り開いてきた。

Special thanks : BREITLING (ブライトリング・ジャパン)
Text:Masaki Asada
Photo / Movie: apneaworks

INFORMATION

篠宮龍三

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