北極冒険――。
古くは400年以上も前から、人々は北の果てにある未知の世界に興味を持ち、その正体を探るべく、危険のともなう探検行へと向かっていった。1800年代に入り、勢いを増した北極冒険は1900年代に入ると、さらに熱を増し、フレデリック・クック、ロバート・ピアリーらの探検家が北極点を目指した。
そんな北極冒険の歴史において、またひとつ新たなページを記そうとしている日本の冒険家がいる。2000年、ごくごく普通の大学生にすぎなかった青年は、冒険家・大場満郎氏が企画した「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加したことをきっかけに、彼の地に魅せられ、北極行にのめり込んで行った。
彼が目指すのは、「無補給単独徒歩」による北極点到達。つまり、自分ひとりだけで、途中で物資の補給を受けることなく、およそ100kgものソリを引きながら徒歩によって北極点に到達しようというものだ。一口に北極点到達と言っても、その手法は様々である。ある者はチームを編成し、ある者は犬ぞりを使うといった具合に、それぞれが異なるやり方で挑んできたが、なかでも「無補給単独徒歩」は最も難易度の高いやり方だと言っていい。
北極冒険家、荻田泰永。北極点無補給単独徒歩到達を「極地冒険の最高峰」と位置づけ、挑み続けている。
北極点は、本来人間が来るところではない世界
そもそも、なぜ北極点を目指すのか。そんな質問をぶつけると、荻田はさも当然といった様子で、こともなげに話し始めた。
「『北極点は必ずやろう!』と思っていたわけでもないのですが、この活動を続けていけばいつかはやるだろう、そういう日が来るだろうというイメージはずっとありました。明確にやろうと思ったのは2010年くらいのことです。2000年から北極へ通うようになって以来10年くらいやってきて、ようやく自分のなかでお許しが出た感じです。2010年に北磁極をひとりで歩いたときは、すでに多少のシミュレーションをしながら歩いていましたね」
10年以上にわたり、北極行を続けてきた荻田にとって極点を目指すことは、確かに自然な流れではあったのだろう。しかし、だとしても、やり方は様々ある。チームを組んでいく方法もあれば、途中で物資の補給を受ける方法もあるなかで、荻田があえて無補給単独徒歩を選ぶのはなぜか。
「別にこだわっているつもりもないんですが」
少しばかり困惑が混じった笑みを浮かべ、荻田は語る。
「せっかくやるのに、難易度を落としたらおもしろくないじゃないですか。(途中で物資の)補給を受けながらであれば確実に行けてしまうし、チームでやるにしてもそうだと思います。どうせやるなら、おもしろいことをやりたい。ただそれだけなんです」。
2014年の北極点挑戦映像を編集したDVD「Solo to the North Pole」より。
http://www.ogita-exp.com/index.html
荻田の言葉を引けば、1度目の挑戦時は「まだ北極海を全然分かっていなかった」。2度目もまた、「できるだろうなという思いはあったが、まだ半信半疑だった。実際にやってみて、まだ理解が足りていなかったなと骨身に染みた」。“お許しが出た”はずの荻田の挑戦は、困難を極めた。
「当然環境は厳しいし、そもそも人間が活動する場所ではないですから。例えば、イヌイットが狩りに行くとしても、もっと南の島のエリアです。つまり、そもそも人間の世界ではないところに今、我々はあえて入っていこうとしているわけです」
南極大陸上にある南極点と違い、北極点の足下には陸地がない。そこを徒歩行で目指すということは、すなわち、海上を歩いて進まなければならないということだ。当然、それが可能になるのは1年のうち、3,4月のわずか2か月程度。荻田は凍った北極海の上を歩いて、北緯90度地点を目指す。
「徒歩行の難しさを一言で言えば、足下が海だということ。常に流れていて、足下が定まらない場所を何百kmも歩かなければいけないというのが、一番の難しさです。氷が流れて激しく動く北極海は、本当に不安定で何が起きるか分からない。日々刻々と変わる状況を読むのがすごく難しいんです。それまで10年以上もずっと北極を歩いてきましたが、主に島しょ部だったので、そんなに激しく氷は動かなかった。でも、北極海は全然世界が違いました」
そう語る荻田は、2度の挑戦を経て、「本来は人間の来るところではないと実感した」と苦笑いを浮かべる。
「Solo to the North Pole」2014年、北極点を目指した48日間の全記録より
地球上でもっとも過酷な場所でみつけた“喜び”
しかし、その一方で、想像を上回る過酷な場所に足を踏み入れたとき、荻田は自分が不思議な快感を覚えていることにも気がついた。その感覚を荻田は「できなかったことができるようになった喜び」だと表現する。北極点に無補給単独徒歩で行くなどということは、10年前の自分にはできなかった。だが、今の自分にはできる自信があり、北極点はもう自分の手に届く範囲内にある。そんな手応えが快感となって荻田を包むのだ。
「10年前より体力は絶対に落ちていますけど、今のほうがむしろ長く歩ける。若いころは体力に任せてソリを引いて、『あー、疲れた』となっていましたから(笑)。今のほうが瞬間スピードは当然遅いけれど、自分の体力をどう使うかを考えながらジワジワ歩いていけるので、長い時間休まずに歩くことができるんですよね。肉体的なものは衰えていますけど、いろいろなことを経験したことで精神的なものがともなってきています」
だが、荻田がやろうとしていることは、単に自分への挑戦というレベルではない。「できなかったことができるようになった喜び」のなかには、「10年前の自分ができなかったこと」だけでなく、「先人ができなかったこと」も含まれているのではないだろうか。
そんなことを尋ねると、荻田は「軟弱な現代人の我々と違って、昔の人はスゴいんですよ。先人にはどう張り合っても勝てません」と言うと、こう続けた。
「もう死んでしまっている人が我々と同じことをできないのはもちろんのこと、我々も彼らと同じことはできない。なぜなら、彼らが知らなかったことを我々はもう知ってしまっているからです。その時点で、もう明らかにハンデがある。例えば(ロバート・)ピアリーなんかは、北極点に陸地があるのかどうかすら分からずに、100年くらい前に北極点を目指したわけですから、仮に彼らとまったく同じ装備をして同じ手法でやったとしても、同じではない。彼らのほうがスゴいんですよ。そう考えると、先人は絶対に越えられない。もう知ってしまっているという不幸。我々が味わっているのは、知識があることの不幸なのかもしれません」。
話し続けるうちに冒険家としての欲求が体の中でふつふつと沸き立ったのか、荻田は語気を強め、それでいて、どこか楽しげに語る。
「だから、彼らがうらやましくもありますよね。知らずに行っていたら、もっとおもしろかっただろうと思いますから。本当に命がけで大変だったかもしれませんが、自分の手で未知のことを明らかにしていくのは絶対におもしろかったと思います。今の時代、地理的にはその余地はなかなかありませんし、まだ分かっていないところがあるとしたら海の底くらいでしょうか。だから、18、19世紀くらいは、もっとおもしろかったんだろうなと思います」。
これまであまたの先人たちが、さまざまな目的と理想を掲げて挑んできた極地冒険。過去の先人たちの功績を受け継ぎ、極地冒険譚のバトンを次の世代へとつなぐこと。現代に生きる「北極男」荻田の挑戦の軌跡は後編へと続く。
Text:Masaki Asada
写真提供:荻田泰永
- 《北極冒険家・荻田泰永 公式ページ》
http://www.ogita-exp.com/index.html - 《北極冒険家・荻田泰永 公式ブログ》
http://blogs.yahoo.co.jp/ogita_exp - 《荻田泰永 北極点事務局》
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